第40話 満天姫、ぐいぐい迫る

 雪乃の心配は当たった。

 扇で顔を覆っている燈子姫にずいっと近寄った満天姫。

 右手で燈子姫の手首を突然、掴んだ。


「あっ……」


 掴まれた燈子姫は小さな声を上げた。手に持った扇がポロリと畳に落ちる。

 燈子姫のお付きの那岐と三方に菓子を持ってきた女中たちは凍り付いた。


(姫様が殺される!)


 きっとそう思ったであろう。

 失礼にも目を閉じている。

 心の中で殺された主人のために念仏でも唱えていそうだ。

 手首を掴まれた燈子姫は、体に力が入らなくなり、後ろへ倒れて行く。それをすばやく左手で支える満天姫。

 顔を近づけ、燈子姫の顔をじっと見つめる。


「燈子、お前、美しい顔をしておるのう。わらわの好みの顔ぞ」


 さらっとそんなことを満天姫は言った。

 めちゃくちゃ恥ずかしい台詞である。


(あ、あああああ~あ……)


 雪乃は目を閉じた。

 きっとコミュ障の満天姫は、何かを言わねばと思い、見た通りのことをしゃべったのであろう。

 雪乃に褒めろと言われたことが頭にあるようだ。

 雪乃は知っているが、満天姫はけっしてそっちの気はない。

 あくまでも燈子姫の顔を見ての感想だ。

 しかし、言われた当人の心は穏やかではない。

 ここまで深窓のお姫様として育てられ、男と触れ合ったこともない。自分の容姿を褒められたのは初めて。しかも見つめあっての状況。

 燈子姫は心臓が早鐘のようになり響き、息苦しくなるのを自覚した。


「ま、満天姫様……御冗談を……燈子は満天姫様ほど美形ではございません。」

「そんなことないぞ。ほれ、顔を隠しているのはもったいない」


 そう言うと満天姫、強引に燈子姫の顔をグイっと雪乃たちの方へ向ける。

 燈子姫はまじまじと自分を見つめる雪乃たちを見て、ゆでだこのように顔を赤くする。


「満天姫様、いかにこの部屋に女性ばかりとは言え、燈子は恥ずかしいです」

「恥ずかしがるでない。お主ほどの美形。堂々としておれ」

「いや~っ」


 いやいやと暴れる燈子姫の両手首をがっちり抑える満天姫。


(これじゃ、嫌がる女を強引に口説く男と一緒じゃない!)


 雪乃はそう考えたが、満天姫に他意はない。たぶん、精いっぱい絡もうとしている結果がこれだ。


「お前、そんなに暴れるとここから帰さないぞ」


 満天姫は燈子姫の耳元でそう言って諫める。

 雪乃はこの状況でそのセリフはないだろうと呆気にとられた。


(満天姫様……イケメン過ぎます)


 この姫が口を開くと誤解が誤解を招く。

 燈子姫はもう意識が飛んでしまったらしく、目が虚ろで満天姫ばかりを見ている。もう満天姫以外は目に入らないようだ。


「はう~」


 もう燈子姫の目がハートの状態である。


「あ、あの……これはお礼の……」


 二人の世界に燈子姫の侍女である那岐が割って入った。

 ここへ来た目的はお礼と贈り物を届けるため。那岐としてはさっさと手渡して帰りたいのだろう。


「これは京より取り寄せし、菓子でございます」


 そう那岐は説明した。

 満天姫は燈子姫の手を放し、そそくさと座りなおす。燈子姫も乱れた着物の裾を直し、慌てて下座に座りなおす。


「なんじゃ、その菓子は?」


 満天姫がぶっきらぼうにそう尋ねた。初めて見たものであったのだろう。

 那岐が差し出した和菓子は四角い形。極上の小豆餡を薄皮で包んだもの。


(わあ……これ、きんつばよね)


 雪乃は思わずごくんと喉を鳴らした。

 すぐに熱いお茶を入れるよう三女中に頼んだ。

 お茶が出て来るまで、燈子姫は今日の都のことを満天姫に話した。

 公家の生活は武家とは違うことばかりで、面白い。

 口下手の燈子姫も、二人が真剣に聞いているので、思わず長々と話してしまった。

 久しぶりのおしゃべりに満足する。

 公家出身の燈子姫にとっては、この大名屋敷での生活はストレスがたまるばかり。

 聞き上手の満天姫にうれしくなってしまったのだ。

 やがて熱いお茶が入り、燈子姫がもってきた甘いきんつばをみんなでいただく。

 そして燈子姫は帰り際にさらさらと短冊に歌を書き付けた。


「きんつばの あまき匂いに 時忘れ 君のやさしさに わが身をゆだねん」

(ん?)


 雪乃は悩んだ。


(どういう意味だ?)

「きんつばをあなたと食べるとあまりの楽しさに時間が経つのを忘れてしまいそうですわ。これからはやさしいあなたに私はついて行きますわ」

(って感じかな?)


 何だか燈子姫は満天姫のことが気に行ったようだ。大の仲良しの気持ちだろう。

 燈子姫が帰ってから、満天姫が首をひねり、そして返歌を書き出した。


「花香る あまき匂いに 我は知る きんつばともに 味わうかな 」


(はあ?)

「きんつばよりも甘い君との時間は、私にとっては何よりも楽しいと知っている お前、ぼやぼやしていると食っちまうぞ!」

(おいおい、完全に口説いている歌じゃん)


 満天姫はお菓子を食べるよりも、あなたの話が面白かったと言いたいだけなのだろうが、あのメロメロ状態の燈子姫がこの歌をもらったら、あらぬ誤解をされそうだ。

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