205話 エトワールの過去(8)

  カイルを自分の操り人形として近くに置いておきたかったヴァレンシア。

  そんな彼女はエトワールとシシリアによってカイルが自我を持ち、自分のコントロール下から離れてしまったことに激怒していた。


  ヴァレンシアはローレン領で幸せに暮らすエトワールたちに対し、水面下で証拠が残らない範囲での嫌がらせをしてきたのであった。

  そして、そんなことを知らないエトワールは不運にもシシリアが倒れてしまったという最悪なタイミングでそれを知らされることになるのであった……。


  「よその領主候補に余計な事するから天罰が下るのよ。連れが治ったらさっさと出て行きなさいよね」


  ヴァレンシアはそう言い残すと、雨に打たれるエトワールのその場に置いて屋敷へと帰ってゆく。



  底なしのクズめ……。



  エトワールは拳を握りしめ、歯を食いしばる。


  だが、今のエトワールはカイルが医者を連れてきてくれるのを待つことしかできなかった。


  こんなところで問題を起こすわけにはいけない。

  シシリアを想う気持ちがヴァレンシアへの怒りを抑えてくれていたのであった。



  そして、すぐにカイルは駆けつけてくれる。



  「エト! ルーク先生を連れてきたよ!!」



  カイルの後ろにはヒゲを生やした白髪のおじさんがいた。

  エトワールもよく知る医者のルークだ。


  彼がいればシシリアは助かる。

  エトワールにもようやく希望が見えてきた。



  「僕も付いて行くよ! それとほら!」



  カイルはそう言うとエトワールにローブを渡す。


  エトワールは身体中びしょ濡れだ。

  そんな彼を心配してか、カイルは雨避けとしてローブをくれたのだ。


  よく見れば、こんな雨の中シシリアを診てくれるというルークもローブを羽織っている。


  それから、カイルは自分が乗っていく馬を取りに走っていった。


  そして、準備の整ったエトワールとカイルはシシリアの待つ家を目指す。



  彼らは日が沈み、雨が降り頻る闇が世界を駆け抜けるのであった——。




  ◇◇◇




  「それで、昨日は元気だったのかい?」



  「はい……。昨日までは元気に動いていたんです。それが、今朝突然ダルそうな様子でして……」



  エトワールは馬の後ろに乗せている医者のルークにシシリアの容体や出ていた症状を事細かく話す。


  不安な気持ちが彼を襲う。

  シシリアを家に置いて医者を探し出してからだいぶ時間がかかってしまった。


  彼女があれからずっと苦しんでいるのかもしれないと考えると、エトワールは気が気ではなかった。


  「すみません、少しスピードを上げます! 私の背中にしっかりに張り付いてください!」


  エトワールはルークにそう告げると馬を速度を上げる。



  そして、数十分も馬を走らせるとシシリアの待つ家までたどり着いたのであった。




  ◇◇◇




  エトワールは馬から降りるなり、一目散に玄関へと駆け出して扉を開ける。



  「シシリア! 大丈夫だったか!?」



  家に入り、シシリアの名を呼ぶエトワール。


  そんな彼にカイルとルークも続いた。



  「シシリアさん、先生を連れてきましたよ!」

 


  寝込んでいると思われるシシリアにカイルも声かける。

  そして、三人は目の前に広がる光景を見てたじろいでしまう。



  彼らが家に入るなり目に飛び込んできたのは、血だらけのベッドで横になるシシリアだった……。


  さらに、彼女の横には赤黒い塊のようなものが横たわってある。



  「シシリア!? シシリア!!!!」



  これを見たエトワールはシシリアが眠るベッドに慌てて駆け寄る。

  そんな彼の姿をカイルとルークは遠くから見ているのであった。


  「これはひどい……」


  思わず、言葉を漏らしてしまうルーク。


  彼らはシシリアの隣にある塊の正体に気付いてしまう。

  そして、一人で苦しみながら流産した彼女を見て、現実を見失って立ち尽くしてしまうのであった。


  だが、医者であるルークはすぐに冷静になり、カイルへと指示を出す。


  「カイル殿、残念だが子どもの方はもうダメだ……。今すぐドニル先生という方を呼んできて欲しい!」


  「今なら母親の方だけでも助かるかもしれない! 早く!!」


  残念だが赤ん坊の方はもうダメだろうと語るルーク。

  そこで、母親であるシシリアだけでも何とか助けようとしてカイルに別の医者を呼んでくるように頼む。


  妊婦を専門的に診ているルークでは今のシシリアに気休め程度の事しかできない。

  屋敷から直接ここへ来たということもあり、薬品類を何ひとつ持っていないという問題も大きい。


  そこで、知り合いの医者に救援を頼もうとしたのだった。



  そんな彼の意思を受け取ったカイルは頷き、彼の指示に従う。


  「わかりました! しかし、ドニル先生という方はどちらにいるのですか……?」


  「そうか、カイル殿も彼の家までは知らないのか……。よし! 私が彼のところまで案内するからカイル殿の後ろに乗せてください」


  こうして、医者のルークは自分だけではシシリアに何もしてやれないと考え、カイルと一緒に別の医者を呼んでくることにしたのであった。



  そして、カイルたちが乗っていったであろう馬の声も聴こえなくなり、この家はいつものようにエトワールとシシリアの二人きりとなる。


  エトワールは弱々しくなったシシリアの手を握。



  「ごめんな……。こんなときに一人にしちまって……。本当にごめん……」



  エトワールは涙を流しながらシシリアに謝る。



  彼女はひどく苦しんだだろう。

  さみしかったろう。


  愛する人が一番近くにいて欲しいときに側にいない。

  それだけでもひどい男だというのに、こんなボロボロになるまで一人きりにしてしまって……。



  すると、シシリアはエトワールが側に来てくれたことを感じ取る。


  意識もおぼつかないような中で、彼女はそっと静かに微笑んだ。



  「あぁ……エトワール。死ぬ前に、あなたに看取ってもらえるなんて、わたし幸せね……」



  「おい、何バカなことを言ってるんだ! もうすぐ腕利きの先生がお前を助けてくれる! だから……!!」



  エトワールは必死にシシリアに呼びかける。


  すると、そんなエトワールの声に反応したのか、彼女は手をヨロヨロとさせながら隣に横たわる赤ん坊を包み込むようにして呼びかける。


  「この子だけでも……助けてあげてくれないかな」


  「わたしとあなたと子どもなのよ。でもね、さっきから息をしてないの……」


  シシリアが弱々しく、ゆっくりとした口調でエトワールに呼びかける。


  エトワールはそんな彼女の姿を見て、涙が止まらなかった。



  「わかった! 絶対に助けてやる!!」

 


  素人のエトワールにもこの赤ん坊がもう手遅れなことくらいわかっている。

  しかし、彼女に生きることを諦めさせないために必死に嘘をつく。


  すると、彼女はエトワールの言葉を聞き、どこか安心したような表情を見せる。



  「あぁ……よかった。あ……り……とぅ……」



  静かに閉じてゆく彼女のまぶた。


  まるで、安らかな眠りにこれからつくように彼女の力がだんだんと抜けてゆく。



  「おい! シシリア!? シシリア!!」


  「家族三人でいっぱい遊ぶんだろ! 世界中を旅するんだろ! 二人でいろいろ語ったじゃないか! あと少しなんだ……。だから、お前も諦めないでくれよ!!」


  しかし、エトワールの声に彼女が反応することは二度となかった。



  シシリアの手からは完全に力が抜け、だらんとエトワールの手に覆い重なる。



  「シシリアァァァァア!!!!」



  それは雨の降る静かな夜のお話——。


  この辺り一帯は暗闇と静寂に包まれていた。


  そんな中、一人の男の悲痛の叫びがこだまするのであった……。




  ◇◇◇




  そして、エトワールの中で何かが壊れた。


  彼は家の中で、動かなくなったシシリアと血まみれの赤ん坊を見つめる。



  もう……何もかもおしまいだ。



  生きる意味を失った。



  おれも死のう……。



  自害することを決めるエトワール。

  もしもここにカイルやルークが居残ってくれていたらそれを止めようとしただろう。


  しかし、ここにはエトワール以外もう誰もいない。


  彼は全てを失ったこの世界に絶望し、命を絶とうとする。



  剣を手に取り出したエトワールは自身の胸へと当てる。

  グッと力を入れれば心臓を突き刺すだろう。

  さらに、剣に魔力を流し込めばすぐに楽になれるかもしれない。


  覚悟なんて必要なかった。

  何ひとつためらうことなく、彼は死ぬ道を選ぶ。



  「今からそっちにいくよ。シシリア……」



  そして、彼は愛する人を想いながら彼女の名を呼ぶ。


  初めて彼女に出会ったときの事がふと頭に甦ってくる。


  『はじめまして、わたしはシシリア。よかったら隣に座ってもいい……?』


  『いいけど……。どうしておれの隣なんかに?』


  『どうしてって言われたら、貴方が一人ぼっちに見えたからかな……?』


  クスクスっと笑うシシリア。


  あのときの彼女の笑顔を今でも鮮明に覚えている。



  一人ぼっちの学校生活、孤独だった彼に初めてできた友だち。

  それがシシリアだった——。



  一人ぼっちの虚しさをエトワールは知っている。

  だからこそ、彼女もそうさせるわけにはいかなかった。



  「シシリア、君を一人ぼっちにしたりはしないよ」



  エトワールの手に力が入ってゆく。


  胸に鋭い痛みが走り、赤いシミが彼の服に広がっていく。



  あと、数十秒ほどで死ねる……。

  シシリアといるもとへと逝ける。



  そう考えると、不思議と痛みすら愛おしく思えた。



  だが、そんなエトワールに突如ささやく声が聞こえる。



  『お前は悔しくないのか……?』



  一瞬、気のせいかと思ったエトワール。


  気にせず無視をして剣に力を入れようとすると、再びその声は聞こえてきた。



  『愛する者を奪われて悔しくないのか? その女は今日死ぬ運命ではなかったはずだぞ……』



  幻聴ではない。

  確かに、誰かが自分に語りかけている。



  だが、部屋を見回してもその声の主は見つからない。


  それに、その声はまるで頭の中に直接響いてくるように感じていた。


  そこで、エトワールは声の主に向かって答える。



  「悔しいよ……おれだって悔しんだよ!」



  エトワールの本心。

  誰にも吐けない彼の中にうずめく感情を謎の声の主に向かって吐き出す。



  「彼女の命も、彼女が守りたかった命も、おれは何一つ守れなかったんだ……」



  エトワールは後悔する。



  おれは無力だったんだ。


  シシリアを助けるために一生懸命頑張ったつもりだった。


  だけど、おれには彼女を救えるだけの医学の知識と技術はなかった。

  おれ一人じゃ彼女を助ける事なんてできなかった。


  だからといって、医者に助けを求めても他人の権力闘争に足を突っ込んでしっぺ返しを受けたせいでどうにもならなかった。


  カイルが助けてくれなかったら、医者を連れて帰ってくることすらできなかっただろう。



  結局、おれの無能さがシシリアを殺したんだ……。



  もしもおれがカイルのように利巧だったら、実家のベルデン家だって、ヴァレンシアだって敵に回さずにすんだだろう。

  体調を壊したシシリアを万全の医療体制の中で守れたんだ。



  おれのせいで……。



  エトワールは後悔の念に苛まれる。


  どうして、あの時こうしていなかったのだろうと。

  カイルのように自分が振る舞ってきていれば、こんな悲劇を生まなくて済んだはずなのにと。



  そして、そんなエトワールに謎の人物は呼びかける。



  『悔しいか……。ならば取り返せ! 愛するシシリアも、二人の間にできたかけがえのない子どもも、お前の手で取り返すんだ!』



  「何を言っている……。死んじまった者をどうやって取り返すんだよ」



  取り返せと呼びかける声の主。

  だが、死んでしまった者をどうやって取り返すのだとあきれるエトワール。



  だが、エトワールはふと思う。


  もしかしたら、取り返せるのかもしれないと……。



  『そうだ……。お前の考えている通りだ。悪魔を召喚するんだ! 悪魔ならお前の願いだって叶えてくれる』


  『もう一度、シシリアや子どもと暮らせるし、シシリアたちを苦しめたローレン家の人間どもに復讐もできる』



  そうだ……。

  方法はあるんだ。



  誰もやらないだけ。

  いや、誰もできないだけで!



  おれはそこらへんの精霊術師とは違う。


  悪魔だって召喚して従わせることができるんだ!



  『力を与えてやろう……』



  謎の人物の声。


  すると、エトワールは不思議と悪魔を召喚することができそうな気がしてきた。



  そして、彼は召喚魔法を発動する——。



  悪魔なんて召喚したことがない。

  しかし、なぜか召喚方法も完璧にわかる。



  そして、エトワールの目の前には見たこともない複雑な魔法陣が描かれた。


  本来ならば人間であるエトワール一人では発動できないであろう高度な魔法陣。



  いける!

  いけるぞ!!



  感情が高騰するエトワール。



  そして、彼の前に禍々しい悪魔が召喚されたのであった……。

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