星のいのちの最果てよ

有崎

 星が、薄暮に軌跡を描いてビル群の隙間を駆け抜けた。秩序を失ったスクランブル交差点で散り散りになった人の粒が、空に突き立てた指を、ほうき星を伝って泳がせている。

 誰も、星に何も祈らなかった。端末のレンズを通した映像越しに、地平線に幕を下げ始めた恒星に張り合う彗星を見上げた学生。空の異変なぞ素知らぬ顔で歩道の白線をはみ出さずに渡る几帳面な男。火球の焼けていく中に見えた極光にはしゃぐ子供。誰もが、明日のないのを知っていても、明日を当然のように疑わずにいた。

 蛍も、雑踏だけが聞こえる交差点で、二つの点になって佇んでいた。自分を殺そうとする尾を引いた瓦礫に、開いた口の中が干上がるまで見惚れていた。美しさを以てしてそうさせられたなら、最後の打ち上げ花火を見るように記憶に焼き付けていただろう。恐怖や悲嘆がひとつまみほどしかない自分に寒気すら覚えた彼女の指先は、初夏に似合わず汗一つかかないで冷え切っていた。

「怖い?」

 蛍の隣にいたもう一つの点が凍った彼女の指を掠め取った。うまく笑えない。からからの口で歪に端を上げるしかできなかったのは、五つ上の彼に甘えてしまいたい現れだった。


 空の麓から光が生まれる。破裂音。悲鳴。悲鳴を掻き消す轟音。音。


「────」

 地を焦がす逆光の中で、彼はどんな顔をしていたのか、何を言っていたのか。蛍が感じるのを許されたのは、何の痛みもないままここから引きずられる感覚だけだった。



 夢の終わりに押し出された背中を、七瀬蛍は跳ね起こした。夏至も過ぎた頃なのに、まだぼやけた光がカーテンの隙間からはみ出しているだけだ。枕の横でうつぶせになっていた目覚まし時計をひっくり返すと、針はずいぶん早い時間を指している。薄暗い部屋の中は、つい今見た夕暮れから赤色を吸い取ったような色で、蛍は瞼の奥の夢を思い出していた。意識して思い出す必要もないほど鮮烈で、既視感のある夢だった。人の声や明滅する視界、温度すら感じられるあれはいやに生々しかった。

「……夢……?」

 怪訝な色を帯びた言葉が、落ちた。唯一彼女の声を聞いていた扇風機が、肌と寝間着にしていたTシャツのあわいと首筋を少しだけ覆う黒髪に、時たま隙間風を送りながら首を振っている。無機質な動きをする機械の否定に促され、蛍はただの夢だろうと寝台から足を降ろした。洗面所へ向かう途中、リビングからアナウンサーの声がする。先に起きた母親がテレビの電源を入れたのだろう。

 流れる内容は、蛍が夢の中で覚えた既視感の正体だ。

 ──隕石の衝突まで残り一週間となりました。


 引力に吸い寄せられた隕石の衝突が免れないと各メディアが大騒ぎしていたのは、今から二ヶ月ほど前のことだった。蛍もちょうど春の長期休暇が明け、新年度に本腰を入れようとした頃でよく覚えている。校舎から見える青天井を埋め尽くした桜を、青葉が陰らせ始めていた。

 衝突は今から三ヶ月も経たないうち、想定される被害は計り知れないものでその道に明るい識者もお手上げだとか。手の施しようのない現状に、絶望を通り越してしまった人類は、その多くが普段と大差ない生活を送り梅雨を迎えた。


「あと一週間で私たち死んじゃうのかなあ……何か実感わかないっていうかさあ……蛍はどう?」

 蛍と、彼女の友人のミキもその大多数の中の二人だった。週日で一番浮き足立つはずの最後の曜日の放課後だ。だというのに、道中の点々と残る白線を横目に居座る自販機で買った炭酸を片手、蛍の表情は、どこか濁っていた。

「どうって言われても……私も分かんないや」

「なあんだ!」

「なあんだって何よ」

 狭い歩道で後ろからついてきたミキの期待外れの声に思わず、蛍は首を回してとげとげした声を上げた。スポーツドリンクの蓋を捻っていたミキは、不機嫌に屈折した前方からの視線に首を傾げた。ちょうどふいた追い風に煽られる淡い栗色の髪がセーラーカラーの藍色の線の間で遊んでいる。

「だって蛍、私よりずっと頭いいじゃん! こないだのテストもすっごく点数よかったし」

 私なんかいっつも平均点とればいい方だよ! と続けたミキは、言い終えてからようやくペットボトルに口をつける。彼女の言葉に、試験前にお互いの家で行う勉強会でうんうんと頭を抱える姿を思い出した蛍は口元を綻ばせた。ミキの声色には彼女への憧憬が練り込まれていたが、蛍はむしろ、目前の友人のそういった人間らしい側面が羨ましく思えた。


「……たかが紙で出された問題が解けるからって、自分じゃどうしようもないことが起こったら何も考えたくなくなるよ」

 今も、ミキの言に平坦な声でしか返せない無機質な自分が、蛍はあまり好きにはなれなかった。強張った自分の声を聞いたミキの顔を見る前に、蛍は振り返って帰路の続きを踏む。一拍遅れたミキのちょっと待ってよー、と呼び止める声が、ひぐらしと二人分の水分がぱしゃぱしゃと跳ねる音に被さった。

 閉じ込められたままの蛍の炭酸が、西日に燃える泡の飛沫を波打たせていた。


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