第3話 敗走/被疑者

―1―

 クロックとレトロが衝撃を吸収してくれたおかげで奈落の底に叩き付けられることは免れたが、酷い有様だ。呼吸が苦しい。

 状況から考えて気道に熱傷を負ったのだろう。

 ヴァシュタルが追ってくる可能性がある。早くここから立ち去らねばならない。

「レトロ、あとは頼んだ。人間二人分の熱源反応を表示して、一定時間たったら消失させてくれ」

 レトロを囮として置いてゆくことにした。

 俺たちは大けがを負い、このダクトの中をよろよろと歩きまわり、そして力尽きるというストーリーだ。陳腐だが、時間稼ぎ程度にはなる。

「ラムダ区画ダクト、設計図のダウンロードを完了しました」

「さて、俺たちはこっちだ」

 ガリユは不服そうな顔をしていた。

「どこへ行くつもりだ。あいつをまだ倒していない」

「あのまま戦って倒せたのか?」

「オレ様は最強だ。あんな奴に負けたりはしない」

 言葉ではそう言ったものの、ガリユは忌々しげに視線を外した。

「お前の生きた何万年もあとにあたるが、俺からすると数千年前……とある有名な軍略家が残した言葉がある。彼を知り己を知れば百戦殆うからず。今は次に勝つための撤退だと思ってくれ」

 ガリユはしばらく黙った後、俺のほうへ歩を進めた。どうやらついて来ることにしたようだ。

 多層のプレートで構成されているエルジオンは、区画同士の間にインフラ設備格納用の巨大なスペースが存在している。そこからダクトを通じて区画内の各所に電力や上下水道などを供給していた。

 居住用区画は壁面や天井の全面にスマートディスプレイが張り巡らされており、時間によって変化する空の映像が流れている。空調も人間が快適な範囲で四季が設定されている。

 反面、居住区画ではないダクトや設備を格納する階層は、環境の破壊された外気そのままに昼は五十度近く、夜は氷点下に及ぶ。清掃もされていない。

 ヘドロでぬかるむダクトを歩き、対外的には存在しない階層にたどり着く。そろそろクロックが使用する電波帯が届かなくなる。自閉モードに切り替えた。

 視界が開ける。

 そこにあるのは、不法に居住するIDを持たない人間たちの小さなスラムだった。



―2―

「あまり居心地がいいとは言えないが、我慢してくれ」

 床下を開け、応急処置用の薬品を取り出す。

 ガリユは物珍しそうにあたりを見回した。

 外には廃棄された資材を組み合わせて作った簡素なあばら家が立ち並んでいる。

「この時代の他の場所と雰囲気が違う、か?」

 ガリユは視線だけでうなずいた。

「ここはスラム、エルジオンの正規の区画に住めない人間がたどり着く場所だ。文明の庇護を受けられない暮らしっていうのは、いつだって時代に取り残されているものさ」

 俺は昔ここに住んでいたことがある。

 父親が投獄され、家族も皆シティズン・ナンバーを剥奪された。ある日突然存在しない人間ということにされたのだ。IDがなければ社会保障どころか決済すら出来ないし、口座から金を下ろすこともできない。死ぬか、尊厳を棄てて透明人間として生き延びるか、二つにひとつだった。

 俺はCOA捜査官に着任してから、セーフハウスをいくつか用意した。ここはその中のひとつだった。エルジオンで主に使われる周波数も届かないから、追跡しようがない。旧時代的な人海戦術でも使えば別だが、迷宮のようなダクトでは土地勘のある俺のほうが有利だからだ。

「まずは礼を言っておこう。俺が今生きているのはお前のおかげだ」

 ガリユのおかげで命拾いをしたのは事実だった。

 ヴァシュタルが現れた理由、おそらくそれは俺の始末のためだ。戦闘用の装備を用意しているのならともかく、捜査用の軽装で合成人間とやり合うのは困難だ。

 同期の中に例外のような奴がいるが、彼女だって攻撃を受ける前に仕留めるだけの超人的な身体能力を持っているだけであり、生身の人間は戦闘用合成人間の攻撃を受けられるようには出来ていない。

 対して、戦闘用の合成人間はシルエットこそ人間と変わりないが、特殊な装甲に守られている。


「お前はどこにもケガをしていないのか?」

 気道の炎症を抑えるため、薬を吸入する。少しだけ呼吸が楽になった。

 ガリユは体力を消耗しているようには見えるが、見たところ火傷一つ負っていない。

 服の端が少し焦げているくらいだ。対して俺といえば、気道熱傷、肋骨骨折。

 ガリユがいなければ、司政官を守るように折り重なって一つの肉塊と化したSPたちの死体と同じ状況になっていただろう。

「オレ様は平気だ。火のエレメンタルを纏っているからな。オレ様はヴァシュタル――火精霊の力を受け継いだ。だからオレ様に炎は通用せん」

 この時代に文献が残っていない精霊の力のメカニズムなど知る由もないが、確かに自分の炎で火傷をしていては世話はない。エレメンタルというものは魔法エネルギーの源の他に、防壁のような役割もしているとガリユは言った。

「あの偽物もエレメンタルを纏っている。だが精霊のものとは違う。寄せ集めたようなまがい物だ」

 ヴァシュタルの動力はゼノ・プリズマではない。

 ヴァシュタルとは一体何なのか――

 誰が何のために作ったのか。KMS中枢の情報に触れるには、一介の捜査官の権限はあまりに無力だった。

 蛇が出るかもしれないが、真相は「あの方々」の力を借りなければたどり着けないほど深い闇の中にあると感じた。



―3―

「セティーくんとツーリングならいつでも大歓迎だけどぉ~、何なのこの野蛮そうな男は~!可憐な乙女の背中に男二人は重いわ☆」

「俺たちが乗っているのはバイクだ。マカロンの背中じゃない。大樹の島まで頼む」

「もぉ~!セティーくんの屁理屈!」

 マカロンはクロックやレトロと同様、COAから支給されたプロトタイプの支援ポッドだった。一般のエア・カーゴに乗るわけにもいかないので、凍結解除の申請をした。


 大樹の島には枢機院の通信施設がある。

 枢機院の構成員の姿も所在も、俺は知らない。おそらくほかのエージェントも同様だ。

 ここは枢機院と直接コンタクトが取れるほか、エージェントの活動に必要となるあらゆるアクセス権が付与された端末がある。

 法の番人たる警察機構に所属したとしても触れられないものはたくさんあるが、ここでは他人のプライバシーから企業の未公開情報、法案まで調べることができる。

 しかしそれは最後の手段だ。力を借りれば借りるほどデメリットがあるからだ。

 それに一介のCOA職員が知りえないことを知り過ぎれば、俺は怪しまれ、二重スパイのお役御免で再び存在しない人間にされるだろう。

 エージェントとして与えられたIDを入力し、端末にアクセスする。

 ――プロジェクト・ヴァシュタル。

 研究所で見た稟議資料の他、要件定義書、体制図などKMS社の社外秘ドキュメントがヒットする。

 調達件名――新エネルギー駆動生体型合成人間に係る設計・開発業務

 稼働開始日は式典の日になっていた。

 プロジェクト体制図に記載されたプロジェクトマネージャーは、KMS社レオングランツェ・フィガロ・サン。

 プロジェクトオーナーは――


 ――ルドガー・ハウエル。副司政官の名前だった。


 プロジェクトの責任者だったとして、殺人に直接関わったという確証には至らない。だが、重要参考人であることは確かだ。

 プロジェクトマネージャーまでは予測の範囲内だが、副司政官の今の業務権限でここまでの予算を動かせるのは不自然だ。

 副司政官はエルジオン行政のトップに立ちたいがために司政官暗殺を企てたのか?もっと予算もかからず目立たない方法だってあるだろう。

 KMSと莫大な金をかけた超高性能殺人マシーンを作り、パフォーマンスのように暗殺を行う理由は?

 それとも彼はただの駒として利用されているだけなのだろうか。

 副司政官の経歴を調べると、エルジオン工科大学にて情報工学を学び、KMSアーキテクトに就職、三十歳のとき政経塾に入塾――以降政治の道へ入ったようだった。

 年齢も政治家にしてはかなり若い。今時点で次代の司政官の候補に挙がっているのだから、こんなことをしなくても数年後には行政のトップに立てた筈なのに。


 COA本部の自分のデスクに戻り、事務AIに問いかける。

「副司政官の今日の予定は?」

「十五時までオンラインでの次年度補正予算会議にご出席、その後は夜までブランクです」

 時刻は十四時二十分――

「オンライン?接続元はどこだ?」

「非公開となっております」

 決まった対応しかできない事務AIにこれ以上の問いかけは意味を為さない。自ら接続元を探そうとデスクにかけたその時、背後から声がかかった。

「副司政官なら昨日からいないぜ」

 スプーキーだった。

「何日も戻らないから心配したぜ。お前が消されたんじゃないかってな」

「ああ、俺なら大丈夫だ。捜査に進展があって戻れなかった」

「オレの方でもとんでもない物を見つけたぜ。この世の物理法則を無視してやがる。質量保存の法則って学校で習うだろ?あれを無視してエネルギーの総量が定期的に増えてる地点があるんだ。この座標だ。これなら――」

 俺はスプーキーが心配だった。

 俺は枢機院に庇護されている。彼らにとって有用である限り、始末されることはない。スプーキーは違う。

 行き場の限られた空中都市の中、どこにも逃げ場なんてない。

「ありがとう。その続きは言葉にするな。ここから先は俺の仕事にさせてくれ」



―4―

 座標が示していたのは工業都市廃墟の先、現在は廃墟となっている旧KMS本社ビルだった。

 廃棄したように見せかけ、いまだに一部機能を使用している。

 工業都市廃墟は叛乱した合成人間の根城になっているため、エルジオン行政の手も入らない。

 旧KMS本社はエルジオンが出来たばかりの栄光の残骸だった。人類が空に移り住んだばかりのころは、今ほど外気が有害ではなく、汚染された地上から何千フィートも離れたエルジオンでは、まだ自然の空を見ることができた。

 しかし人は地上での過ちを繰り返す。増築されてゆく巨大な楼閣エルジオンの質量を支えるため、ゼノ・プリズマの過剰使用により、エルジオン付近の空域の大気汚染が進んだ。

 今では多くの場所でスマートディスプレイに覆われた屋根が建設され、ここのように外気に触れた場所の多くは生活非推奨区画として破棄されている。

 茜色の夕日が光化学スモッグの雲の隙間から頬を照らした。


 プロジェクト・ヴァシュタルのプロジェクトマネージャー、レオングランツェ・フィガロ・サンはKMS社最年少の執行役員だった。

 責任部門は防衛・開発セグメント。

 彼は公然の秘密である時層交易を行っている。この時代ではまだ実用化されていない人工筋肉に、太古に失われたエレメンタル――様々な物を調達しては、軍事転用を図っていた。

 ヴァシュタルについてもその施策の一環だった。

 現在の法律では、合成人間は人間との差別化を図るため、生体部品の使用率を制限されている。あまりにヒトに近いものを作ってしまうと、彼らに“人権”が生じるからだ。

 いつの時代も被差別階級・奴隷階級を作らなければ社会は立ち行かないように出来ている。人権意識の進んだ現代において、ヒトじゃないものにその役割を負わせればいい――合成人間はそのために作られた。

 一応の社会通念上、彼らの思考や感情は限定的であるとされ、肉体も七割以上が金属で構成されている。現状、法律上の“ヒト”とみなされない。

 ヴァシュタルは、生物上ほぼ人間を再現したものだった。

 従来の軍用合成人間より肉体の強度が劣る分、古代で捕獲した精霊たちからエレメンタルを抽出し、防壁として纏い、また、それらを攻撃のエネルギーとしても行使できる。

 ガリユの戦闘データはここに生かされたらしい。エレメンタル行使のメカニズム――つい最近まで科学者たちはその部分の解明に苦心していたと見える。

「ふざけた野郎どもめ」

 ガリユは怒りを露わにした。


 旧KMS本社ビルシークレシー・エリアの先、時層工廠からエレベーターに乗りこむ。プレート最深部に近づくにつれ、空気が冷えてゆく。エレベーターは巨大プラントのような空間を下へ下へと降りていった。

 電波ロスト。俺たちをバックアップしていたクロックからの通信も遮断される。


 ――ここから先は完全に相手の腹の中だ。


 エレベーターが最下層で停止した。

 巨大な機械生物の胎内のような空間の中心に、ひとつの寝台が鎮座している。

 寝台から延びる無数のコードに繋がれたガリユに瓜二つの男は、巨大な機械生物の生贄のようにも見えた。

「関係者以外立ち入り禁止だが――ここの研究は児童向け科学誌の記事にするには千年早いと思うね」

 頭上からマイクを通した声がする。

 次世代科学技術開発振興機構の所長だった。

「その節はどうも。本日は取材ではなく、あなたとあなたのボスに司政官暗殺事件の重要参考人として任意同行頂きたく。そして新型合成人間“ヴァシュタル”を証拠物件としてお預かりしたい」

 俺は頭上の空間に向かって大声で応えた。

「察しの良いきみならわかっていると思うが、応じられない。きみはここで行方不明になるからね。今日はこの後次のフェーズのテスト予定なんだ。人類の生み出した新たな生命の神秘を見届けてゆくかね」

「副司政官はどこにいる」

 所長の声はそれ以上応答しなかった。この場に姿は見えない。安全な場所でモニタリングしているのか。

 ヴァシュタルの身体に繋がるコードが次々と引き抜かれてゆき、ヴァシュタルは閉じていた瞳を開いた。


 ヴァシュタルのシステムは完全に独立している。外部からの干渉は受けない。

 ヴァシュタルの機能を停止させるには、物理的にヴァシュタルにエネルギーを供給するポート経由で停止プログラムを送る必要があった。

 ヴァシュタルに対して、接近戦に持ち込める可能性のある人類など存在しない。この時代、この時層には――

「ガリユ、頼んだ」

 近距離通信用のイヤーモニターを渡す。

 ガリユは受け取ると、耳に装着した。

「あのふざけたガラクタを破壊すればいいんだな」

「ああ」

 巨大な空洞をヴァシュタルに向かい歩を進めるガリユを見送り、俺はこの中のどこかにいる副司政官と所長を探しに駆け出した。

 ガリユの放つ火柱が、開戦の狼煙のように上がった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る