第15話 雪乃、ドレッシングを作る

「満天姫様、お栄様。この大根、塩で食べても大変美味しいのですが、私はもっと美味しく食べる方法を思いつきました」


 雪乃は雪乃で江戸時代まったりライフの思考になっている。


 先ほどからこの大根スティックを美味しく食べる方法がぐるぐる頭を駆け巡っていた。


 野菜スティックに付けて食べる方法はいろいろある。各種のディップ、ドレッシング。


(オリーブオイルをちょっと付けても美味しいわよね)


 いくら江戸時代風とは言えっても、オリーブオイルはないだろう。ディップも今から作るとなると手間である。


(ならば……)

「お松さん、台所でお酢と油と塩、胡椒、あと、かんきつ類……そうね、今の季節なら柚がいいかしら。それをもらってきてください。あとどんぶりとお箸」


 そう頼んだ。

 ちょうど、この場を外したかった三女中はこれ幸いと雪乃の申し出に席を立った。


「雪乃、この大根は十分美味しいのじゃが、もっと美味しくなるのか?」


 満天姫がそう尋ねる。

 お栄はそれを聞いてかしこまる。お栄も誤解したのであろう。


翻訳:「雪乃、いい加減なことをいうな。もし、まずかったらお栄に恥をかかすことになる。責任を取ってもらい、手打ちにいたす!」

 とかなんとかと解釈したのであろう。それでも震える両手を畳に付けて許しを請う。


「雪乃様は私の粗末な大根を美味しくしようと考えてくださっただけです。どうか、そればかりはご容赦を……」


 満天姫は目を丸くした。

 雪乃はやはり全力で誤解される満天姫のポテンシャルに感心しつつも、今から自分が行うことの成功を確信していた。

 やがて持ってこられた材料を元にドレッシングを作る雪乃。

 ドレッシングは令和の時代なら店で買うことが多いが、自分で作った方が美味しいものができる。

 もちろん、この江戸時代風の世界ではドレッシングはないから、今日、ここにいる人間は初めて食べることになる。


「まずは油と酢を1:1で混ぜます」


 油はオリーブオイルが好みだが、この世界ではゴマ油か菜種油が主流。用意されたのは菜種油であった。

 それと酢を混ぜる。ここに塩と胡椒で味を調える。

 ちなみに胡椒は江戸時代にあり、胡椒の小売りが大阪や京都にあった。

 ただ、胡椒は調味料というより、薬の材料として使われることが多かった。

 江戸時代に調味料と言えば、七味唐辛子が主流。

 江戸の屋台で食べられていた蕎麦に欠かせない調味料だ。

 それにしても越後三十五万石の大名家、胡椒が置いてあるとはさすがである。


「ここの柚子の汁を絞って混ぜる……」


 雪乃のすることを満天姫もお栄も三女中も興味津々に見ている。

 手作りドレッシングはよく混ぜるのがコツである。しっかり混ぜないと分離して油臭くなる。


「はい、できあがりです」


 雪乃は大根スティックをドレッシングに付けると口に運んだ。シャキシャキ感と柚子風味の爽やかなドレッシングが口の中でハーモニーを奏でる。


「こ、これはうまいのじゃ」

「美味しいです……」


 満天姫もお栄も食べて目をまん丸くした。そりゃそうだ。初めて食べる味である。

 その初めての味覚に舌が震えるくらいの感情が沸き起こる。


「雪乃様、これは応用がききますね?」


 そうお栄は聞いてきた。

 自分で料理を作ったことのあるお栄だから、酢と油のベースに味付け素材をいろいろと考えて入れれば、無限に作り方が広がることが分かったのであろう。


「そうですね。醤油を入れても美味しいですし、梅干しを入れてもいいです。工夫の方法はいろいろありますね」

「すごいです。私もいろいろと試してみます。これは大根に限らず、様々な葉物野菜にも使えますね」


 この屋敷に来てここまで料理をさせてもらえなかったお栄は、欲求不満がたまっていた。

 朝早くから起きて、店の手伝いをし、使用人のためにまかないを作って来たお栄にとっては、この屋敷の暮らしは耐えがたいのであろう。

 基本何もせず、ぼーっと過ごすだけだ。手持無沙汰で仕方がない。


「お栄様、そろそろお暇しましょう」


 そうお栄のお付きの女中が促した。一応、月路の儀を行う宿敵同士である。あまり長時間会っていると、他の陣営から誤解される可能性がある。

 密約を結んで他を排除しようという目論見をしていないかという疑いだ。


「それでは満天姫様。本当にありがとうございました」


 お栄は手をついて深々と頭を再び下げた。そして部屋を退出した。


「姫様。お栄様もなかなかお人柄がよいようでしたね」

「……そうじゃな」


 雪乃の言葉に短く答えた満天姫。


「しかし、近くで見たがやはり乳じゃ」

「はあ?」


 雪乃は聞き返した。


「秋之助の奴、やはり乳目当てじゃ」


 まだこの間の能登守とのやりとりを根に持っているようだ。


「それでしたら、恐れながら満天姫様も十分かと……」


 一応、主君をフォローした。

 満天姫は雪乃をしげしげと見る。座っているから頭のてっぺんから腰までであるが。


「雪乃、お前は安心してよいぞ。秋之助の視界に入らぬ」

「それは助かります」


 助かりますと雪乃は答えたが、何だかもやもやする。


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