影について
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第1話
影に救われてから一年になる。不謹慎な話だが働きたくないなら働かなくていいと政府に言われた時は助かったと思った。政府が直接私にそう言った訳ではなく、マスコミを通じてのいくつかの発表と役所に行って聞いてきた話を総合すると、勤労は推奨されないということらしかった。影のせいで。
我が家の影は九時から一八時ぐらいまで発生するのでその間は日の当たる場所、近所のカフェや図書館前のベンチ、公園のベンチ、川原に避難するのが常だ。収入がなくても手続きをすればカフェでコーヒーを飲めるらしいという話は割と早い段階でSNSで知り試してみたものだった。以来、この手続きに全面的に依拠した生活を送ることになる。噂でうまくいくこともある。同じような噂として手続きをすればカフェを開くこともできるのだと聞いた。噂といえば既に政府は影と入れ替わってるとか。
我が家の影は九時ごろになると玄関の方からやってくる。扉を開けることなく。一度だけ八時五〇分ぐらいから扉を開けて待っていたことがあるが、エレベーターの方からスーッとやってきた影がふわふわのまま入ってきた。あまり面白く感じなかったのでそれ以来扉を開けて影を待ったことはない。
一八時になるとリビングにいる影がその場で空気に溶け上がって消える。影が「溶け上がる」という表現は去年初めて見たがなかなかうまいこと言ったものだと思う。やれ役所の語彙は市民を舐め腐っているとか愚痴る人は多いが、新しい手続きの創出や新しい言葉の発見にあたる能力は馬鹿にならず、つまり役人も馬鹿にしたものではないと思う。まあ、そもそも「溶け上がる」と言い始めたのが役人なのかは知らないが。しかし大体のことは手続きから生まれるのだから、やはりいま私の使う言葉は政府の作ったものだろうと思う。
政府の責任者と話したことがある。たぶん。みんなの言うように背筋が震えたり全身の毛が逆立ったり全部の歯がグラグラしたりするようなことはなかった。もちろん居心地がいいと思うことはなかったが。決して。せいぜい薄気味悪いという程度だった。いま思い出してみたが、何を話したか思い出せない。「政府の責任者と話したことがある。たぶん。」と書いたのはたぶん政府の責任者と話したことがあると思ったからだ。
働きたくないなら働かなくてもいいと私に直接言ったのはむしろYouTubeだった。私が影に救われたと言える所以にYouTubeとの出会いがある。YouTubeは面白い。政府発表にもそうある。
色々な人が働かない私に対して色々なことを助言してくれた。それらをまとめるとつまり手続きを行い、影の活動時間は太陽の下で過ごせということだった。誰が何をどう言ったかはあまり覚えていない。正直に言うと政府の責任者に会ったことがあるというのも自信がない。
影の活動時間中は何もすることがないので何も考えない。最初は色々考えることもあったが、できることなどないのだと思い至ってから考えないようになった。まるで何もしていないような仕草というのがあり、これを身につけた。だから何もしていない訳ではないとも言える。
政府は推定の助動詞の発明について発表したことがあっただろうか? 政府についてはわからないが国会審議は二千六百年も続いているので推定の助動詞を発明したことは、これは当然あったことだろうと思われる。
なぜ急に推定の助動詞について気になったかと言えば、影が去った後について考え始めて不安になったからで、今のうちに推定の助動詞を用いる準備を進めておいた方がいいと思ったからだ。今はまだ「影以後」について考え発言している人間は一人もいない。私を除いては。「影以後」というのは私が発明した語彙だ。
私は太陽への感謝がいいと思う。影以後、太陽崇拝。これだと思う。人類は失われるものだから。
賢明な私は小説を書いて過ごす。
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