ワールドエンド

@1640

終焉

 視野を宇宙まで広げれば、原子まで狭めれば、ありとあらゆる物が動いているだろう。

 感覚のなくなったこの両足にも同じことが言えるかもしれない。

 十代で半身不随になろうとは。まさに足かせとなった下半身のおかげでベットから体を起こせず、寝返りもままならない。

 自業自得の事故が原因だから恨まれようとも不幸ぶれないので、考えの及ばない世界へ意識を向けて気を紛らわせるほかにないのだ。


「カヅキ、そろそろ診察に行くよ」

 四つ上の姉、タケミが車椅子を押してやってきた。ベットが折りたたまれて車椅子へ、自動車からスロープが伸びて車椅子ごと乗り込む。なにもかもボタンひとつだ。

 人の技術はすばらしい。技術は人を運ぶために発展してきたと実感する。

 助手席で姉の運転に揺られながら、迷いと後悔が行きつ戻りつめぐりめく。

「怒っているんだよな」

 その質問に姉は「そりゃあね」とそっけなく答えた。

 母の親元がレーシングチームを抱えた町工場を経営していて、父がレーサーをしていれば、幼少よりモータースポーツに関わる機会が多くなる。歳一桁のうちからハンドルを握っていたと思う。

 自動車の構造はわからないけど挙動は手に取るようにわかった。ステアリングの重さ、シート越しに伝わるタイヤの限界とストレスのせめぎあい。

 そこに運転サポートの人工知能が横槍を入れてくる。安全のために本戦では切ることが出来ない。

「人工知能と張り合ってどうするの。コースから外れない限り、制御をとられるわけじゃないし」

 自分でもおかしいくらいの下手な言い分を姉は鼻で笑った。

「よく回ったからな。あのエンジン。なんて言うんだったけ」 

「タンデムエンジンよ。レポート取っておけばノーベル賞ものだったのに」

 姉もレーサー候補であったけど、強いGフォースがGスポットを刺激して運転どころではなくなってしまうそうだ。だからメカニックに転向。

 もともと物理(弾く)と科学(砕く)が得意だった姉の、新型エンジンの開発は順調だった。順調すぎた。

 興味のある単語は「V」と「8」だけで数学が苦手、調整はハンマーで叩いて行っていたらしい。そんな姉がレポートを書けるわけもなく、勘だけで組み立てたエンジンは分解不能になっていた。

 原子の運動を遅らせることで発生する真空のエレルギーで回るエンジン。その原理を尋ねると、赤信号で並ぶ車の列に止まった。

「青になれば先頭から順に発進するでしょ。並んでいる車の数だけ間が出来るから、うちらは数秒遅れる。けど車全部繋げちゃえば、そのラグがなくなっちゃうわけよ」

「つまりバスのほうが早いってことか」

 全然わかっていない。姉の目がそう訴えかけてきたので、信号が青になったことを指差して教えてやった。

 なんにせよ。もっと速く。もっと強くを心情としている姉が、運動を遅らせるという発想に行き当たったことがノーベル賞級だ。

 完全に原子運動をとめることが出来れば、宇宙誕生に匹敵するエネルギーが得られるだろうとさえ言われた。欠点は始動に極超音速を超えるだけの燃料が必要なことだろうか。回りだせば永久機関になる。

 その人類の福音になりえたかもしれない発明は、サーキットのラップタイムを大幅に更新した後でクラッシュして鉄くず、マヌケなドライバーは半身不随になってしまった。

 奇跡的に助かったというよりは生き恥をさらす気分だ。優秀な人工知能でさえ制御出来なかったことがタンデムエンジンの評価を上げた。逃がした魚は大きかったと。

「エンジン強度に問題があったから、どっちにしても完走する前に鉄くずになっていたよ」

 殺人マシンを作った姉は笑い、慰めてくれた。


 三日かけた診断結果、半身不随の原因は不明。「薬とリハビリで様子を見ましょう」最悪切断を想像していたので医者の言葉に安堵した。

「痛み感じないのだからスパッと切っちゃえば。私に切らせて」

 空気を読まない姉の発言に、医者はより重度な患者を見るような視線を向けた。


 自宅療養のために支給された器具で一日数回、筋力が衰えないように微弱な電気刺激を足に与える。心配なのは姉だ。身の回りの世話一切をしてやると言ってきたのだ。

「そういうガラだったか」と問えば「家族だから仕方がないじゃない」と答えた。手で千切って混ぜただけの焼いたのか煮たのかわからない料理は、食材のどれもが原形をとどめている。

 海外遠征とかこつけて世界旅行をしている両親からの返事は明快だ。「それ見たことか」

 姉も体のいい玩具だと思っているに違いない。目が覚めたら足が切り取られているかもしれない。そんな恐怖の日々に来客がやってきた。姉の学生時代の友人知人が出入りしなくなって久しい訪問者だ。

 来客の二人は文部科学の研究機関とかなんとか名乗った。タンデムエンジン開発の第一人者である姉が呼び出しに応じなかったため出向いたそうだ。同席させられてリビングの卓を挟む。

「代筆のレポートであいまいな部分が多かったけど、ミラー型を参考にしたんだよね。シミュレーション上では再現できていたのだけど膨張速度が正確に表せなくて」

 若作りをしているのか、老けているのか、ボサボサ髪の男が目を輝かせてしゃべり続けている。隣のもう一人は付き添いか、身だしなみを正していかにも政府の者だ。

「冷やすことで圧力を上げる。この発想が興味深かったよ。どういう思い付きだったのかい」

「水は凍らすと体積が増えるじゃないですか」

「そう、氷なんだよ」

 姉の回答にボサボサ頭は興奮して身を乗り出した。研究機関の偉いさんらしいけど、素行は姉と変わらない。

「宇宙の膨張は空間が広がっているのではなく、時間の壁に引き込まれていると考えれば、真空のエネルギーを証明できることに気づいたんだ」

 水溜りを踏みつけてはしゃぐ子供だ。こういう人を世の中では天才と称するのだろう。

「氷を内側から溶かしていくイメージをしてくれればわかるかな。真空のエネルギーは蒸留水と同じで何も無いからこそあらゆるものを吸収する」

 内側の空間が広がり、その分だけ外側が溶け出す。それが宇宙の全容だと言った。

 賢いやつの言うことはわからない。ただ、賢いやつは決まって悪いことを考えている。

「雪崩なんかで生き埋めになったときは、周りの雪を食べて過ごす話ですね」

 姉に関しては無邪気だ。相手を思いやることができない。わがままな九歳の思考だ。

「本題に入りましょう。政府はタンデムエンジンの開発を国家プロジェクトにすると決めました」

 的を得ない会話に身だしなみ正しい政府の者が口を挟んだ。

「そこで偶然ながらもエネルギーの抽出に成功したタケミさんに参加してもらいます」

 すべては決定事項で、この場で参加を断ったとしても適当な罪状をつけて連行すると脅してきた。実際、姉には未成年が理由で免除された数々の悪行がある。科学ではなく医学に興味を持っていたら間違いなく刑務所行きだったろう。

 そんな姉の学生時代の影響力は絶大で「タケミ先輩の弟」と上級生から一目置かれて、いじめにあうことはなかった。

「公の計画ではないため軟禁状態になりますが、好きですよね。極秘プロジェクト」

「国家予算が出るってことですよね」

 姉が鼻息荒く、前のめりになって尋ねる。

「豊富な資金人材を使ってタンデムエンジンを完成させるんだよ。空間移動、時間跳躍も可能な永久機関はわが国の希望となろう」

 ボサボサ頭が立ち上がる。姉の発明に国家予算をつぎ込むなんて、希望じゃなくて厄難だろう。この国は終わった。

「実に面白そうな話だけど、弟がこの状態では」

 姉はなよなよと体をくねらせて、こちらをちらちら見てくる。こいつさえいなくなれば参加するよ。そう訴えかけている。

「弟のカヅキさんには、二十四時間体制のヘルパーを派遣させましょう」

 それですべての問題が解決して、姉はハンドバック一つの身支度でその日のうちに秘密基地へ行ってしまった。

 姉が出て行ってから一時間ほど経ったころにインターホンが鳴る。政府の派遣したヘルパーとは名ばかりの、殺人許可証を持った監視役を想像する。

 手が震えて車椅子の操作がおぼつかない。どうにか玄関扉を開けると、そこに立っていたのは同い年くらいの女の子だった。

「はじめまして、ヘルパーのニキと申します」


 姉がいなくなって一週間が過ぎた。ニキさんはとても献身的に動いてくれる。ヘルパーとしての訓練もされていたのだろう。それが油断を誘うものだったとしても悪い気はしない。

 むしろ変な勘違いをしそうになる。

 テレビや雑誌を彩るアイドル並みの容姿、騒がしくも寡黙でもない親しみのこもった言動、さすが国の選んだ介護士だ。

 健全な男子なら、その魅力に我を忘れて抱きついていてもおかしくない。

 幸いにもオレは健全じゃないので、法の裁きを受けずに済んでいる。

 なんにせよ、自己中心的で自分勝手、自意識過剰な姉とは真逆の、比べるのが失礼になる女性だ。

 普通なら周りからチヤホヤされる順風満帆な生活を送っていたはずだ。それが冴えない男の世話係で輝かしい青春の時間を浪費している。表向きの誠実さに反して幸薄い感じがなんとも性的だ。

 そんな緊張感の日々に、ときおり軽い筋肉痛のようなしびれが両足にあらわれる。回復の兆しかもしれない。

 はたしてその予兆は良くも悪くも事態を急変させることなった。


 はじめは快晴の空を黒い風船が漂っているように見えた。

 早朝のテレビ番組はどのチャンネルも生中継の報道に切り替わり、同じような風景を放映している。

 上空二千メートルに直径二百メートルの球体が浮かんでいる。リポーターが興奮気味に説明していた。

 各局が示し合わせてフェイク映像を流すとは、どういう日だ。テレビから短いチャイムが鳴って画面が切り替わる。

 緊急放送のテロップとともに、どこかで見たことのある顔、我が国の首相が映し出された。

「ニュースで流れた映像は紛れもない事実、現実です。我々は未知との遭遇を迎えましたが、これは予期されていたことです。この時のための対策を進めてきました。国民の皆様、不用意な行動をとらないようお願いします」

 首相は繰り返しそう訴えた。アテレコじゃないよな。

 手品の仕掛けを暴こうとテレビ映像に集中していると時間通りにニキさんがやってきた。

 いつも営業スマイルはなく、神妙な面持ちで佇んでいる。首相の声がわずらわしくなってテレビの電源を切った。

 しばらくの静寂の後、ニキさんは言った。

「タケミさんがおナくなりになりました」


 姉が死んだのか。ニキさんに問いただせば、タンデムエンジン実験中の事故に巻き込まれ、消息がつかめなくなっているらしい。亡(Die)ではなく無(Lost)だと言葉を濁した。

 姉が動かなくなった。止まってしまったなんてテレビの報道以上に現実感がない。

 立て続けの四月バカサプライズにため息はことのほか深くなった。

 ガラじゃないよな。誰に向かってのものかわからない言葉は声にならなかった。

「さっきのテレビと関係しているのかい」

「その件は機密事項も含まれていますので、場所を変えてお話させてもらいます」

 ニキさんは表情を崩さず、トーンを抑えた声で答えた。これが本来の彼女なのかもしれない。


 政府の用意した大型車に車椅子のまま乗せられ、何人もの監視の元でどこかへ向かう。

 案内されたのは何の変哲もないビルの一室だった。事故現場でバラバラに吹き飛んだ姉の遺体を見せられると思っていた。

「残念なことになって、申し訳のしようがない」

 部屋にはボサボサ頭が待っていて、数枚の写真を渡してきた。どれもいびつに塗り固められて頑丈そうな壁が写っているだけだ。

「それはタンデムエンジンの封印だよ。暴走した永久機関を止める手立てがなくて。きみのお姉さんはこの中にいたはずだ」

 姉を閉じ込めているような言い方だ。

「この中のね、時間の流れが遅れていてね。宇宙が凍り始めていると言えば良いかな」

 インフレーションだの、マルチバースだの、わからない単語を羅列していく。まるで説得力がない。政治家の弁論に似ている。

「その遅れが宇宙の秩序を乱して宇宙人の注目を集めることになっちゃったのさ。華々しい宇宙時代の幕開けとはいかなかったな」

 ボザボザ頭が人差し指を立てた。テレビで報道された空の浮かぶ黒い球体は宇宙人の警告か。威力偵察と言いたげだ。現状は把握できないけど、原因は容易に想像できる。

「姉がなにか悪いことをしたんですよね。登りのエスカレーターを下るみたいな。それを善良な宇宙人は見過ごせなかったと」

「面白い例えだ。今はまだ登りのスピートが勝っているけどエンジンが加速し続ければいずれは時が止まる。ビックバンだ。そうなる前にアイツらがどうにかしちゃうんだろうけど」

 地球ごと消滅させるとかね。ボサボサ頭は嬉々してそう言葉を付け足した。


 人類には多くの時間も選択肢もない。運命に抗うか、受け入れるか、僕にできることは滅亡までのカウントダウンを導き出すだけだ。 


 淡々としたボサボサ頭の研究発表は、できの悪いディザスタームービーの脚本、九歳の作文にしか思えなかった。 

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