第二話 とにかく暑くて大変
「向こう一週間は晴れが続くから、今度の休みまではそれでいきましょう。その後の仕入れは、次の天気予報を見てからね」
「わかりました。バックヤードのほう、もう少し整理して場所を開けておきますね」
「お願いね。さて、じゃあ私はそろそろ行くわね」
この時間に慶子さんが顔を出すのは、昨日の昼から今日の午前中にかけての売り上げを銀行に入金しに行くためだ。だから何が何でももう一度、外に出ていかなければならない。慶子さんは日傘を手に、外を
「わかっていても出ていくのイヤねえ。小銭がなければここのATMですませちゃうんだけど」
「硬貨が多くなるのはしかたないですね。飲み物が圧倒的に出てますから」
「ま、これもオーナーの仕事だものね。じゃあ行ってくるわ。あやさん、あとをお願いね」
「はーい。行ってらっしゃい」
意を決した慶子さんは日傘をさして外に出た。次に慶子さんが顔を出すのはお日様が沈んでからだ。その時間には、もう少し涼しくなっていると思う。
「オーナーさんの仕事とは言え、この時間に外に出るのは大変だよねえ」
お客さんが途切れた時、どれほどの暑さかと玄関の外に出てみた。ドアを開けた途端に熱気が襲いかかってくる。
「あつっ! なにこれ、あつっ! 暑いじゃなくて熱っ! 慶子さん、まじで大丈夫かな?!」
日傘で日差しは防げても、この暑さだけはどうしようもない。ちょっと心配になってきた。そして心配なのはもう一つ。
「バイクも大丈夫かな、これ」
外にとめてある自分の原チャリ。駐輪場は建物の真横で直射日光が長時間あたらないようになっているけれど、これだけ暑いと日があたらなくても心配になる。
「もしかして夏の間はバイク通勤やめるべき?」
とは言えアパートの駐輪場にとめているのだから、ここに置いてある状態と大差はないんだけれど。
「バイトさーん、お会計お願いしまーす!」
呼ばれる声がして慌ててお店に戻る。レジの前に並んでいたのは女性隊員さん達だ。それぞれ汗拭きシートを持っている。
「すみません! ちょっと外の暑さがどのぐらいか気になったもので」
「外、すっごいですよね。弱冷状態のここが天国に思えますもん」
「溶けると言うより蒸発しそうでしたよ。皆さんは大丈夫ですか?」
この時間ということは、お昼ご飯が終わって休憩時間ということだ。
「大丈夫じゃないですよ。本当なら午後の訓練前に、シャワー浴びたいぐらいなんですけどね~」
「それができないから、着替えと汗拭きシートで我慢するわけです!」
その言葉の通り、全員が大判の汗拭きシートを手に持っている。
「これがあるとないとじゃ大違いですよ!」
「お買い上げありがとうございます。やっぱり大判シートのほうが良いですか?」
「そうですね。このサイズのほうがありがたいです。お高いのが難点ですが」
たしかにコンビニよりドラッグストアのほうがお安い。そこは申し訳なく思う。
「そのシリーズ、期間限定で購入ポイントが余分につくので、それを値引き代わりだと考えてくださいね」
それぞれにお会計をすませていく。
「このピーチの香り、在庫があと2セットになりました~」
最後に並んでいた人が在庫数を教えてくれた。なんだかんだ言いつつも、やはりそこは女性。可愛い系や甘い系がお気に入りの人が多い。この汗拭きシートも、女性隊員さん達には甘いピーチの香り付きが絶大な支持を得ていた。
「ありがとうございます。バックヤードにあるので、あとで補充しておきます」
そしていつものように、会計を終えた全員が店前の長椅子に座る。実はここでの何気ない会話が、次の商品仕入れをする時の参考になったりして、意外と重要だったりするのだ。
「ピーチもいいけど、そろそろグレープフルーツに香りとか出ないかな~」
「ヒヤッとするのは良いんだけど、顔を拭くならもうちょっとマイルドな方が良いかな~」
それぞれがそれぞれの商品に対する感想を口にしながら、封をあけてシートを出した。そして顔を拭く。そしていつものように騒ぎが始まった。
「ああああ、冷たいけど目がぁぁぁぁ鼻がぁぁぁぁ」
「ほんとこれやばい、冷たいとかよりスース―感がやばい!!」
顔を拭くと同時に手で顔をパタパタとあおぎ始めた。
「やっぱこれ、鼻の近くを拭くのは危険なんじゃ?!」
「スース―しすぎで息できないよ、これは体限定にすべき?」
「そりゃボディ用汗拭きシートって書いてあるし、これ、顔を拭くことを想定していないんじゃ?」
「え、じゃあ顔はどうするの? このシリーズの顔専用ってないよね?」
一人が立ち上がるとダッシュで店内の商品棚に向かう。そして確認をして再びダッシュで戻っていった。
「顔専用ってなかったけど!」
「え?! ちょっと待って?! これ、顔への使用は避けてくださいって書いてある!」
商品の裏を見ていた一人が声をあげる。
「「「まじ――?!」」」
全員が商品の裏を
「顔はボディに含まれてないっていうこと?! じゃあ顔ってどこに含まれてるの?!」
「今まで気にせずに使ってた!」
彼女達の騒ぎを聞きながら、私も「私も気にせず顔も拭いてたなあ」となる。注意書きってしっかり読まなきゃいけないものらしい。
「バイトさんも同じの使ってるんですよね? 顔を拭きたい時はどうしてるんですか? 使い分けしてます?」
その場にいた全員の視線がこっちに向けられる。
「いえいえ。私もそれ、普通に使ってました」
その場で「ですよねー」という声があがった。
「顔を拭く時は、スース―したのを吸わないように息を止めてましたよ。で、拭いたら口で呼吸をしながら素早くあおぐ。そこは皆さんと同じですね」
「やっぱりそうなりますよねー。いちいち顔用と体用なんて使い分けなんてしないし」
私を含め、その場の全員がうなづく。
「でも強烈すぎるとは思ってたんですよね~。顔を拭いてから鼻で息をすると、
「さすが自衛官さん。比較対象がなんだか物騒です」
「それほどでもー」
とにかくなにごとも
―― 顔を拭きたい時はどうする問題、どうするつもりなのかな ――
ま、私はそのまま気にせずに使い続けるつもりなので、他の皆も同じかも。少なくなった汗拭きシートを補充していると、ひょっこりと駐屯地司令の
「いらっしゃいませ~」
「みんな、いなくなったかな?」
「はい。今ここにいるお客さんは、司令さんだけですよ」
「それなら結構」
ホッとした様子でお店に入ってきた。
「もしかして、待ってたんですか?」
「まあね。ほら、おじさんがいると気を遣うだろ?」
そこは「おじさん」ではなく「偉い人」だと思う。だけどそこは黙っておくことにした。
「なかなかにぎやかだったね。彼女達は何を買っていたんだい?」
「汗拭きシートです。最近のはなかなか優れもので、男女問わずの人気商品なんですよ」
「ああ、それか。うちの子も学校で体育の後に使っているらしい」
「シャワーが使えない時には本当に便利ですからね」
司令さんは興味深げに商品を手にすると、パッケージに書かれている文字を読む。
「これ、おじさんでも使って良いのかな」
「特に年齢制限はないと思いますよ? 男性用とかはありますけど」
「ふーん、ピーチねえ……おじさんがピーチを使っても問題ないかな」
「それも特に問題ないと思いますよ? 好みの問題ですから」
他の隊員さんが知ったらどう思うかは横においといて。
「ただそれ、ものすごーくスース―するので顔を拭くなら要注意です。えーと
さっきの女性隊員さんが言っていたことを教える。
「そりゃまた強烈だね。メントス配合、これのせいか。ほうほう、なるほど。ん? これ、顔はやめておいたほうが良さそうなこと書いてあるけど?」
さすが司令さん。すぐにチェックしたらしい。
「そうなんですけど、それを使う時って体も顔も拭いちゃうので」
「まあ気持ちはわかるけどね」
汗拭きシートを二つ手に取ると、次はアイスのコーナーへと移った。そして持ってきたのはスース―つながりなのか、チョコミントアイスだった。そちらも二つ。
「今日は僕が師団長におごることになっちゃったんだよ」
私の視線に気づいたのか、司令さんはニヤッと笑った。
「あ、そうなんですね。いつもありがとうございます」
お会計を済ませてから首をかしげる。汗拭きシートも二つ。これってもしかして?
「もしかして、その汗拭きシートも師団長さんにですか?」
「ん? ああ、これ? もちろん」
「もちろんなんですか」
「若い隊員が使ってるものだし、どういう感じか知っておく必要もあるだろ? 僕達が若いころは、こういった便利な商品はなかったからねえ」
最近はいろいろと便利なものが増えたよねと感心している。
「しかもお手頃価格で買えるって、本当にありがたい時代だよ」
「顔を拭く時は要注意ですからね?」
「黙って使わせたら驚くだろうな、師団長」
なんだか悪い顔をしている。
「師団長さん、とっくにヘビーユーザーさんだったりしませんか?」
「どうかな。偉くなると外で走り回る機会も減るから、こういうのを使う機会はめったにないだろうし」
司令さんはお会計をすませると、イヒヒと笑いながらお店から出ていった。
「師団長さんと司令さんでケンカにならなきゃいいけど」
さっきの悪い顔を思い出してため息をついた。
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