第49話 魔剣(4)
結局、カウルはベルギットの元に残り続けた。
刻呪の手がかりが遠ざかることはわかっていたが、いくら決意を決めようとしたところで体が動かなかったのだ。
家族同然に過ごしてきた相手。禍獣との戦い方を教えてくれた恩師。そんな相手が一人ぼっちで死ぬのを認められるほど、カウルは冷酷になりきることが出来なかった。
「馬鹿な子だ」
甲斐甲斐しく世話をするカウルを見て、ベルギットは呆れたようにため息をついた。
「……俺は後悔しない方を選んだだけです」
ベッドの枕元に置いた桶。そこに浸した布を絞りながら、カウルは言葉を返した。
ベルギットは一瞬黙り込んだ後、悲しそうな、それでいて少しだけ穏やかな表情を浮かべた。
「まったく、未熟者の癖に口だけは上手くなりおって。誰に似たのだか」
カウルはその小言を無視し、濡れた布でベルギットの顔や腕を優しく拭いた。
今日は天気がいいためか、窓の外から鳥の声が聞こえる。あのかかしの影響もあって、禍獣も近くには居ないようだ。そもそも、この付近の禍獣は見つけ次第カウルが狩っていたから、よほどのことが無い限り姿を見せることはもう無いのだが。
もくもくと作業を続けていると、ほんの小さな声でベルギットが呟いた。
「……ありがとう。カウル」
それは、滅多に見ることの出来ない、彼女の微笑みだった。
ずっと一人で死ぬと思っていた。
ビクターを追うと決めたあの時から、自分はきっとろくな死に方はしないと、そう思っていた。
それなのに、まさかこんな風に誰かに看病されて、死を悲しまれる日が来るとは――。
風に揺らされる草木の音。
楽しそうに響く鳥の鳴き声。
とても安らかな時間。こんな気分になるのはいつ以来だろうか。どことなく懐かしさすら感じる。何だかヨハンや夫と過ごしていたあの頃に戻ったかのように、錯覚してしまいそうになった。
ベルギットはカウルを眺めた。
この子はきっと必死に看病を続けるだろう。何週間でも何か月でも、自分が生き続けている限り。
それはとても嬉しくもあり、同時に悲しくもあった。
何が目的かはわからない。けれどこの善良な青年がたった一人、故郷を離れて自分の下を訪れたのには、大きな理由があったはずだ。自分が生きることでその信念を捻じ曲げてしまっているのであれば、それはベルギットにとって望ましいことでは無かった。
ちらりと壁に立てかけていた黒剣をいちべつする。それはこの暗い部屋の中にあってなお異様なほどの存在感を漂わせていた。
自分が死ねば黒剣は次の持ち主を求め始める。出来ればカウルには自分が生きているうちにここを離れて欲しかったが、こうなってしまってはもはや仕方がない。生きて教え子に迷惑をかけ続けるくらいなら、潔く花を散らすのも、戦士としての務めだろう。
久しぶりに感じる穏やかな空気。それを楽しみつつ、ベルギットはひっそりと、ひとつの覚悟を決めた。
ベルギットの状態は悪化していった。
もはや食欲すら湧かなくなってしまったらしく、カウルがいくら進めたところで、いくらスプーンを運んだところで、決してそれを口にしようとはしなかった。
日を追うごとに体は細くなり、咳の数も増えた。カウルは何度も街へ降りることを進言したが、ベルギットはかたくなに断り続けた。まるで自らの意思で死を選んだかのようだった。
カウルは何となくベルギットの気持ちに気が付いてはいたけれど、それを口に出すことはしなかった。口に出せば、自分の行動が嘘になってしまうような気がしたから。
さらに二週間が経った頃。とうとうその日はやってきた。
ベルギットはカウルをベッドの横に呼ぶと、力の無い声で話し始めた。
「どうしても、お前に言っておかなければならないことがある」
「言っておかなければならないこと?」
カウルはベルギットの表情を見て、それが大事な話であると感づいた。彼女の近くに寄りながら、耳をゆっくりと傾ける。
「私の……あの黒剣のことだ」
ベルギットの声はどこか後ろめたそうだった。
「あの黒剣は普通の剣ではない。強い呪いが込められた魔剣だ。あれは手に持った者に狂気的な技術と力を授けるが、その代わりに所有者の精神を深く蝕む。
あの黒剣のおかげで私は数多の禍獣を打ち破ることができたが、その代わりに多くのものも失った。
いいかカウル。私の死後、何があってもあの黒剣には触れるな。一度でも触れてしまえば、あれはお前の精神に食い込み根を張る。人間でいたいのなら放置しておけ」
真剣な表情。一体どういうことなのだろうか。確かにあの黒剣が普通の剣ではないことは何となく察していたが、ベルギットはいつも肌身離さずあれを持ち歩いていた。それほど危険なものであれば、あそこまで大事そうには扱わないと思うのだが……。
「人間でいたいのならとは、どういうことですか」
「文字通りの意味だ。あれは所有者に言いようのない殺戮衝動と陶酔感を与え、その人格を殺意で上書きする。剣を持ち続ければお前の意識や記憶は失われ、ただ命を奪うだけの存在へとなり果てる」
「でもベルギットさんは何度もあの剣を使っていたじゃないですか……」
「色々と事情があるんだ。呪いをまともに受けないように対策もしていた。だが私の取った方法はお前では再現できない。おそらくお前があの黒剣を持てば、すぐに意識を飲み込まれてしまうだろう。約束してくれカウル。絶対にあの黒剣には触れないと」
確かにこれまで目にした彼女の戦いの中で、その動きに異様さを感じることは多々あった。もしあれが黒剣の力だと言うのであれば、納得はいく。ベルギットがここまで言うのだ。あれは本当に、それほど危険な代物なのだろう。
「……わかりました。剣には触れません。ここに置いていきます」
「それでいい。それが、“お互い”のためだ」
ベルギットは妙な言い回しでそう言うと、ふと疲れたように肩の力を抜いた。深く、体が布の奥へ沈みこむ。
「長い……本当に長い人生だった」
暗かった部屋の中にわずかな朝日が差し込んでいく。
「なあカウル。私は……お前にとっていい師だったか。私はちゃんとお前を導くことが出来たか」
「ベルギットさんに出会わなければ、俺はきっとどこかで野垂れ死んでいました。ベルギットさんのおかげで俺はここまで強くなることが出来た。全部、あなたのおかげです」
「そうか……」
ベルギットは何かから解放されたような表情を浮かべた。
初めて会った時からでは考えられない程の弱り切った姿。まるで今にも消えてしまいそうに見える。
もう間もなく彼女は死ぬ。そう思うと、カウルの目の奥に自然と熱いものがこみ上げてきた。抑えようとしても抑えきることが出来ず、目元が潤む。
それを見て、ベルギットはいつものように苦言を述べた。
「何だその顔は。戦いに生きる者が涙など流すな。泣くことが癖になると、心が折れやすくなるぞ。強くなりたければ、決して涙は見せるな」
これまで何度も耳にした彼女の口癖。
カウルは何とか目の熱さを抑えようと試みたが、どれだけ頑張ってみてもこの涙だけは止めることが出来なかった。潤んだ瞳のままベルギットを見返し唇をぎゅっと結ぶ。
ベルギットはそんなカウルを見返すと、ただ一言、
「しょうがない子だ」
優しい笑みを浮かべた。
手から黒剣が抜け落ちる。
ビクターはもう動かなかった。胸から血を流したまま固まっている。
仇は討った。これで全てが終わった。
そう思い、必死に喜ぼうとしてみたけれど、どれだけビクターの亡骸を見つめていても、イーダの気が晴れることは無かった。
ずっとこのためだけに生きてきた。ずっとこの瞬間を夢見ていた。
けれど胸の中に残ったのは、妙なむなしさと得体の知れない喪失感だけだった。
わかっていた。最初から分かっていたのだ。
どれだけビクターを憎もうが、どれだけ復讐に心を焦がそうが、起きたことは絶対に変わらない。夫は死んだ。ヨハンも殺された。その事実は決して覆るものでは無いのだ。
これから何をすればいいのかわからなかった。生きる希望も、目的も何も無かった。
しばらくぼうっとした後、イーダの頭の中には生まれ育ったあの村の光景が浮かんだ。夫やヨハンと過ごした大事な家があるあの村。自分が唯一幸せだったあの場所。
帰ろう。せめて二人の墓を立てなければ。両親の顔だってもう何年も見ていない。
そう思い立ち上がろうとしたところで、ビクターの血溜まりに反射した自分の顔が見えた。
白髪交じりの頭髪に、皺の増えた顔。見覚えのない初老の女の姿が、そこにはあった。
「ああ……ぁああ……」
小さな嗚咽が漏れる。
長い、長い時が経った。
今更ロズヴェリアへ帰ったところで、あの村にはきっとイーダの居場所などありはしない。両親もとっくに死んでいるだろう。戻ったところで気味の悪い老人と恐れられるか、腫物のように扱われるだけだ。
戦士は決して涙を見せない。そう教わってきたが、今のイーダにはそう自分を戒める必要すらなくなっていた。どれだけ苦しくても、どれだけ悲しくても、涙はとっくに枯れ果ててしまっていた。ただうめき声とも区別のつかない声だけがその場に響いた。
イーダは退魔師としての生活を続けながら、ふらふらとあてもなく世界を歩き続けた。
生きる目的も生きがいも楽しみも何も無かった。ただ生きているから生きている。それだけでしか無かった。
生活費を稼ぐために禍獣を狩っては眠り、狩っては眠る日々。そんな生活を何年か続けていると、ある日からイーダは自身の体に違和感を抱くようになった。
体がいつものように動かなくなってきたのだ。
視界はかすみ、口からは頻繁に咳が漏れた。立ち寄った街で医者に見てもらったところ、血液に病が巣食っていると教えられた。治る病気ではないらしく、ただひたすら安静にして栄養を取り続けるしかないとのことだった。
命など惜しくは無かった。自分にはもう生きている理由など何も無い。イーダは医者の助言を無視し、禍獣を狩り続けた。禍獣を狩っている間だけは、何も考えずにいることが出来たから。
けれどそんな生活も長くは続かなかった。
体調は日に日に悪化し、前までのように長時間戦い続けることが出来なくなってきたからだ。
きっと自分はあと数年で死ぬ。そう思ったイーダは、これ以上の放浪は無理だと判断し、灰夜の国グレムリアの山奥に居を構えた。
このまま誰かに気が付かれるでもなく、静かに死んでいく。そのつもりだったのだが、――ある日、とある人間が自分の前に姿を見せた。
それは妙に鬼気迫った表情をした少年だった。一体どこで話を聞きつけたのやら、自分に剣を教えて欲しいと頼み込んできたのだ。
面倒だと、構わないで欲しいとイーダは思った。
一人でいたかった。一人で過去の思い出に浸っていたかった。
イーダは少年を諦めさせるために、何度も無理難題を押し付けた。彼が帰ってくれるように。自分を放っておいてくれるように。
けれどどれだけ時間が経とうと、少年は決して諦めなかった。必死に食らいつき、イーダの後を追い続けた。
煩わしいと思った。邪魔だと思った。けれど何年も少年と一緒に過ごしているうちに、イーダの中でどこか懐かしい気持ちが灯り始めた。
ずっと昔。あの寒くて狭い家のそばで、毎日のように感じていた感覚。少年と一緒にいると、どうしてかそれを思い出すのだ。
その感覚は決して――イーダにとって不快なものでは無かった。
自分はずっと一人で野垂れ死ぬと思っていた。幸せな最期を迎えることは無いと、そう思っていたのに。
涙を流すカウルの姿が見える。
自分にとって唯一の弟子。ヨハン以外で初めて剣を教えた相手。
本当に気恥ずかしいけれど、こうして弟子に見送られて旅立つのも悪くないなと、――最後にイーダはそう思った。
白い煙が黙々と上がっている。
カウルは積み上げられた木材と、そこで燃えていく師の姿をじっと見つめた。
彼女は、満足して行けたのだろうか。
最後に目にしたあの優し気な笑み。きっとそうだと思いたかった。
三神教において火は命の象徴だ。
火に焼かれることで彼女の魂は呪いから解き放たれ、三神の居るあの世へと導かれる。
高く、高く上がり続ける白い煙。それを見上げながら、彼女が夫や息子と再会出来ることをカウルは強く願った。
「これで……よし」
石の塊を土の上に刺す。
それはベルギットの家の横に、ちょこんと建てられた小さな墓だった。
本当は剣を突き立てた方が彼女は喜ぶだろうが、金属は盗まれる可能性が高いため、ちょうどよい大きさの石で代用したのだ。
「行ってきます。ベルギットさん」
手で三角形の形を作り、胸の前に構える。魂というものが本当にあるのかは知らないが、もしあの世が存在するのであれば、少しでもベルギットが安らかにいられることを願った。
ある程度必要な荷物をまとめると、カウルは静まり返った家の中を見渡した。あばら屋だとずっと思っていたが、いざこうして離れることになると妙な寂しさがあった。たった四年の間だけれど、ここには多くの思い出が溢れているから。
壁に立てかけていた自分の剣を腰に差し終わると、最後に、カウルは部屋の隅へ目を向けた。
ベルギットの黒剣。魔剣と評された呪物。それは暗い部屋の隅で、異様なほど美しい輝きを放っている。
彼女はここに置いていくようにと話していたが、果たしてそれは正し行いなのだろうか。
禍獣が溢れる山とはいえ、ある程度旅慣れしている人間であれば、ここまで来ることは難しくは無い。ベルギットが金銀をため込んでいるという噂まであるのだ。万が一盗賊のような輩がこの剣を見つければ、その人物に強力な武器を与えてしまうことになる。呪物とは言え、これはベルギットが大事に扱ってきた剣だ。ただの人殺しの道具として扱われるのはどうしても我慢がならなかった。
悩んだ末、カウルは黒剣を谷底へ投げ捨てようと考えた。裏山の谷底であれば、人の目に触れることはほとんど無い。多少汚れてしまうだろうが、ザナジール鋼の剣、それも呪物である以上、年月が経っても錆びる可能性は低いだろう。
黒剣の呪いは触れた者。剣を抜いたものに影響する。
カウルは剣に触れないように、紐をぐるぐると柄に巻き付けた。こうすれば、触れずとも引きずるような形で剣を持ち運ぶことが出来るからだ。
部屋の中を見渡すと、まだベルギットがそこに居るような気がした。しかしどれだけ見てみていても彼女の姿は現れない。
カウルは黒剣の紐を持ち上げ敷居をまたぐと、そっと家の扉を閉めた。
ベルギットの家から岩場を北へ歩き続けると、小さな谷が見えてきた。
初めて蛇鎌と戦い、ベルギットに助けられた場所だ。
ふちにそって進むごとに谷底は深くなり、次第に傾斜も急になっていく。
しばらくして、底の見えない場所までたどり着いた。
これほどの深さであれば、黒剣を捨てても誰かの目に付くことは無いだろう。少なくとも今後百年近くは、持ち主が現れることは無いはずだ。
カウルはすぐに黒剣を捨てようと思ったのだが、間が悪いことに、道の先で岩に擬態した蛇鎌の姿を発見した。まだこちらには気が付いていないようでじっと岩にへばりつくように身動きを止めている。
この広い立地であれば戦っても負けることは無いが、今は余計な時間は取りたくはない。カウルは道を迂回しようと森に足を向けたのだが、――そこで突然、妙な耳鳴りが頭の中に走った。音にならない高周波のような音。直感で何故かそれが黒剣から発せられたものであると感じた。
何だ……?
カウルは黒剣を見下ろしてみたが、特に異変や異常は見られなかった。紐で引きずられたまま、土の上で鈍い輝きを放ち続けている。
自分が捨てられるとわかって抵抗しようとしているのだろうか。そう考えた直後だった。
岩に擬態していたはずの蛇鎌が、まっすぐにこちらを見て起き上がったのだ。
この距離であれば蛇鎌の視界にカウルの姿が映ることは無いはずなのに、はっきりとこちらを見据え突撃してくる。身の危険を感じたカウルは瞬時に紐を離し、腰から自分の剣を引き抜いた。
近くには盾になりそうな石も無い。咄嗟にカウルは蛇鎌が接近する直前で木の後ろへ飛び込み、蛇鎌の刃を防いだ。万力のような鎌が細い木を挟み込み、木にひびが走り割れた木片が落ちる。
一度ものを挟み込んでしまえば、蛇鎌の腕は再攻撃を行うまでにわずかな時間を生む。カウルは動きの止まった蛇鎌の右腕を切り上げ切断すると、そのまま側面へ回り込んで首を落とそうとした。しかし蛇鎌は自分の腕が無くなったことなど一切気にせずに、強引に前に進みカウルの体を押し飛ばす。
後転しすぐに体勢を立て直したカウルは蛇鎌の追撃に備えたのだが、蛇鎌の複眼はカウルとは違う方へ向けられていた。煩わしそうに何かをすり合わせるような鳴き声を響かせ、その長い尾を地面へと叩きつける。カウルがそこを見ると、ちょうど先ほど地面に置いた黒剣が見えた。どうしてか蛇鎌はカウルよりもあの剣を優先して攻撃しているようだった。
カウルは混乱したが、この機会を逃すべきではない。すぐに自分の剣を水平に構え、前に全力で突き刺した。
鋼色の刃が蛇鎌の心臓を貫き背中から突き出る。蛇鎌はそこでようやくカウルを振り返り、残った左腕の切っ先をこちらに向けた。
――傷の呪い……!
カウルが腕に力を込めた途端、まるで弾けるように胸の傷が開き、そして無数の黒い血が噴き出した。
時が進むごとに傷は広がり続け、蛇鎌はすぐに動きを止める。蛇鎌の目に宿っていた憎悪が消えたのを見て、カウルはほっと一息つき、剣の血を振りはらった。
一体何だったのだろうか。禍獣が生物を前にして他の何かに気を取られるなんて見たことが無い。あの魔剣にはそういった効果があるのだろうか。
返り血で服が汚れてしまったが、この紺色の外套はベルギットから譲り受けた特別製だ。特殊な禍獣の毛を編んで出来ており、禍獣の血や呪いがしみ込みにくいという効果がある。カウルは気にせず剣を鞘に仕舞い、黒剣の落ちた場所まで移動した。
あれほど盛大に尾を叩きつけられたにも関わらず、黒剣は全く折れ曲がることなく土の上に横たわっている。祈祷術が乗らない代わりに異様な頑丈さを誇るのがザナジール鋼の特性だが、ここまで頑丈なものかと改めて関心した。
幸いにも紐は結ばれたままだ。カウルは腰を下ろし、黒剣に巻き付けていた紐の端を掴もうとして、そこで初めて鞘が割れていることに気が付いた。
剣の柄側の鞘が完全に砕け散り、刃を陽光の下にさらしている。美しい黒銀色の光。それを目にした途端、まるで視線が拘束されたかのように、カウルは刃から目が離せなくなった。
――何だ? 視線が……!?
気が付くと、カウルは自分の手に黒剣が握りしめられていることに気が付いた。一体いつの間に手を伸ばしていたのか、まったくわからなかった。
まずいと、そう思った瞬間。何かが頭の中に触手を張り巡らせるような悪寒が走った。
体が熱くなり、耳や視界。嗅覚や触覚などの全ての感覚器官が鋭敏となっていく。周囲のありとあらゆるものの造形と位置が手に取る様に鮮明に認識出来た。
剣を離さなければ……!
ベルギットがあれほど警告していたというのに、何てざまだ。カウルは焦り、黒剣を放そうと手び力を込めたが、接着されたかのように拳は固まり、びくともしない。
これほど意識が鮮明になっているのに、まるで腕だけが自分のものではないような感覚だった。
“イーダは行ったか”
突然、頭の奥から声が聞こえた。
それは鈍く、重く、不鮮明な声だった。
”二十年近くか。ようやく解放されたぞ”
意識が何かに塗りつぶされたかのように重かった。
周囲に人の気配は無い。カウルはそれが自分の持つ黒剣から発せられた声であるとすぐに気が付いた。
視界が揺らぎ、感覚は研ぎ澄まされているにも関わらず、景色や音、この世界と自分との境があいまいになっていく。
このままでは飲まれる。カウルは何とかして黒剣を離そうと腕を木に叩きつけてみたが、無駄だった。
腕が、次に足も、何もかもが自由に動かなくなる。
「お前は、誰だ……!?」
精いっぱいの見栄を張り、脳内の声に抵抗する。しかし声はまるでカウルをあざけるように言葉を返した。
“何を今さら。お前は私をよく知っているだろう”
何故かそれは妙に親し気な声だった。
どことなく嫌な予感がする。カウルはこれ以上この声と話すべきではないと思った。何故か知りたくないとそう思ってしまったのだ。
けれど脳内の声は遠慮なく悠々と、その名を口に出した。
”私はベルギット。狂暴の魔剣――ベルギットだ”
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