第21話 お栄、町に買い出しに行く

「お栄様、困りました。出入りの魚屋が売ってくれないのです」


 そうお栄付きの女中がそう報告した。

 この女中は香姫に脅されて、内通していた。

 よってなぜ売ってくれないかを知っているから演技である。


「どういうことですか。出入りの魚屋なら蛸が手に入ると聞いていたのに」


 本当は手に入るのだが、香姫にお栄に材料が渡らないように命じられているから、お栄の申し出にそのような嘘を付いた。

 仮にお栄が直接出向いても魚屋は売らない。そのように香姫が裏で手を回しているからだ。

 江戸中の魚屋にあたれば、売ってくれる者も見つかるだろうが、今のお栄は屋敷の外に出ることができない。


「蛸でなくてもよいです。烏賊か、蛤はまぐりなどの貝類は手に入りませんか?」


 そうお栄は聞くが女中は首を横に振る。

 さすがにお栄もこれは変だと気づく。

 天候が悪くて不漁なら分かるが、ここ数日は良い天気で獲物が取れなかったなどと言うことは考えられない。

 お栄は唇を噛んだ。

 賢いお栄は恐らく誰かの妨害だろうと思ったのだ。


「誰かが出入りの商人に圧力をかけて、私に売らないようにしているのではないですか?」


 お栄はずばりそう聞いてみた。

 そんな聞き方では真実は分からないことは百も承知であったが、何か手がかりになる情報を集められないかと思ったのだ。


「実は……満天姫様が」


 お新は香姫一派にこう話すように言われたことを話した。


「どうやら満天姫様がお栄様に売らないように命令したということです」


 もちろん真っ赤な嘘。本当は香姫がそう圧力をかけたのだ。

 秋葉藩出入りの商人としては、香姫の機嫌を損ねたくはない。

 お栄にはのらりくらりと言い訳をして、良い材料を回すことをしないようにしたのだ。

 そしてそれを全て満天姫のせいにしたのだ。

 しかし、お栄はそれを聞いて不審に思った。

 そもそも、自分に意地悪をするならばれないようにするはずである。

 自分の付き人にこうも簡単に知られるような間抜けなことをするだろうかという疑問。

 もう一つは満天姫がそんなことをする人ではないとお栄は信じていた。

 自分を潰そうとするなら、この間のお披露目の場で自分を助けるはずがない。


(妨害した人のことを考えても仕方がないこと。それよりも材料を買わないと料理ができない……)


 お栄が大根を使った料理に選んだのは、海の幸と大根の煮物。お栄が母から習った味付けで出そうと思ったのだ。

 大根と合わせるのは当初は蛸を考えていたが、よいものがなければ、烏賊でもと考えていた。江戸市中で手に入りやすい、庶民の味で勝負しようと思っていたのだ。

 出入りの魚屋が仕入れられないと言うのなら、海鮮はあきらめるしかない。

 かといって、台所にある食材は野菜ばかりである。

 月路の儀で料理を披露するのは、明日の夜。時間の猶予はあまりない。


「お新さん。お屋敷をこっそりと抜け出し、買い出しに行くことはできませんでしょうか?」


 お栄はそう自分に付けられた女中頭のお新にそう相談した。

 お栄が彼女に相談したのは、自分に付けられた4人の女中のうち、一番若く、そして話ができそうに感じたからだ。

 あとの三人は義務的でお栄のために心底尽くすという態度がない。

 恐らく、お栄が正室になることはないと思っての行動だろう。

 一番の貧乏くじを引いたと思っているのだ。

 それに比べてお新はそういう打算がないように思えた。

 実際にお新は秋葉藩の下士の娘。

 父は賄い場の検分をする役。いわゆる毒見係だ。

 三人家族と一人の使用人が何とか食べていくことのできる扶持をもらっているだけだ。

 そんな彼女が召し出されたのは、月路の儀で急に女中が必要になったため。不慣れな仕事と身分が低いことで仲間内でも辛い思いをしていた。

 そんなわけで、お新はお栄に同情していた。しかも香姫の手のものから、お栄が何を作るか聞かれている。


(出入りの業者の話は香姫様の妨害。身分のある人は陰険なことを平気でする……)


 そう心の中で嫌悪していたが、それを口外することは死を意味する。

 彼女ができることは、他の者に隠れて、お栄に少し協力することでだけであった。


「お栄様……。屋敷から出るには正式に届を出さねばなりません。そして間違いなく許可されないでしょう」

「……そうですよね」


 お新なら外に出ることは自由だ。

 お栄の代わりに市中で海の幸を買い求めることはできる。


(ただ、それをすると私は罰を受けるだろう……)


 お新は賢い面があった。危機回避能力である。

 どこまでは許されて、どこまでは許されないのか本能的にかぎ取ることができる。


「お栄様。実は屋敷の西門に通用口があります。そこには門番はいますが、常時いるわけではありません」

「そこから出れば屋敷の外に出られるというわけですね」

「はい。いる時間帯は朝と昼の半時。そして夕暮れ時の半時です。正門と裏門の門番が休憩する時に見回りをしてしばし滞在するのです。元々、ほとんど利用のないですから、使われそうな時間帯だけにいるのです」


 お栄は頷いた。屋敷の外に出て自分で買い求めようと決心したのだ。


「門は心棒で止められているだけです。外からお戻りになるときは、合図をしてください。私が開けますので」


 お新はそう教えたが協力はここまでであった。お栄について外に出たら、ばれた時のリスクが大きい。

 あくまでも主人が勝手にやったことにしなくてはならない。

 それでもお栄が外に出て捕まれば、自分にも害が及ぶことは間違いがない。

 それでお新はお栄が外に出ても怪しまれないように町娘の着物を用意する。

 手拭いを頭にかぶって竹かごを背負えば、買い出しにきたどこぞの奉公人の完成である。

 元々八百屋の娘だから、どこをどう見ても違和感がないだろう。


「お栄様。外に出るのは昼過ぎ。夕刻までにはお戻りください。それと……」


 お新は大切なことを教えることを忘れなかった。


「近頃、江戸市中では辻斬りが出没しているとのこと……」

「辻斬りですか?」


 八百屋の娘であったお栄は、辻斬りの恐ろしさを知っている。人目のないところで、突然斬りつけてくる通り魔殺人者なのだ。

 お栄が能登守に見初められてこの屋敷に来るまでに、辻斬りによって七人の町人が命を落としていた。

 町の治安を守る南町奉行は、犯人捜しにやっきとなっていたが、正直、真剣に犯人捜しをしているかどうか怪しいものだというのが、市中の見立てであった。

 辻斬りなどをするのは武士。そして身分が高いことも想定された。捕縛しようとしたら、どこぞの旗本の殿様だったということもある。

 そう言う場合は、闇から闇へ真実は隠されてしまうだろう。

 公になれば切腹でお家は断絶になるはずであるが、そんな噂を聞いたこともない。


「分かりました。気を付けます。でも、私が出歩くのは昼時ですから安心だと思います。辻斬りは夜に出ると聞きますから……」


 お栄はそう答えた。昼は人目に付くから、辻斬りなどできるはずがない。お栄の言葉を聞いてお新は少し黙った。

 伝えようかどうか一瞬迷ったが、お栄を怖がらせてはいけないと考えた。


(殺された町人のうち、最近の二人はまだ日の明るいうちに被害にあい、そして二人とも女性だったけど……。まあ、大丈夫よね)


 江戸は世界有数の大都市。住んでいる人間は百万を超えると言われる。

 お栄が噂の辻斬りに遭遇することはほとんどないと思われた。


「それでは私は準備しておきます。お栄様は他の女中に悟られないようお願いします」

「はい。今日はおとなしくしております」


 お栄も今日一日は偽装工作をしないといけないと思った。台所にある食材で何とかしようという演技をするのだ。

 自分の邪魔をしているのが、香姫であるならば、屋敷中が敵だらけだと思った方がよい。


(満天姫様も同じ心境なのかしら……)


 お栄はふと先日会った刀姫のことを思い出した。確かに怖い人であったが、悪い人間のようには思えなかった。

 自分を結果的に助けてくれたのではあるが、どちらかというと、間違ったことを嫌う正義感が強いお人だと思っていた。


(犯人が香姫様なら、満天姫様にも嫌がらせをするはず……でも)


 お栄はほほ笑んだ。頭の中で満天姫がどう出るか想像がつくのである。


(あの姫様のことですから、正面から粉砕するでしょうね。あの金屏風みたいに)

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