風魔が吹く

豚ドン

第1話足柄山にて語れり

 寛永かんえい一四年四月。

 

 戦さなど、遠き昔の話。


 世の全てが徳川の治世を謳歌おうかしている頃。


 相模国さがみのくに足柄あしがら山中にて一人の男あり。――名を風間かざま虚太郎うろたろうという。


 よわい二十と少しほど。――総髪そうはつ無精髭ぶしょうひげが目立つ。が、目筋鼻筋が通り、精悍せいかんな顔つき。……時折ときおり見せる、憂慮ゆうりょに歪んだ顔が女子おなごに人気。


 しかし、嫁を貰う訳でもなく、勤める事もなく、日がな一日フラフラとしていた。


 そんな虚太郎は、春の陽気に誘われて、桜の樹の下で昼寝をしている。


 春の突風と共に舞う、桜吹雪。


「おや? 珍しい御客人おきゃくじんだ」


 揺れる桜の音色と共に、近づいてくる足音に目を覚ます。


虚太郎うろたろう、久しぶりじゃな。……息災であったか」


 訪ねて来た男は、肩衣かたぎぬ半袴はんばかまで、大小二本差しの正装であった。

 齢六十ほど、既に頭髪は白くなり、手先も枯れ枝の様に細くなった老人、口元を、にゅむと曲げ笑う。

 しかして、その眼力鋭く、隠し切れない剣気は、正に研ぎ澄まされた刀、其の物のであった。


柳生やぎゅう但馬守たじまのかみ宗矩むねのり殿。お久しゅうございます。御老体には山登りは堪えたでしょう。……して、何用ですかな? 昔話でもしに来ましたかな?」


 江戸幕府将軍家剣術指南役に大目付を兼任し、大名である宗矩むねのりの前で、平伏す事なく、座したままに、にんまりと笑う虚太郎。


「昔話のう。……小田原攻めの際に陣借じんがりした時の話でもするか?」


 嫌味たらしい顔をする宗矩。

 虚太郎は一転して苦い顔となる。


「それは。……ちと、うん。せつが悪うございました、降参です。……仕事の話ですな」


 虚太郎は両手を万歳した後に、姿勢を正し、顔を固くする。


「全く、三厳みつよしもそうだが、最近の若者は。……最初から素直にしとれば良いものを、儂が若い頃など――」


「宗矩殿! 拙は仕事、大好きでありますので、話を早う」


 説教じみて来たのを感じ取り、強引に仕事の話へと流れを変えようとする。


「うむ。……備前国びぜんのくにが、きな臭い。内密に探って欲しい」


 至って普通の仕事の話。……それには虚太郎も首をかしげる。


「探るですか。ならば、拙の様な、滅んだ一族・・・・・の男よりも。……かつての商売敵。甲賀こうがの者とか伊賀いがの者の方が適切でしょう」


 虚太郎は首を傾げたままに、眉を上下させながら、至極真っ当な答えを返す。

 宗矩の顔が暗くなり、大きな溜息をく。


「……っも。し……いした」


 もごもごと、蚊がささやくような小さな声の宗矩。


宗矩むねのり殿。聞こえませんので、もう一度お願い致す」


 宗矩は、ゆっくりと大きく息を吸う。


「伊賀も、甲賀も、どちらも任の途中で死んで! 失敗したのじゃ! 情報も入らずに、手付金だけを持っていかれて、大赤字じゃ!」


 足柄山に宗矩の悲しい叫びが木霊こだまする。

 虚太郎は腕組みをしながら頷く。


「ははん。それで。伊賀と甲賀がられた。……と言うことは、が関わっていると」


 無精髭を触りながら、宗矩の顔を下から覗き込む、虚太郎うろたろう


「十中八九。……出来れば、魔も討ち取れば万事良し。ってくれるな?」


 宗矩は肩を上下させ、荒い息を吐きながら虚太郎へと期待の眼差しを向ける。

 

「無論。密偵の任と魔退治の任。」


 虚太郎は立ち上がり、背伸びをし、不敵に笑う。


七代目・・・。――風魔小太郎ふうまこたろううけたまわった」

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