第二十一話 バイクでオフ会? side - 山南

「泊まりの許可ってなんですか?」


 御厨みくりやさんが、師団長の奥様に質問をする。それを横で聞きながら、本当の彼女は、自衛隊とは縁のない生活を送っていたんだなと、あらためて思った。


「他府県に行くときはね、許可が必要なの。だから、前もって計画したその日が雨だったりすると、もうねちゃって大変なのよ、うちの人」

「俺はねたりしてない」


 奥様の言葉を聞いた師団長が、ぶぜんとした顔をする。


「いいえ。天気が悪いとすごくねてる」

「そんなことあるか」

「そんなことある。私が嘘を言うとでも?」

「……」


 うちの師団長は、自分にも他人にも厳しい自衛官だと有名な人だ。だがそんな師団長も、奥様にはまったく太刀打たちうちできない。今までに何度もご一緒したが、この手の会話では必ず、師団長が言い込められていた。


―― うちの駐屯地で最強なのは、師団長の奥さんだよな…… ――


 自衛官の妻になるには、これぐらいの人でないとダメなんだろうなと、つくづく思う。


「お休みの時にも、色々な規則があるんですね」


 そして御厨さんは、そんな二人のやりとりを前に、自衛官の生活の不便さに同情していた。それが普通で、今ではなんとも思わなくなっていたが、民間の人からすれば不便極まりない生活に思えるのは当然だ。


「と言っても、遠くに行くときだけだから、普通に生活している分には、そんなに気にならないのよ?」

「でも、今日は良い天気だから、ちょっと遠くまでバイクを走らせようかってことが、簡単にはできないんですよね?」

「まあね」

「自衛官さんて大変……」


 自分達が当然のようにしてきたことだが、御厨さんにとっては驚くべきことらしい。


「移動するのに申請が必要なのは、なにも自衛官だけじゃないんですよ、御厨さん。警察官も移動許可が必要だったはず。特別に自分達だけが不便というわけでもないんですよ」

「お巡りさんもなんですか。へえ……」


 俺の説明に、御厨さんは目を丸くした。


「さあ、話はそこまでだ。のんびりしていたら、休憩場所を一つ二つ飛ばすことになるぞ。御厨さん、しばらくは走り続けるが、大丈夫かい?」

「お手洗いのことなら大丈夫です。ここに来る前に、ちゃんとすませました!」

「よろしい。では出発だ」


 師団長の一声で、俺達はバイクに乗り出発する。しばらく走ってから、高速にあがった。


「風、大丈夫ですか?」


 自分にしがみついている御厨さんに声をかける。


「こんなスピードで走ったことないから、すっごい新鮮です!」


 寒くないか心配しての言葉だったんだが、その話しぶりからしてその心配はなさそうだ。


「あ、山南やまなみさん! あれ、自衛隊の車じゃないですか? 黄色い車の前を走ってるやつ」


 御厨さんが、ジャンパーの裾をグイグイと引っ張って話しかけてきた。視線を言われた方向に向けると、たしかに自衛隊の車列があった。1トン半が二台とパジェロが一台。


「そうですね。土曜日にドライブするのは、俺達だけじゃなかったってことかな」

「え、あれ、ドライブですか? どう見てもお仕事みたいですけど」

「荷台に乗ってる連中は爆睡中ですよ」

「えええ、後ろにも人が? 揺れて寝られるとは思えないけど……」

「陸自の人間なら、間違いなく爆睡ですね」

「マジなのか……」


 驚いている彼女の声に笑う。前を走っていた師団長が奥様になにか話しかけ、奥様は俺にハンドサインを送ってきた。


「ちょっとスピードを上げます。どうやら知り合いじゃないかって、師団長が」

「そうなんですか?」


 スピードをあげ、前方の車列に追いつく。そしてパジェロの横に並んだ。師団長が助手席に声をかけると、そこに座っていた隊員が、慌てた様子で窓をおろし、敬礼しているのがここからでもわかった。


「見えてますか?」

「見えてます、見えてます。やっぱり偉い人って、制服着てなくてもわかるんですね」

「そりゃまあ、陸自の人間なら、イヤでも師団長だってわかりますからね。どうやら同じ師団の人間らしいので」


 車輛の番号を確認する。どうやら俺達と同じ都内の連中だ。あっちもさぞや驚いたことだろう。


 しばらく並走していたが、俺達の最初の休憩ポイントが次のサービスエリアだったので、途中でわかれることになった。助手席の隊員がこっちに手を振ったのは、恐らく御厨さんが後ろで手を振ったからだ。普段、後ろに乗せるのは同僚や後輩の男ばかりだから、こんなふうに女性を、しかも民間人を乗せるのはなんとも不思議な感覚だった。


 そんなわけで、芦ノ湖あしのこまでのツーリングは実に新鮮な行程だった。残念なことに、時間切れで富士の演習場までは行けなかったが、御厨さんのおかげで、いつも以上に上官夫妻もご機嫌だった。


―― 師団長のあの様子からすると、御厨さん気に入られたようだし、また誘われそうだな。バックレスト、師団長のバイクと同タイプのほうが御厨さんも楽だよな…… ――


 何度も行くようなら、バイクの買い替えも必要か?などと、バカみたいなことが頭をよぎった。



+++++



 復路で高速を走っている時、御厨さんが異様に静かなことに気がついた。


―― まさか、落としてないよな? ――


 心配になり、自分の腹のあたりに素早く視線を落とした。大丈夫だ、彼女の両手は、しっかりと俺のジャンパーをつかんでいる。


―― にしても静かだな ――


 往路の彼女が、あまりにもにぎやかだったせいか、やはり心配になる。もしかして気分でも悪くなったか?


『御厨さん?』


 声をかけた。返事がない。ただのしかばねのようだ、じゃなくて。スピードを上げて、師団長の横につける。師団長は、どうした?という表情でこっちをチラ見した。口パクで通じるだろうか?


―― 後ろの安否、確認、願う ――


 通じたらしい。師団長はうなづいてスピードを落とすと、俺の後ろに回る。しばらくすると、スピードを上げて戻ってきた。


―― ね、て、る ――


「はぁ?!」


 思わず声が出た。


「大した度胸のお嬢さんだな! よほどお前のことを信用しているらしい!」


 師団長は声をあげて笑った。



+++



「御厨さん、つきましたよ」


 彼女のアパートの前にバイクを止めた。そして、自分にしがみついたまま、ピクリともしない彼女に声をかける。


「御厨さーん?」


―― まさか、凍死したとか言わないよな? ――


 今日はそこまで寒くなかったはずだ。


「もしもーし? うおっ」


 軽く手を叩くと、ビクッとなって後ろで飛び起きた。その激しい動きに、体がのけぞる。


「あ?! すみません!! え、もう自宅前?! 私、すっごい爆睡しちゃってた?!」

「みたいですね。ああ、ちょっと待って。ベルト、はずすので」

「あ、そうでした!」


 ベルトの存在を思い出したらしい彼女が、大人しくなった。ベルトを外すと、俺が先にバイクからおりる。意識していなかったが、彼女がしがみついていたおかげで、背中はかなり温まっていたらしい。おりたとたん、ヒンヤリとした風を背中に感じた。


「大丈夫ですか?」

「だ、大丈夫もなにも!! 私、高速に乗ったのは覚えてますけど、その後の記憶がまったくないです!」

「あー……それほどでしたか」


 俺が気づいたのは、最初の休憩ポイントであるサービスエリアまで、あとちょっとという距離だった。


「あ!! ちょっと待ってください! じゃあ休憩どうなってたんですか?!」

「往路より少なくしましたが、ちゃんと入れましたよ」

「え、山南さん、もしかしてトイレにも行けてないんじゃ?」


 あまりの慌てぶりに、少しからかってみたくなった。


「御厨さんを背負ったまま行きましたよ。そのぐらいの荷物を背負っての行軍は珍しくないので」


 ま、実際はそこまで重い荷物を背負うことはないが、そんなことは彼女にわからないだろう。


「えええ?! マジですか?」

「いえ、冗談です。さすがに、女性の御厨さんを背負ったまま、男性トイレには行けないですよ」

「もー、本気にしたじゃないですか! 


 御厨さんのパンチが飛んできた。


「心配しなくても大丈夫です。御厨さんのことを奥様に任せて、ちゃんと行きましたから。まさかそれも覚えてないとは、正直いって驚いてますが」

「私、寝つきも寝起きも良いんですけど、一度寝たら絶対に朝まで起きないタイプでして……」

「長い距離でしたからね。疲れるより、気持ちよく爆睡してもらえて良かったです」

「すみません……」


 申し訳なさそうに首をすくめている。


「いえいえ、お気になさらず。それと、走っている時に寒くないか心配してましたが、そっちも大丈夫だったようで、安心しました」

「山南さんが大きな湯たんぽみたいだったので、ぜんぜん寒くなかったですよ」

「そうですか?」

「はい」


 御厨さんはそう言って、ニッコリと笑った。寒くなかったのなら幸いだ。


「では、今日はお疲れさまでした。明日はゆっくり休んでください」

「山南さんと師団長さんは明日は?」

「自分達も休みです。さすがに年には勝てないというのが師団長のお言葉で、それに自分も便乗させてもらったんですよ」


 土日に休みをとるのはなかなか難しい。だが師団長の接待ともなれば話は別だ。もちろんそんな風には思っていないが、大事なのは、事務方にそう思わせておくことなのだ。


「あ、夕飯はどうするんですか? 戻って食べるんですか?」

「いえ。今日は外で食べて戻ります」

「なら! ここの近くに、お手頃な値段の洋食屋さんがあるんですよ。そこで食べていきませんか? 今日のお礼に御馳走します! ちゃんと起きてたら、師団長さん達も誘えたのに。ってか! 私、お二人にお礼の御挨拶もしてないじゃないですか!!」


 いまさらのように慌てている。


「それもご心配なく。疲れているだろうから、起こさずに送ってあげなさいと言ったのは、師団長と奥様なので」

「いやでもー……」

「どうせ週が明けたら、きっと顔を合わせますから、挨拶はその時にすれば良いのでは?」

「……ということにしておきます。じゃあ先に、山南さんにご馳走します!」


 俺の言葉に無理やり納得したようだ。そして中断した話の続きを再開した。


「いやいや、そこまでしてもらわなくても」

「せめてデザートのアイスクリンだけでも!」

「アイスクリームじゃなくて、アイスクリンなんですか」

「そうなんです。アイスクリン、知ってますか?」

「ええ、まあ」

「じゃあ決まりですね! すぐそこなので、うちのアパートの駐輪場にバイクを置いてください。無駄に広い駐輪場なので、山南さんのバイクぐらい大丈夫ですからね。あ、いちおう、メモ書きをバイクに貼っておきますね」


 なかば押し切られる形で、俺は御厨さんと夕飯を食うことになった。そしてアイスクリンは記憶にあったとおりの味で、とてもうまかった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る