7 嘘

 さて、実際特に予定もなかった僕は少し病院内を探索しながら帰ることにした。

 どこまでも白い壁、ピカピカの廊下、確かに清潔感はあるがどこか寒々しい。もし、家の病院を継ぐことになったら、せめて壁はもう少し温かみのあるクリーム色、そしてそこにはそこで働く医者や看護婦の写真、入院中の子供の絵などをかざるのもわるくないな、そんなことを考えるながら歩く。


 その時、前から来る一組の車椅子を押す親子の姿が目に入った。


 暖かな赤いチャックのひざ掛けがまず目を引いた。

 昔は綺麗だったであろう、品の良い顔立ちの女性が、車椅子を押す娘とにこやかに話している。

 その光景に、なんだか裕介は胸が温かくなる気がした。

 裕介がそんなことを思って見ていると、視線を感じたのか車椅子を押していた娘が顔を上げた。


「「あっ」」


 同時に声が上がる。


「お友達?」


 母親の言葉に久美が苦虫をつぶしたような、そんな複雑な表情をした。


「えっ、あ、ちょっと、知ってるだけよ」

「そうなの」


 そういうと母親は裕介を真っ直ぐに見て、ニコリと微笑みながら頭を下げた。

 僕も慌ててそれにかえす。


「いつも、久美がお世話になっています、ちょっと口が悪くて、意地っ張りなところもありますが、本当は心の優しいいい子なんです、これからも、よろしくお願いしますね」

「なっなに言ってるのお母さん、誰もこんな奴にお世話になってないわよ」

「そうなの」


 微笑みながら久美をみる目はどこまでも優しく穏やかだった。


「じゃ、じゃあね」


 久美は何を言っても無駄と判断したのか、再び車椅子を押すと、足早に横を通り抜けようとした。


「あっ、そうだわ」


 一刻も早く立ち去りたい久美とは別に、母親がパンと手を叩くと声をあげた。


「あれ、持ってて、もらいましょうよ」


 何を言い出すんだと言うように、大きな目をさらに大きくして久美が母親を見る。


 どうしていいか分からないのはこちらも同じで、とりあえず立ち止まったままことの成り行きを見守る。


「ほら、こないだ、青森のおじさんにもらったリンゴ、食べきれないから、持っててもらいましょ」

「いいわよ、私が食べるから」

「でも腐っちゃたら申し訳ないわ、ねえ、あなたちょっといらしてくれる」


 ニコニコと、でも有無を言わせない雰囲気は、どことなく久美と似ているものがある。

 

「すぐそこだから、ほら早く」


 人に命令慣れているのもこの母親の血だろうか、久美も諦めたのか、勝手についてくればいいでしょ、といわんばかりの嫌そうな顔だ、僕は苦笑いを浮かべつつ二人の後についていった。



「ご家族は何人?」

「四人です」

「ご兄弟がいるの?」

「妹が一人」

「じゃあ、これくらい大丈夫ね、少し重たいかしら、でも男の子だし平気よね」


 ダンボールいっぱいのリンゴを数個、近くにあったコンビニ袋に入れて手渡してくる。

 ずっしりと重いそれを受け取りながら、礼を述べる。


「あ、ありがとうございます」

「いいのよ、こんなに食べきれないし、腐らすのもったいないじゃない、もらってくれてうれしいわ」


 そういって、久美の母親は笑った。


「じゃあ、母さん私もう帰るから」

「あら、もうそんな時間」


 いままで黙っていた久美が、いつの間にか身支度を整え扉の近くに立っていた。


「あ、僕ももう帰ります」

「そう、じゃあまたね」


 どちらに向けた言葉なのか、母親はにっこりと微笑んだ。その顔はとても病気で入院しているようにはみえないほど元気そうに見えた。


☆──☆


「なんで、こんなとこいんのよ。本当にストーカーじゃないの?」


 病院を出ると開口一番、睨みつけられる。


「賢治が入院してんだよ」

「えっ……大丈夫なの?」


 一瞬棘が抜けたように心配気な声を出す。


「骨折してたけど、本人は元気だった」

「そう」


 そしてそのまま自転車置き場までは無言で歩いた。そして「じゃあ」といいかけた久美に、僕は病室を出てからずっと思っていたことを口にした。


「なんで嘘ついたんだよ。やっぱりバイト掛け持ちしてるのは、お母さんのためなんだろ」


 自転車にまたがりかけていた久美の背中がピクリと反応した。


「だったらどうなの?」


 振り返って問う。


「本当のことを話していたら、あなたが私の代わりにお金を払ってくれたの?」


 冷たい声音だった。


「あなたも医者の卵ならわかるよね。エリの時とはまた状況が違うことが」


 病室にあった点滴の種類やテーブルに置かれた薬。

 どれをとっても一つの病名しか浮かんでこなかった。

 そう、間違うはずない。彼女が研究課題で発表していた難病。


「同情される覚えはないわ」


 同情なんてそんなつもりじゃなかった。だが、彼女の目をみて後悔した。

 彼女はそのまま自転車にまたがると、すごい速さで病院の門をくぐって消えた。

 僕はさっきより重たく感じる袋を抱え、自転車を走らせた。

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