第14話 満天姫、大根を食す

 那岐が逃げるようにして部屋を後にしてから、すぐに次にお栄が面会を求めていると知らせがあった。

 襖が開くとお栄が廊下の床に額をこすらんばかりにかしこまっている。

 身分は平民であるが、今は同じ月路の儀の参加者である。そこまでする必要はない。

 雪乃は部屋に入るようにお栄に言った。

 お栄は恐縮したように目を床に向け、満天姫を見ないように部屋にそろそろと入る。

 後ろには一人女中が付いてくる。

 お栄は市中の八百屋の娘であるから、一人だけ付けることのできる女の家来を付けられない。 

 雪乃はこの女中も松平家の者かと思うと、お栄の心細さが気の毒だと思った。

 満天姫は雪乃がいることで、安心につながっているかどうかは分からないが、自分のことを知っている側用人がいるかいないかは大きい。

 それにお栄の女中と言っても武家の出だ。お栄よりも身分が高いのだ。


(ゲームではこの付き人は、お新さんと言ってナビゲーターの役割だったけれど……)


 雪乃はお栄よりも後ろの付き人の顔を見る。可も不可もないモブキャラであろうとは思うが、お栄は今回の雪乃の任務でキーを担う。

 その一番の付き人には注意を払う必要があろう。

 その物腰を見る限り、お栄には忠実に仕えていそうな気がする。

 能登守はまだ思慮の足らない若者ではあるが、自分が見初めたお栄の力になるようそれなりの人物を人選したと思われる。


「満天姫様、昨日はありがとうございました。おかげで助かりました」


 お栄はそう率直に感謝の言葉を述べた。


(はて?)


 表情は変わらないが満天姫の頭の右上にクエスチョンマークを出ていると雪乃は思った。

 先ほどの公家の姫様なら顔を殿方に晒すことはできないから困ったということは分かるが、平民の八百屋の娘が顔を晒すことを拒んでは商売にならないと思っているのであろう。


「姫様、お栄様はあの場で披露する技を持っていらっしゃらなかったのです」


 雪乃はそろりと近づき、満天姫の耳元でそう話した。目を少しだけ見開いた満天姫。やっと合点がいったようだ。


「満天姫様があの場を壊していただけなかったら、私は何もできず泣くしかありませんでした。もちろん、平民の私です。そんな恥は受け入れましょう。しかし、それでは私を呼んだ若様の立場がありません」

 そうお栄は話した。

 平民の娘でしかも八百屋の看板娘である。

 踊りも演奏もできないのが当たり前である。


(まったく、能登守はお坊ちゃん過ぎるわ!)


 雪乃の非難の行く先は、若殿に向かう。大藩の御曹司には、八百屋の娘も何か素晴らしい芸能ごとを身に付けていると思っているのであろう。

 いくらご隠居様の指金でも、自分の愛する人の恥をかくかもしれない状況を看過できまい。

 満天姫も雪乃と同じことを考えたのであろう。少し頷いて口を開いた。


「全く、あの朴念仁は女を守るということを甘く考えておる。昔からそうじゃった。自己中心的で意気地なし。そしてプライドだけは高い」

 満天姫、能登守評は容赦がない。


「そして無類の乳好き」

(ああ……姫様。それは言ってはなりませぬ)


 能登守は『大江戸日記~春爛漫~』では、メインヒーロー。攻略対象であった。雪乃もちょっと世間知らずなところはあるが、イケメンで優しいキャラに惹かれて攻略に努めたものだ。

 しかし、実際に会ってみるとこうやって粗が見えてくるものだ。

 満天姫に乳好きと言われて頬を赤らめるお栄。心当たりがあるのであろうか。両方の手のひらをそっと自分の胸に当てた。


(能登守、絶対、あれに触れているわね。間違いない)


 着物の上からもわかるたわわな果実。

 能登守の野郎、いろいろ理由を付けてタッチしたに違いない。


「あの、それで満天姫様にお礼なのです。とは言っても私はただの八百屋の娘です。高価な品物は贈れません」


 お栄は後ろを向いて付き人に合図を送る。付き人はそっと立って襖を開けた。

 庭に置かれた大八車。

 そこには大根が山と積まれていた。


「父に急いで頼みました。今は大根の季節です。練馬から今朝届いた新鮮な大根です」


 さすが八百屋の娘。献上品が大根である。

 お栄が言った通り、今朝、暗いうちに収穫されたばかり。

 まだ泥がついたままで乾いていない。


「抜きたての大根は生で食べるとおいしいのです」


 庭にはたらいも用意されている。お栄は庭にいる使用人に命じる。

 泥付きのだいこんがたらいで洗われ、廊下に用意されたまな板に置かれる。

 それをお栄自らが包丁を持って切る。

 八百屋の娘らしく手慣れたもので。とんとんと棒状に形を変えていく。

 それを皿に並べると楊枝を差して差し出した。


(美味しそう……これは野菜スティックだわ)


 新鮮な大根の刺身である。しかもお栄は赤穂の塩を用意しており、それを薄くかけると美味しいと勧めた。

 赤穂の塩は江戸でも味が良いと人気であった。


「それではまず私が……」


 雪乃は満天姫が食べる前に味見をすることにする。

 大根からお栄自身が包丁で切っただけの料理。

 しかも目の前で調理したから毒が入っているわけではないから、安心して食べられる。

 口に入れて噛むとシャキシャキと心地よい音。そしてみずみずしい触感。

 大根の辛味も気にならない。

 赤穂の塩の味がいいアクセントになっている。


「これは美味しいですね。野性味あふれる大根です」


 雪乃はそう感想を述べたが、頭の中はさらにこの大根を美味しく食べる方法を模索していた。 こんな大名屋敷に姫のお目付け役として来てしまったが、本来は料理したり、裁縫したりとゆったりのんびり武家娘ライフを送るはずだった。


「それではわらわも……」


 満天姫の言葉にお松、お竹、お梅の三女中は意外な顔をする。

 てっきり、こんな粗末なものをお礼とするなんて無礼じゃと怒ると予想していたのだ。

 場合によっては、座っている後ろに置かれた愛刀『紅椿』が解放されるとまで思っていた。

 爪楊枝に刺さった大根を口に運ぶ。潔く口を開けて大根スティックを頬張る。

 シャクシャクと音を立てることもいとわない。


(……)


 三女中は満天姫のことを誤解していたのではないかと思い始めていた。

 確かに言葉少なで何を考えているか分からない。

 突然、愛刀を抜いて斬りかかる姫らしくない行動も怖い。


(しかし、満天姫様にお仕えして一週間なれど……)


 誰一人叱られていないし、暴力を受けてもいない。

 ましてやお手打ちになる状況すらなかった。


(噂とは違うお方なのかしら……)


 三人ともそう思わざるを得ない。

 このお栄がお礼に来たこともそうだ。

 話を総合すると満天姫は自分の後に芸能を披露しなければいけない二人を思って、自分の番で中止にさせたのだと三人は思い込んだ。


(自分のことしか考える余裕のないあの場で、ライバルである二人のことを思いやるなんて……)

(あんなことをすれば、正室への道が断たれるかもしれないというのに……)

(このお姫様、意外といい人なのかもしれない……)


 頭を下げながら、そんなことを考える。


「ほれ、お前たちも食べるがよい」


 満天姫がほほ笑んだ。


「は、はい!」


 悪人顔で微笑まれると先ほど芽生えた気持ちが一挙に打ち砕かれる。


 翻訳:「このような粗末なものはお前たちで食べるがよい」


 いつもように悪い方向に解釈した。慌てて食べる三女中。

 そんな中、この新鮮な大根を美味しく食べる方法を考えていた雪乃はパンと手を叩いた。


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