第33話 孤老の女剣士(5)

 その村はまるで天然の要塞だった。

 中から上がるには緩やかな傾斜だが、外から見ると絶壁。そんな巨大な岩の数々が花弁のように広がり、幾重にも村を囲んでいる。

 見張りにも禍獣の侵入にも適した無駄の無い構造。よくもまあこんなものが自然に生まれたものだと、イザークは感嘆した。

 草木に紛れて近づくと、岩場の所々に見張りの姿が見えた。銀色の鎧に白い外套。やはり聖騎士で間違いないようだ。

 イザークは足を止め背後のアベルに話かけた。

「忍び込めそうな場所はだいたい見張られているな。どうする? 岩でも登るかい」

「いや……あの岩は上がれば上がるほど傾斜が急になっている。落下死するのが関の山だ。聖騎士の注意を逸らそう。騒ぎがあれば、彼らも持ち場を離れざる負えないはずだ」

「騒ぎって、囮でもしてくれるのか?」

 イザークは冗談のつもりで言ったのだが、アベルは至極真面目な表情でそれに答えた。

「ああ。少し待っていてくれ」

 こちらの返答も聞かず、そのまま草の中へ入り込んでいく。イザークは慌てて彼を引き留めようとしたが、瞬く間にその姿は見えなくなった。

 一体どういうつもりなのだろう。イザークが判断に困っていると、しばらくして右奥にいた聖騎士たちが騒がしくなった。怒号や叫び声が飛び交い、それに合わせ正面の岩場に陣取っていた聖騎士たちが半分ほど数を減らした。

「よし行くぞ。今なら抜けられる」

 何食わぬ顔で草から姿を現し、囁くアベル。彼の服には先ほどよりも大量の血が纏わりついていた。

「……何をしたんだ?」

「近場を徘徊していた赤剥にちょっかいをかけて、あの岩場の下まで連れてきただけだ。草の中で屈んでいれば、俺の姿は見えにくいからな。聖騎士たちは勝手に赤剥に矢を放ち、注意を引いてくれた。――……さあ行こう。

ここの聖騎士はかなり熟練者たちのようだった。きっとすぐに赤剥を始末し、戻ってくるはずだ」

 こともなげに言っているが、それが事実なら相当恐ろしい行為だ。イザークはこの男が不死身であることを、改めて痛感させられた。

 残った見張りの聖騎士の隙を尽き、岩場の隙間をこっそりと駆け抜ける。何度か窮屈な穴を潜り抜け、岩によじ登ったところで、ようやく、木造の建築物が目に入った。

 こちらも所々に聖騎士が徘徊していたが、外周部ほど厳重ではない。イザークたちは難なく進み、村の中心部へと到達した。

 いくつも立ち並ぶ家々。街というほどではないが、それなりに大きな村だ。だからこそ、違和感が拭えなかった。

 ――村人が一人もいない。

 あの異様な空。聖騎士たちが安全のために避難させたということだろうか。

 適当に覗き回ってみたものの、生活感のある家は一軒も見当たらなかった。

 歩きながらアベルが呟いた。

「何か空気が重いな。濃い呪術の中にいるような、祈祷術の祝福を受けているような……そんな違和感がある」

「違和感?」

 イザークは首を傾けた。自分は呪術師だが特にそのような痕跡を見つけてはいない。アベルはくまのある目で首をきょろきょろ動かし、

「確か南に下った大司祭、メイソン・ラグナーは封印師団の代表だと話していたな」

「ああ。三神教を支配している五大司祭の一人だ。呪われた地や呪物の保存、封印は全て彼が統制している」

「……そうか」

 納得したのかしていないのかわからない表情をアベルは浮かべた。

「おいどこ行くんだ」

 いつどこで聖騎士の見張りと遭遇するかもわからないのに、ずけずけと進んでいく。イザークが慌てて後ろに並ぶと、彼は前を向いたまま答えた。

「村の北にある岩場。この村で術式を展開するのなら、あそこがもっとも都合がいいだろう。……ちょうどあの闇空の真下だ」

 目を向けると確かに大きな岩場が見えた。外周部よりもいっそう高い岩が丘のようにそそり立っている。洞窟だろうか。その中央部には小さな黒い穴のようなものがあった。

 なんだかよくわからないが、アベルはこの事態が呪術によるものだと考えているのだろうか。こんな異様な光景を生み出せる呪術なんて、見たことも聞いたことはないが。

 今のところ不死身であるという以外、何の情報もない。呪術を使わないから魔女ではないようだが、妙に呪術や祈祷術に詳しい素振りも見える。行動を共にすればするほど、アベルという男がどういう人物なのか、イザークは興味を積もらせていった。

 

 その洞窟の中には、小さな石の台が置かれていた。かなり古いものらしく、上に同じく石作りの杯が乗っている。

 祭壇なのだろうか。台を中心にして石炭石による文字が洞窟中に刻まれており、何らかの術式を構築しているのは明らかだった。

「呪術……じゃないな。これは祈祷術か? 聖騎士たちが描いたのかな」

 曲がりなりにも呪術をたしなむ身だ。それなりに知識はあると自負しているが、この構築分は目にしたことがない。文字の種類は三神教の神言のようにも見えるので、その可能性が高いと考えた。

「そうだな。即興ではあるが、かなり高度な術式だ。……おそらく、メイソン・ラグナーによるものだろう」

 アベルにはこの構築式が読めるらしい。あえてそのことには触れず、イザークは話を進めた。

「何の術式なんだ? 封印師団が駐在しているってことは、やっぱり封印術なのかい?」

「……正確には転換式だ。元々この地に構成されていた場に干渉し、封印術として再利用させている。結果的には封印術式となってはいるが、その効果の大部分は元々あった場によるものだ」

「元々の場って何のことだよ。説明してくれ」

「洞窟の中にある白い文字はこの祭壇に干渉し流用するためのもの。恐らくこの場所自体にも封印術が備わっているのだろう。世界にはまれに祝福地のように自然に特殊な場が構築される例がある。いわゆる、自然封印というやつだ」

 見えない何かを見渡すように、アベルは洞窟中を見渡した。

「何かがこの封印から抜け出そうとして、それを閉めなおしたのかもしれない。詳しいことは聖騎士たちに聞かなければわからないがな」

 ということは、空のあの異様な状況はこの封印の中にいる何かのせいということなのだろうか。

 封印を施されてなお世界に影響を与え続ける呪い。考えるだけで恐ろしいものだ。今この場に立っていることに、イザークは吐き気を覚えた。

「……そろそろ夕刻だ。これ以上ここでわかることが無いっていうのなら、さっさと外に出よう」

「……ああ」

 何か深く考えこんだ表情で答えるアベル。相変わらずその心は読み取れなかったが、少しだけ動揺しているようにも見えた。

 全容が見えたわけでは無いが、何となく事態は飲み込めてきた。要は、この地に封印されていた強力な呪いが封印から抜け出ようとして、再封印されたということなのだろう。

 国家にとって封印指定地は他国に知られたくない弱点だ。争いになった際、そこの封印を破壊するだけで国を混乱に陥れることができる。あの空を作り出し、三神教の大司祭、メイソン・ラグナーを呼び寄せるほどの呪いなのだ。相当悪質なものに違いない。これなら聴聞師として路銀を稼ぐよりもアザレアに売った方が実入りは大きい。あとはどんな呪いが封印されていたか知ることができれば完璧だ。

 いい土産話ができたと、イザークは青白い顔でほくそ笑んだ。

 来た時と同様聖騎士たちの巡回に注意しながら村を抜ける。上るのは難しい岩場だったが、降りることに関しての難易度はそれほど高くはない。イザークたちは何とか聖騎士たちの視線を交わし、馬と退魔師を待たせている荒野へと戻った。

 既に日は暮れ始めている。すぐにでも近くの村へ移動するか、安全地点を探して野宿するべきだろう。

「おい。戻ったぞ」

 馬は木に止められたままだ。イザークたちが草村から姿を見せると、待機していた退魔師たちが腰を下ろしたままこちらを見返した。

「日が沈んできた。早く安全な場所に行こう」

 一流とは言えないが、仮にも退魔師なのだ。自分たちが村へ訪れている間にどこかしこの目星くらいはつけているはず。そう思い聞いたのだが、イザークとアベルに向けられた返事は、刃の切っ先だった。

「道中の村で小耳に挟んだんだ。聖騎士たちが怪しい男を探しているって。そいつには高い賞金も出ていた。あんたが仲介屋に提示させた額よりもずっと高い報酬がな」

 獲物を狙う目でこちらを見据える二人の退魔師。傷を追い寝ていたはずのもう一人は、どこかへ姿が消えていた。

 イザークは瞬時に警戒感を高めた。

「それが俺たちに剣を向けることとどう繋がる? 王都からここまでずっといっしょだっただろう」

「ああ。だが同行者が魔女だとは聞いていない。そいつは胸をえぐられても瞬時に再生した。そんな真似ができるのは、呪いを身に孕んだ者。魔女だけだ。三神教において魔女は異端中の異端。そんな奴が聖騎士の集まる村へ侵入しようとするなんて、気にならない方がおかしいだろう」

 ――ちくしょう。

 自分の配慮の無さに舌打ちする。

 あまりに異様な光景を目にしていたことで、彼らの心情まで頭が回っていなかった。魔女とは生きたまま人為的に呪いを受け入れ同調した者。アベルか魔女かどうかは定かではないが、アザレアの呪術師である自分にとって不死身の男は興味を引く対象でしかない。しかし退魔師である彼らにとって死傷を受けてなお平然と歩き回るアベルは化け物にしか見えなかったのだ。おそらく道中からすでに怪しんでいたのだろう。この反応は予想できた結果だった。

 いくつかの足音。二人の退魔師の後ろからさらに数人の人間が姿を見せる。全員が銀色の鎧と白い外套に身を包み、険しい目をこちらに向けていた。

 自分たちが村へ侵入していた間に告げ口をしていたようだ。村で捕まえなかったのは、単に見つけられなかったか、それとも確実にここで捕縛するためか。どちらにせよ、まずい状況であることには違いがなかった。

 聖騎士。それも大司祭メイソン直下の熟練者たち。どう考えても勝ち目はない。戦えば負けることは確実だし、逃げたら逃げたでお尋ね者になってしまう。かといって大人しく掴まったところで、待っているのは酷い尋問だ。

 どうする。どの選択肢が一番無難だ? アベルに全て罪を押し付けるか? いや駄目だ。村へ侵入することは退魔師たちの前で話してしまった。完全に仲間だと思われているはず。

 どうにかしてこの場をやりすごさなければ、そうイザークが必死に考えを巡らせている時だった。

 ふいっと、アベルが両手を上げた。くまのある両目でしっかりと聖騎士たちを見返し、

「降参だ。連れて行け」

 ごく普通に挨拶をする調子でそう言った。



 聖騎士に掴まったイザークたちは、村の中の古びた倉庫に拘留された。ひびの多いところどころにがたが来ている倉庫だった。

 数人の聖騎士たちが室内に立ち、険しい表情でこちらを見ている。一体どんな拷問が始まるのか気が気じゃなかったが、少しして一人の男が姿を見せた。浅黒い肌に坊主と間違うほどの短髪。年齢は五十半ばほどだろうか。疲れた表情をしていたが、ひと際風格のある男だった。

 彼は聖騎士たちを見渡し彼らと視線で会話を行った後、ゆっくりと口を開いた。

「三神教守護騎士団大司祭。メイソン・ラグナーです」

 予想はしていたが、やはりそうらしい。イザークは手の汗を背の上で拭いた。

「このロファーエル村へ侵入していたそうですが、何が目的でしょうか。どこでこの村のことを知りましたか」

 返答次第でこちらの扱いは大きく変わる。なにを言うべきかイザークが答えかねていると、

「観光だ。ちょっと通りがかってな。こんな不思議な空は見たことがなくてね。是非間近で見たかったんだ」

 アベルが実に平然とした態度で軽口を叩いた。

 聖騎士の一人が何やら含んだ視線を向けるも、メイソンはそれを手で制する。穏やかな調子のまま言葉を続けた。

「退魔師たちの話では、あなたは魔女だとか。呪術的な興味からということでしょうか」

「魔女ではない。大昔に酷い呪いを受けただけの、ごく普通の人間だ。……あの祭壇の封印は君が行ったのか?」

 メイソンは一瞬迷った表情を見せた後、

「……ええ。この村では危険な呪いが封印されていましてね。人々を守るために締め付けを強化させて頂きました」

「そうか。自然封印を上手く活用した完璧な術式だった。いい腕だ」

 三神教の五大司祭の一人を前にしているにも関わらず、全く臆することなく答えるアベル。いつ堪忍袋の尾が切れるかイザークははらはらしたのだが、その言葉を聞いたメイソンは僅かに驚いた表情を見せた。

 アベルはじっとメイソンの顔を見つめ、聞いた。

「――……何が居た?」

 メイソンは答えない。倉庫の中が沈黙で満たされた。

 異様な緊張感。メイソンも、聖騎士たちも神経を急激に尖らせているのが伝わる。

 しばらくして、空気を割る様に老齢の聖騎士が口を開いた。

「おかしな男だ。拘束し、尋問しているのはこちらだと言うのに。これではまるで我々が取り調べを受けているようじゃないか」

 そのままゆっくりと室内を歩き、

「何者かわかるまでずっと拘束することになるぞ。何年も人生を無駄にしたくないのなら、今のうちに正体を吐け。お前たちはどこの誰だ?」

 アベルは何も答えない。じっとメイソンの顔を見つめている。

 老齢の聖騎士はため息を吐きながら柄に手を乗せたが、そこでメイソンが再び口を開いた。

「……――あなた。どこかでお会いしたことが……?」

 怪訝そうな表情。聖騎士たちが不思議そうにメイソンを見た。

 アベルはメイソン・ラグナーを追っていた。やはり何か関係があるのだろうか。イザークは黙ったまま様子を伺っていたが、アベルの返答は実にそっけないものだった。

「……いや初対面だ。申し訳ないが」

 初めてメイソンから視線を逸らすアベル。どことなく居心地悪そうな顔だった。

 再びの沈黙。壁の隙間から聞こえる風の音が唯一その場に流れる雑音だった。

 倉庫の中が僅かに暗くなる。窓越しに遠くの空も闇に染まったのが見えた。どうやら完全に日が沈んだらしい。

 同じく外の景色に目を馳せた老齢の聖騎士が、場を急かすように言った。

「メイソン様。ここは一端私どもにお任せ下さい。御多忙な中、このような怪しい男たちに構っている時間はないでしょう。こちらで何者かはっきりさせ、ご報告致します」

「……手荒な真似はしないで下さい。まだ例の偽祈祷師――呪術師かどうかはわからない」

「心得ております」

 柔らかく頭を下げる老齢の騎士。イザークは“偽祈祷師”という単語が気になったものの、ここで質問しても答えてくれるはずがないと思い、黙っていた。

「それでは……また後ほど」

 ちらりとこちらを一瞥し、倉庫から去っていくメイソン。その視線は、背を向ける直前までアベルに向けられていた。





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