第七章 執行
詠江の頭に暗い情景が蘇る。
『やめる? 吉倉さん、本気なんですか?』
『もう、私、耐えられません。これっきりにさせてください』
『せっかく賞を取ってこれからというときに、そんな事を私が認めると思うのですか?』
『こんな事、いつまでも続くはずがありません。いつかは終わらせないといけない事なんです!』
『急にどうしたんですか?』
『……私が今何を調べているのかは?』
『生徒会選挙の不正疑惑の噂の検証、だったと聞いています』
『あのでたらめな噂、流したのは橋中さんですよね?』
『……』
『私がそこまで調べないと思っていましたか? 生憎ですけど、私は新聞部の取材だけは手を抜くつもりはありませんし、あの程度の噂で騙されるほど落ちぶれてもいません』
『……それで?』
『どうしてあんな噂を流したんですか!』
『……あなたが知る必要なんかありません』
『言ったはずですよ。私は取材だけは絶対に他人に負けないって。あんな事をしたのは、里中さんへの復讐ですよね?』
『何を言っているのか……』
『この前のテスト、里中さんに完敗したそうじゃないですか。あなたは普段から同じクラスの里中さんに嫉妬していた。だから、その仕返しにあんな噂を流した』
『言いがかりです』
『里中さんがテストで勝ったのは、ちゃんと努力したからでしょう! 努力もしないで引きずり落とすなんて最低です! まして、肝心の絵でさえも私を使って、自分では何もしないで栄誉だけ得ようなんて、そんなの都合がよすぎます!』
『黙りなさい!』
『……私、今回の一件でもうあなたに愛想がつきました。今までの事、全部公表します』
『待ちなさい! そんな事、させません!』
『離してください! やめてくだ……あ、ア―――!』
『……はぁ、はぁ……よ、吉倉さん……?』
『……』
『……いや……私じゃない……私のせいじゃない! ……私は悪くない!』
暗転
『わざわざ来てもらってごめんなさい、高原さん』
『ううん、いいの。それで、記事に関して話したい事って? あんな思わせぶりな手紙まで出して……』
『実は、この間部室にいたときにあなたの机にぶつかって、落ちた資料の中身を少し見てしまったんです。その中に、尾澤中学校の話が載っていたのが見えてしまって』
『……見ちゃったんですか?』
『ごめんなさい。悪気はなかったのですけど』
『いえ、別にいいんですけど……。それじゃあ、やっぱり話したい事って……』
『やっぱり、知っていたんですね。私たちがあの事件の関係者だったという事を』
『……調べてみて初めて知ったの。こちらこそ、ごめんなさい』
『あの事件の事、話してもかまいません』
『え?』
『高原さんならちゃんとした記事にしてくれると思っていますから。もちろん、名前は伏せてもらえるとありがたいんだけど』
『そ、それはもちろんですけど……いいんですか?』
『この三年間、私はずっとあの事件の事を引きずっていました。でも、私もいい加減にあの事件の呪縛から抜け出さないといけない。そう思ったんです。これは、そのための第一歩だと思ってください。遠慮はいりません』
『……わかりました。お願いします。じゃあ、早速……』
『……ただ、その前に、高原さんには一つ約束してもらわないといけない事があります』
『何ですか? 私にできる事なら何でもします』
『そうですか。それでは……』
『っ! な、何するんですか!』
『……話を聞かせる代わりに、あなたには「自殺」して頂きたいんです』
『な……何を言っているんですか?』
『言葉通りの意味です。あの事件のことを知った以上、あなたには死んでもらわないといけないんです』
『や、やめて! 何で、どうして!』
『何で? あなたが優秀だからです。このままだと、あなたは三年前の真相をすべて明らかにしてしまいますからね。私はそれが非常に困るんです』
『っ! ま、まさか、三年前の事件は……』
『やっぱり気づきましたか。高原さん、あなたは吉倉さんに似て優秀です。だからこそ、生かしてはおけないんです!』
『い、いやぁぁぁぁ!』
ハッと気がつくと、詠江の意識は再び現在の暗闇の部室へと戻っていた。同時に、心の中に何かドス暗い感情が広がるのを感じていた。
今なら、まだ大丈夫だ、と。今まで通り、邪魔者を消せばいい、と。
「……それで、どうするつもりなんですか?」
詠江は静かな声で、一声一声を区切るように尋ねた。出雲は軽く首を傾ける。
「どうする、とは?」
「あなたは私の犯行を暴いた。それで、どうするつもりなんですか?」
「という事は、あなたは今の私の推理を認めると、そういう事でよろしいのでございますか?」
逆に出雲はそのような問いを発してきた。それに対し、詠江は背後にバタフライナイフを隠しながらゆっくりとさりげなく出雲に近づいていく。
「……認めるも何も、ここまで徹底的に言われたら、認めざるを得ないではないですか」
「恵さんを殺したのは、やはり三年前の口封じでしたか」
「そういう事になりますね。もっとも、本人はまだ私が犯人だというところまでは行き着いていませんでしたが、そうなるのも時間の問題でしたので。三年前といい、今回といい、どうしてこう新聞部の人間に邪魔されるんでしょうね」
温和に会話をしながらも、詠江は背後に隠したバタフライナイフを汗で滲んだ手で握り締める。一方、出雲はそれに気がついていないのか、恵のデスクの方に体を向けながら言葉をつなげている。
「まさか恵さんも、あなたに殺されるとは夢にも思っていなかったでしょう。信じていた人間に殺される事ほど、残酷な事はございません。この机を見ていると、恵さんの無念が伝わって参ります」
「……もう一度聞きますけど、あなたは私をどうするつもりなんですか? 警察にでも突き出すつもりですか?」
じりじり近づきながら詠江はさりげなく尋ねる。だが、出雲はこの問いに対し机を向いたまま小さく首を振った。
「……そうするつもりなら、この場で二人きりで推理対決をするはずがございません。私自身は、今のところは私の口から警察にこの事を伝える気はございません」
「それは、私が自首をするのを期待している、という事ですか?」
「さぁ、どうでございましょうか。ですが、私がすべき事はすでに決めているつもりでございます。すなわち……」
出雲がそこまで言った瞬間だった。
「では、死んでください!」
そう叫ぶや否や、出雲から一メートルほどの距離まで近づいていた詠江は、隠していたサバイバルナイフを取り出して、目の前にいる出雲に襲い掛かった。出雲に避ける気配はない。
迷いはなかった。無駄な迷いは犯行の失敗を意味する。それが今まで二人の人間を葬ってきた殺人者の経験から来る考えだった。そのまま間髪入れずに右手に持ったナイフを出雲に突き出す。その詠江の顔には、今までの落ち着いた表情ではなく、狂気に取り付かれたような引きつった笑みが浮かんでいた。この距離で避けられるはずがない。詠江にはそんな確信があった。
だからこそ、
突き刺す直前、トンッという軽い音ともに右肩に生じた違和感の正体が、
出雲が机の方を向いたまま無造作に投げた恵のデスクのペーパーナイフである事に、
気づくのが大いに遅れる事になった。
「ア、アアアアアアアアッ!」
直後、鋭い痛みが右肩を貫き、詠江はサバイバルナイフを取り落としながら絶叫した。
詠江には信じられなかった。襲い掛かる直前まで出雲に机上のペーパーナイフを投げるような動作の予兆は一切なかった。本当に無造作に自然な動作で投げられたのだ。
だが、出雲の反撃はそれで終わりではなかった。次の瞬間、目の前に立っていたはずの出雲の姿が消えると、絶叫する詠江の腹部に重い激痛が走った。
「グ、ホッ!」
詠江は思わずそんな声を上げる。が、今の痛みが何だったのかを考える前に自身の視界が大きくひっくり返り、そのまま入口とは反対側の壁に上下さかさまになって背中から叩き付けられた。近くに置かれた冊子や備品が大きく散らばる。
詠江は一瞬呼吸が止まりそうになったが、右肩、腹部、背中に走る激痛に耐えながら、何とかよろめきながらもその場に立ち上がろうとする。
だが、その直後、詠江の想定を大きく超える事象がその場に起こった。
ドンッ、ドンッ、ドンッ!
何かが弾けるような低い音が立て続けに三回響いたかと思うと、詠江の左肩と左右の足首に今まで経験した事がないような激しい激痛が走った。両手両足を塞がれ、詠江はその場に崩れ落ちると、そのまま座り込んだ状態で背後の壁にもたれかかる。そして、このとき初めて、詠江は先程とまったく同じ位置ですましたように立ち続けている出雲の姿を目の当たりにした。
すなわち、ごく自然な動作で右手にオートマチック式の拳銃を構える出雲の姿を。
「な……が……」
一連の攻撃で、詠江はまともに声を発する事もできない。だが、頭の中では今何が起こったのかをようやく理解していた。すなわち、出雲はペーパーナイフで詠江の右肩を貫くや否や即座に射程距離に踏み込んでいた詠江の腹部に膝蹴りを叩き込み、そのまま詠江の服をつかんで柔道の要領で反対側の壁へと投げ飛ばしたのだ。そして、間髪入れずに流れるように自然な動作で拳銃を取り出すと、壁に激突してよろめきながら立ち上がろうとする詠江の左肩と両足首にむかって立て続けに発砲して、詠江の動きを完全に封じたのである。この間、わずかに五秒以下。しかも出雲自身はその場から一切動いておらず、息切れすらしていない。まさに流れるような神業であった。
だが、詠江は今の状況に混乱していた。何より、出雲が持ち出したとんでもない凶器……オートマチック式の拳銃にその霞みかけた視線は集中している。その銃捌きはとても一朝一夕でできるようなものではなく、明らかにプロの銃使いのものである。だが、一見すると自分と同い年くらいに見えるセーラー服の少女がそんなものを扱っているのを見ると、そのギャップの大きさに眩暈がしてくる。ふと我が身を見てみると、両肩両足から派手に出血して床は血の海に染まり、右肩に突き刺さったペーパーナイフが心臓の鼓動に応じてピクピク震えている。詠江はそれが今の自分の有様である事をしばらく理解できずにいた。
と、そのとき出雲がさっきまでと変わらない口調で、詠江に襲撃される直前に話していた会話の続きを、まるで世間話でもするかのように告げた。
「私がすべき事。それは、この事件の犯人である、あなたの殺害でございます」
そう言うと、出雲は銃を突きつけながらも床に転がったバタフライナイフを左手で拾い、そのまま立ち上がりながら無造作に詠江の方へと投げた。バタフライナイフはきれいな放物線を描くと、そのまま正確に詠江の左肩の傷口に寸分違わず突き刺さる。
「ッ!」
詠江は声にならない悲鳴を上げる。一方、出雲は顔色一つ変えずに、キャリーバッグを引きながら一歩一歩詠江の方へと近づいていく。その瞬間、詠江はようやくこの少女が普通ではない事を……明らかにその筋のプロである事を悟った。自分のようにミスだらけの犯行ではない。その手口は手馴れており、自分の犯した殺人とはまったくレベルが違った。
「あ、なたは、な、にも、の……」
途切れ途切れになりながらも、詠江は必死に言葉を紡ぐ。一方、出雲は銃を突きつけながらも小首をかしげてその問いに答えた。
「あなた、恵さんの資料を読んだのではなかったのでございますか。ならば、出雲という名前が出た瞬間に、私の正体などわかって当然だと思っていたのでございますが」
その答えに、詠江は必死に頭の記憶を呼び起こす。あの時は、恵が尾澤中学の事件を調べていた事にショックで、肝心の内容の事まで頭が回っていなかった。だが、少なくとも彼女のテーマくらいは把握していたはずだ。確か、恵の取材テーマは……。
「ま、まさか……」
その瞬間、詠江は絶望の淵に沈んでいた。ありえない。あれはただの都市伝説だったはずだ。だが、出雲は冷酷にもその事実をはっきりと宣告する。
「どうやら、改めて自己紹介が必要でございますね。私の名は黒井出雲。またの名は、『復讐代行人』でございます。本日は、さる依頼人の依頼に基づき、高原恵殺害事件の犯人に対する復讐を遂行しに参りました」
もはや、詠江の頭は真っ白だった。ただの噂だと思っていた殺し屋が今まさに目の前に現れ、しかもあろう事か自分を殺そうとしているのだ。その体はガタガタと大きく震え、目にはうっすらと涙まで浮かんでいる。さっきまで表情を支配していた狂気はそこにはなく、あるのはただの怯え切った歳相応の少女の顔だった。
「た……助け、て……死に、たく……ない……」
思わず、そんな声が詠江の口から漏れる。だが、出雲は一切ぶれなかった。
「残念でございますが、私も仕事でございます。命乞いなど、今更受け付ける事はできません。何より、その言葉はあなたが今まで殺した二人の方々も思っていたはずでございましょう。今更あなたが言われても、何の説得力もございません」
「そ、そんな……」
詠江には、もうなす術はなかった。出雲がその銃口を、ピッタリと詠江の眉間に突きつける。
「さて、依頼を遂行させていただきましょうか」
そう言うと、一度息を吸い込んで、出雲は宣告し始めた。
「私、『復讐代行人』黒井出雲は、依頼人・高原政信氏より受諾した依頼に基づき、慎重な調査の結果、高原恵殺害事件の犯人を中谷高校二年・橋中詠江であると断定し、今ここに契約に従って犯人への復讐を遂行いたします」
出雲は淡々と事務的に言葉を発する。どうやら、実際に依頼遂行前に出雲が行っている事務的な手続きらしい。それだけに、詠江からしてみれば逆に恐怖を感じた。同時に、詠江はここで出雲にこんな事を依頼した人物の存在……すなわち、自分を殺そうとしたのが高原恵の父親である事を知った。
「どう、して、依頼人、の、名前、を……」
それに対し、出雲はあくまで事務的に回答した。
「これは復讐でございます。復讐である以上、それを望んだ人間を標的に知らせるのは当然でございましょう。自分を殺そうとした人間の名前を知らずに死ぬなど、復讐代行人として私が許しません。……それに、この場でばらしたところで何の問題もございません。あなたは、すぐに死ぬのでございますから」
そう言いながらも、銃口は一瞬たりともぶれる事はない。両手足を塞がれて動けない詠江にとって、この状況はチェックメイト以外の何物でもなかった。
「い……や……こんな……おわ……り……か……た……」
「それでは、お別れでございます」
出雲は詠江の言葉を無視すると、慣れた手つきで銃の引き金に手をかける。もう、どうしようもなかった。
「た、す、け、て……」
それが、殺人犯・橋中詠江の最後の言葉となった。
直後、一発の銃声が新聞部室にこだまし、不気味な静けさがその場に訪れた。
夜が明ける。朝霧に包まれた誰もいない中谷高校の敷地に、カラカラとキャスターの音が響く。
黒井出雲は何事もなかったかのように、キャリーバッグを引きながら校庭を横切って校門へ向かおうとしていた。この時間帯ではまだ誰もやってくる気配はない。
と、校門にもたれかかるように誰かが立っているのが見えた。出雲が顔をあげると、相手は右手を上げる。
「よう」
東だった。相変わらずのアンバランスな外見で、ニヤニヤと笑っている。出雲は黙って校門へと近づいていった。
「お早いですね」
「なぁに、ちょっとした野暮用でな。近くまで来たもんで、寄ってみただけだ。昨晩、あんたがこの辺りをうろついていたって情報があったもんでな」
「そうですか」
「……仕事は?」
少し真面目な顔になって東が尋ねる。それに対する出雲の答えは簡潔だった。
「済みました」
「そうか」
東もそれでわかったようだ。が、それに続いて東はこう言い添える。
「にしては、随分浮かない顔だな」
見た限り、出雲の表情は普段となんら変わりがない。が、長い付き合いの東には、その表情の微妙な変化がわかるようだった。一方、出雲自身も自覚をしていたのか、東の言葉に対して言葉を返す。
「そう見えますか?」
「自分の推理に自信がない……というわけでもなさそうだな。あんたは自信もなしに仕事をする人間じゃない」
「もちろんでございます。犯人はあの女。それに間違いはございません。ただ……」
出雲は珍しく口ごもった。
「すっきりしないのでございます。まだ、裏があるような」
「……で、あんたはそれを放置する女じゃないよな」
そう言いながら、東は軽くため息をつく。
「あーあ、単にからかうつもりで来ただけなんだが……やっぱり間違いだったか」
「そう言わないでください」
「……で、何を調べればいい?」
東の目に光が宿った。出雲は微笑みながら言う。
「それでは……」
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