第三話 自宅にて
自宅に戻る前に、面接の結果の報告をするため、これからは元バイト先になるコンビニに寄った。入口の自動ドアに、さっそくバイト募集のポスターが貼られている。このあたりは学生さんが多い町だから、きっと、すぐにうまるだろう。
「ん?」
そのポスターを見て、気がついたことがあった。
「時給、私と違う……?」
私がもらっていた金額より、少しだけ時給が低い気がする。
「あ、そう言えば、時給アップ、してもらったんだった」
就職浪人が決定した直後、奥さんが「応援も兼ねて少しだけ時給アップするわね」と言ってくれたっけ。ここで働いたのは、たった二年間とちょっとだったけれど、良くしてもらっていたんだなあと、あらためて実感した。そして、ここのお店がバイトのことで悩むことが少ないのは、オーナーさん御夫婦の経営手腕もあるけれど、そういうちょっとした優しさのせいなんだろう。
「おはようございまーす……って言って良いのかな、まだ」
お店に入って、いつものように挨拶をしてから、首をかしげてしまった。次にここに来る時は「いらっしゃいませ」を言われる立場なんだなと思うと、少しだけ寂しい。
「あ、
夕方の品出しをしていたバイトのお姉さんが、私の姿を見てニッコリと笑った。私と同じ時期にバイトになった人で、近所の大学に通っている一つ年上の人だ。
「正式に採用が決まって、
「そっかー。とうとうこのお店を、卒業することになるんだね。なんだか寂しくなるねえ」
「ここには、予定よりちょっと長くいたんですけどね、私」
「あ、そうだったね。バイトに行くあいまに、就職活動も頑張るんだよ?」
「わかってまーす」
バックヤードから、オーナーの奥さんが出てきた。
「どうだった? 決まった?」
「はい。それの報告と御挨拶にと思って。長いあいだ、本当にお世話になりました」
頭をさげる。制服の上着も昨日のうちに返却したし、次にここに来る時は、お客さんだ。
「いえいえ。こちらこそ、急な話を引き受けてくれてありがとう。ところで、あっちの印象はどうだった? やっぱり、自衛官さんがお買い物してるのよね?」
奥さんは
「私がうかがった時は、ちょうど皆さん、お仕事と訓練の時間だったみたいで。お買い物にきた人は、一人しかいませんでした。もちろん、その人は自衛官さんでしたよ」
しかも、駐屯地で一番偉い人だった。しかもしかも、新商品のプリンを先に買い占められて、すごく残念がってる、ちょっと可愛いおじさんだった!
「商品はどんな感じ?」
「半分以上は、ここと変わりませんでした。ただ、一部、自衛官さんが使う諸々の商品が並んでいたので、そこが違うところですね。その商品は、一般の人では買うことができないものだって、あちらのオーナーさんがおっしゃってました」
「へえ。やっぱり自衛隊の中のお店って、外のお店と違うのね」
奥さんは、色々と勉強になるわと、うなづいている。
「もし興味があるなら、遊びに来てください。まあ駐屯地の中なので、一般公開をしている日にしか、入れませんけど」
「そうね。次のイベントの時は、御厨さんに会いがてら、行ってみようかしら」
「ぜひぜひ。イベントがある時は、普段とは違うものがたくさん店頭に並ぶそうですよ? どんな商品が並ぶのか、私も、今から見るのが楽しみです」
私達が話していると、病院通いをしている、近所の常連のお婆ちゃんがお店に入ってきた。お客さんが来たら、私語は厳禁だ。
「では私はこれで。本当にお世話になりました!」
「あちらでも、がんばってね。たまにはこっちにも、顔を見せてくれるとうれしいわ」
「はい! では失礼します」
頭を下げて挨拶をすると、店を出た。
+++++
アパートに帰ると、さっそく実家に電話をすることした。緊急連絡先として、バイト先の電話番号を知らせてあるので、それを変更しなければならないのだ。
「電話、しなくちゃダメかなあ……」
溜め息をつきながら、スマホをみつめる。電話で母親と話すのは苦手。このまま放置しておいて、次の休みの時にでも顔を出して、その場で教えようか。
「あー、だめだめ、そういう時に限って、急用が起きたりするんだから」
万が一、元のバイト先に連絡でもされたら大変だ。お店にも迷惑がかかるし、こっちでもややこしいことになる。やはり、今夜のうちに電話をしておくのが一番。
「メールで知らせるだけに……あー、それもダメ。結局、あっちから電話してくることになって、メールの意味がなくなる」
別に親子の仲が悪いわけじゃない。まあ、世間の平均的な親子関係からしたら、そこそこ良好なほうだと思う。ただ、どちらも電話で話すのが超苦手ってだけで。
「よしっ、電話する!」
覚悟を決めて、スマホの通話画面をたたく。そして呼び出し中の文字を見つめる。
『はい、もしもしー?』
「あ、お母さん。あやですけど」
『珍しいわね、こんな時間にかけてくるなんて。なにかあった?』
いつもと変わらない母親の声。
「うん。バイト先のコンビニなんだけどね、
『あら、そうなの? でも、あなた、就職活動もしなくちゃいけないでしょ? まだバイトを続けるつもりなの? 就職活動はどうするの』
「それはわかってる。だけどさ、人が足りなくて困ってるお店だから、すぐにやめるわけには、いかないお店なんだよ……」
電話の向こうで、母親の溜め息が聞こえた。
『ってことは、まだしばらく就職浪人を続けるってことね? 人助けもほどほどにしなさいよ? 困っているお店のためだからって、娘が就職せずにコンビニでバイトしてるだなんて、お母さん、ちょっと恥ずかしいわよ?』
その言葉に、少しだけムッとなる。
「バイトだって立派な仕事なんだけど。最近は高齢の人も利用してるし、お向かいのオバチャンだって、パートでスーパーのレジをしてるじゃない。あれと変わらないよ?」
『奥さんのパートと、あなたのバイトじゃ、他人の受け取り方が違うわよ』
母親は、ついている職業のことで、人を見る目を変えるような性格ではないけれど、やはり「バイト」という立場が引っかかるらしい。社会保険がどうとか、年金がどうとか。そりゃあ、私だって正社員になりたかった。でも、内定取り消しになってしまったんだもの、しかたがないじゃない。
『まあ、あなたが決めたことなんだから、これ以上は言わないけれど、いつまでもお父さんが、口出しをしてこないとは思わないでね?』
「え、お父さんとの防波堤になってくれるんじゃないの?」
『絶対にイヤです。あなたとお父さんがこの件でもめたら、私は日光東照宮の猿になる』
母親は断固たる口調でそう宣言した。
「つまり、見ざる言わざる聞かざるなの……?」
『そのとおり。たまには、お父さんの立場も考えてあげなさいね』
「私は、お父さん達のために、就職活動するわけじゃないんだけど。それに、お父さんのところの人達と、私とは接点ないし。私が犯罪でも起こさない限り、お父さんの立場には、特に影響なんてないでしょ?」
ちなみに父親は、霞が関の住人だ。超縦割り行政の総本山的場所にいるせいか、本当に融通がきかないというかなんというか、とにかく頭がカチカチなのだ。
『それはわかってる。でも、お父さんが頭カチカチなのはわかってるでしょ?』
「カチカチっていうか、なんというか……」
『今は就職の口利きを我慢してるけど、あまり呑気にしていたら、勝手に就職口を決めてきちゃうわよ』
「それ、なんて暴君的なハローワーク……お父さん、厚労省じゃないのに」
『娘のためなら、よその縄張りを荒らすぐらい平気でするわよ、あの人』
カチカチなりに、私のことを考えてくれているのだから始末におえない。まったく、どうしたら良いものか。
―― あ…… ――
コンビニの面接に行った時、あちらこちらから、入隊希望者と勘違いされたことを思い出した。
―― 自衛隊に事務職ってあるよね…… ――
自衛官になればそれこそ国家公務員だ。父親も、文句を言わないかもしれない。
―― あ、これって、コンビニのバイトさん達にも、自衛官さん達にも、すごく失礼な考えじゃ? ――
そう気がついて、慌てて浮かんだ考えを打ち消した。
『それで? 今度のバイト先はどこなの?』
「近くに陸上自衛隊の駐屯地があるでしょ? あそこの中にあるコンビニ。なかなかバイトが決まらなくて、困ってるって話でね。オーナーの奥さんが、行ってくれないかって話になったの」
『……あらまあ。もしかして、あや、自衛官にでもなるつもり?』
「まさか!!」
そりゃ、さっき、一瞬だけ不純な動機で、その気になりかけたけど。
「最近じゃ、原チャリでの移動ばかりで、ろくに走ることすらしてないんだよ? とてもじゃないけど、自衛官さんなんて無理だよ」
『そうよね。さすがに自衛隊さんに迷惑だわ』
「……何気に失礼だね、お母さん」
お店の電話番号と、念のために支店の名前を伝える。
『コンビニ、会社が変わるのね』
「うん。オーナーの奥さん同士がお知り合いで、そんな話になったんだって。そういうわけだから、
『わかった。まあ、ご縁があったお店なんだから、がんばりなさい』
「はーい。じゃあ、またね」
そう言って電話を切った。
「……うん。今日はなかなか普通の電話だった」
母親との会話を振り返り、そう結論を出す。とりあえず、母親は心配しつつも、バイトを続けることには反対ではないようだ。問題は今はおとなしい父親のほう。
「なにかお父さんがおとなしくなる対策、あれば良いんだけどなあ……」
そのうち、なにか良い案が浮かぶかもしれない。そんなことを考えながら、見たいドラマの再放送が始まる時間なので、テレビのリモコンを手にした。
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