第28話 聖騎士と退魔師(5)

 焔市場の北端にある壁際の場所。そこで人々に向かって話し続ける男がいた。

 長髪を後ろに束ねたその男は、広い三段の階段に腰を下ろし、小さな木箱を目の前に置いている。あれが、先ほど話に聞いた調聞師というやつらしい。

 カウルが人垣の中に入り込みしばらく話を聞いていると、その調聞師は三神教大司教、メイソン・ラグナーについて語り始めた。

 メイソンがグレムリアに来た理由。そして南へ向かったまま帰らないこと。調聞師はカウルが知っている事実を、勢いのある抑揚のはっきりとした口調で説明した。

 カウルは村がどうなっているのか知りたかった。まだ皆は封印されたままなのか。誰か開放されたりしていないのか。偽祈祷師や刻呪の行方はわかったのか。期待と恐怖を抱きながら緊張しつつ話を聞いていたのだが、調聞師の口からその答えが述べられることは無かった。

 南で何かが起きている。それを最後に聴聞師は語りを終わらせた。数人の人々が小銭を箱に投げ入れ、人々が解散していった。どうやら聴聞師は、それ以上の情報を持ってはいないようだった。

 カウルは落胆した。結局、知りたいことは何もわからなかった。聴聞師が金銭を求める目をこちらに向けてきたが、構わずにその場を離れる。今の話に残り僅かなお金を払う気にはなれなかった。

 カウルは少しでも村の情報を得ようと他の聴聞師たちの話も聞いて回った。彼らはお互いの声が重ならないようにするためか、少し離れた位置に席を陣取り、それぞれ独自の話題を歌っている。いくつか面白い話を聞けたものの、最初の調聞師以外でメイソンについて言及する者は一人もいなかった。

「ふう……」

 カウルは段差になっている石台の上に腰を下ろした。建築途中で放棄されたのか、休むにはちょうど良い高さだった。

 大した運動はしてないはずなのに、慣れない人の多さと焔市場の熱気で妙な疲労が溜まっていた。荷袋から水袋を取り出し喉に流し込むと、少しだけ心が落ち着いた。

 ロファーエル村を離れてから一か月弱。刻呪がどこかに出現し暴れたのなら、流石に噂話くらいは聞こえていてもおかしくはないはずだ。この王都グレイラグーンの聴聞師たちかその話題に触れないということは、刻呪は未だに行方不明のままであるということ。少なくともこのグレムリアの中では……。

 一体、あの偽祈祷師は刻呪を手に入れて何がしたいのだろうか。あれほど危険なものを、まさか趣味の収集物にしておくだけのはずはない。

 傷の呪いの被害者が増えないのはいいことだ。あんな地獄はもう二度と見たくはない。けれど、何も起きていないという事実が、逆にカウルを不安にさせた。得体のしれない何かが見えないところで進行しているような、そんな不気味さを感じるのだ。

 再び水袋を口に運ぶ。たっぷり汲んできたつもりだったのに、一気に半分以上も飲んでしまっていた。

 ここでいくら考えようと意味はない。刻呪の居場所を知ったところで、今の自分には戦える知識も能力もないのだから。

 水袋をしまい立ち上がる。調聞師の話は聞いた。ならば次はいよいよ退魔師との仕事だ。あの気さくな仲介屋は確か入り口の右手に同行希望の仲介屋が集まっていると話していたはずだ。

 カウルは気持ちを切り替え、教えられた場所に向かうことにした。



 退魔師の中には馬車の騎手や荷物持ち、旅の道案内などとして、同行者を雇う者もいる。カウルがそういった仕事を扱う仲介屋を見て回っていると、何件目かでちょうど良さそうな依頼票を見つけた。

 場所はグレイラグーンの外。禍獣討伐後の遺骸運搬補助と書かれている。どうやら森林伐採によく利用されている祝福地の森に赤剥が数匹入り込んだらしく、その討伐後の遺骸運びを手伝って欲しいとのことだった。

 禍獣の遺骸は金になるが、一人で持ち運べる量は限られている。たとえ馬車を所持していたとしても、数体の禍獣を解体し、中へ運び込むのは重労働だ。恐らくこの依頼主は少しでも多く禍獣の遺体を売りさばきたいのだろう。

 遺骸運搬補助であれば、実際に戦いに参加することは無さそうだ。退魔師の戦いをよく学べるいい機会かもしれない。

 時間は今日の昼過ぎからと書かれている。少々急ではあるが、別に他にやることもない。カウルはその依頼を受けることに決めた。



 仲介屋に指定された南門に着くと、厩舎の前に武装した人々が集まっていた。他に目ぼしい姿は見られない。カウルは彼らが依頼主の退魔師だと確信した。

 忙しそうに話し込んでいた二人がカウルの姿に気が付き口を止める。二人とも随分と厳つい顔をしていた。

「あの……遺骸運搬補助の依頼を受けたんですけど。あなたたちがそうですか」

 カウルが仲介屋の札を見せそう聞くと、右目に深い傷のある片目の男が笑みを作った。

「ああ。待ってたんだ。来てくれてよかった。詳しい話はそこのハルカスから聞いてくれ。お前と同じ、遺骸運搬を受けた奴だ」

 片目の男が顎で差したのは、カウルと同年代くらいの少年だった。逆立った短い茶髪に、窪みの深い大きな目。どことなく活発そうな印相を受ける。

 ハルカスは馬の背に荷物を括り付けていたが、カウルが近寄ると手を止めた。片目の男の声が聞こえていたようだ。

「あんたも同行希望? 俺ハルカスって言うんだ。よろしくな」

「……カウル。よろしく」

 ハルカスは緊張と好奇心が入り混じったような目でこちらを見た。

「どこから来たんだ? 商業区か?」

「いや、外の村からだよ」

「外って、グレイラグーンの外か? じゃあ出稼ぎってこと?」

「まあ、そんなとこ」

 随分と人懐こい少年だ。これから命がけで荒野に出るというのに、妙に目が輝いている。

「あんたに仕事の内容を聞けって言われたんだけど」

「内容つっても大したことないよ。あの退魔師のおっさんたちが禍獣を狩るのを待って、討伐された遺骸を解体し、袋で包んで馬の背に乗せるだけ。簡単だろう?」

 確かに単純明快。依頼票通りの内容。だが少しだけ、カウルは違和感を覚えた。

「退魔師が五人もいるのに運搬補助が必要なの? それも遺骸を運ぶなら馬車があった方がずっと楽なのに」

「馬車は運ぶのには便利だけど、小回りが利かないから禍獣にやられ易い。馬なら荷物を分散して持ち運べるし、そのために人数がいるってことじゃないの?」

 明るい表情で答えるハルカス。まったく疑問を抱いてはいなそうだ。

 彼はこの仕事を何度も経験しているのだろうか。カウルは尋ねようとしたが、その前に先ほどの片目の男が後ろで声を上げた。

「よし、お前ら準備はいいか。そろそろ出発するぞ」

「やべっ。おい早く馬を引いてこい。そこにいる奴、使っていいそうだから」

 ハルカスが指したのはかなり年老いた老馬だった。やせ細った足に力のない瞳。今にも倒れて死んでしまいそうに見えた。

「この馬……?」

 いくら経費削減のためとはいえ、随分と酷い馬なんじゃないだろうか。カウルは疑問に思いハルカスを振り返ったが、よく見ると、彼の手入れしている馬も同じようなくたびれた姿をしていた。

 片目の男たちが続々と厩舎から出ていく。文句を言っている時間はなさそうだ。カウルはため息を吐き、仕方なく老馬の手綱を手に取った。



 目的の森に向かう道中、ハルカスは自分の身の上話をしてくれた。

 彼はグレイラグーンの貧困区出身であり、今までは商業区で捨てられた品物を集め、転売するという生活を送ってきたそうだ。彼には病気の母親がいるのだが、最近になって体調が悪化し、どうしてもまとまった金が必要になったらしい。

 彼はとにかくおしゃべりな奴で、禍獣の傍を通り過ぎる際に片目の退魔師に怒られるまで、その口は永遠と開閉を繰り返していた。



「あそこだ」

 先頭を走っていた片目の退魔師――ガナヘルというらしいが、緊張感のこもった声を漏らした。

 カウルが視線を前に集中させると、少し先に並び立つ木々と大量の切り株が見えた。全て伐採によって切り倒された跡なのだろう。

「話した通り、あそこは祝福地だが今は禍獣が何匹か入りこんじまっている。ここからは口を閉じ、黙って俺に従え。いつ禍獣に襲われてもおかしくはねえぞ」

 退魔師たちが無言で頷く。カウルもその雰囲気に飲まれるように、手綱を握る腕に力が籠った。

 森の中をしばらく進んでいくうちに、いくつか木造の建物を通り過ぎた。伐採した丸太の倉庫や仮眠用の居住場所のようだ。人の姿はないが、特に損傷も見られない。禍獣さえいなければ、いつでもここで生活を始めることができそうだ。

「……ガナヘル」

 退魔師の一人が小声で囁き、一方向を指さす。カウルたちがそちらを見上げると、右方向、なだらかな傾斜の先に、小動物を貪り食っている赤剥の姿が見えた。

 骨に囲まれた赤黒い筋肉繊維の体。何度目にしてもおぞましい姿だ。この前の恐怖が蘇り、カウルは思わず身震いする。

「どうする? やるか」

「まだだ。入り込んだ禍獣は他にもいるんだろう。まずは数を把握しねえと」

 ガナヘルはカウルとハルカスをその場に待機させると、仲間を森中に走らせ、入り込んだ禍獣の姿を探させた。無駄のない指示と洗練された行動。禍獣の索敵方法も動き方も事前に取り決めていたのだろう。カウルは勉強のために彼らの様子を注意深く観察した。

 散らばっていた退魔師たちが戻り、ガナヘルに報告する。それによると、どうやらこの森に入り込んだ赤剥の数は全部で三体のようだった。

「三体か。なら行けそうだな。いい場所はあったか」

「向こうの方に南へ抜ける小道がある。なだらかで馬も走りやすいはずだ」

 ガナヘルの問いに、仲間の一人が答えた。

「ならおあつらえだな。よし、始めるぞ」

 場の空気に飲まれたのか、流石のハルカスも青い顔で黙り込んでいる。カウルは彼と共にガナヘルに続き、小さな小道へと移動した。

「お前ら二人はここで待っていろ。禍獣が来てもここならすぐに逃げられる。道をまっすぐに沿って走れば、森から抜けられるはずだ」

「が、ガナヘルさんたちはどうするんですか」

 先ほどまでの明るさはどこへやら、怯え切った表情でハルカスが聞いた。

「一体ずつ赤剥を始末する。絶対にここから動くなよ。命の保証はしねえぞ」

 ガナヘルが目くばせをするのに合わせ、一斉に散らばる退魔師の面々。

 カウルはガナヘルたちの戦い方をこの目で見たかったのだが、ここで無理やりついて行って彼らに犠牲が出ては本末転倒だ。一緒に仕事をしていけば、また機会はある。今回はおとなしく指示に従うことにした。

 退魔師たちの声が消え静まりかえる森。葉に風がこすりつく音と、遠くで鳴く鳥の声がよく耳に入った。

 赤剥は一度倒したが、あれは半ば奇跡に近い勝利だった。たまたま最初に腕を切り落とせたから逃げ惑うことができただけだ。もしまた遭遇すれば、再び勝てるかどうかも怪しい。

 小石が転がる音。小枝が折れる音。葉が揺れる音。あらゆる小さな物音に体がびくりと反応し、背筋に冷たいものが走る。

 じっと馬に乗っていただけなのに、気が付けばカウルの背中はびっしょりと汗で濡れてしまっていた。

「ま、まだかな。ずっと静かだけど……」

 この緊張感に耐えられなかったのだろう。青白い顔で、ハルカスが消え入りそうな声を漏らした。

「もし襲われてたら悲鳴が聞こえるはず。大丈夫さ。あの人たちは退魔師なんだから。簡単にはやられない」

 自分に言い聞かせるようにカウルはそう返した。

 ハルカスは手綱を握りしめ、震えながら、

「俺、こんなに怖いと思ってなかったんだ。退魔師は日常的に禍獣を狩っている。だからあの人たちと一緒にいれば平気だって、ただ禍獣の骸を運ぶだけなんだって、そう思ってたのに……。さっきのあの赤剥の目。あの黄色く濁った眼を見た瞬間、俺は何も考えられなくなったんだ。ただただ怖かった。こんなものに勝てるはずがないと思った。……――ああ何でこんなとこに来ちゃったんだろう。早く帰りたい。グレイラグーンに、あのおんぼろの家に」

 初めて王都の外に出て、初めて禍獣を目にしたのだ。その恐怖と心細さは相当なものだろう。ハルカスはかなり精神的にきているようだった。

 カウルには彼の気持ちがよくわかった。数日前に赤剥と対峙したあの日、カウルは涙を流し震えながら一夜を明かした。圧倒的で執拗な殺意。あの恐怖はそう簡単に乗り越えられるものではない。

 カウルはハルカスを見て、勇気づけるように声をかけた。

「しっかりしろよ。この仕事が終わればまとまった金が手に入るんだ。病気のお母さんを助けるんだろ。あと少しの辛抱じゃないか」

 その言葉で、ハルカスは己の目的を思い出したようだった。

「そ、そうだな。そうだ。ここさえ乗り切れば金が手に入るんだ。母さんを助ける金が……」

 人は、生きようと思わなければ生き残ることはできない。例えそれがほんの小さな灯だったとしても、無いよりはずっといい。カウルは何とかして彼にその意思を保って欲しかった。

 ハルカスの目に力が蘇る。彼は縮こまっていた体を何とか起こし、そして――その顔が恐怖に染まった。

「――……赤剥だ!」

 腹の底から漏れ出たように大きな声。カウルはばっと背後を振り返った。

 憎悪と憎しみに満ちた六つの黄色い瞳。

 何と言うことだろう。どうしてか、三体全ての赤剥が闇の中に立っていた。

「――逃げろ!」

 反射的に叫び馬の腹を蹴る。痛みと恐怖で慌てて駆けだす老馬。

 その声に呼応するように、三体の赤剥は天を穿つような醜い雄たけびを上げた。




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