勇者と魔王、至高の遊戯
シノミヤユウ
第1話
これは、仕方のないことだ。
魔物と人間は、決して共存してはならない。否。共存などできない。だから、どちらかがどちらかを排除するしかない。
当たり前のロジック。今更言い聞かせるまでもない、ごく単純な世界の理。
いや、そうやって誤魔化すのはもうやめよう。これは、自分の意志だ。私は、自分の役割を遂行しようと決意した。ただ、それだけだ。
足元。仰向けに倒れている青年を見下ろす。艶やかだった黒髪は血と泥に汚れ、豪奢な服もところどころが破れている。彼は笛のような音を……あるいは息を、吐き続けていた。
「完敗だ」
声を出すのもやっとだろうに、彼は呟く。
「身体が動かん。頭も働かない。術式も作動しない。魂ごと持っていかれた」
「……そういう剣よ。この戦いへ臨む前に、天使がくれたの」
「不死殺しか。……いや、魔術解体? それがあれば、お前は遥か昔に余を倒せていたのではないか?」
「さぁね。神様は後出しが好きみたいだから」
「神連中は、ほんとうにエンターテイメント性しか気にかけていないんだな」
「えぇ、本当に」
彼も私も、深い溜め息を吐いた。天界のシステムなんてよく知らないけれど、きっとこの風景も、会話も、ぜんぶ天界中に中継されて、ドラマみたいに楽しまれているんだろう。天界の住民の掌の上で踊らされていることを知っていてなお、私たちは役割に殉じようとしているのだから、救えない。
「そういえば勇者」
「なにかしら」
「余が死んだあと、この宮殿はお前にやろう」
「いらないわよ。私の趣味じゃないし」
「クソッ、じゃあ売るがいいさ! 辺境だけどデカイし温度調節魔法設備も風呂もトイレもついているから高値で売れるだろうよ!」
「え、あんたのコレ冷暖房完備だったの? は? 私が天使から与えられた家はなんだったわけ?」
「貧乏勇者め、労働の対価を得ようとしないからだ。この天畜めが! アーッハッハッハッッゲホッゲホッ」
「あーあー高笑いなんてするから……てか天畜って何よ、天界の家畜ってこと?」
ごぼごぼと溢れ出した血を、仕方ないので口元だけ拭ってあげる。うぇ、よく見るとこいつの血、若干青いんですけど。なんで? 魔物も普通に赤かったよね?
「余の血を拭いた手を『吐きそ~』みたいな目で見るのやめんか? 拭いたのはお前だろう。傷つくからやめろ」
「ナイーブだなぁ……」
「おい、拭いた血を余の服に擦り付けるな。お気に入りなんだぞ」
「ただでさえダサい服なんだから、これ以上酷くなることないわよ」
「えっ、お前余のファッションセンスに対してそんなこと思ってたの?」
「今更でしょ」
「……まぁ、今更だな」
会話が途切れる。
座っている気力もなくなって、私は「はーぁ……」なんておっさんくさく息を吐いて、ごろんと横になる。大の字になって、天井を見る。魔王の極大魔法によってぶち開けられた穴からは、眩い星空が見えた。
「ねぇ、魔王」
「なんだ?」
「星、きれいね」
「そうだな」
「意見が合うの、珍しい」
「星はきれいだろう、誰が見ても」
「ふーん……そういうものかな」
「そういうものさ」
「……あのさ」
「うん?」
問い返されて、思わず黙ってしまった。口からぽろりとこぼれ落ちかけた感情を反芻して、ちょっと嫌になってしまった。
――――私たち、けっこう、相性いいと思わない?
……そんなわけ、ない。こんな髑髏とキモい花と黒一色でまとめられた城も、勘違いしてんじゃないのと言いたくなるくらいに気取った服も、一周回ってバカみたいな喋り方も、私の趣味じゃない。まったく。これっぽっちも。
それでも。……それでも。
「なんでもない」
押し殺す。噛み殺す。
必死に、星を見つめる。真っ赤な星と、真っ青な星が、対角線上にあるのを見つける。
「勇者」
「……なに」
横に転がっている彼の声は、夜空のように透き通っていた。
「余は、楽しかったぞ」
「な、」
咄嗟に、彼の方を向いてしまう。
瞳が合う。真っ赤な瞳だ。真紅の、ルビーみたいな、澄んだ瞳だ。そこに、私が、親に置いていかれて茫然自失となった幼子のような私の顔が、映り込んでいる。
「何度も何度も、お前と刃を交えた。煽り合って、貶し合って、話し合って。……お前と交えたのは、刃だけじゃなかった」
言葉が、出てこなかった。
「甘いものに目がないってことも、小動物を見ると我を忘れて可愛がることも、実は鎧よりもドレスの方が好きだってことも、乙女向けの絵物語の主人公の娘に憧れていることも、知った。多くのことを知った。恐らくこの世で一番お前のことを知っているのは、余だろうな」
「……それは、過言」
「そうか」
呵々大笑。
ひとしきり笑い終えると、彼は空に目を移した。あぁ、もう、何も見えぬな、と呟いて、掠れた声で、そのまま。
「勇者」
「うん」
「この世界はクソだ。天界のための劇場だ。クッッッッソ、つまらん」
「うん」
「でも、お前がいた」
彼は、笑っていた。
あの見慣れた、悪虐非道な、全てを嘲るような、心底腹の立つ笑みじゃなかった。
私はそれを、なんて形容したらいいのか、わからない。宿敵が、仇が、唯一の理解者が、世界の塵となって消えていく寸前に浮かべたそれは、どんな星空よりも、ずっと。
「だから余は、めちゃくちゃ、楽しかったぞ」
ただ、それだけ、独り言のように呟いて。
真紅が、見えなくなった。
「魔王」
返事はない。
「魔王」
身体を揺する。あの気色悪い色をした血が、彼の服を汚す。
「返事、してよ」
鎧が擦れる。擦れた箇所が、灰になって消えていく。
「勇者って、呼んでよ」
――――熱い。
「わたしのこと、勇者って、呼んでよ。わたしのことを勇者って呼ぶの、もう、あんただけなんだよ。みんなみんな、英雄って呼ぶの。わたしは、違う。……ちがう、のに」
ぽたぽたと、水滴が落ちる。彼の身体が、さらさらと崩れていく。
「魔王」
彼の腕に、額を押しつける。
「まおう」
頬に、たくさんの、雫の感触。雨なんて、降っていないのに。なぜだろう。びしょびしょだ。
「なによ……あんただけ、言いたいことぜんぶ言って、すっきりしちゃってさ。ずるいじゃない。なにが、余はめちゃくちゃ楽しかった、よ。なによ、それ……」
額を支えるモノが、失われていって。
「私も楽しかったに、決まってるじゃない」
すべてが、消えた。
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