第四話 おもっ!

「お、意外と青柳あおやぎ、体がやわらかいんだな」


 それを見た斎藤さいとうさんが、感心感心と笑っている。


「あれ、いじめてるわけじゃないんですよね?」


 叫んでいるのを見て心配になり、念のために山南さんに確認した。


「とんでもない。あれは尾形なりの、目下の者に対しての思いやりってやつです」

「えー?」


 山南やまなみさんもニコニコしながら、その様子をながめている。少なくとも二人はあれを、後輩に対する尾形さんの、思いやりのある行動だと思っているらしい。


「足をあんなふうに持ち上げているのに?」

「柔軟なことは良いことかと。体が硬いと怪我もしやすくなるので」

「えー……」


 私達が見ている間も、青柳さんは悲鳴をあげている。もしかして私が見ている光景と、山南さん達が見ている光景は違うとか? そんなことを考えていると、尾形さんがこっちを見た。


「おい、そこにいる連中は大丈夫なのか? きちんと足のケアをしておかないと、明日からの訓練で泣くことになるぞ?」

「それは言えてるな。おい、お前達! 尾形おがた三曹が優しく言っている今のうちだぞ?」


 斎藤さんが店内の隊員さん達に声をかける。


「優しいんですか? あれで」


 尾形さんは無理やり足をつかんで、容赦なく消毒液をかけているんだけど。


「尾形は面倒見がいいんですよ。まあ、やり方が少しザツではあるけどね」

「少し……」


 山南さんは笑いながら店内を見回した。店内にいる若い隊員さんは、青柳さんの悲鳴をびくびくしながら聞いている。


「お前達、外の洗い場に集合。そこでさっさと靴とソックスをぬいで足を洗え」


 山南さんが声をかけた。いつも慶子けいこさんや私と話している時とは、ぜんぜん違う声色こわいろと口調。いわゆる上官らしい、有無うむを言わさない口調というやつだ。


「なにをするんですか?」

「あの二人は、あらかじめ足を洗ってからここに来たでしょう? だから他の連中にも、まずは足を洗わせないと」

「いくら優しい俺達でも、野郎のくさい足はかんべんだからね」


 山南さんと斎藤さんが笑う。


「まさかの足の裏検査とか?」

「そんな感じかな」

「大した水ぶくれじゃないとなめてると、あとで痛い目をみるのは彼らなので」


 山南さんがうなづきながら荷物を肩からおろす。


「それはいわゆる、経験者の言葉ってやつですか?」

「そんなところです。しばらく店の前で騒がしくなりますが、かまわないですか? それとこの荷物、終わるまで預かってもらえると助かるんですが」

「どうぞご遠慮なく。荷物はレジの横に置いておいてください。ここに来るお客さんは関係者ばかりですから、それこそ、お気になさらずですよ」


 私の言葉に山南さんが笑った。「お気になさらず」はここに来た当初、山南さんが私に向かって頻繁ひんぱんに言っていた言葉だ。一度それを指摘したことがあって、それを山南さんも覚えていたらしい。


「助かります。さてと。じゃあ、お前達!」


 山南さんと斎藤さんは、店内に散らばっている隊員さん達に声をかけ、お会計をさっさとすまさせると、そのまま建物の外へと、無理やり連れ出した。


 そんなわけで、お店前はちょっとした阿鼻叫喚あびきょうかんの臨時診療所になってしまった。



+++



 そして全員の足裏チェックが終わり、隊員さん達はヒーヒー言いながら、その場から立ち去った、というか逃げ出した、というか晩ご飯の時間になったので食堂に向かったというか。


「やれやれだな。次からは自分達でちゃんとやれると良いんだが」


 全員の治療をした尾形さんが、肩をコキコキしながら立ち上がる。


「青柳がするだろ。あいつ、なにげにオカン体質だから」

「だと良いんだけどな。ああ、御厨さん、長い時間、ありがとう。それとこれ、返しておくよ」


 差し出されたハサミを受け取った。


「お疲れさまです」

「さて、じゃあ次は御厨さんの番だよね」


 尾形さんがニコニコしながら続ける。


「ん? 私の足の裏は問題なしですよ」

「そうじゃなくて、荷物の重さ体験。せっかく山南が持ってきたんだから、是非とも体験してください」

「えー……」


 さっきカウンターに置かれた荷物を少しだけ押してみたら、ちょっとやそっとでは動きそうにない重さだった。ということは、背負ったらとてつもなく重たいに違いない。


「あの、本当に背負わなきゃダメですか?」

「御厨さん、気が変わったんですか?」


 山南さんが首をかしげた。そりゃあ確かに、さっきは好奇心に負けて背負ってみたいとは言ったけど。


「え、だって、かなり重たそうだし」

「そりゃまあそりなりに?」


 山南さんはニコニコしながら、荷物を軽々とした様子で持ち上げる。


「こっちに出てきてもらえると助かるんですが。さすがにそこでひっくり返られたら、俺達でもとっさに助けられないので」

「ひっくり返るのが前提とか」


 イヤな予感しかしない。ブツブツ言いながらカウンター前に出た。


「そのへんの棚にぶつかったら大変だから、店の外で背負ってみようか」

「あの! 皆さんも晩ご飯の時間なのでは?!」


 お店の外に押し出されながら声をあげる。


「そうだよ。俺はこのまま帰るけど、斎藤と山南は晩飯を食ってから風呂だね」

「御厨さんがごねると、俺達の晩飯と風呂の時間が削れちゃうんだよ~」

「ということなので、さっさとどうぞ」

「山南さん、今、なにげに脅しませんでしたか?」

「気のせい気のせい」


 三人はニコニコしているけど、どこから見ても悪い顔だ。うん、実に悪い顔。


「あの、ちゃんと支えていてくださいね?! うっかり後ろにひっくり返ったら大変なので!」

「ご心配なく。ちゃんと後ろで俺が支えますから」

「その点は山南に任せておけば心配ないよ」


 山南さんがリュックを背負いやすいように差し出してきたので、恐る恐る腕を通す。荷物はまだ山南さんが持っているので、肩には重さはかかっていない。


「じゃあ離しますよ?」

「ゆっくりお願いしま、おもっ!」


 ズンッと肩に重さがかかり、あまりの重さに後ろによろけた。後ろには山南さんが立っているので、よろけただけで済んだけど、いなかったらそのままひっくり返っていたかもしれない。


「ちょ、重たすぎですよ、これ! こんなの背負って歩いたって嘘ですよね?! わざと重たくしてませんか?!」

「これは今日の行進訓練で、青柳達が背負っていたのと同じ重さだよ」

「実際はこれプラス、小銃とか諸々を身につけるわけだから、これはまだ軽いほうだよ」


 なにやらとんでもないことを言っている。


「それ本当ですか? 山南さん、今の斎藤さんと尾形さんの言葉は本当?!」

「あれ? なんでそこで山南に確認するの。俺も尾形も嘘はつかないよ?」


 ひどいねえと二人は私に向かって抗議した。だけど私は信じられないので、さらに山南さんに質問を続ける。


「山南さん?」

「斎藤も尾形も嘘は言ってないですよ」


 本当に?!とその顔を見つめる。嘘を言っているようには見えないけど信じられない。それほど重たかった。


「こんなのを背負ったら、足の裏より肩が水ぶくれでどうにかなりそうですよ」

「あー。あいつらも今日は、ストラップがあたっていたところは赤くなってるだろうね」


 うんうんと三人はうなづいている。


「これがマックスの重さなんですか?」

「背負うのはね。これ以外に、水の入ったタンクを二人一組で運んだり、その時によって色々だよ」

「背が縮みそう……」


 思わず口からもれた感想に、山南さん達が笑った。


「二ヶ月後には、これを背負って三十キロほど歩く訓練があるよ」

「それを聞いただけで泣きそうになります」

「まあその時までに訓練で体力もつくだろうから、大丈夫だとは思うけどね」

「じゃあ御厨さん、荷物をもらいます」


 山南さんが荷物を持ってくれたので背中が軽くなる。とにかくそれを背負って感じたことは、私には自衛官にはなれそうにないってことだ。こんなものを持って十キロ、三十キロ歩くなんて無理すぎる。


「それを背負ってみて実感しました。やっぱり私には自衛官は無理そうです」

「ありゃ、逆効果だったか」


 三人が笑う。


「私には、ここで皆さんの話を聞くぐらがせいぜいですよ」


 そりゃあ、こうやって色々と体験させてくれるのはうれしいけれど。自衛隊体操もそうだったけど、どう考えても私には無理だ。自衛官の皆さんの体力のすごさは尊敬に値する。


「ま、人には向き不向きがあるからね。さてと。そろそろ本当に晩飯と風呂の時間が削れそうだな。それは俺が返しておくから、お前達はもう食堂に行ってくれ」

「わかった」

「お疲れさん」


 尾形さんは山南さんから荷物を受け取った。


「じゃあ、御厨さんも時間までがんばって」

「お疲れさまでした。それと貴重な体験、ありがとうございます」

「次は水タンク二十キロってのを体験してみると良いよ。二人一組で運ぶものだけど、それでもなかなかハードだから」

「いやいや、もう結構です。結構ですからね!!」


 その場から立ち去る山南さんと斎藤さんにも、強めの口調で言い放つ。そうでもしないと三人のことだ、本当に持ってきそうだったから。そんな私の気持ちを知ってか知らずか、二人はこちらに背中を向けたまま、呑気に手をふっている。


「じゃあ、また明日ー」


 尾形さんも笑いながらその場を離れた。


「本当に持ってこないでくださいね?! 私、ギックリ腰になるのはイヤですから!!」


 最後に声を大にして宣言したけど、三人がちゃんと聞いていてくれたかは謎だ。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る