ハイ・エボリューション

Tsumugi

第1話

■AD300年 リンデ北西セレナ海岸沖某地点


「こりゃあ、何だ?」


 獲ったばかりの魚達を選別していたフラスクは、隣で網を引き上げていた船長のスタブの素っ頓狂な声に顔を上げる。

 セレナ海岸からほど近い、沖合に停泊した小さな漁船の上。


「一体どうしたんです?」

「見ろよ、切れちまってる」


 スタブがズタズタに切り裂かれた漁網を掲げてみせる。


「道理で手応えが無かったはずだよ。全部逃げちまってら」

「魔物でも引っ掛けちまいましたかね」

「バカ言え。俺の網を食い千切れるバケモノなんざ、この近辺には居ねぇよ」


 フラスク達が使っている網は、王都付近に生息する強靭な繊維を持つ植物の魔物の死骸を加工した特注品だ。これを引きちぎる事が出来るような魔物がのどかなセレナ海岸沖をうろついているとは到底思えない。

 スタブがそのまま網を引き上げ続けるも、やって来るのは網にこびりついた売り物にならない海藻の類ばかり。


「あぁクソ! ついてねぇな」

「ここんとこ使いっぱなしでしたし、しょうがないっすね。親方の網は大陸イチですから。精霊から獲れすぎたバチをあたえられたんすよきっと」


 悪態をつくスタブをいつもの調子でなだめるフラスク。

 この親方は技術は高いものの感情の沸点が低いのが玉にキズだが、幾年もの付き合いのフラスクにとっては、この気難しい海の男の扱いも慣れたものである。

 

 突然、フラスクが近くの水面を指差す。


「親方、あれ」

「なんだ」

「……何か変なモンついてませんか?」


 フラスクが指した先、漁網の中。海藻の束に紛れて黒い塊が網に引っかかっている。


「なんだこれ?」

「さぁ……」


 引き寄せてみる。

 それは人の頭ほどの大きさの立方体だった。

 表面はヤスリで丁寧に磨かれたかのように、つるつると滑らかな質感を見せている。


「魔獣共が使う道具すかね? この辺にはたまに流れてくるみたいすよ」

「へへ、もしかしたら高く売れるものかもしれねぇな。どれ」

 

 スタブがおもむろに立方体に触れる。

 すると突然、それは激しく脈を打ち初めた。


「な、なんだ!?」

 

 スタブが思わず手を離す。

 甲板に投げ出された立方体は、まるで心臓のようにドクドクと脈動していた。


「気味悪いすね……」

「全くだ。早く捨てちまえ!そんなもん」

 

 フラスクが立方体を恐る恐る海に蹴落とすと、あっという間に沈んで見えなくなる。


「そろそろ戻るか」

「そうすね。網は残念でしたけど」


 そう言ってフラスクが帆に手をかけた時、視界の隅に一隻の漁船が目に入った。

 彼らの乗る船と同型の小さな船である。

 だが何か様子がおかしい。

 帆も張らず、かといって網を出しているわけでもなく、ただフラフラと海面を漂っているように見える。

 そして船には誰も乗っている気配がない。


「なぁあれって……」


 隣でスタブが声をあげる。


「サムさんとこの船っすね。もっと沖の方出てたはずなのに。もうあがって戻ってきたんすかね」

「こんなに早く戻ってくるかよバカ。何かあったに決まってんだろ。おら、ちょっと寄ってみろ」


 フラスクが船を操り近づいていく。

 雲ひとつない空の下、穏やかな波に乗ってフラスク達の船はあっという間に無人船の脇にたどり着いた。


「おぉい、誰かいねぇのか」


 向かいの船の甲板に器用に飛び乗ったスタブが声をあげる。


「親方~何か見つかりました?」

 

 帆を閉じようとしたフラスクの手が止まる。

 奇妙な匂い。

 船上を常に取り巻く潮の香りではなく、何か固くそれで生っぽいが魚とも違う、これは……。


「……ちょっと来てみろ」

「親方、何か変な匂いが」

「いいから早く来い!」


 フラスクが言われるままに無人船へと飛び移る。

 船の端。スタブが立ちすくんで何かを見下ろしている。


「一体何が」

 

 スタブが無言で甲板に転がるそれを顎で示してみせる。


「……!」


 血まみれとなった漁師の身体が転がっていた。

 ズタズタに引き裂かれボロきれのように倒れている。


「早く救急箱持ってこい」

「あ、えっと……」

「ボサっとすんな! 早く!」

「は、はい!」


 駆け足で自らの船へと戻るフラスク。

 手荷物から救急箱を素早く取り出し、戻ろうと振り返るが、


「あれ……? 親方?」


 向かいの船の上にスタブの姿が無かった。

 辺りを見回すが、影も形もない。


「え、何かの冗談すよね?」


 ――唸り声。


 隣の船に乗り込むフラスク。

 スタブだけでなく、血まみれの漁師もどこかに消えていた。


「いやホント、勘弁してくださいよ……」


 不安そうに辺りを見回すフラスク。

 その手から救急箱が落ち、中身が甲板に散らばる。

 慌てて拾い上げようと屈んだ彼の後方で。


 海面から静かに、それが迫る。



 ■王都ユニガン


 人間とは、とにかく脇道に逸れがちな生き物である。


 酒場の入り口に佇み、王都を貫く大通りの人混みを眺めながらヘレナはそんな事を考えていた。


 アルド達と行動を共にするようになって分かったが、彼ら人間は、自分達合成人間の想像以上に感情で物事を決める傾向がある。

 先程もそうだ。

 酒場にて古戦場跡地への道筋を立てる為の作戦会議が終わり、店を出た瞬間、突如アルド達一行に向かってつむじ風が吹き付けてきた。

 身体に危害はないただの突風であるが、自然に吹く風ではない。人為的に起こされたもの。恐らくは簡易な風魔法。使用者はまだあどけない子供か、魔法の研鑽をさして積んでない初学者。

 ヘレナが瞬時にそう分析している隣で、フィーネが顔を真っ赤にしてしゃがみ込んだ。


「きゃっ……!」


 少し離れた場所にて、数人の少年達がこちらを見ながら何事か囃し立てている。


「見えたか?」

「白!」

「いや、ピンクだろあれ」


 どうやらフィーネのスカートを風でめくってその中を覗いていたようだ。


「あの白い姉ちゃん、ちっちゃいのに意外と色っぽいの履いてるんだな」

「それに比べ隣の紫の姉ちゃん、全く動じてねぇや。すげぇ」


 フィーネの後ろから飛び出してきたエイミが烈火の如く怒り出す。


「こらぁ! 何やってるのあなた達!」

「やべぇ、こっちの赤い姉ちゃんは凶暴だ」

「逃げろ!」

「あ、待ちなさい!」


 散り散りに逃げていく少年達をエイミが猛然と追いかけていく。


「大丈夫?」


 フィーネの脇から、アルドがそっと手を差し伸べるが、


「……見たでしょ?」

「え?……いや! 見てない」

「うそ」

「ホントだって、絶対……」


 彼女の身体に魔力が帯び始める。


「待ってくれ、本当に」

「……お兄ちゃんなんて知らない」

「あぁ落ち着けって! 悪かったから!」


 逃げ出すアルドの後ろ姿に、フィーネの光魔法が襲いかかる。


「……ああいう時は、どう振る舞うのが正解なのかしら?」


 酒場の建物の壁に寄りかかり、飽きれた調子で通りを見つめたまま、ヘレナが口を開く。フィーネに平謝りするアルドの様子。


「複雑なケースデスネ……ワタシのプログラムの中から類似例をいくつか拾った結果をお伝えスルト……ウーン」

「いいわよ、そんな本気にならなくても」

 

 苦笑しながら、隣で煙を上げ出さんばかりに思考を始めたリィカを制す。


「兄と妹……血の繋がり……イエ、アルドさん達の場合、血縁と言えるノカ……そもそも家族という概念ハ……」

「……」


 リィカを無視し、通りの人混みに目を戻す。

 魔獣の襲撃を乗り越えたユニガンは、徐々にその活気を取り戻しつつあった。

 人々はこれからもここで暮らし、自らの営みに励んでいくのであろう。

 種と文化の継承が人の営みであるからこそ、数万年の時を超えてもまだ人類は繁栄を続けている。

 

 種と文化の継承。家族と血縁。


「ねぇ」

「申し訳ゴザイマセン、あと2秒で13パターン程の結論がご用意出来るノデスガ……」

「そうじゃなくて。さっき家族って言ったわよね?」

「ハイ」

「私達アンドロイドにも家族なんて概念が存在すると思う?」

「ソレハ……例えば、ヘレナさんとガリアードさんのような関係を仰ってるのデショウカ?」


 ガリアード。

 合成人間を束ねるリーダーの一人にして、ヘレナと同じプロトタイプの一つ。

 クロノス博士のもとで試作された彼とヘレナもまた、やはり家族と言えるのだろうか。


「兄弟姉妹の事を指すのであれば、共同体としての家族の定義には当てはまるのかもしれないわね。じゃあ血縁は?」

「血縁。同じ血を分けた存在。生物学的な親子関係の連鎖を意味する言葉デスネ」

「例えばアンドロイドの思考パターンの蓄積が連綿と後継機に受け継がれていくとして、それも血縁と言えるのかしら」

「そうデスネ、それは……」


 だがリィカの言葉は、突然通りに響き渡った声によって遮られた。


「おおい! 誰か! 誰でもいい! 助けてくれ!」


 リィカと共に声の方に急ぐ。

 漁師らしき格好の男が人混みの中で血相を変えて助けを求めていた。


「一体どうしたんです?」


 いつの間にかアルド達もやって来ていた。先程までの騒動はどこへやら、皆真剣な表情。


「セレナ海岸で……漁師の死体があがった。それも一つや二つじゃない、大勢……」

「……!」



 ■セレナ海岸・浜辺


 王都からほど近い海岸地帯。


 一枚岩がいくつも立ち並ぶ風光明媚な景勝地だが、今は普段ののどかさからは想像もつかないくらい、慌ただしい様相を帯びている。


 打ち上がった遺体の数は5つ。

 それぞれに骸布がかけられ、傍では神官が神妙な面持ちで祈りを捧げている。


「これ以外にも沖に漁に出たやつらがたくさん……戻って来ないところを見るにもう……」


 案内してきた男の声が段々と小さくなっていく。


「今年は大漁だってみんな喜んでて……まだ働き盛りで、家族がいるやつだってたくさんいたのに……」

「ひどい……」

 

 目を覆うフィーネ。

 アルドやサイラスも険しい表情を崩さない。


「生き残った人は?」


 ヘレナの質問に、案内の男が静かに肯き指し示す。


「若い漁師で……ひどい怪我だが命までは取られなかったようだがあの有様じゃあな」


 男が視線で示した先、治療を受けている漁師の姿があった。どこか虚ろな目で、全身を包帯で巻かれた姿が痛々しい。


「なぁ、一体何が」


 近づき声をかけるアルド達を見て、漁師が突然怯えだす。


「ひ、ひぃぃ」

「違うんです、私達は」

「助けて、殺さないで……!」


 エイミの呼びかけも虚しく、漁師の男は頭を抱えうずくまってしまう。


「あいつにみんな喰われたんだ、親方も、みんな、俺の事も……」

「さっきからずっとこんな調子で……よっぽど恐ろしい目にあったんでしょう」

 

 隣で包帯を手にした医師がぼそりと呟く。


「やっぱり魔物の仕業なのか?」

 

 と、アルド。


「皆大きな爪や牙のようなもので引き裂かれた痕がありますし、恐らくは」

「しかし一度にこんなにたくさんの人が襲われるなんて……」

「そう、この辺りはそこまで凶暴な魔物はいないはずなんです。守り神もいますし」

 

 医師が指し示した先。

 一際大きな一枚岩が佇んでいる。


「大きいでござるな」

「通称『星の煌き』……この辺りの守り神として王都を加護する聖なる岩とされるものです。遙か太古から存在していて、凶暴な魔物をも退けると伝えられてきました。この辺りがのどかなのも、岩のおかげと言われています。最も、こんな事があった以上……」


 悲しそうに顔をふせる医師。

 皆の表情も心なしか暗い。


 ――ヘレナが、ふと沖合の方へ目をやる。

 隣ではリィカも同じように海原を見つめていた。


「……気づいてた?」

「ハイ、ヘレナさん。海中に反応ありデス。それも非常に大きな……」


 二人の声にアルド達も沖に視線を集中させる。


「何も見えないぞ、リィカ」

「近づいて来マス。距離700……600」

「……危ない! 伏せて!」


 ヘレナが叫ぶと同時に魔力を展開させる。

 いつの間に放たれたのか、巨大な火球が高速で迫ってきていた。

 魔力と火球が衝突する。

 

 閃光。

 

 ついで爆風がアルド達を襲う。


「きゃあああああ!!!」


 咄嗟にフィーネを庇うエイミ。さらに彼女達を庇うようにアルドとサイラスが前に出て、素早く防御の姿勢を取る。


「……何てエネルギーなの」


 爆風が収まり、ヘレナがかざした手を下ろす。


 ――そこにいたのはまさに「怪獣」と呼ぶべき代物だった。


 海中から姿を現した巨大な魔物。

 古代の火山地帯を闊歩する恐竜型の魔物をさらに一回り分厚くしたような姿をしていた。

 それが不格好な二足歩行で、ゆっくりと近づいてくる。

 全身を覆うのは黒い皮膚。

 海水で濡れて不気味な輝きを放っていた。


 ――いや、皮膚ではない、それは、


「なぁ、リィカ、あれって」

「ハイ。恐らく金属製の装甲と思われマス。さらに内部に、機械反応が多数」

「機械!? そんな……だってここは」

「……この時代にいるべき存在じゃないのは確かね」

「未来から?」

「分からないわ。一つ言えるのは……こいつを倒さないと、王都がただじゃ済まないってこと」


 ヘレナの全身を再び魔力が覆い出す。

 とその時、怪獣の全身からいくつもの小型ミサイルが飛び出し、真っ直ぐヘレナの方へと押し寄せてきた。


「なっ……!」


 だが着弾の直前、とっさに防御姿勢を取ったヘレナの前に、影が立ち塞がる。


「リィカ……!」


 ハンマーを盾に、ヘレナを守るリィカ。

 爆風を受け、ボディのところどころが焦げ付いている。


「平気デス。ソーシャルヘルパーはこのくらい何とも無いのデスヨ」

「……無茶するわね」


 そう言うや否や、再び迫り来ていたミサイル群を今度は余裕を持って魔法で一層する。


「胸部に多大な熱量を感じマス。恐らくはコア」

「援護するわ。前は任せた」

「了解しまシタ……ターミネート・モード起動」


 勢い良く飛び出していくリィカ。

 怪獣のすぐそばでは既に近づいていたアルドとサイラスが、胸部への進入を阻むかのようにうごめく鋭い爪や尻尾と格闘している。


「アルドさん、サイラスさん、怪獣の弱点は胸の部分デス」

「分かった!」

「承知したでござる――秘儀、水天斬!」

 

 サイラスが怪獣の爪を切り落としながら、アルドとリィカの道を拓く。

 だが怪獣は、二人を認識するや否や長く太い尻尾をムチのようにしならせながら二人を薙ぎ払おうと試みる。


「そこだ!」


 アルドの剣が巨大な尻尾を切り飛ばす。

 巨体が僅かに怯む。


「リィカ!」


 高く跳ぶリィカ。全身を回転させ、さらに落下の速度を活かしながら、ハンマーによる渾身の一撃を怪獣の胸部に叩きつける。


 激しい金属音。黒い装甲が弾け飛ぶ。

 赤く輝くコアがその姿を現した。


「……最後よ」


 後方。ヘレナの手先から膨大な魔力の渦が解き放たれ、一直線にコアに迫る。


 ――やった。


 だがその光がコアに届く事は無かった。

 剥ぎ取られたはずの装甲がなんと「再生」を果たし、ヘレナの渾身の一撃を易々と防いでしまう。


「そんな!」


 怪獣が咆哮する。

 その唸り声に合わさったかのように、身体中浮かび上がる紅い模様。

 続け様に怪獣の全身が激しく光を放ち出す。


「いけまセン!皆さん、退避ヲ……」


 リィカのとっさの警告も虚しく、周囲を激しい光の渦が包み込んでいく――。


    ×    ×    ×


 ――再起動。

 ヘレナの視界が復元する。


 セレナ海岸の浜辺。

 周囲に響くのは穏やかな波の音ばかり。

 起き上がり、辺りを見回す。


 怪獣の姿はどこにも無かった。


「魔物は……!?」


 遅れて目覚めたアルド達が起き上がり武器を構える。

 

「おーい!あんた達!」


 遠くから何者かがやってくる。


「大丈夫かー?」


 ヘレナ達を案内した男だった。戦闘に巻き込まれなかったところを見るにどこかに隠れてたのだろう。


「雷が落ちたみたいに急に眩しくなったと思ったら……」

「なぁ、怪獣は!?王都は!?」

「それがよ、急に消えちまったみたいで」

「えっ?」

「陸の方には行ってないみたいだ。俺はてっきりあんたらが追い払ったとばかり」

「消えた、のか」


 ――浜辺は、先ほどの喧騒が嘘のように静かな波が広がるだけだ。


(……何かしら?)


 視界の隅、浜辺の水の中で何かがキラリと光った。

 近づいて拾い上げてみる。黒い箱のような何か。


(魔物の装甲?)


「ヘレナ、どうしたんだ?」


 傍らに来たアルドが箱に手を伸ばす。


「うわ!」


 箱が突然波打つように震え出す。

 拍子でとっさに手を離してしまうアルド。

 水の中に箱が落ちる。


「……!」

「これは……」


 なんと箱の表面が急速に「溶けて」いくではないか。

 やがて溶け落ちた中から現れたのは銀色の、何か装置のようなものだ。

 そこには文字が刻印されているようだが、かすれて判読が難しい。


「何かしら。メー……ナ?」

「ヘレナさん。その物体には心当たりがありマス」


 皆が一斉にリィカの方を振り向く。


「KMS社製のジェネレータ。恐らくは9××モデルのものかと思われマス」

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