アナテマの獣

灰原アシカ

第一章 灰夜の獣

第1話 生贄(1)

 

 久しぶりに光を見た。

 九大災禍の一つ‶死門〟が、ようやく村の近くから過ぎ去ったのだ。

 つい先日まで黒雲と轟雷が渦巻いていた空は、青々とどこまでも晴れ渡り、台地には懐かしの荒野が溢れている。流れ込む風に合わせるように、灰色の葉を持つ木々や草が左右へと身を躍らせていた。

 カウルは陽射しを遮る様に目の上を片手で覆った。

 眼下に広がる世界に動物の死骸は一つもない。死門が村からそれた経路を移動してくれたおかげだ。遠くの村や山奥に避難せずに済んだことは不幸中の幸いだった。

「いい天気。ずっと暗かったから何だかほっとするね」

 手を突き岩場を上ったモナが横に立った。彼女の後ろからはさらに別の少年がこちらを見上げている。二人ともカウルと同じ村の子供だった。

 モナはセミショートの茶髪を掻き上げ、気持ちよさそうに風を受け止めると、遠くの方を指さした。

「見て。もう大人たち仕事に出かけるみたいだよ」

 カウルがそちらに目を向けると、ちょうど岩場に囲まれた村の入り口から土煙を上げて何台かの馬車が走り去るところだった。馬車の荷台に乗っている村人の中に布切れを頭に巻いた男性――父の姿を見つける。

「死門が通り過ぎたばかりだから禍獣や盗賊がいないんだ。今なら角や骨が取り放題だからね」

 カウルは羨ましそうにそう言った。

 死門は触れたものの命を吸い取り死をまき散らす漆黒の嵐だ。世界を何千年も蹂躙し続けている九大災禍の一つであり、死門の通り過ぎた跡地で禍獣と呼ばれる呪われた獣の死骸を回収することが、このロファーエル村の大きな収入源の一つだった。

「カウルも一緒に行きたいんでしょ」

 表情から何かを読み取ったのか、モネが悪戯っぽい笑みを浮かべカウルの顔を覗き込んだ。

「別に。死体漁りに参加する気なんてないよ」

 この村では十四歳を超えるまで村の外に出る事が禁じられている。外の世界はおびただしい数の呪いが溢れ、ある程度の分別を持った大人でなければすぐに死んでしまう危険が高いからだ。

 父のように骸拾いとして生活をするつもりはない。ないが、あの荒野の向こうにどんな世界が広がっているのか考えることは、好きだった。

 カウルは目を土煙からそらすと、岩場から滑り降りた。短い黒い髪が風に押され一瞬逆立つ。

「今回はいい拾い物があればいいんだけどな。最近農作物の出来も悪いし」

 降りてきたカウルを見て、もうひとりの少年――ゴートが呟いた。

「今回の死門の接近はかなり長かったし、禍獣の死骸も多いと思う。きっとしばらくは食うに困らないはずさ」

「だといんだけどね」

 どこか不安そうにゴートは坊主頭をかいた。

 砂利を転がしながら、モネが岩場の上から降りてくる。彼女はズボンについた砂を手で払い、先ほどの会話を続けた。

「骸拾いが嫌ならカウルは何がしたいの? 他に出来ることもないのに」

「この村に居れば、だろ。村から出れば生き方なんていくらでもあるさ。黒陽の国で呪術師になるとか……退魔士として禍獣を狩るとか」

「カウルが呪術師は無理じゃない。あの人たちってすごく頭が良くて、たくさん勉強してるんだよ」

「知ってるよ。だから勉強すればなれるかもしれないだろってこと」

 多少むきになってカウルは言い返した。別に本気で呪術師になりたいわけではないが、こうも真っ向から否定されるとプライドが傷つく。

「なら俺は聖騎士だな。白花の国で三神様に身を捧げ戦うんだ」

「それが一番現実味がないよ。ゴート」

 呆れたようにモネは苦笑いしてみせた。

 家々の間を見知った顔の少年たちが走り抜けていく。彼らを見て、モネは表情を戻した。

「ほら、いつまでも無駄話してたら厄払いに遅れるよ。祈祷師様に怒られちゃう」

「俺たち年長組はもう聞き飽きてるんだけどな。小さい子だけに対してやればいいのに」

 ゴートは面倒くさそうに唇を尖らせた。

「死門が過ぎ去った直後は祈祷師様の話を聞いて、洗礼を受けるのが習わしなんだもん。仕方ないでしょ。みんな家から出るのは久しぶりなんだし、万が一呪われてたらどうするの。この村で呪いに対処できるのは祈祷師様だけなんだよ」

 モネは信神深い家庭で育ったため、子供たちの中でもひと際三神や神官を崇拝している。例えこんな片田舎の祈祷師だろうと、その対象には変わりないのだろう。

「はいはい。わかってますよ」

 気だるそうに歩き出すゴート。彼がこうしてモネに指示されるのは、いつもの光景だった。

 砂埃と灰色の草が宙に舞う。

 先ほどはああいったものの、カウルも自分ではわかっていた。聖騎士や呪術師なんて代物は、選ばれた権利を持つ者にしかなれない役職。このロファーエル村で生まれた以上、骸拾いとして一生を終えるしかないのだと。

「カウル。早く」

 後ろを振り返り呼びかけるモネ。

 カウルは心の奥にくすぶっている虚しさから目を逸らし、彼女たちの後を追った。



 広い木造の建物の中に、かすれた声が響き渡った。

「かつて世界には‶魔法〟と呼ばれる力が存在していました。太古の人々は今では失われたその力を使い、意のままに自然を操り、生物を作り、世界を支配していました」

 祈祷師は座っているカウルたちの顔を一人一人見渡し、言葉をその記憶に溶け込ませるように話し続けた。

「彼らの文明は大いに栄え、数多の富と栄華を極めました。皆が平等に魔法を扱い、平等に命をはぐくむ。まさに彼らの生活は理想そのものでした」

 ゴートが眠そうにあくびをする。もう何度も聞いた話だから、飽きてしまっているのだろう。

「魔法は世界の創造主たる三神様から漏れ出た力です。彼らの多くは常に三神様を崇拝しその恩恵に感謝していました。しかしある日。その力を悪用しようと考える者たちが現れたのです。……誰のことかわかりますか? モネ」

「九人の賢者です」

 モネは軽く手を上げ、さっそうと答えた。

「そう。力を持てば人は際限なく欲望を増幅し、より強い力を求めてしまう癖があります。九賢者と呼ばれる彼らは通常の魔法では飽き足らず、より強い力を求め三神様の力を奪おうとしました。

 彼らは‶五つの獣〟と呼ばれる武器を作り出し、三神様へ攻撃を仕掛けました。五つの獣は空を、海を、森を切り裂き、神の領域へと九賢者を導きました。あともう少しで三神を殺せる。九賢者がそう考えた時でした。彼らは三神の逆鱗に触れてしまったのです。強烈な光と轟音が鳴り響き、九賢者は三神の呪いをその身に受けました。彼らの身体は人の形を留めることができなくなり、混沌と苦痛の渦、今なお世界をむしばみ続ける九つの自然災害――九大災禍と化してしまったのです。

 九賢者の行いを嘆いた三神は世界から足を離しました。三神から流れ込んでいた魔法は失われ、これにより人々は幸福と富を作り出せなくなりました。

 世界は周回する九大災禍の恐怖に常に怯え続けることになり、数千年もの間、私たちの命と生活を脅かし続けているのです」

 ワザとらしく祈祷師は肩を震わせたが、もう見慣れている光景と説明だったため、誰も怯えたりはしなかった。

「九大災禍が元は賢者たちってことは、あいつらは生きてるってことですか」

 まだ六歳ほどの少年が手を上げ質問した。今回初めて厄払いに参加した子供の一人だ。祈祷師はそちらを見ると、神妙な顔を作った。

「意識があるとも、既に自我は失われたとも言われています。黒陽の国の呪術連盟や白花の国の神官たちが研究を続けているらしいですが、未だに詳細がわかってはいません。何せ、九大災禍に近づくということは死を意味しますから」

 なるほど。確かにその疑問はもっともだ。もし九大災禍に意識が残っているとしたら、一体どんな気持ちなのだろう。絶えず呪いに体を蝕まれ、自由も聞かずに人々に災いを降り注ぎ続ける。考えるに恐ろしい状態だとカウルは思った。

 祈祷師は白いフードを被り直し、声のトーンを落とした。

「そんな呪いに溢れた世界の中で、我々が今なお生きていけるのは三神様の恩恵があるからです。三神様はこの世界から足を離しましたが、強い信仰心を持つ者たちには救いの手を差し伸べ続けておりました。三神様を信じる心が祈祷術を三神教会を生み、こうして人々を破滅の呪いから守っているのです。

 死門が過ぎしばらくの間は平和が訪れますが、いずれ禍獣や野盗なども村の周囲に戻ってきます。皆さまもいつどんな危険に会うかはわかりません。そんな時に救いとなるのは、三神様への信仰心だけです。常に三神様を信仰し、心と体を清く保って下さい。それが呪いに溢れたこの世界に抗う、唯一の道なのですから。……――それでは、洗礼の方へと移りましょう」

 祈祷師に近い位置の子供から名が呼ばれ、彼のお祓いを受けていく。

 九大災禍が通り過ぎた後は、その余波によって子供たちが何らかの呪いを受けることが多い。その確認として行われるのがこの厄払いだった。

 モネとゴートのお祓いが終わり、カウルの番がくる。祈祷師はカウルを目の前に座らせると、聞きなれない言葉の羅列を口ずさみ始めた。三神教で使われている祈祷術の神言なのだろう。

「さあ、終わりましたよ」

 祈祷師が穏やかな笑みを浮かべカウルの頭に手を乗せる。カウルはお礼を言うと、静かに立ち上がりその場を離れた。




 

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