第二話 実はできる男かも

「本日もコーヒー牛乳よし!」


 開店前の品出しをしながら、コーヒー牛乳のパックがあることを指さし確認する。もちろんそれは、山南やまなみさんに頼まれたからだけではない。昔ながらの甘いコーヒー牛乳はどの世代にも人気で、毎日、誰かしら買っていく商品だった。だから油断していると、残り1本なんてこともざらにあるのだ。


「その隊員さん、そんなにコーヒー牛乳にご執心しゅうしんなの?」


 硬貨をレジにいれていた慶子けいこさんが、笑いながら声をかけてきた。


「そういえば慶子さん、まだ顔を合わせたことないんでしたっけ?」

「ここ最近は私、あやさんのお陰で楽をさせてもらってるから」


 私がバイトの学生さんの穴埋めをするようになって、オーナーである慶子さんは、かなり時間的余裕ができるようになった。だから最近は、朝一と昼一、そして閉店前と、売り上げの締めをする時にしか出てこないことが多い。もちろん忙しい時はその限りではないけれど。


「とにかく、一日一回は必ず顔を出しますよ。ああ、たまにお昼前にも来るかな」


 メソメソしている隊員さんと、それを慰める隊員さん。そこにお供の隊員さんが何人かいるかいないかの違いで、だいたいやりとりのパターンも決まっている。昨日も訓練が終わったであろう時間にやってきた。



『もう無理ぃぃぃぃ』

『今日も無事に訓練を乗り切ったじゃないか』

『明日の行軍、絶対に無理だようぅぅぅ』

加納かのうならできるよ! ほら、コーヒー牛乳おごってやるから、明日もがんばれ!』

『がんばれないぃぃぃぃ、十キロも歩けないぃぃぃ』

『普段から普通に歩いてる距離だから問題ないって』

『問題あるぅぅぅぅ、明日は荷物があるぅぅぅぅ』

『もしもの時は俺が手伝うから!』

『最初から俺を荷物ごとおぶって歩いてくれよぅぅぅぅ』

『え――?』



「あ、今日は十キロ歩くらしいです」


 その時の会話を思い出す。


「ああ、十キロ行進なのね。荷物を背負っての初めての長距離行進だから、きっと疲れ切って帰ってくるわよ」


 普通に歩く分には十キロぐらいなら私でも何とかなりそうだ。だが隊員さん達は、その道のりを重たい装備を背負って歩いていく訓練なんだとか。しかも聞いたところによると、背負う荷物はかなり重たいらしい。


「今日はコーヒー牛乳だけじゃなくて、甘いものがたくさん売れそうな日ね」

「そうなんですか? 品切れになりそうな商品はないはずですけど、スイーツ系とチョコレート系は注意しておいたほうが良さそうですね」

「あと、靴下もね。歩いているうちに、穴が開いちゃうことがあるから」

「あ、そこは盲点かも」


 ここしばらくコーヒー牛乳のことばかり心配で、靴下の在庫までは見てなかった。いつもの品出しを終えたら、そこも確認しておかなくては。


「ああそれと、プリンもよし!」


 通りすぎてしまったスイーツコーナーに慌てて戻り、そこに並んでいるプリンに向けて指差し確認をする。コーヒー牛乳と靴下の在庫数も大事だけど、プリンの在庫数も重要だ。何故かといえば、この駐屯地で一番偉い人達がプリンをめぐって争奪戦をくりひろげているから。


「おはようございます、仰木おうぎさん」

「おはよう、御厨さん。開店時間にはちょっと早かったかな?」


 ほら、噂をすればなんとやら。


 そろそろ開店時間というころになると、基地司令の永倉ながくらさんと師団長の大野おおのさんがやってきた。いつもはこの時間、山南さんが師団長さん命令でプリンを買いにくるのに、珍しいこともあるものだ。


「おはようございます。私達は大丈夫ですけど、機械のほうが融通きかないんで、あと五分待ってください」


 機械とはお店にあるレジのことだ。何でもやってくれて実にありがたい存在ではあるのだけれど、たまに融通がきかなくて頭に来ることもある。たとえば賞味期限のある商品。五分ぐらいすぎても問題ないよねと思うのに、レジさんは絶対通しませんよ、なのだから本当に頭にくる。


 最近はコンビニでも、スーパーのように時間が迫ってきた商品は値引きができるようになったけど、ここは一般の人がほとんど来ない駐屯地内のコンビニ。その手のシールを貼ったからと言って、早々に商品がはけてくれるわけではない。なので勤務時間が終わるころのものはともかく、昼間に賞味期限が切れてしまうものに関しては要注意なのだ。


「ここのレジにも、五分前の精神が内蔵されていると良いんだけどなあ」


 司令さんがため息まじりに言った。


「永倉、それ、自衛隊に合わせると五分前の五分前、さらにはその五分前に~と際限なく前倒しされるから不可ですって、レジを新しくする時に業者さんに言われたんじゃなかったか?」

「ああ、そうでした。まったく機械ってのは。便利だけど臨機応変りんきおうへんじゃないのが難点ですよねえ。じゃあ、時間までゆっくり選んでましょうか」

「今日は珍しく二人そろってなのね。山南君に逃げられちゃったの?」


 二人で仲良くスイーツが置いてある棚に向かうのを見て、慶子さんが笑いながら言った。


「今日は山南達も、候補生君達について十キロ行進でしてね」

「そっちのほうが大事なので、こっちは自分で買いに行けと言われたんですよ」


 そして二人が手に取ったのは、やはりプリンだ。それぞれ複数個あるので、どちらがどっちを買うかでもめることもない。


「山南さん達、新人さん達の教育担当じゃないのに、訓練に同行するんですか?」


 私の質問に司令さんがうなづいた。


「初めての行進訓練だし、なにが起きるかわからないからね。経験のある隊員を同行させるのは、いわば保険みたいなものかな」


 たしかに。あの泣きそうな隊員さんみたいな人が、さらに増えないとは限らない。山南さん達なら、一人で二人ぐらい担いで戻ってこれそうだし、一緒に行ってくれたほうが安心かも。


「今年の候補生さん達の様子はどう?」


 さらに慶子さんが質問をする。その質問に、司令さんは首をかしげてみせた。


「例年通りな感じですかね。最初の頃は生活リズムがムチャクチャなヤツもいましたが、今は普通に起床してますし、訓練もなんとかついてきています。みんな、頑張ってますよ」


 そう言いながら、なぜかコーヒー牛乳を手にとる。そしてこっちを見た。


「御厨さん、もしかして彼には遭遇したかな?」

「してますしてます。山南さんからも、コーヒー牛乳を切らさないようにと命令されました」


 正確には命令ではないけれど。


「よろしく頼むね。コーヒー牛乳君、実に将来有望な隊員なんだよ」

「あの、それ、本当なんですか? 山南さんも似たようなこと言ってましたけど」


 少なくとも私は、あの隊員さんが泣き言を言っているところしか見ていないので、山南さんのあの言葉も、今の司令さんの言葉も実に疑わしい。


「身体能力は高いよ。実に自衛官向きだと思う。難点はアレなわけだけど」

「アレ」

「うん、アレね」


 そう言って笑いながらコーヒー牛乳を棚に戻した。


「その難点が一番の問題なのでは?」

「たしかにねえ。黙っていれば立派な陸上自衛官なんだけど。ああ、そうそう。うちの駐屯地のSNSの写真に、その加納陸士の写真が載っているんだよ。見てみる?」

「え、そうんなんですか? いつもチェックしてますけど、気づかなかったです」


 司令さんがスマホを出して写真を見せてくれた。この写真、数日前に見たばかりの写真だ。


「え、どれがコーヒー牛乳さんですか?」

「この真ん中にいるの、加納陸士だよ」

「え?! 雰囲気がぜんぜん違うじゃないですか!」

「どの子なの?」


 慶子さんものぞきこんでくる。その写真は、ここの駐屯地にいる自衛官候補生さん達の、格闘技訓練の様子を紹介するものだった。そしてその写真の真ん中に、銃剣をかまえた隊員さんが立っている。よく見れば、顔は間違いなくコーヒー牛乳さんだ。目つき顔つきがいつもとぜんぜん違うせいで、まったく気がつかなかった。


「あら、ずいぶんと精悍せいかんな顔をしていること。御厨さん、本当にこの子がコーヒー牛乳さんなの?」

「顔は間違いないです。けど普段とぜんぜん違います!! まさか広報向きに無理やり作られた表情では?!」


 私の意見に師団長さんが大笑いした。


「いやいや。訓練中の彼、いつもこんな感じだよ。銃剣格闘も徒手としゅ格闘も申し分ない」

「うっそだぁぁぁぁ」


 失礼ながら思わずそんな叫びが漏れてしまった。


「だって、いつもここに来てメソメソしてるんですよ?!」

「訓練が始まるまでは、いつもメソメソしているらしいね。始まったらあきらめて、しっかりはげんでいるらしいが」

「そういう顔をしてですか?」

「うん。こういう顔をして」

「うっそだぁぁぁぁ」


 再びそんな言葉がもれる。


「実のところ、僕達はメソメソのほうを後で知ったから、そっちのほうこそ「うっそだぁぁ」なんだけどね」

「そこで私の口調をマネしなくてもいいですから」


 思わずツッコミを入れた。


「まあ普段の彼がどっちなのかはわからないけど、少なくとも今までの成績は問題なしだね」

「あ、開店時間、すぎたかな? プリンもだけど、コーヒーのMサイズを二つ、お願いします。ミルク砂糖なしで」


 慶子さんがお会計をしている間、私は商品が置いてある棚の最終チェックを終えた。


―― あとでもう一度、あの写真、見てみよう ――


 どう考えても、同一人物には見えなかったけれど。

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