七 『ヴァルカン』と最強の守護兵

 すでに、ヴァルカンとアオイの戦闘は十数合を数えていた。

 ヴァルカンの長剣が蒼い流星ならば、アオイのそれもまた流星。だが、アオイは丸腰だった。守護兵である彼女は全身の魔力をすべて身体の表面に付帯させて、全力でぶつかっていく格闘術を得意としていた。強烈な魔力の本流を最大限にまで拳に圧縮させて放たれる一撃、一撃は、ヴァルカンの必殺の一閃を幾度も弾き飛ばし、すでにヴァルカンは肩で大きく息をするまでにダメージを受けていた。

「お兄ちゃん、いい度胸ね。わざわざ、神殿の中に逃げ込んでくれるなんて……これなら、街の人に迷惑かけないで、済むからッ!」

 アオイは赤い目を光らせて、猛烈な殺気を目の前のヴァルカンに集中させてきている。

 神殿内部は想像よりも広大で、太い大理石の柱がはるか遠くの天井まで幾本もそびえ立ち、全く明かりの無い天井は薄暗い代わりに、周囲を囲む壁の最上部は明かり取りのステンドグラスがぐるりと囲んでいた。そこから降り注ぐ光は色とりどりに着色された木漏れ日のように、淡く、厳かに、相対する二人の足元に横たわる石畳の表面を滑っていた。

(強いッ――! 宝玉を持っていれば互角かとも思ったが、よもやアオイの本体がこれほどとは……。一発、一発に込められた魔力を受けるたび、四肢が引きされそうなほどの衝撃だ。さすがに、幻影を抱いているフリをしながらでは力も満足に溜められんし、それ以前に、とてもそんな隙は、無い……)

「ねえ……!」アオイの怒れる真っ赤な瞳には、ヴァルカンに抱えられたヴィルフレードの幻影しか映っていない。

「ヴィルを、返してよ。そうすれば、今すぐ、殺してあげる。お兄ちゃんは、私の『大切』を穢した。穢れは、払わなくちゃ。早く、ヴィルを離して……そうすれば、で、あなたをぐっちゃぐっちゃに、してあげる」

「そうかい、そうかい。ならば、なおさら、意地でも離したくない、ねッ……!」

 ヴァルカンは、一度前進するフリをして、大きく後方の柱が並ぶ空間へと引いた。

 目的は、あくまでも時間を稼ぐこと。アオイはヴィルを傷つけることを恐れて、他の守護兵を呼ぶことを躊躇している。それならば、むしろ都合が良い。

 柱の影で息を潜めようと、その身体をヴァルカンはかがめた。と、同時に、大きな破裂音が天井方向から響いた。一瞬、ヴァルカンは新手の攻撃を警戒して、正体を隠すために頭に巻いた頭巾の中で、虎髪が総毛立つのを自覚した。

 気配を断ちつつ柱の影から広間を覗くと、また空間を切り裂くような音が数度、すぐあとに色とりどりのガラスが無数に落下するのが見え、それらが地面の畳石に打ち付けられて粉々に割れて思わず耳を塞ぎたくなる騒音が轟いた。

(……何者かが、来た!? 守護兵を呼んだのか!!)


 だが、違った。魔力の羽をはためかせながら、今、ゆっくりと天から舞い降りたのは、フェデリカだった。その腕には、しっかりとヴィルが抱きかかえられている。

 二人を迎えて、アオイの視線はこの神殿の奥に隠れているであろう異分子に向けられた。

 彼女の両目が妖しく、紅い光を放つ。


「……そう。聞こえる? 黒い頭巾のお兄ちゃん。残念だったね、ヴィルは、私たちのもの。ずっと、ね。ムネメ! メレテ! もう、いいーよーーーーーッ!!」


「よっしゃあ!」「あーわわわッ!」


 何もないはずの中空から、二人の守護兵が現れた。

 いつか見たままの、幼い少年の姿だが、すでに彼らの両手には魔術印が幾重にも重ねられており、すでに臨戦態勢に入っていた。

「待ちかねたぜ、アオイ」赤い髪のムネメは、短い舌で唇をぺろりと舐め、

「いつになるのかなあって、退屈だったよお」緑髪のメレテは、嬉しそうにぴょんぴょんと飛び跳ねている。

「ごめんね、アンタたち! さあ、いくよ!」


 ヴァルカンは、もう作戦がすべて失敗したことを悟った。

 あの無邪気で残酷な守護兵どもは、一切の躊躇なくこちらへ攻撃を仕掛けてくるだろう。もう、この腕に抱えた幼き自分の幻影は無用だった。

 ゆっくりと柱の裏で立ち上がると、ヴァルカンは自らの長剣を天上に向けて、捧げ持った。そのようなことは、初めてのことだった。自らが目をつむり、剣に祈りを捧げるとは。

(仕方がない。かくなる上は、少なくとも守護兵全員を葬って、姉さんたちもろとも、宇宙の塵になるか……)

 いずれにしろ、ここで自分が倒れては、いずれ姉は『アルクマ神』となって、弟を『外の世界』へ送ろうとするのだろう。それでは、ここまで苦労した意味がない。

 今の『孤独の霊峰』を支えている守護兵を葬れば、この世界は崩壊し、まだこの世界に所属している幼いヴィルフレードと姉のフェデリカは運命を共にするだろう。

 それでも、姉の美しい紺桔梗に艶めく黒髪が、あの無機質な銀色に荒れてしまうよりは、よっぽど良い。

 ヴァルカンは、頭巾の奥から、マリンブルーの宝玉を見つめた。本当に、吸い込まれるような青だ。本物の海は、まだ遠くからしか眺めたことは無かったが、陽光をキラキラと反射して青から紺へ、また水色へとコンストラストを描く姿は、確かに美しい。

「思えばずっと、お前を頼りに、生きてきたのかも知れないな……」

 それは、不思議な感覚だった。今、ヴァルカンの背後に迫る守護兵の『アオイ』は、紛れもなく強大な敵であったが、同時に、彼の長剣に埋め込まれたマリンブルーの宝玉も、間違いなく『アオイ』なのだ。もしも、と考えて、ヴァルカンはすぐに頭をふった。

「まさか、そのような都合の良いことを……さんざ、悪態をつき、こき使ってきたのだ。今更……」


「いまさら……なあに?」


「……ッ!!?」

 ヴァルカンが目を開くと、目の前には、海が広がっていた。

 いや、それは豊かに流れる少女の青い髪と、長剣の宝玉から流れいづる魔力の本流だった。

「ア……オイッ」

「ようやく、私を呼んでくれた。もう! ヴィルが呼んでくれなきゃ、宝玉の状態じゃ出られないんだから!」

「あ、いや……これは、どういうことだ」

 狼狽するヴィルの頭巾を、魔力で浮かんでいるアオイはひょいっと取り上げた。

「うん、やっぱり、ヴィルはこっちの方がいいよね!」

 嬉しそうに顔をほころばせ、ヴァルカンの周囲をくるりと巡る。魔力で出来た水の飛沫がヴァルカンの口元を濡らしたが、それは本当に濡れたわけではない。

 その感触に彼がぼう、とする間に、アオイは魔力を充填していた。

「もう素顔を隠しても仕方ないじゃない、とにかく、あの『私たち』を、ちゃっちゃと片付けちゃおう!」

「いや、それでは、お前も……」

「今更、そんなこと、気にするの? ヴィル」

 アオイの目は、もう真っ赤に燃えている。

 覚悟を決めるべきは、自分の方なのだと、ヴァルカンは自らの優柔不断を恥じた。

「よし……ならば」


『おーい、聞こえるか!』


 その時、ヴァルカンの頭の中に声が響いた。パシオネからの思念波だ。


『ヴァルカン、すまない。アルドだ。今、ようやくフェデリカを説得した!』

「なに!? それでは……」

『ああ。そちらに守護兵が集中している間に、パシオネの幻惑術で奴らを混乱させて、その隙に、彼女を連れ出した! だから、こちらにはもうヴィルフレードもフェデリカも、どちらも確保している!』

 どうりで、なかなか奥に奴らが来ないわけだ。だが、これは僥倖ぎょうこうだとヴァルカンは長剣を握る手に力がみなぎるのを感じた。

 隣にいるアオイも、どうやら思念波が聞こえるのか、瞳を紅くして興奮しているようだった。

 独りでは、ない。それは、これほどに頼もしいことなのだと、ヴァルカン、いや、ヴィルフレードは思った。

 いつしか、老パシオネが教えてくれた。このマリンブルーの宝玉は、常にお前を守る思念の結晶体で構成されているのだ、そして、それは精霊の契約に似ている、と。

 契約で結ばれた精霊と人間は、一心同体のような間柄だと言う。

 なればこそ、今、この胸の内に高鳴る感情も、共に共有していることだろう。

『だが、ヴィルフレード、すまない。一つ、問題が出来てしまった』

「どうした」

『実は……帰りの魔石が使えないことが分かったんだ』

「……」

『おい、アルド! お前、本気でこの魔石だけで帰れるなんて考えてたのかよ!? この魔石にある座標は、今のこの世界の時空とは、てんでズレてるぜ!!』

 パシオネの本気で怒った声が聞こえてきた。

「……ふッ」

『――ッ!? どうした、ヴィルフレード!』

 いや、と呟いて、ヴィルフレードは虎柄の髪をかき分けて、ひとしきり笑った。守護兵はまだパシオネの幻影と格闘しているのか、周囲に気配はない。これならば、力を溜める準備も十分に整えられるだろう。

 いまや心も含めて文字通り一心同体となったアオイも、愉快そうに笑いながら、くるくると中空で円を描いて高鳴る気持ちを表している。

「パシオネ、アルド。すまん、今なら分かる。ここの座標は、俺が持っているアオイの宝玉から取ったものだろう。だが、その残留する座標は、恐らくは二万年前の座標だ。外から無理やりに吸い取れるのは、残留した魔力のカスくらいだからな。俺たちがでこうして『孤独の霊峰』にたどり着けているのは、単純にここの守護兵であるアオイの宝玉と一緒にいたからだ。そして、帰るのも、今ならばさして、問題ではない」

『なに、どうしてだ? 魔石がダメならば、あとはもう守護兵を全員倒してこの異界を崩壊させ、パシオネの加護によるゲートが自然に開くのを頼りにするしかない。だが、あの強力な守護兵三人が、今は全員集合しているんだぞ、さすがに全員を相手にするのは……』

 アルドが狼狽するのも、もっともだった。守護兵一人ひとりは、今のアルドの戦闘力を凌駕し、うち『アオイ』は、ヴィルフレードの剣技すら通用しなかったのだ。

 だが、彼はもう一度、静かに笑みを浮かべた。その傍らに控える彼の青い守護精霊も、同じように笑みを浮かべている。それは、全てを受け入れた上での、決意の証だった。

「アルド。大丈夫だ、俺を信じてくれ。これから守護兵を全員倒して、必ずお前たちを元の世界に戻す! 戻るときは、パシオネの加護を持ったお前たちがになる。絶対に、と姉さんの手を離さないでくれよ」

『あ、ああッ! 任せろ!!』

 そう、力強く応えてくれたアルドのその声は、ヴィルフレードに完全な勇気を与えてくれた。



――――よし。これで、もう、思い残すことはない。


 そして、虎髪の剣士は、長剣に宿る精霊と共に、『孤独の霊峰』を包み込む光となった。

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