204話 エトワールの過去(7)

  「残念ですが、今日はここら一帯どこを探しても医者も助産師も見つからないと思いますよ……?」



  娘の言葉がエトワールの身に重くのしかかる。

  だが、これにはエトワールも納得ができなかった。


  「ちょっと待て! どうしてそれでここら一帯の医者と助産師が必要になるんだ!? そんなのせいぜい数名いれば済むだろ!!」


  ハンナが出産するにあたって領地内の周辺区域から医者と助産師を集めているというヴァレンシア。

  いくらなんでも無茶苦茶過ぎる。


  ハンナの出産に立ち会う医者が何人必要なのか知らないが、多くても数名いれば済むはずだ。

  領内から妊婦を診れる医者たちを10人も20人もかき集めるなんて気が狂っている。


  今日一日医者を拘束するということは、今日領民たちは子どもを産むなと言ってるようなものだぞ。

  ヴァレンシア=ローレン、本当にイカれてやがる。

 

  そんな憤るエトワールに、目の前にいる医者の娘さんも戸惑う。

  そして、衝撃の事実を聞かされるのであった。


  「わたしに文句を言われましても……。ただ、ヴァレンシア様からは既に周辺の領民たちには知らせてあるからと……。エトワール様はお聞きになってないのですか……?」


  事前に領民たちには説明していたというヴァレンシア=ローレン。


  だが、エトワールはそんなことひと言も聞いていなかった。

  しかし、娘は確かに事前に知らせが来ていたと話す。


  エトワールはどこか胸騒ぎがするのであった。



  「事情はわかりませんが、緊急事態ならば御屋敷を訪れた方が良いかと」


  心配そうな表情でエトワールに告げる娘。


  エトワールはここにいても解決には繋がらないと考え、直接屋敷に向かうことにする。


  「先ほどは怒鳴ってしまい、申し訳ない。教えてくれてありがとう!」


  そして、エトワールは彼女にそう告げると馬にまたがり、ヴァレンシアのいる領主の屋敷へと向かうのであった。




  ◇◇◇




  事情はわからないが、医者たちを屋敷に集めているらしいヴァレンシア。


  それほどの医者を集めていったい何をしようというのだろうか?


  皆目見当がつかないが、ハンナの出産に関しての話し合いが行われているということだけは確かだ。


  次期領主のカイルの子を出産することは大事なことである。

  エトワールもそれはわかっているからこそ、穏便に済ませたいと思いながら馬を走らせた。



  そして、ローレン家の屋敷へと到着する。



  「すまない。ヴァレンシア様と話がしたい!」



  屋敷の警備をしている騎士たちにエトワールは声をかける。


  彼らもまた、この雨の中で屋敷の外を警備しているということもあり、ずぶ濡れになっていた。

  自分たちと同じく、ずぶ濡れで馬にまたがる男がエトワールだとわかった騎士たちは警戒を解き対応する。


  「すみませんがエトワール様、事前にヴァレンシア様との対談予約はされていますでしょうか?」


  騎士がエトワールに尋ねる。


  マニュアルであれば、このように見知らぬ者がやってきたとしたら別の場所へと連れて行かれ対応に移るところだ。

  だが、エトワールの存在はローレン家に仕える者たちの間でも有名であったこともあり、この場で騎士たちが対応してくれたのであった。


  そんな彼らの質問にエトワールは答える。


  「いや、事前に約束はしていない! だが、急ぎの用があるんだ!! 頼むからヴァレンシア様に合わせてくれ!!」


  シシリアの身が危険にさらされている。

  そんな想いが強くあるエトワールはどうしても強めの口調になってしまう。


  そして、エトワールの答えに顔を見合わせる騎士たち。

  彼らは困ったようにしながらエトワールの要望に返答するのであった。


  「申し訳ないありません、エトワール様。約束がないとすると、規則として我々はここを通すわけにはいかないのです……」


  申し訳なさそうにしながら騎士たちは頭を下げて謝る。


  これについては理解できる部分はある。

  しかし、今のエトワールは規則だからといって立ち止まるわけにはいかないのであった。


  「ここに医者たちがいるんだろ? シシリアが! おれの妻が倒れたんだ! 頼むから医者を貸してくれ、一人でいいんだ!!」


  涙ながらに叫ぶエトワール。


  しかし、規則として領主の妃であるヴァレンシアと約束をしていない領民のエトワールを会わせることなんてできない。

  騎士たちもジレンマに縛られながら悲痛な表情で妻のことを訴えかけるエトワールを叫びを聞くしかできないのであった。



  そんな時、事態は急展する。

  目的の人物が自らエトワールのもとへとやって来てくれたのであった。



  「騒々しいですね。いったいどうしたのかしら?」



  なんと、屋敷の中でいるはずのヴァレンシアが傘をさしてエトワールたちの所へとやってきたのであった。

  そして、騎士たちが対応しているエトワールの姿を見つける。



  「おやおや、これはこれは! カイルと仲良くしてくれているエトワール坊ちゃんではありませんか」



  ヴァレンシアはエトワールを見つけると嬉しそうにそう語り、彼との距離を詰めるのであった。

  そして、周りにいる騎士たちに告げる。


  「貴方たち、ここは私が話をつけます。屋敷の中に戻っていなさい」


  ヴァレンシアの命令ということもあり、素直に言うことを聞く騎士たち。

  そして、彼らはエトワールに向かって『よかったですね』とでも言うように笑顔を向けると屋敷の中へと戻っていったのであった。


  「ヴァレンシア様、頼みがあります! 私の妻の体調が悪いんです! お腹には子どもがいます」


  ヴァレンシアが目の前にやって来たということもあり、さっそく用件を話すエトワール。


  「カイルの子どもが産まれるということで医者たちと大事な話し合いがあることは重々承知しております。しかし、どうか一人だけ医者でもいいので私の妻を診てくれないでしょうか?」


  シシリアを助けるため、心から彼女に頼み込むエトワールであった。


  だが、そんな風に頭を下げて頼み込むエトワールを見つめ、ヴァレンシアは何かを思いついたかのようにニヤリと笑うのであった……。


  そして、彼女はエトワールに告げる。


  「そうですか。では、貴方の妻の主治医は誰なのですか?」


  エトワールは顔を上げると、目の前には笑みを溢すヴァレンシアがいた。


  どうしてこの人は笑っているのだろう?

  不審に思いながらもエトワールは答える。


  「いつもは何かあればルーク先生とトール先生に診てもらっています! ですから、できればその二人を……」


  ようやくシシリアを助けることができる。

  そんな希望を持ったエトワールはいつもお世話になっている医者の先生たちについて話す。


  しかし……。



  「ダメです!!」



  エトワールが話している途中、ヴァレンシアは彼の話を遮るのであった。


  いったいどうしたのだ?

  そんな事を思っているエトワールに対し、彼女は語り出す。


  「事前に連絡しておいたはずですよね? 今日はハンナの出産に関して医師会の集まりがあるから、妊婦はあらかじめ一人の主治医を決めて指示を受けておくようにと……」


  「そして、何かあればその主治医から渡された書類を持って屋敷を訪れなさい。そう連絡してあったはずですよ? それなのに、貴方は何をしているのですか……」


  ヴァレンシアは冷たい瞳でエトワールを見つめ、淡々と語る。


  そして、ニヤリと笑いエトワールを蔑んだ目で見つめて告げるのであった。


  「それすら守れない領民に貸し与える医者なんて一人もいませんね〜。お引き取りください」


  エトワールの思い出す。


  カイルがこいつにどうやって育てられてきていたのかということを……。


  「ふざけるな! そんな連絡、おれたちは一度も受けてないぞ!」


  頭に血が上ったエトワールはヴァレンシアに強く当たる。


  今の二人の関係はただの一領民と領主の妃。

  本当なら、エトワールのこのような態度は到底許されるものではなかった。


  だが、エトワールは我慢ならない。


  「あら、領内にはしっかりと連絡したはずですが?」


  「本当に領内に隈なく連絡したのか!? おれは今日初めてそれを他人に聞かされたんだぞ!!」


  言い合いになる二人。

  おちょくるような口調のヴァレンシアと熱くぶつかってくるエトワール。


  だが、地位と肩書きという盾に守られているヴァレンシアは非を認めることはなく、一方的にエトワールをコケにする。


  「はて……先週から業者を雇って連絡をしてもらっていたはずなんですけどね? もしも連絡が届いていないとしたら、雇った郵便業者の怠慢ということなのでしょう」


  手をぽんっと叩いて自分一人で納得するヴァレンシア。


  「悪いけど、私たちローレン家の責任ではないし、そちらの業者を当たってくれないかしら? 業者の不手際ということが証明できたならルーク先生でもトール先生でも連れていって構わなくてよ」


  完全にエトワールを弄んでいるヴァレンシア。

  あまりの理不尽さにエトワールは我慢の限界がきた。


  「いい加減にしろ! 領民の命がかかってるんだぞ! それでもお前は七英雄様の血を引く者なのか!?」


  「それにおれはベルデン家の人間なんだぞ! ローレン家のお前が、そんな風にあしらっていいのか!?」


  エトワールは実家の名前まで出してどうにかしようと考える。


  ローレン領はベルデン領に手出しはできない。

  それをわかっているからこそ、10年以上ぶりに実家の名前を使ったのだった。


  しかし、これに対しヴァレンシアの表情が曇ることはなかった。

  むしろ、どこかヴァレンシアの地雷を踏んでしまったかのように彼女の機嫌が悪くなっていくのが伝わってくる。


  「貴方がうちの領民? それにベルデン家の人間? はははっ、笑わせるわね……!」


  ヴァレンシアはエトワールをにらみつけ、見下ろしたようして語る。


  「お前たちのせいでカイルはくだらない女に引っかかって、私たちの計画をぶち壊したのよ?」


  「そんな諸悪の根源であるお前たちをどうして私たちは領民として扱わないといけないのよ……!」


  周りに人がいないということもあり、ヴァレンシアが憎きエトワールの前で本性を現す。


  どうやら彼女はカイルが自分のコントロール下を離れたのはエトワールとシシリアのせいだと思っているらしい。


  エトワールは自分がヴァレンシアに憎まれていたことを今初めて知る。


  「それに、お前がベルデン家の人間ですって? 以前、お前の父親に会った時にお話させてもらったわよ。あんなクズ、煮るなり焼くなり好きにして構わないってね……」


  ニヤリと笑うヴァレンシア。


  「まさか、お前……」


  そこでエトワールは気づく。


  自分たちの家に領主から連絡が届かなかったことも、全部ヴァレンシアの仕業であったのだと。


  「そうよ……。最初からお前たちをハメるつもりだったのよ!」


  「ざまぁみなさい!! あーーはっはっはっ!!!!」


  ヴァレンシアは勝利に酔いしれているかのように高らかに笑いあげる。


  「まぁ、医師会の集いがあるこんな絶好なタイミングで、お前の連れが体調を崩すまでは予想していなかったのだけどね。これも貴方たちの日頃の行いが悪いからなのかしらね……」


  「これに懲りたらさっさとローレン領から出ていきなさい! これ以上、カイルや生まれてくる子どもに干渉されちゃ、こっちも困るんだよ!」


  好き放題に言ってくるヴァレンシア。


  エトワールの中では殺意すら生まれ、目の前にいるこの女を殺してやろうかと考える。

  そして、エトワールは右手に魔力を溜めてヴァレンシアの頭を消し飛ばそうとした。


  しかし、運命のいたずらなのかそれを止めてくれる人物が彼らの前に現れる。



  「どうしたんですか母上殿……?」



  なんと、二人の前にカイルが現れたのであった。


  すると、ヴァレンシアがどこか嫌な顔をする。

  そして、彼女はエトワールの方をチラリと見るとカイルの方を向いて語る。


  しかしそれは、先ほどまでのエトワールを蔑んで笑うような表情ではなく、優しい領主の妃を演じているかのようであった。


  「私はエトワール坊ちゃんがこんな雨の中、屋敷を訪れたから何事かと思って対応しただけよ。カイルこそ、どうしたの?」


  先ほどまでとはうってかわってテンションが代わり、カイルに優しく語りかけるヴァレンシア。


  そんな彼女の質問にカイルは慌てて答える。


  「先ほど、シシリアさんが倒れたって騒ぐエトがやってきたと騎士たちが報告しに来てくれたんです!」


  「本当なのかいエト!?」


  先ほどヴァレンシアが下がらせた騎士たち。

  どうやら彼らがカイルに報告しに行ってくれたようだ。


  エトワールはヴァレンシアを殺すのはやめて、カイルに話そうとする。


  カイルならシシリアを助けるために協力してくれるかもしれない。

  今はこのクズを殺している場合ではないと考えたのだ。


  だが、エトワールがカイルに話しかける前に、ヴァレンシアがカイルに話しかけた。


  「どうやら、そうみたいね。それでルーク先生を呼びに来たそうよ。悪いけどカイル、ルーク先生を呼んできてくれないかしら」


  先ほどまでとはうってかわって先生を連れきれてくれると話すヴァレンシア。


  これにはエトワール何も言うことができなかった。


  そこまでしてカイルに嫌われたくないのかと……。



  「はい!」



  そして、カイルが先生を呼んでくるために去っていく。


  すると、カイルがいなくなったことを確認したヴァレンシアは先ほどまでの同じ口調でエトワールに語るのであった。


  「カイルに余計な事を話すんじゃないわよ!」


  「その代わりに特例としてルーク先生を貸し出してあげるんですからね」


  本当に殺してやりたいと思った。

  だが、今はこいつに構っているヒマはない。


  カイルのおかげでシシリアは助かるんだ。


  「よその領主候補に余計な事するから天罰が下るのよ。連れが治ったらさっさとうちの領地から出て行きなさいよね」


  ヴァレンシアはそう言い残し、屋敷の中へと戻っていくのであった。

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