朽ちた骨が二人の心臓を貫くまで〔ゾンビホラー〕

楠本恵士

第1話


 古びて壁のタイルが剥がれ落ちた、二階建ての家にボクたちはいた。

 閑静な住宅街──数ヶ月前までは、人間の生命力に溢れ。

 綺麗な住居が建ち並ぶ坂の町、朝になれば通学する小学生の明るい声が聞こえていた町に……今は子供の声は聞こえない。

 住んでいる人がいなくなって、人の手入れがされていない住居は蔦や雑草に被われ荒れ果てていく。

 緊急閉鎖された、感染区域の町──国から見捨てられた町。


 テーブルを挟んだ向かい側の席にはフォークを持って、座っている女性がいた。

 髪はボサボサで、腐って落ちた頬の辺りからは歯根が覗いている。

 灰色の中に、暗いミドリ色を混ぜたような体色をしている、その腐った女は皿の上に乗った目玉焼きを。

 必死にフォークで突き刺して口に運ぼうとしているが、上手くいかない。

「いっ、うぅ、あぁ」

 皿の上にダラダラと垂れる、黒く変色した玉子の黄身。

 女の手から錆びたフォークが床に落ちる。

 見かねたボクは、硬直化した体で椅子から立ち上がると、ギクシャクとした動きで落ちたフォークを拾い上げて女に渡す。

 女にフォークを渡した時、筋肉が腐り溶けて緩くなっていたボクの眼窩から、眼球が滑り落ちて女が食べていた目玉焼きの皿の中に入った。

「うぉぇぁ……」

「あぅぅがぁ……」

 女は嬉しそうにボクに礼のような声を発すると、フォークでボクの眼球を突き刺して。歯が所々抜け落ちた口に運んだ。

 自分の席にもどったボクは、腐った女の腐った食事を眺めながら。脳神経と細胞が日を追って死滅していく、思考力が衰えてきた頭で必死に考える。

(目の前にいる女は……誰だ? あぁ、思い出したボクの婚約者だった……どうして、こんな状況に? そうだった、すべてはあの、未知のゾンビウィルスがあっという間に蔓延して、世界中に感染が拡大した…… パンデミックが原因だった)

 婚約者は、嬉しそうににボクの眼球をクチャクチャ食べる。

 脳細胞と脳神経が日を追って死滅していく、ゾンビ化がボクより進行している婚約者は笑みを浮かべながら、自分の腕をかじって食べて腕の骨が見えていた。


 少し離れた本棚のところには、まだボクと婚約者がゾンビ化ウィルスに侵される前の人間の姿で、仲良く並んで写っている写真が額に入れられて飾られている。

(思い出した、ボクと婚約者も感染して、ゾンビになったんだった……数ヶ月前に)


 最初は、一部の地域で発生したウィルス感染症だった、誰もがその地域だけで抑えられて終息するものだと思っていた。

 ボクの脳内で、目の前にいるゾンビ婚約者の姿が、人間だった時の姿にもどり。

 室内もまだ、世界がパンデミックになる前の壁紙が剥がれていない、綺麗な室内にもどる。


《○○地域での感染者数は、日を追うごとに増えて○○国の政府は、長期休暇での海外への渡航をできる限り控えるように市民に勧告を……》

 テレビで報じられた、新種のウィルス感染のニュースを、ボクと婚約者はコーヒーをすすりながら、他人事のように見ていた。

 テレビを見ながら婚約者が言って。

「この国は大丈夫だよね」

 ボクが答える。

「そうだね」

 リモコンのボタンを押して、バラエティー番組をボクと婚約者は観た。


 平穏な日常が、この先も続くものだと、この時は誰もがそう思っていた。自分の国は感染症は無関係だと……誰もが思っていた。

 新種のウィルスに感染すると最初に、皮膚にゾンビ色の班が現れ全身に広がっていく。

 そして、思考力が低下して、生きたまま肉体は腐り……体の動きは、筋肉が固くなって鈍くなる。

 本当にゾンビのような容姿に変わってしまう、恐怖の新種ウィルスだった。

 幸いなコトに、ゾンビ化しても、凶暴になって人を襲う症状はなかった。

 それまで、別世界の話しだと思っていたボクと婚約者は、ゾンビ化ウィルスの感染恐怖を身を持って知るコトになる。

 ボクたちの国で最初の感染者、数名が発表された。

 それから数週間で、感染者数は爆発的に増加した。

 婚約者が不安そうな顔でボクに言った。

「大変なコトになった、どうすればいいの? マスク? 手や指先の消毒? どこのお店に行っても品切れだよ」


 感染症を防ぐために、不特定多数の人間が集まるイベントは、すべて中止か延期された。

 イベント中止、不要不急な外出の自粛や禁止。学校や図書館、博物館、市政施設などが相次いで閉鎖され。


 終息が見えない感染拡大に。

 パチンコ店やゲームセンターなどの遊戯施設の閉鎖、映画館や劇場の閉鎖。公共交通機関の一時停止、人の地域移動制限、職場に対する在宅勤務要請や、時間帯による完全な外出禁止の戒厳令までも発動された。

 それでも感染拡大に歯止めはかからなかった。


 人間の感染拡大阻止の浅知恵を見えない悪魔は嘲笑っているかのように、世界各地がゾンビ化ウィルスの感染汚染国になった。

 そして、ついにボクと婚約者の国もスーパーマーケットや、コンビニエンスストアーまでも、一時閉鎖か短縮の時間営業となった。


「思えば数世紀前と異なって、近代は人や国の距離が近くなっていたんだ。

 移動手段も陸路に加え海路や空路の利便性を求めた結果が皮肉なコトに、数週間での急激な世界的な感染拡大を招いてしまったんだ」


 ボクと婚約者は、同棲する同じ屋根の下で、できる限り外に出ない生活を送っていた。

 いつ終わるのか、先行きがまったく見えないパンデミックで室内に閉じこもるストレス生活が続く中、夕食後の食器をキッチンのシンクに運んでいる婚約者がポツリと呟く声が聞こえた。


「結婚式も……延期だね、式場も教会も予約できない状況だもん、せっかく結婚式の衣裳合わせしたけれど。しかたがないね、世界中がこんな状況だと」 

 そう呟いて、キッチンに消えた婚約者の悲鳴と床に落ちた食器が割れる音が聞こえた。

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