月のリンゴ

弱腰ペンギン

月のリンゴ

「きれいな夜景、ですよね」

 高い高い橋の上で、何もかも捨ててしまおうかと考えていた時、あの人に出会った。

「ここ、有名な橋なんですよね?」

「えぇ、そうみたいですけど」

 興味が無かったの。仕事でお局さんに怒鳴られて、8年付き合った彼氏に捨てられて、おまけにアパートが全焼。今日寝るところさえままならなくなった私には、もうどうでもよかった。

「さっき、営業先から出てきたところだったんですけど、相手にされなくって。あ、私こういうものです」

 あの人はそういうと、紙袋の中から淡く、薄く緑色に色づいたリンゴを取り出した。

「これ、白いリンゴなんですけど。あ、色がつかないように工夫して栽培したんですよ。でもコストがかかりすぎて、高いって。それに言うほど白くないって言われちゃって。このまま、役場に戻っても農家さんにどういったらいいのかって思ってたんですけどね」

 丸いリンゴを手に、あの人は困ったような顔で笑っていた。

 夜の街に、小さな光を集めて光るリンゴはまるで——。

「お月様みたいなリンゴですね」

 そう思った。

「え? あぁ……あぁ、そうですね。えぇ、確かに!」

 あの人はリンゴを嬉しそうに、空に掲げた。やっぱりお月様みたいだった。今は半月みたいになってる。

「あの。よかったらこれ、どうぞ」

 あの人は私にリンゴを預けると笑った。

「今日、あなたと出会った、その記念にでも。よかったら食べてみてください」

 そういうと、夜の街に消えていった。

 橋の上で一人。袖で拭いたリンゴをかじる。

 さっきまでのモヤモヤを、やさしい甘さと酸っぱさが溶かしていった。


 それから私は少しの間会社を休み、アパートを決めた。その間にあのリンゴについて調べたけど、希少なこと以外あんまりわかんなかった。

 仕事に復帰して、またお局さんの癇癪に付き合いながら、それとなくリンゴについて調べていた。そんな時だった。

「かぐや姫……?」

 ある村の、月のようなリンゴのポスターだった。

 大きな木製の橋の上から、十二単を着た女の人が月を模したリンゴを『見下ろして』いるポスターだった。

 夜の川に写った夜空の中で、ひときわ大きく輝いているリンゴ。

 私は「これだ」と思った。似ているものはいくらでもある。同じようなポスターも。

 でも、あのリンゴと、あの夜の空だって思った。

 そう思ったらいてもたってもいれず、すぐに会社を辞めてポスターを作った村に飛んで行った。

 電車に乗って、バスに揺られて、やっとの思いで着いたのは村役場。

「ここでいいはずだけど」

 鳥の声が聞こえてくる山間の村の中に、整地された広場みたいなところがある。そこにプレハブみたいな小屋があった。小屋に『役場』と書かれているので間違いないとは思う。だけど、お昼なのに誰もいない。

「あれ、お客さんかね?」

 声に振り返ってみると、麦わら帽子をかぶったおじさんが立っていた。

 ……ここ役場だよね?

 制服を着た役員……みたいな人じゃないの?

「悪いねぇ。みんなお昼になったからご飯食べに行っちゃってるんだよ」

 自由か。

「そうなんですか……」

「お姉さんは、急ぎかい?」

「いえ、そうではないんですが」

「じゃあ、ここで待ってんさい」

 そういうとおじさんはどこかに行ってしまった。

 仕方ないのでパイプ椅子に座って外を眺めていると、鳥が山のほうへ飛んでいくのが見えた。

 気持ちよさそうに谷間を飛んでいく。

「おや、お父さんがほんとのこと言ってたのね」

「だから言ったべ」

 おじさんがおばさんを連れて戻ってきた。

「おなか、すいてるかい?」

 そういうとおばさんは籐の籠を机の上に置いた。

「今日のお昼ご飯なんだけどね。夫婦二人だけしかいないのに、まとめて作るから余るのよ」

 おばさんが布を取ると、籠の中いっぱいにアップルパイが入ってた。

「作りたてよ」

 湯気と共に、おいしそうなアップルパイの香りが立ち上ってきた。

 これを夫婦だけで食べるのはさすがに無茶だろうなと思う量だ。

「いただきます」

 切り分けられたパイを手に取り、かじる。

 サクサクと音を立てて生地が崩れていき、リンゴの果肉がじゅわぁ、と崩れる。

 口の中にリンゴの甘みと酸味が広がっていく。これだ。あの時食べたリンゴの味だ。

 でもあの時よりあったかくて、やさしい味がする。

 橋の上で食べたリンゴは何処か冷たくて、でもゆっくりと心を溶かすような優しい、月の光みたいな甘さと酸っぱさだった。

 でもアップルパイは『これでもか!』ってくらいあったかくて甘い。どこか『お帰り』って言って、ぎゅって抱きしめられてるみたいだった。

「おいしいです」

 自然と、笑っていた。

 私は思いっきり、リンゴを口いっぱいに味わった。


「ごちそうさまでした」

 いっぱい食べるからだろうか。どんどん増えていくパイを断りつつおなか一杯になるまで食べてしまった。……カロリー気になるなぁ。

「おそまつさまでした」

 そういうとおばさんは籠をもって帰っていった。

「それで、この村になんのようね?」

 おじさんがパイを片手に聞いてきた。

 あ、そうだった。パイを食べて満足して帰るところだった。

「えっと、かぐや姫のポスターを見て……」

「あれを見てくれたんかい!」

 おじさんが身を乗り出してきた。

「するってっと、百貨店のヤイバーさんかなにかけ?」

「や、ヤイバー?」

「お父さん。むさい」

 そこへおばさんが水筒をもって戻ってきた。

「まぁったくこの人はもう。はいお茶」

「あ、ありがとうございます」

 お茶を受け取ると、ほのかに甘い香りがし……まさか。

「リンゴ茶」

 おばさんがにやっと笑った。ここまでしなくてもいいだろうに。

 恐る恐る口にすると。うぅ、にがぁい。甘くないし、酸っぱいしエグイ……けどなんでか飲める。

 え、うそ。飲める。きつくない。

「不思議だべ? キッツイのに飲める不思議なお茶」

「キッツイのわかって進めてたんですか」

 おばさん……。

「それで。話、聞くよ」

「あ、はい」

 そこで、橋の上で出会ったあの人のこととか、ポスターのことを話した。

 おばさんはうんうんと頷きながら聞いてくれた。途中、役場からおじさんを追い出してしまったりしたけど。

「大変だったねぇ、遠いところから」

「あ、いえ。それは、大丈夫なんですけど」

 リンゴを探してやってきましたってだけで、何かしたかったわけじゃない。

 思わず飛び出してきちゃっただけだし。っていうか会社やめちゃったのも衝動的で、どうしてそんなことしたのかもわかんなかった。

 ただ、ここに来て、この村を見たかった。とにかくその一心だったから、大変とかそういうのは全く考えなかったな。

 そして、リンゴに出会った。パイの姿として。

「それで、これからどうするね?」

「うーん。しばらくはここの村に泊まって、何か観光的なことしようかと思うんですけど……。何も考えてません」

 正直に言うしかなかった。本当に何も考えてなかったんだもの。

「そっけ。でも、ここに旅籠はねぇから、隣町のホテルに行くしかねぇなぁ」

 そ、そうなんだ。隣町、確かバスで一時間だったような。

「でもって、バスはもう出ね」

「え!?」

「一日に、一本だからね。行と帰りで」

 あぁ……どうしよう。帰りの山道、バスで一時間分の道のり歩くの?

 途方に暮れていると。

「あれ、お客さん?」

「あぁ、翔ちゃん。そうよー都会から。あんたの言ってたかぐや姫が来たんだべ」

 ん?? 翔ちゃん? かぐや姫?

「っちょ、おばさんそういうのやめ……あ」

「あ」

 振り向くと、あの人がいた。


「すみませんでした」

「いえいえ、そんな」

 あの人の名前は『大野翔』といった。あの日は夜空の下で、あんまりよく顔を覚えてなかったんだけど、どこか前より元気で若々しく見えた。

 聞くと32歳で私と同い年。村役場の広報という立場らしいけど、畑に出てる方が性に合ってるそうだ。

「だって、仕事ねぇんだもん」

 嘘でしょ……。

「限界集落だし、役場の仕事は専門の人たち居るし、数が少ないからすぐ終わっちまうし」

 業務内容はずいぶん緩いようだった。そんな村あるの……。

村はみんな知りあい。何かあったら電話すれば対応してくれるし、そもそも大きなことはあんまり起きない。

 どこどこのおじいさんが熱出したっていうことで救急車呼んだりくらいだそうだ。

「まぁ、だからこそ限界集落になっちまってんだけどね」

 そして、何もないからこそ人口流出に歯止めがかからない。

 村は農作物が主な収入源で、ほとんどがリンゴ農家だそうだ。

 だけど、昔ならともかく、今はリンゴはいくらでも手に入る。名産地でも、特別珍しくもないふつーのリンゴを生産してたこの村は、徐々に収入が減っていったそうだ。そこで。

「白いリンゴを作ってみたんだけども」

 売れない。

 理由は『おいしそうじゃない』から。

「みんな、リンゴは、赤くねえとってねぇ……」

 珍しかろうが『おいしそうじゃなければ売れない!』ということだ。

 はじめは物珍しいリンゴってことで、百貨店とかに卸してたらしい。でも売れないから要らないって言われたそうだ。

「んで、その商談がダメになった帰りに、その、橋の上にいたのを見て……思わず」

 私の姿を見て、ポスターにしようとスマホのカメラを向けてしまったそうだ。

 そしてそれをそのままイラストにしたり写真を加工したりして、ポスターを作った。

 なるほど。原型が私に似てないあたり、苦労して加工したのがよくわかるわ。

「まぁ、怒ってはいないんですけども」

 なんていうか、私の動機が動機なので、どうにも歯切れが悪くなってしまう。

 あと、何かを察したおばさんが隣で笑ってるのがちょっとイラっとする。

「でもまぁ、売れてないんだけどね」

 ポスターを作っても、たいして売れてないとのこと。

 そりゃぁ、今はアニメとかドラマとタイアップ! とかが普通だしね。

 そもそも誰を呼び込むかで芸能人なのか、二次元なのか、それとも別の方向なのか考えなきゃいけない。

 この『知らない村の知らない人が知らない場所でリンゴを眺めてる』っていうだけじゃ、伝わらないだろうな。

「きれいで、幻想的な雰囲気は出てると思いますけどね」

 まぁ、被写体が自分なので、自画自賛っぽくなるのが嫌だけど。この構図自体は悪くないと思った。なんか、湖面に映ったリンゴに恋をしているみたいで。

 ……は?

「そうけ? やったぁ!」

「いや、喜んでるところ悪いですけど、宣伝効果ないならすべて無意味ですからね」

 どんなにいい構図だろうと、来てほしい、知ってほしい対象に訴求しないんだったら無意味になってしまう。それでは広告が可哀そうだ。

「そうだべなぁ……」

 翔さんがすごい落ち込んでいる。あ、広報担当……。

「このポスターな。あの日帰ってきてから一日寝ないでずーっとやっとったんよ。この感動を忘れんうちになーって」

「っちょ、おばさん!」

「は、はぁ」

 なんか恥ずかしい。

「でも、ウケなくてまたがっかりしとってね。そこへかぐや姫登場だべ? 始まっちまうべなぁー!」

「「なにがだよ」」

 思わず突っ込んでしまったら、翔さんとかぶった。

「はぁーじまっちまうべー」

 なんだかなぁ。


「夜と月っていう構図はいいと思うんです。でも見下ろしている感じだと、どうしても橋やかぐや姫に焦点が当たってしまうんです。焦点を当てたいのはリンゴで、おいしそう、買ってみたいって思わせなきゃいけないんです」

「ふんふん」

 それから私は村役場でポスターの修正を手伝うことになった。

 ちなみに宿はおばさんの家に泊めてもらっている。子供たちが出ていったので、部屋がたくさん余っているから気にすんなと言ってもらっている。

 でも気になるのでお手伝いとかすることで宿代替わりっていうことにしている。

 いまだに『お客さんなんだから』と言われるが、そうもいかない。近々空き家を借りることになっている。

 見に行ったら信じられないくらい広くてきれいで、この家を売りに出したらいいんじゃないかと思ったけど、すぐにダメだなと思った。

 遠いんだ。都心から。コンビニ……は一軒あるんだけどね。なんであるんだろうね。

 まぁ不便なんだ。だから、ここの売りは。

「せっかくの白いリンゴ、中央に持ってきたいですよね」

「うーん」

 そうなると見下ろす構図がネックになる。でも、翔さんのひらめき……というか感動は『湖面に映った月』と、その『私』の構図だったので。

 そこを崩すと、このポスターは『じゃない』ものになる。

 最大限、ターゲットに『興味を持ってもらう』のがポスターだと思ってるけど、そこを曲げてでも、この思いを形にしたい。

 決して私を推したいとかそういう話じゃない。断じて違う。

 散々話し合った結果。ポスターを四分割したとして、かぐや姫と橋を右下に。

 左上の月を見上げながら、左下の湖面に映ったアップルパイを、かぐや姫が食べている。

 という絵になった。右上にはコピーが入る。

「うん、これがいいべ!」

 翔さんにはとても喜んでもらえた。

 ……まさかここでも広告の仕事するとは思わなかったわ。

 リンゴの名前は『かぐや姫』に決まった。

 新品種として交配を続けて、ようやく出来上がった物だそうだ。

「今までは東京の洋菓子店とかで使ってもらってたけどね。コストが高くて使い難いって。その契約もあと少しで終わりだから」

 機械で選り分けられたリンゴを、箱に詰めながら翔さんが言った。

「ここで新しい道が見つからねぇと、みんな廃業になっちまうべぇ」

 リンゴを手に、悲しそうな顔で。


 出来上がったポスターを配り……というか取引のあったお店を回って『これ、張るくらいタダでしょ』とごり押ししてきたんだけど、張ってもらった。

 その結果。

「やったよー! 毎日2件くらい注文が入るようになったよぉー!」

 足りないっ!

 翔さん無邪気に喜んでるけどそれ足りないから!

 安いものでも6000円するんだよ、このリンゴ!

 3キロで6000円だよ! お高めなんだよ!

 かぐや姫はやや小ぶりのリンゴで、一箱大体12個入前後になる。一つ約500円だよ。高級品の部類に入るよ!

 そうなると、数少ないお客さんが何度も買ってくれるとはなりにくい。なにより広告をうったにもかかわらずこれだと、惨敗だ。

 正直、物珍しさも含めてもう少しくらい興味を持ってもらえると思ってた。せめて10件くらい注文が入れば、採算もとれる……かもしれないがそこらへんは私の専門外なのでパス!

「どうしよう」

 まぁ、注文が入ったことでちょっとはうれしかったけど。いや、結構うれしかったけど。だって0件だったんだよ。一週間に1件あったらいい方だったんだよ。うれしいじゃない。

 でも、それじゃあだめだ。

 はしゃぐ翔さんをよそに、私はHPとにらめっこしながら途方に暮れていた。


「正―直、気乗りしない」

 行き詰ったので、旧友を頼ることにした。

 私が働いていた会社の同僚。ユリだ。

「それ本人を前にして言う?」

「あぁ、ごめん。そういうことではなくて」

 またこの街に戻ってくるとは思ってなかった。いや、翔さんと一緒にポスター配りに来たけど、そういうことではなくて。

「で、あんたの案件は?」

「これなんだけど」

 翔さんと作ったポスターをユリに見せる。

「うわ地味っ」

「っぐ」

「なんで夜なのよ」

「ぐぐっ」

「キャッチコピー、白くしてるけど、星空で見えにくいじゃない」

「うぐぐ……」

「……お局にいわれたこと、直ってないわよ」

「ぐはぁ!」

 ユリの言葉が突き刺さる。ホント、いい友達持ったわ。

「まぁ、お局は正論に嫌味をブレンドしてくるパワハラ野……うぅん。ヒス女だけども」

 よりひどく言い直したわね。まぁ、ユリも被害を受けてるしね。

「それにしても、あんたもこういうの好きねぇ」

「悪かったわね」

「あぁ違うの。私もこういうの好きよ。かわいいし。でも、ターゲット誰よ」

「うぐぅ!」

「いっそイラストにしたほうがいいわね。そうしたらわかりやすくなるけど、そのターゲット層がこのリンゴを買いそうには、ないわねぇ」

 そう。だからイラストを使ってないんだけど。

「でも、そうなるとかぐや姫いらないわよねぇ。いっそのこと湖のパイを取りに飛び込ませる?」

「ふざけすぎよ……」

「ごめんごめん。でも、これキャッチコピーだけじゃどうにもならないわよ?」

「そうよねー」

 でも、さっき言われたところ変えたら、このポスターじゃなくなるんだもん。嫌よ。

「そしてあんたはそこ、譲らないんでしょ?」

「うん」

「はぁ。コピーだけなら、任せておきなさい。配色は……お局ね」

「ギャーーーー!」

 私の奇声に周りから白い目が向けられる。ご、ごめんなさい。

「なんでお局なのよ!」

「あのババア、配色センスだけはピカイチじゃない。あんた何度それに救われたと思ってんの? あんたのこだわり、叶えたのはババアよ?」

「うぐっ」

「私が掛け合うから、あんたは祈ってなさい」

「あ、ありがとう」

「どういたしまして。あ、お局にはたぶん、アールグレイよ」

「ラジャー」

「それには及ばないわよ」

 後ろから声がした。ユリを見ると顔を背けている。OH……。

「はぁ。どこで何をしているかと思えば。変わらないわね」

 ……振り向けないわぁ。怖いわぁ。

「突然消えるんだから、迷惑したのよ、かぐや姫さん?」

 後ろからスっと手が伸びてきて、ポスターを取り上げる。

「一言くらい、嫌味を行ってから出ていけばいいものを。いいわ。最後の尻ぬぐい、してあげる。それでいいわね?」

「「は、はい」」

 あ、嵐が去っていった。

 お局が履いている、いつものヒールの音が遠ざかっていく。

「あ、それと」

 ヒィ!

「ダージリンね」

「は、はい」

 結局、一度も振り向くことはできなかった。


「やったよー! やったよー!」

 翔さんが今日も無邪気に喜んでいる。

 ……正直、この人が私を変えた人とは思えないし、なんか思いたくない。けど、この村に来てすごーく息をしている気がする。今までが不思議なくらい。

「でも、忙しいよー!」

 ユリとお局の力はすさまじかった。コントラストを付けてコピーを目立たせ、空と湖面の月を少しずらしたり。たったそれだけのことでポスターの魅力がぐんと上がった。

 ……正論ババアめ。

「なにか言ったかしら?」

 ヒィ!

「あら、中村さん、いらしてたんですか?」

「えぇ、先日はおいしいアップルパイ、ありがとうございました」

「いえいえこちらこそ。お紅茶、ダージリンでしたっけ? おいしかったですー」

「それはそれは」

 お局が、村に来ている。ポスターの効果を確かめに来たんだそうだ。どれくらいの売れ行きか確認したいって……。

「盛況ね?」

「お、おかげさまで」

「白いリンゴなんて目立つものがあるのに、かすませるお仕事、ご苦労様ね」

 っく、嫌味を言いに来たのか!

「っと。そうだった。はいコレ」

 お局が一枚の紙を取り出してきた。なになに、請求書!?

「え、っちょ」

「当然でしょ? 仕事をしたのだから」

 いや、ダージリンで手を打ったはずじゃ。

「あぁそうだ。金額書き忘れたわ」

 お局が私から請求書をひったくると金額を書き加える。

「高級リンゴ、一箱分くらいかしらね?」

 そういうと請求書を置いた。

「私のリンゴ、どちらかしら?」

「あ、はい。翔さん!」

 お局は翔さんからリンゴを一箱、一番小さい奴を受け取ると、満足そうに帰っていった。

 いつものようにヒールを鳴らしながら。

「あ、それと」

 ヒィ!

「あなた。センスだけはいいんだから、努力しなさい。神楽耶子さん?」

 お局はそう言い残すと、今度こそ帰っていった。

 ……あれ、ここまでどうやって来たんだ?

「やーこさーん。さっきの人、知り合い?」

 翔さんがタオルで汗を拭きながら役場に入ってきた。

「あぁ、翔さん。うん。前の職場の……」

「職場の?」

 私が答えに困っていると、翔さんが首をかしげていた。

 うん、そうだな。ここは正直に。

「すっごく嫌味な上司」

 そう答えた。

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月のリンゴ 弱腰ペンギン @kuwentorow

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