第五話 週末はけっこう大騒ぎ

「お待たせ、御厨みくりやさん。本当に助かったわ」


 仰木おおぎさんが時間通りに戻ってきた。自宅が徒歩圏内、営業時間が10時までということもあって、閉店までの数時間は、だいたいオーナーの仰木さんが、入ってくれることになっているらしい。


「もう少し、ゆっくりお家にいてもらっても、大丈夫でしたよ?」

「でも、初日からいきなり一人で、こんな長時間は大変でしょ?」

「ここは、変なお客さんもこないし、平和ですから」


 外にあるお店だと、酔っぱらったお客さんやクレーマーなお客さんが、毎日、一定の確率でやってくる。でもここは、自衛隊の駐屯地。まだ一日しかお店に立っていないけれど、お客さんのほとんどは自衛官さんだし、そうでない人も含め、皆さんとてもお行儀が良い。


「ま、普段はそんな感じね。でも、週末は色々と騒がしいのよ」


 意味深な笑みを浮かべる仰木さん。


「そうなんですか? それって、いったい……?」

「そのうちわかると思うわよ?」

「女性の隊員さんが、週末の女子会をすると言って、お菓子と飲み物をたくさん買い込んでいきましたけど、それのことですか?」

「さあ、どうでしょう。遭遇してからの、お楽しみね」


 ますます不思議な笑みを浮かべる。


「遭遇ですか……」

「ええ、遭遇。今日は金曜日だから、帰るまでに遭遇できると思うわよ?」

「はあ……」


 一体どんなお客さんが来ると言うのだろう。もしかして、噂の師団長さんとか?


―― プリン好きの師団長さんには、遭遇してみたいかなあ…… ――


 そんなことを考えつつ、賞味期限切れ直前のデザートに、値引きシールを貼りつけていった。スイーツもパンも、ほぼなくなりつつある。廃棄されるものは、最小限ですみそうだ。


「あがってから、ここのスイーツ、買って帰っても良いですか?」

「もちろん。破棄の削減に、ご協力お願いします」

「でも、廃棄がここまで少ないなんて、すごいですね」


 前に働いていたコンビニも、他のお店に比べると、かなり廃棄は少ないほうだった。だけどここのお店は、それ以上だ。


「長年の経験のたまものかしらね。最初の頃は、なかなか仕入の加減がわからなくて。廃棄より売り切れのほうがマシって考えて、駐屯地の人達には、よく外のコンビニに走ってもらってたわ」

「仰木さんは、いつからここで、コンビニを営業してるんですか?」


 今の口振りだと、かなり長そうな気がする。


「最初にここでコンビニを営業していたのは、私の祖父なの。私は学校が休みの時に、お小遣い稼ぎ程度にお手伝いをする程度でね。最初は、まさか自分がここのオーナーを引き継ぐなんて、思ってもいなかったわ」


 仰木さんは、懐かしそうな顔をした。


「へえ……二代目さんなんですか」

「そうなの。祖父は、自分限りで店じまいをするつもりでいたんだけれど、そうなったら、ここの隊員さんが不便になるでしょ? なんとか存続をって頼まれて、なぜか孫の私が、引き継ぐことになったのよ」

「へえ……色々な事情がからんでたんですね」

「本当に大変だったのよ? 駐屯地の司令さんだけじゃなくて、陸自さんの偉い人まで、お店に押し掛けてきちゃって!」

「うわー、そこまで」


 駐屯地さんも、なかなかの執念だ。でも考えてみたら、隊員さん達の日常生活がかかっているのだ。必死に頼みこんでも不思議はないかと納得する。


「でもまあ、そのおかげで、旦那さんをゲットできたから。悪いことばかりじゃないわね」

「はい? なにをゲットしたんですか?」


 いきなり、コンビニから旦那さんの話になったので、どこかでなにか聞き漏らしたかと思い、思わず聞き返す。


「旦那さん。私の夫、ここの駐屯地所属の自衛官だったの。よくここでジャムパンを買ってた。今はもう退官して、病院で警備員をしているんだけど」

「なんとまあ」

「予備自衛官として、年に何日かここで訓練してるの。そのうち、御厨さんにも紹介させてね。なかなかの男前だから!」

「あ、それはそれは、ごちそうさまでーす」


 私がそう言うと、仰木さんは「うふふ」と笑った。まさか惚気のろけを聞かされるハメになるとは。すっかり油断していた。


「そう言えば、ここ、お弁当がありませんね。軽食はそれなりに、そろってますけど」


 シールを貼り終え、立ち上がったところで、あらためて棚を見渡した。ここのお店には、大抵のお店にあるお弁当やパスタのたぐいがほとんど見られない。あるのはサンドイッチやおにぎりだ。


「食事は食堂があるから、みんな、そっちで食べるのよ」

「あー、なるほど」

「ここはまあ、別腹のお店ってことね。それだけじゃ足りない男の子達が、おにぎりやパンを買いに来るの」

「デザートも含めてってことですね」

「そういうこと」


 しばらくして、ザワザワとした気配が、廊下の向こう側から伝わってきた。今度は女性隊員ではなく、男性隊員のようだ。私服姿の若い人ばかりで、かなりの人数。


「こんばんは、仰木さん!」

「あ、本当に新しいバイトの子がいる!」

「おお、ついに新しいバイトさんが!」

「少しは楽できますね、仰木さん!」


 ゾロゾロとお店に入ってくると、口々に仰木さんにあいさつの言葉をかけて、奥へと入っていく。


「めちゃくちゃ、常連さんの口ぶりですね」

「そりゃあ、ここは駐屯地の人達しか来店しないから」

「そうでした」


 お兄さん達は、なぜかドリンク剤やゼリー飲料が置かれている棚の前で集まり、あれこれ真剣な顔をして話し込んでいる。


「あれ、なにしてるんですか?」

「いつものことよ」

「あれが遭遇するやつですか?」

「そうなの」


 私がながめていると、後から来た山南やまなみさんが、お兄さん達と合流した。


「あ、山南さんだ」

「みんな、普通科の子達ね。非番じゃない子は参加しないけど、それ以外の子達は、週末は出かけることが多いのよ。あれは、その準備」

「準備……ドリンク剤やゼリー飲料を選ぶことがですか?」


 見ていると、棚のほぼ一列ぶんをごっそりとカゴに入れている。


「うわ、完売御礼!」

「ちゃんと次の発注分に入れてあるので問題ないわよ、安心して」

「さすが長年の経験者」

「うふふ」


 仰木さんがニコニコしていると、カゴをもった山南さんが、レジの前にやってきた。


「山南さん、こんばんは! これも、おつかいなんですか?」

「いや、これは……」


 答えようとした山南さんの後ろから、わらわらと他の隊員さん達が顔を出す。


「あれ? 山南三曹、こちらのバイトさんとお知り合いなんですか?」

「え? いや……」

「もしかして、カノジョさん?」

「そうじゃなくて……」

「えええ、じゃあ、もう売約済みなんですか?! マジかよー」

「いや、だから……」

「とうとう山南三曹にカノジョが!!」

「お前達、人の話はちゃんと……」

「師団長より素早い。もしかしてこの駐屯地で一番素早いのは、山南三曹じゃ?!」

「聞けというのに……」


 山南さんは、その場でため息をつきながら、額に手をやった。


「仰木さん、会計、お願いします……」

「はいはい」


 仰木さんがレジを通したドリンク剤を、横で受け取ってレジ袋に入れていく。ここにいる人達の分にしては、かなりの本数だ。


「あの、私はここでは新参者なので、こういうことを質問して良いのかわからないのですが、一つ、聞いてもよろしいでしょうか?」


 お金を払っている山南さんに声をかけると、後ろのお兄さん達が「はいはい!」と声をあげながら、手をあげた。つまり、私の質問に答えてくれるのは、後ろのお兄さん達らしい。


「質問どうぞ。後ろが答えますんで……」


 山南さんは、ため息まじりに後ろのお兄さん達を指でさす。


「え、あ、はい。あの、このドリンク剤は一体どういうことなんでしょうか。一週間の訓練で、疲れているということなんでしょうか?」

「これは、飲み会に向けての準備ですね!」

「準備……」

「飲む前にこれをグイッとってやつです!」

「グイッとですか……」


 言われてみれば商品は、飲み会前に飲んでください的なCMをやっているドリンク剤だ。


「なるほど……」

「それから、飲み会が終わってから飲む分も含まれています!」

「飲み会の後は、スポーツドリンク的な飲み物のほうが良いのでは?」


 私の提案に、お兄さん達は少しだけ困った顔をした。


「いやあ、人数分のペットボトルを買うと、さすがに荷物になるので。それは必要に応じて、外のコンビニや自販機で買うんですよ」

「ああ、なるほど。ここ、10時までですものね」


 週末の飲み会なのだ。お兄さん達が10時までに帰ってくるわけがない。


「外泊届は出してないんでしょ? ちゃんと11時までには帰ってこないとダメよ?」


 仰木さんがそう言って、山南さんにおつりとレシートを渡した。


「大丈夫です。今夜は自分がついてますから、全員、30分前はここに連れて戻ります」

「山南さんが一緒なら安心ね。あ、御厨さん、もうあがってくれて良いわよ。今日は長い時間、ありがとう」


 お兄さん達が出ていくのを見送ってから、時計を見た仰木さんが言う。


「あ、はい。お疲れさまでした。あとのことはよろしくお願いします」

「はい、任されました。ロッカーのドアに、入門証とシフト表を貼っておいたから。入門証は失くさないようにね」

「はい!」


 バックヤードに入ると、ロッカーのドアに、マグネットで封筒が貼りつけてあった。中をたしかめると、入門証と今月のシフト表だ。今のところ私が受け持つ時間は、たまに遅い時間があるけれど、ほとんどは朝から昼すぎで、ほぼ希望通りの時間帯だった。赤ペンで『半月前までなら変更相談可♪』と書かれてる。


「こういうところは、前のオーナーさんと似てるかも」


 封筒をリュックに入れて外に出ると、駐輪場の横に山南さんが立っていた。


「あれ、山南さん」

「お疲れさまです。帰りはバイクですか?」

「はい」

「じゃあ、大丈夫かな」


 ボソリとつぶやき、うなづいている。


「?」

「いや、暗くなってきたし、駅まで送ろうかと思っていたんですが、バイクなら必要ないかなと」

「そうなんですか。すみません、せっかく待っていただいていたのに」

「いえいえ、お気になさらず。このあたりは交通量も多いので、気をつけて帰ってください」

「はい!」


 その場でヘルメットをかぶると、エンジンをかけた。


「では、お先に失礼しまーす!」

「気をつけて」


 山南さんに頭を下げ、原チャリをスタートさせた。

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