第46話 魔剣(1)

 山の境目に辛うじて輝く赤い光が見える。

 何とか日が沈みきる前に戻ってくることが出来たようだった。

 森を抜け岩場に出ると、無数のかかしが目に入った。全てカウルが立てたものだ。

 禍獣の骨や皮、乾燥させた肉や臓器。それらを組み合わせて作ったこのかかしは、禍獣の感知機能から生物の気配を隠してくれる。むろん、この山は祝福地ではないため、禍獣を遠ざける効果は無いが、それでも設置するとしないとでは、禍獣との遭遇の機会は雲泥の差だった。

 幾多のかかしの横をすり抜け頂上まで移動すると、わずかな草木に囲まれた小さな建屋が見えてくる。自分とベルギットの家。四年間という決して短くは無い年月を過ごした場所だ。

 カウルは家の前で深く息を吸い込むと、覚悟を決めて扉を開けた。

 部屋の中は暗かったが、少し前から閉じていた片目を開くと、すぐに視界はよくなった。光の差が激しい場所に出入りする前は、片方の目をそれに慣れた状態へ移行しておくこと。これもベルギットから教わった技術の一つだ。

 ベルギットはいつものように奥のベッドに横たわっていた。カウルは彼女の姿を確認しながら備えていた薪を中央の窪みへ落とし、火打石で火を付けた。すぐに部屋が明るくなり、暖かい熱気が広がる。

 まだ冬が明けたばかりのため、夜はそれなりに寒い。カウルが火を強くしようとさらに薪を手に取ったところで、

「……帰ったのか」

 ベルギットの声が聞こえた。

 彼女は体を横に倒したまま、目だけでこちらを眺めている。もう起き上がるだけでも一苦労なのだろう。カウルは薪を火に投げ入れ答えた。

「ちょっと待ってて下さい。夕食の用意をしますから」

「腹は減っていない。それよりも、依頼は上手くいったのか」

「無事に達成しましたよ。心配しなくても、もう禍獣の一体や二体なら簡単に倒せます」

「あの泣き虫小僧が言うようになったじゃないか」

 ベルギットの位置から微かな笑い声のようなものが聞こえた。

 カウルは火ハサミで焚火の調整を続けながら、どうやって話を切り出そうか悩んだ。

 死門が動きを停止したこと。それに自分の村を崩壊させた刻呪という化け物、犯人が関わっているかもしれないということ。もしここを旅立てば、おそらくはもう二度と戻ってはこれないかもしれないこと。

 様々な考えがぐるぐると頭の中で回り、上手くまとめることが出来ない。

 カウルは言葉を作ることが出来ず、ただその場に座ったまま黙り込んだ。

「どうした? 何かあったのか。珍しく静かじゃないか。最近はむりやたらに私に話しかけてたと言うのに」

 冗談っぽくベルギットが言う。カウルは火ハサミを地面に置き、言葉を返した。

「……ベルギットさん。そろそろ街で暮らしませんか? 俺も依頼のせいでここを開ける機会が増えたし、ベルギットさん自身も昔のようには戦えない。街なら世話をしてくれる人を雇うことも出来ます」

「前にも言っただろう。私は街が嫌いなんだ。街で暮らすくらいなら、ここで静かに野垂れ死んだ方がずっといい」

「でもこのままじゃ、体調が悪くなる一方ですよ。本当に死んでもいいんですか」

 カウルと会う前から彼女は持病を抱えていたが、ここ最近はその進行がかなり進んでしまっていた。今ではもう、家から出る事すらほとんど出来ないほどに。

「病魔に侵された時点で覚悟はしているさ。それに、私はもう十分生きた。今ここで死のうと、悔いも思い残すことも何も無い」

 本気でそう思っているのだろう。ベルギットは満足そうな微笑みを見せた。

 燃え盛る薪から火花が飛び、空気の膜が弾ける音が鳴る。

 沈黙が続くと、彼女はこちらをわずかに見た。

「……ここを離れたいのか?」

 カウルは言葉を返せなかった。口に出せば、もう戻れないとわかっていたからだ。

 ベルギットはカウルの様子を伺うと、小さなため息をついた。呼吸を整えるように息を吸いながら、ゆっくりと口を開く。

「お前に何らかの目的があることは察していた。それが仇討なのか、復讐なのか、それとも別の要因なのかは知らないが、その機会が来たということか」

 カウルの返答は無い。しかしベルギットは構わなかった。

「本当は、一年かそこらで基本だけを教えるつもりだったんだがな。けれどお前があんまりにもけなげに頑張るものだから、ついつい情が移って教え過ぎてしまった。元々私には、お前を束縛する理由も義務もない。離れたいのであれば、離れればいい」

「……俺が離れたら、あなたのお世話をする人が居なくなります。その前に街へ移住しましょう。街の中なら、俺の知り合いが面倒を見てくれる……」

「くどいぞカウル」

 ベルギットはカウルの提案をあっさりと切り捨てた。いつものように鋭く凛とした声で。

「私は死に場所をここだと決めている。私がここで死ぬことを選んだ。それを、お前にとやかく言われる筋合いは無い」

「ですが……――」

 カウルは何とかして彼女をこのぼろ屋から連れ出したかった。彼女を救いたかった。けれど、それがもはや絶対に叶わないことも、心のどこかで理解していた。

 ベルギットは横目でカウルを見つめていたが、しばらくしてゆっくりと体を起こした。辛そうに、重そうに、壁に手を付きながら。

 カウルはベルギットを手伝おうとしたが、手で制され途中で動きを止めた。

「まったく、老いとは不便なものだ。こんなことすら一苦労になるとは」

 そのまま小さくせき込み、カウルを見る。

「……少し昔話をしようが」

「昔話?」

「なに。老人の自分語りというやつだ。面白くもないだろうが、少しだけ付き合ってくれ」

 何か伝えたいことでもあるのだろうか。カウルは困惑したが、それ以上口を挟みはしなかった。もう二度と、こうして彼女の話を聞けないかもしれないという予感があったからかもしれない。

「もう何十年も前。まだ若かった頃。私はイーダという名で青影の国ロズヴェリアの一般兵として働いていた。幾多の任務をこなすうちに私は恋をした。同僚の男だ。彼と結婚し、私は一人の子供を授かった」

 ベルギットは窓に目を向け話を続けた。それはまるで、ここではないどこかを眺めているような、誰かを見つめているような、そんな表情だった。




 兵士になったのは、単純に家族を養いたかったからだった。

 青影の国ロズヴェリアの生活は過酷だ。厳しい雪と氷の世界。九大災禍“氷炎”が頻繁に接近するこの地域では、植物も動物も滅多に手に入ることは無い。人々は農作物を育てたり家畜を育てることで何とか生計を立ててはいたけれど、ほとんどの者はぎりぎりの生活を強いられており、誰もがただ生き抜くことで精いっぱいだった。

 ロズヴェリアは戦士の国。他国のように騎士などと言う気取った者は存在せず、貴族だろうが農民だろうが、ただ力を認められさえすれば誰でも地位を得ることが出来た。

 地獄のような訓練。禍獣との争い。極寒の環境での行軍。何度も諦めそうになったけれど、そのたびにイーダは両親のことを思い耐えた。自分が力を付ければ、戦士として認められれば、それだけ両親の生活が楽になる。そう信じて励み続けた。

 何度も任務をこなすうちに、イーダは部隊内のとある男と恋に落ちた。同じ仲間で何度も命を救い合えば、それだけ情もわくし仲は深まる。イーダはその男の子を身ごもり、出産した。ヨハンという名前の、可愛い男の子だった。

 結婚と出産を機に、イーダは兵役を一時的に休止した。出世した夫の稼ぎで家族の生活をまかなえたからという理由も大きかった。

 イーダは家事と子育てに専念して、息子のヨハンはすくすくと育っていった。

 ヨハンの夢は父を超える戦士になることだった。

 ロズヴェリアでは勇敢な戦士として戦い、勝利を収め、名誉を得ることを最も誉(ほまれ)としている。

 農業の手伝いの最中、ヨハンは空いた時間を使っては木剣を振り、鍛錬に勤しんだ。毎日のように手や鼻を赤くして戦士の真似事をしている息子を見て、イーダは微笑ましく思うと同時に嬉しくも思っていた。兵士としての従軍経験のある自分から見ても、ヨハンには才能があるように見えた。つたないながらも日々上達していく剣術に、父譲りの丈夫な体。そしてなにより彼には勇気があった。

 弱いものいじめをする餓鬼大将が居れば食って掛かり、涙を流しながらも絶対に諦めなかった。彼は何度負けようと餓鬼大将に挑み続け、そしてついには向こうが降参するまでに追い込んだ。

 強さこそが最重要視されるロズヴェリアにおいて、ヨハンはまさに金の卵だった。イーダと夫は彼を愛し、またヨハンも二人の期待に応えようと努力した。

 ――だから、ああなることは仕方が無かったのだ。ヨハンは、彼はただ自分を助けたくて、必死に足掻いただけなのだから。


 その日がやってきたのは、ヨハンが十四歳になった年のことだった。

 久しぶりの休暇で家に帰ってきていた夫と共に家族三人で昼食を取っていると、騒ぎ声のようなものが聞こえた。何事かと思い外に出たところ、見慣れない真っ白な外套と銀色の鎧を纏った小奇麗な者たちの集団が見えた。

 報告を受け駆け付けた村長が意図を尋ねると、彼らの代表なのか、一人だけ煌びやかな装飾を無数に付けた若い男が前に出て、自分たちが村を訪れた理由について説明を始めた。

 いわく、彼らはとある罪人の移送中であり、物資補給のためにこの村に立ち寄ったと。

 イーダが見てみると、確かに集団の中に一人だけ違った服装の男の姿が見えた。寒さ対策のため毛皮を被せられてはいたが、その手には鎖が繋がれており、酷く衰弱しているように見えた。

 ロズヴェリアの国民の多くは古くから伝わる精霊信仰を続けていたが、近年は三神教に鞍替えをする者もかなり増えていた。習得の難しい精霊術とは違い、誰もが簡易に呪いに対抗できる祈祷術は、それだけで価値が認められていたからだ。

 精霊術師が減少傾向にある今、三神教に恩を売るのは悪い話ではない。村長は快く協力を決断し、聖騎士たちのために貯えていた食料の一部を売り払った。

 聖騎士たちは捉えていた罪人を村はずれにある空き家へ押し込めると、そこで尋問のような真似を始めた。一体どんな罪を犯した者なのかはわからなかったが、毎日聞こえてくる悲鳴は同情心を掻き立てられた。

 聖騎士の代表の若い男はビクター・クレランスという貴族らしく、かなり横暴な態度を取ることが多かったが、それでも祈祷術で村人たちの呪いを祓ってくれたため、大きな衝突が起きることはなかった。

 約三日ほどの滞在が終わり、準備を終えた聖騎士たちが出発すると決めた日の前夜。事件はそこで起きた。

 久しぶりに軍務から帰ってきた夫と家族三人での夕食を終え、ヨハンと共に屋外の倉庫へ薪を取りに行ったところ、倉庫の中で人の気配のようなものを感じ取った。

 夫はまだ居間にいる。イーダは瞬時にそれが盗人だと考えた。

 曲がりなりにも兵士として戦ってきた身だ。ここで背を向けるのは戦士として恥ずべき行為。イーダは倉庫の入口に立てかけていた斧を手に取ると、物音のする方向に歩み寄った。

 木箱の合間に一人の男が居た。見覚えのあるやせ細った顔。聖騎士たちに連行されていたあの罪人だ。

 逃走してきたのだろうか。彼の手には倉庫に貯えていた欲し肉が握られていた。

「ここで何をしている!」

 イーダが声を荒げると、男は驚いたように体をびくつかせ振り返った。

「お前は聖騎士たちが連れていた罪人だな。手に持った肉を離せ。それは私たちが冬を越すための大事な食料だ」

 村から出る前に、厳しい雪路をしのぐための食料や服を調達するつもりだったのだろう。男はイーダたちを見て焦った表情を浮かべたものの、こちらが女や子供だと気がついたからか、すぐに強気の表情を浮かべた。

「そう怒らないでくれ。少しもらうだけだ。たいしたものは持っていかない」

 肉を地面に置いた鞄へしまい、軽薄な笑みを浮かべた。舐められていることに憤りを感じたのか、ヨハンが声を荒げた。

「荷物から手を放せ! 痛い目に遭いたいのか!」

 それを聞いた男はむっとしたように眉間にしわを寄せ、立ち上がった。

「あまり舐めた口をきくなよ。大人しく見逃してくれりゃあ、痛い目には合わせない。後悔するのはお前らのほうだぞ」

「そんなやせ細った体の男にすごまれても、私には響かない。やれるものならやってみろ」

 この手の男は山賊退治で何度も相手にしている。イーダは斧を肩に置き、強気の笑みを浮かべた。

 流石に男もここでイーダたちをやり過ごすのは無理だと思ったようだ。上げていた口角をすっと元に戻すと、精気の無い目で二人を見返した。

「……後悔するなよ。俺にはもう後が無いんだ」

 イーダとヨハンはすぐに男を打ちのめそうと足を前に踏み出したが、そこで異変が起きた。男の体が突然、膨らみ始めたのだ。

 筋肉は隆起し、肌からは無数の灰い毛が伸び、顔は前傾に鋭く歪み、鼻が前に突き出た。

 その瞬間、イーダは自分の失態を悟った。彼は聖騎士が連行していた男なのだ。普通の人間であるはずが無かった。

 変貌していく男の姿を目にし、思わず声を漏らした。実際に目にするのは初めてだったが、それが何であるか、すぐに気が付いた。

「まさか……よりにもよって……――」

 ヨハンを振り返ると、彼は訳がわからないといった表情で男を見上げていた。イーダはすぐに動かざる負えなかった。

「ヨハン! 走ってお父さんや聖騎士を呼んで! 最悪だ。この男――」

 目の前の怪物を見て全身の毛が総毛だった。

「――人狼だ……!」





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