ソーキョク闘病記

飯田太朗

1話で終わらせます。長くなるけど……。

 処方薬

 レクサプロ

 アモキサン

 レキサルティ

 ラミクタール

 ルネスタ

 レキソタン

 

 思い返せば高校時代、部活に行けなくなった時からずっと不調だった気がする。


 剣道部だった。古式ゆかしい伝統がある。気合と根性。精神論が全てを支配している。


 そんな中、稽古に参加できなくなった僕は軟弱者だったし、そう自覚していた。この自己嫌悪がそもそもの始まり。


 元々自己肯定感は高くなかった。小学生の頃、度重なる転校で「自分がいなくても世界は回る」ことに気づいてしまっていた。


「僕はいなくてもいい子」


 頭の中ではずっとそう言っていた。


 部活に行けなくなった僕を、周りの友達は心配してくれた。しかしその頃にはもう手遅れだった。僕は精神面の不調から対人不安を発症し、声をかけてくれる人の腹の中を勝手に真っ黒だと思い込んでしまっていた。結果、心配の声を拒絶する。


 部活を辞める。先輩に「辞めるのか。辞めるなよ。俺は仲間ができたぞ」と言われたのが忘れられない。つまり、僕は一年以上時間をかけて仲間も作れない軟弱者。生きる価値なし。


 僕の高校は複数の部活を掛け持ちできたので、剣道部を辞めても文芸部と新聞部に居場所はあった。


 けど、刀を捨てた僕は間違いなく敗者で、文芸部でも新聞部でも端の方で小さくなっていた記憶がある。まぁ、もっとも新聞部の方は廃部寸前の部活だったので、そういう意味では自由に暮らしていたけど。


 同期が稽古に励む夏。僕は新聞部の部室で寝転がっていた。誰もいない部室。膨らむ妄想。


 女の子を連れ込めるじゃないか、と思って連れ込んだこともある。キスまでは出来たがその後は駄目だった。高校生にして心因性のEDだった。芯が立たない感じ。


 大学受験。無気力なのを無理矢理奮い立たせて勉強した。しかしどれだけやっても頭に入ってこない。今にして思えば鬱状態で脳が働いてなかったのだろう。第一志望、第二志望と落ちた。第三志望は何とか受かったのでそこに行くことにした。


 しかしその第三志望はいわゆるMARCH。僕の高校はワセダネと呼ばれる早稲田大学への進学率が高い高校だったので、私立に行くなら最低でも早慶みたいなところがあった。


「MARCHなんか行ってどうするの」


 剣道部の同期に言われた言葉だ。けれど無気力だった僕にはもう一年勉強するなんて選択肢はなくて、友達に蔑まれながらMARCHに行くことを決意した。


 MARCHには色んな人がいた。


 まず、嫁さん。一年の頃から同じ学科、クラスで、語学の選択も一緒だったから仲が良かった。嫁さんには当時付き合っていた彼氏がいて、僕と付き合うことはないかなと思っていたが、当の嫁さんは三年の冬にその彼氏と別れた。元々嫁さんに対し好意はあったので、彼氏ロスにつけ込んでデートに誘って告白した。多分彼氏ロスがなかったらフラれていたと思う。


 一生懸命勉強して現役でMARCHに入ったんだなという人たち。彼らは皆自信たっぷり。やってやるぞって感じ。でも、何故か理想に対して実力が伴ってない人が九割九分だった。この頃僕は睡眠障害にアルコール依存も併発していて、午前中の講義なんてほとんど聞いちゃいなかったのにテストや課題でこの人たちに負けたことはなかった。


 浪人してMARCHに入った人たち。人間的に出来ている人と、僕と同じ劣等感に苛まれている人との二極化していた。前者は家庭の事情や金銭的都合で浪人というか充電期間を置いて入学した人、後者は早慶東大京大を受けて叩きのめされた人。当然後者の奴らの方が面倒くさい。何というか、プライドの塊。僕と違うところは、僕は剣道部の同期にプライドをボキボキに折られていたのに対し、彼らは中途半端にMARCHなんかに入ったから「まだ希望はある」と思っている節があったこと。彼らに対しても成績で負けたことはなかった。


 僕と同じ、進学校から都落して現役でMARCHに入った人たち。これも二極化する。まず、遊び呆けて受験に力を入れなくてMARCHに流れた人。彼らは快楽主義だったので、大学で勉強なんかしない。次に、受験の運や体調面の問題で仕方なくMARCHに流れた人たち。僕と同類。でも僕と違ったことは、彼らは人生を諦めなかったこと。僕が睡眠障害とアルコール依存で苦しんでいる中、彼らは必死に勉強して成り上がっていった。


 MARCHが目的で入った人たち。僕は心理学専攻だったのだけれど、僕の大学には犯罪心理学の権威が一人いて、その教授に教わりたくて入ってきた人たちがいた。彼らは勉強が目的なのですごく頑張る。勝てない。けど、専門知識以外は弱いので、ジャンルによっては勝てる感じ。基礎教養とかね。


 三年の春に研究室の配属があった。犯罪心理学に興味はあったけど、僕は大脳生理学の研究室に行くことにした。脳科学は面白かったし、可能性にも溢れていた。ちなみに嫁さんは教育心理学をやりたかったけど、何故か配属が僕と同じだった。多分不思議な縁があったんだと思う。


 研究室で、僕は睡眠について研究した。自己覚醒と呼ばれる現象を意図的に作り出す研究。そしてこの頃、院生の先輩が実験をやっていたので、被験者として研究に参加した。


 先輩の研究は、簡単に言えばIQと発達障害の関係について、という内容だった。


 知能検査をされた。いわゆるIQテストだ。WAIS-IIIと呼ばれるテストである。先輩は僕の結果を知って驚いた。


「MENSAに入れるよ」


 MENSAとは、世界で上位2%の知能指数を持つ人たちが入れる国際集団だ。よく覚えてないがIQ140以上が指標だった気がする。


 でも実際にMENSAのテストをサンプルでもらってやってみたけどちんぷんかんぷん。多分、院生の先輩のテストの仕方が悪くて正確な値が出てなかったんだと思う。実際のところ、僕のIQは120か130くらいが妥当なんじゃないかと思う。これも自己肯定感低すぎでしょ、と言われたら何とも言えないが。


 卒業論文も睡眠と自己覚醒について。スマホのアプリを使って睡眠測定をするという、先行研究のないことをやった。でも開発されたばかりのそのアプリは難点も多く、正確な値を出せなかった。結果、卒論は失敗する。


 僕は大学院に行ってもっと研究をしたかったのだけれど、親に反対された。当時高学歴ワーキングプアという言葉が流行っていて、心理学で院に行く人は漏れなくその高学歴ワーキングプアになる傾向があったので、親としては反対せざるを得ない感じだった。


 仕方なく就活をした。でもやっぱりやる気が出ない。思えばこの頃から鬱の傾向はあった。毎朝体が泥を吸った綿のように重く、頭はモヤがかかっているようだった。


 とはいえ、やると決めたからにはやらなきゃいけない。元々本が好きだったので、出版業界の就活セミナーに行ってみた。


「やろうと思ってすぐやれる人がなれる業界」


 セミナーの講師、朝日新聞の記者をやってるOBがそう僕たちを鼓舞した。僕は自信を失くす。今までの人生でやろうと思ってやれたのは高校受験の時だけ。それ以外はことごとく失敗している。


 周りを見渡すと、親に学費を払ってもらえないから高級レストランでバイトを週六、八時間やって自活している人、法学部首席なのに何故か出版業界を受けているエリート女子、ミスターコンテストの優勝者などがいて、僕はひどく場違いな気持ちになった。彼らは皆「やろうと思ってすぐやれる人」だった。


 出版業界は諦めた。でも他にやりたいことはない。手当たり次第に受けた。教育業界、音楽業界、IT、本当に節操がなかったと思う。


 志望動機なんてない。そもそも志望なんかしたくない。面接はボコボコ。「君何で来たの?」と言われたこともある。


 そんな状態だから、就活が終わったのは四年の九月。地元の中小IT企業に内定が決まった。一応、IBMの系列会社で、入社試験で知能検査もどき……数列の予測や図形判断など……をやらされたのを覚えている。


 卒業後、入社。しかし睡眠障害が再発。過眠症と呼ばれる病気だった。仕事中に意識を失う。でも他人からすれば仕事中に寝ている奴なので、当然怒られる。けれど病気だから反省の色があってもまた寝る。怒られる。無限ループ。


 でも入社試験の成績が良かったのだろうか、僕は研修後すぐに「社運を賭けたプロジェクト」に参加することになった。鬼のような仕事環境。平日は毎日午前様だった。休日は起きていられない。五日間の拷問の後二日間のインターバルを置いてまた拷問という日々。


 入社一年後。仕事中に社員証で首を吊って意識を失う。鬱病と診断された。当時の上司はとても優秀な人で、僕の病気のために東京を横断して横浜にある病院に病状を聞きに来てくれる、すごい人だった。


 申し訳なかった。期待に応えられない。そして、仕事中に寝てしまう。そんな僕にも上司はすごく優しく接してくれた。そして、決定的なことを言ってくれる。


「人生は一度しかない。やりたいことをやって生きていきなさい」


 その年の四月。会社を辞めた。大学院に行くことを決意。親も「臨床心理士になるならいい」と言ってくれた。本当は、僕がやりたいのは基礎心理学なので、臨床心理士は畑違いになるのだが、心理学が学べればもう何でも良かった。


 けれどその中途半端な決意が良くなかったのだろう。院試は落ちた。面接までは行けたのだが、研究計画があまりに基礎寄りだったことが看破されたのか、落ちた。


 来年また、とはならなかった。受験料やら勉強やらに貯金を使い果たして一文なし。働かなければならなかった。


 小説の執筆は学生時代からやっていた……多分お忘れだろうから言っておくと、僕は高校時代に文芸部に所属している……。ショートエッセイのコンテストで審査員賞をもらったこともある。


「人生は一度しかない。やりたいことをやって生きていきなさい」


 物を書く仕事、をやってみようと思った。


 といっても、人脈も何もなかったので、クラウドワークスやフリーライターのよりどころなどを使って時給五百円くらいの仕事をいくつもやった。


 時給五百円で成人男性が普通の生活を送ろうと思ったらどれくらい働かなければならないか想像して欲しい。けど、過労ではあったもののこの頃病状は一時よくなった。今にして思えば単に躁状態になっていただけだったのだが。


 この頃、様子がおかしいと思った家族の手により再び病院に行くことになり、双極性障害と診断される。「一生モノの病気だから」。そう言われる。


 しかしこの頃は躁状態で安定していたので仕事はできた。ある程度キャリアを積んだ後、僕は二回目の就活をした。今度はライターとして。コピーライティングやWeb記事制作の経験があったのでそれを活かして仕事を探した。


 そしてある企業に採用が決まった。働き出す。けれどまた、睡眠障害が襲ってきた。


 特発性過眠症。要するに、原因不明だけど寝すぎる病気。原因不明ということは打つ手がない。寝続ける。


 当然ながら怒られる。けれど今度は病気を開示した。診断書を出す。すると午前中の勤務をなしにして、代わりに十九時まで働くというプランを提供してもらった。


 この頃、再び躁状態になる。バリバリ働いた。Web記事の制作は毎日七件。それに加えてピックアップ記事という、カクヨムでいうところの総合ページの編集のような作業も任された。コピーライティングの経験を買われて、新サイト立ち上げの際、ネーミングを任された。僕が考案した新サイトの名前は無事採用され、僕が考えた名前のロゴが作られたりした。


 これは推測でしかないが、おそらく僕の場合、躁から鬱に切り替わる時、精神症状が出る。


 精神症状とは要するに幻覚のことである。以前会社で首を吊った時も幻覚はあった。ここで僕の数ある幻覚をいくつか紹介したいと思う。


 自分がたくさんいる……文字通り。道行く人が自分に見える。自分を自分と区別するために僕は日頃から帽子をかぶるようにしている。帽子がない僕はニセモノ。そういう区別。


 鏡に罵られる……鏡の中の自分が悪口を言ってくるのだ。「死ね」とか、「クズ」とか。


 あー、あー、あー……女性の喘ぎ声。本当に「あー、あー、あー」と聞こえる。


 音楽幻聴……白鳥の湖が聞こえる。フルオーケストラ。かなり豪華。


 道行く人が悪口……すれ違いざまに「死ね」「ゴミ」「首を吊れ」など。


 サイレン……「ピー、ピー、ピー」という音。結構ヤバそうな感じ。


 理性の声……勝手にそう呼んでいる。しんどい時に「薬を飲んでください」とか、「これは幻覚です」などと教えてくれる。何故か女性の声。


 ざっとこんな感じだろうか。会社でバリバリ働いて、躁から鬱に切り替わる時、これらが出た。当然まともでいられない。上司に相談。


 その時の上司は割と何でもありな上司だったので、仕事は全部途中でぶん投げて休んでいい旨、伝えてくれた。休職。半年間僕は休んだ。


 半年後、復職。しかしコロナ禍でテレワークになった。自宅で勤務。ここで地雷発覚。


 僕に休めと言ってくれた上司は、チャットやメールになると性格が豹変するタイプで、ガンガンにパワハラをされた。「こんなこともできないのか」等、いろいろ言われた。また精神を病む。


 休職期間は満了。よってこれ以上休めない。会社を辞めるしかない。産業医と三度にわたる面談の後、退社が決定。


 そんなこんなで雇用保険をもらいながら生き長らえる無職のライターが誕生。現在に至る、という感じ。


 妻は大学で付き合って以来、僕の病気を知りながらずっと支えてくれている。感謝しかない。いつかこの恩を返したいと思っているけど、鬱状態の今は何もできない。最近は軽躁と鬱を繰り返している。


 新薬の処方のおかげで、最近幻覚はほとんど見ない。たまに寝ぼけて昔の夢を見て、思い出す、という感じ。


 僕がこの病気になって得られたものは何もない。僕が闘病している間に、剣道部の同期は管理職になり、大学の同期は博士になったり家を買ったりしている。僕だけ取り残されている。


 よく怪我や病気をしたアスリートが、「(怪我や病気に)なって良かった。得られるものがあった」なんていう美談を語ることがあるがあんなのはクソ喰らえだ。


 病気なんてならないならならないに越したことはないし、全ての病人が病を糧にできるわけがない。インフルエンザになって良かったなんて思うことないでしょ? そういうことですよ。


 だから病気を糧に……とか語る奴はみんなコロナにかかって死ねばいいと思ってる。冗談じゃなく本気で。


 皆さんも健康には気をつけてください。健康は資本です。もし親に病気なく産んでもらえたなら、何よりもまずそのことに感謝してください。


 長く語りましたが僕の半生記風エッセイは以上です。お付き合いいただきありがとうございました。


 特に反応など期待してないのですが、ここで語ったこと以外に知りたいことあったら答えます。応援コメントでもいいし、僕のTwitterアカウント知ってる人はDMでもください。


 それでは皆さん、よい人生を。


 

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る