29話 悪魔アイシス

  幸せな夢を見ていた。

  しかし、夢はいつか覚めるもの。

  おれは現実の世界へと呼び戻される。


  月が見える……。

  サラに向かって駆け出したおれは途中で倒れてうつ伏せで気を失ったはずだ。

  今は仰向あおむけで夜空を見ている。


  いつもの森だ。

  電灯はおろか、灯篭とうろうなど存在しないこの村ではありふれた景色である。


  月あかりが激しい戦闘で傷ついた森を照らし、辺りは静寂に包まれていた。

  まるで魔族による襲撃が嘘であったかのような静けさだ。

  もちろん火柱は消えており、もう木々も燃えてはいない。


  おれはふと隣を見るとそこにはおれと同じように仰向けに横たわっている少女がいた。


  「サラ!!!!」


  おれは立ち上がりサラに近づこうとするが身体に激痛が走り、膝を折ってしまう。


  「安心してください。彼女は無事ですよ」


  サラの隣に突如として女が現れ、そうおれに話しかける。

  白銀の髪に赤い瞳、紺色の服に身を包むその女はサラをじっと見つめているのであった。


  「だれだ、お前!?」


  女はゆっくりとおれの方を向く。


  「わたしの名はアイシス。カシアス様の配下でございます」


  カシアスの配下……?


  『それでは後のことは貴女あなたに任せますよ』


  そういえば、おれが気を失う前にカシアスが何か言っているのを聞いたな。


  「アベル様の大切なお方が危険な状況だということでしたので、回復魔法をかけさせてもらいました。もちろん、アベル様にもです」


  「敵ではないんだな……?」


  「もちろんでございます」


  よく見ればサラはゆっくりと呼吸をしている。

  とにかくサラが無事でよかった。

  それだけで……。


  「父さんと母さんは!?」


  おれはカイル父さんとハンナ母さんの安否を確認する。

  確かにカイル父さんは心臓を貫かれていたし、ハンナ母さんは業火に焼かれていた。


  「アベル様のご両親でしたら、あちらの方で——」


  アイシスという女の視線の先を見ると、すこやかな顔をして眠っている二人の姿があった。

  カイル父さんの胸には傷なんてないし、ハンナ母さんもやけど一つない。

  そこにはいつもの姿の二人がいた!


  おれとサラが目撃した二人の姿は偽りだったのだ。

  本当の二人は……。

  おれは身体が動かず二人の元へ向かえないのでアイシスの言葉を遮って問いただす。


  「生きてるんだろ!? 二人とも無事なんだよな!?」


  二人が無事だって確認したい。

  二人が生きてるって確認したい。

  そうしたらおれはどんなに……。


  『死んだ人間は例えどんな魔法を使おうと生き返らない』


  昔、おれが疑問に思ってカイル父さんとハンナ母さんに質問したときに返ってきた答えだ。


  しかし、悪魔ならば?

  おれがどうすることもできなかった魔族相手に戦える魔法を使えるんだ。


  もしかしたら死者の復活魔法だって……。

  おれは絶対にありえないとわかりながらも心のどこかで希望を持ってしまう。


  「わたしが到着したときには残念ながらもう……」

 

  どういうことだよ。

  だって二人とも何事もなかったように眠ってるようじゃないか。

  死んでいるはず……ないじゃないか。


  「死者を蘇らせる魔法も魔道具も、未だに開発を成功した者はいません。カシアス様から、彼らがアベル様にとって大切なお方だとお伺いしましたので、傷だけは魔道具で修復させてもらいました」


  そんな……。

  やっぱり二人は助からなかったんだ。


  そして、アイシスは続けて答える。


  「人も魔族も死ぬと魂は肉体を離れます。しかし、魂はしばらくその死に場所にとどまることがあります」


  「その魂に干渉する魔法さえ使えれば、死者を蘇生することが可能なのかもしれません。申し訳ございませんが、わたしには到底できる領域ではございません」


  「そうか。お前のせいじゃないんだ。謝らなくていい。それよりサラだけでも助けてくれてありがとな」


  そうだ。

  サラは助かったんだ。

  それでよかったんだ……。

  だけど二人には……夢の中じゃくて、本当に会っておれの気持ちを伝えたかったな。


  「そういえばカシアスはどこにいるんだ?」


  カシアスの姿が見当たらない。

  あいつとは契約でおれの全てを捧げることを約束したんだ。

  おれの身体を回復させたってことはどういうことなんだ。


  おれの身体を何かの実験に使うとか?

  これから地獄を味わせるために死なれては困るからとか?


  正直、サラが起きる前にどうにかして欲しい。

  サラが起きて、おれが無事だと知った後にカシアスに殺されるなんてサラが知ったら……。


  「用事があるようなのでただいま席を外しています。もうしばらくしたら戻ってくると思います」


  丁寧な言葉遣いでおれの質問にハキハキと答えるアイシス。

  それにしても悪魔たちというのは皆こうも礼儀正しいものなのか?


  カシアスにしてもアイシスにしてもおれは下界の劣等種なのだろ。

  天使と悪魔、そして精霊の三種族は精霊体という存在らしい。

  同じ精霊体とはいえ、精霊たちの舐めた態度とは大違いだ。


  「そうだ! ティルは!?」


  精霊で思い出した。

  おれたちがここにたどり着いたときにティルが倒れていて、それでティルの光が消えかけていて……。


  「ティルというのはどなたですか?」


  「精霊の女の子なんだ! おれたちがここに来たときには魔族に光が薄くなるほどボロボロにされて……それで気づいたらいなくなっていたんだ」


  そうだよ。

  ティルはどこに行ったんだ?

  彼女は無事に逃げられたのか?


  「アベル様……残念ですが、我々精霊体が光を失うということは死ぬということです。おそらく、ティルという精霊の少女は……」


  ティルが死んだ……。

  そんなバカな。

  ティルまで死んでしまったなんて……。


  「アベル様。このことが慰めになるのかはわかりかねますが、我々精霊体にとって死とは一時的な休息のようなものです」


  「我々の魂は時間をかけ、再びこの世界に蘇るのです。その精霊の少女ティルも、数百年後に再び精霊ティルとして転生することでしょう」


  「そうなのか? じゃあティルの光が消えていったけど、消滅したりしたわけじゃないんだな!? いつかまたティルは精霊として復活するんだな?」


  アイシスの言葉を聞いて、些細だが少しだけ安心した。

  もし彼女の言葉が本当ならばティルは本当の意味では死なない。

  彼女にもおれが小さいときから助けてもらっていたのだ。

  幸せになって欲しい。


  「もちろんです。魂の消滅はありえません。その精霊は再び精霊として生まれ変わります。しかし、アベル様のことを含め今世での記憶は失ってしまいます。彼女が覚えていることは自分が精霊だということと自分の名がティルということだけです」


  「そっか……記憶を失うのか。それでも、おれには十分嬉しいことだよ。ありがとなアイシス」


  たとえティルが記憶を失ったとしてもまた精霊として彼女は生きてゆく。

  数百年後か……。

  おれはともかく、サラも生きてはいないだろう。

  もう絶対に会うことはできないな。


  ん?

  精霊体ってことはもしかして……。


  「なあ、精霊体はってことはさ……。もしかして、アイシスやカシアスもそうなのか?」


  おれは疑問に思ったことを率直に尋ねてみる。


  「はい。わたくしもカシアス様も何度も何度も死に、そして生まれ変わって来たのだと思います」


  「魔界に生まれ、記憶にあるのは自分の名前と、自分が悪魔だという事実のみ。魔界は弱肉強食の実力史上主義の世界です」


  「生まれたときはもちろん、弱い悪魔ならばさらに何百年、何千年と身を潜めて暮らしていかなければなりません……」


  「そっ、そっか。なんか悪かったな」


  おれはこいつら悪魔たちを完全な悪者だと思って10年生きてきた。

  この人間界をかつて滅ぼそうとした魔族の侵攻だって悪魔が関わっているという説もあるのだ。


  しかし、実際に悪魔や魔族に出会って話を聞くとどこか同情してしまう部分もある。

  悪魔たちこいつらだって生まれながらにして一人孤独で震えていたんだな。


  さらに弱い存在ならば、強い者たちに怯えて暮らしていかなければならない。

  なんだか、昔のおれみたいだな。

  もしかしたら人間界に伝わっている残虐な悪魔たちのエピソードというのは一部の悪魔たちだけのことなのかもしれない。

  おれはそんなことを思っていた。


  「それでは時間のようです。アベル様」


  アイシスが突然おれに告げる。

  すると突如、空の一部が歪み漆黒の悪魔が現れる。

  彼の名はカシアス。

  サラを魔族から助けてくれた恩人であり召喚術師のおれが全てを投げ出して契約した悪魔だ。


  彼が上空からゆったりと降りてくる。

  おれは逃げ出すこともせずに運命を受け入れる。

  さあ、この世界での最後の時間だ。



  このとき、おれは自分の背負っている運命がどれほど大きく、そして重いものだということをまだ1ミリも理解していなかった。

  もしもこのときに、おれが全てを知ることになっていたとしたら、おれは自分の運命から逃げ出してしまっていたのかもしれない……。

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