日々の思いを形に

莉子

言葉の現れ


 『皆様、今日も一日お疲れ様でした』

 これは私の決まり文句のような気がするのです。 

 深刻な今世こんせに置かれましてはなおのこと、日々変わり映えのない時であれ、『一日』と言う"時"を全力でまっとうすること。

 いかようにも安易よういにそう上手く行くことでもないと思うのです。

 私自身、昼夜ちゅうや問わずご挨拶する方々には必ずと言っていいほど、一声ひとこえかけると言うことを常としている所です。

 逆の立場となって考えてみますと、いたわれて嫌な気持ちになるということは大体はないと思うのです。

 嬉しいと言う気持ちが先にいでありがたいなとか、あなたもご苦労様ですなどの温かい気持ちや言葉が口をくのだと思うところなのです。


 さて、この日私が筆をろうと発起ほっきしましたのも、少しクスッと思わず笑ってしまうような事があったからなのですね。

 と言いますのも、似た……(と言いますと的確てきかくかと思うのですが)風貌ふうぼうの方々が集まっている(俗に言う"グループ"とかです。あ、決して笑い者とか侮蔑ぶべつしたいとかそういうことでは有りませんのでしからず)

 そう言った方々を『金太郎飴のよう』と例え表現しているのが聞こえてきたのですね。

 私は思わず、あ、そう言った表し方もできるのね……と、言葉って本当にさまざまで面白いなと変に感心してしまったのです。 

 金太郎飴とは、さながら切っても切っても絵柄は変わりません。

 ですがその中でも個々として同じ物はないのです。

 どこかしら違った持ち味があると思うのです。

 そう思うと、なんだかまとているなと思うのです。

 『言葉』とは、いい面も悪い面も両方あわせ持っているのですね。

 時には幸せな気持ちなったりさせたり、ある時では鋭利えいりな刃物になって、突き刺さり突き刺したり……。

 "飴と鞭は使いよう"などと言う言葉がポッと頭に出てきましたが、私は好まないのです。

 飴も過度になりすぎるとなにかを大きく期待させてしまったり、逆手さかてに取られこちら側が喰われてしまう気もするのです。

 ですが、鞭と言うものはもってのほか

 痛めつけられ嬉しいなどと言うのは一部だけであり、一般的には味わいたくもないもの。

 昔のかた……(こう言ってしまうと少々失礼な気もしますが)にそういった考え、名残なごりがあるのかな、などと私の私見しけんでは見えるときが時たまあるように思うのです。

 話がれましたが、『言葉』ということについてまたどこかで詳しく語らせていただこうかと思案しあんしております。

 お読み頂いた皆様、まことにありがとうございます。

 本日もお勤めご苦労様でした。

 明日もどうかいい日でありますように。


      

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