朝日を浴びて踏み出すために

@YORUZATO

第1話

 それは辰の国ナグシャムの、うららかに晴れたとある日のこと。

「うーん、今日は散歩日和だな」

 紅の色彩の目立つ街中をアルドはエイミと並んで歩いていた。

「宿屋の人に散歩をお勧めしてもらってよかった。できれば、もう少し早起きしてジョギングしてもよかったかも」

「ジョギングか。未来のエルジオンで暮らしていた時もやっていたのか?」

 アルドの素朴な質問にエイミは「たまにね」と答えてから辺りを見渡す。

「その時は街の中でしか走ることできなかったけど、ときどき思うの。いろんな素敵なところに行って、こういうところで思いっきり走り抜けられたら気持ちいいだろうなって。まあいつも敵と戦う時にすごく走り回ってはいるんだけどね」

「ははっ、確かにな」

 エイミの言葉にアルドは朗らかな笑い声を上げた。それから何気なく視線を進行方向へ向けたアルドは「ん?」と短く声を上げた。

「あそこ、道になにか落ちてないか?」

 数歩先に進み、アルドは自分で見つけたものを拾い上げた。

「何それ、本かしら。だいぶ汚れちゃっているけど」

 エイミの指摘した通り、アルドの拾い上げたのは一冊の本だった。

「もともと綺麗な表紙なのにもったいないな。あ、題名が書いてある」

 アルドは蓬色の和紙の表紙についた砂汚れを手で払いながら、目を細めて何が書いてあるのか読み取ろうと試みた。

「読めるの?」

「いや、さっぱりだ……」

 その時、おお、と近くで驚きの声が上がった。二人が思わずそちらの方へ視線を向けると、薄紫色の服に身を包んだ老婆がいて、彼女の視線は完全にアルドの手の中にある本に釘付けになっていた。

「そ、その本は……!」

 言葉を失っている老婆の様子を見て、アルドは首を傾げる。

「もしかしてこの本ってあの人のかな?」

 アルドは老婆の方へ歩み寄り、彼女へ声をかけた。

「あの、この本」

「ああ、その本、シャム語で書かれた本ですね!」

 アルドの声を遮り、老婆が声を張り上げた。突然のことに呆気にとられたアルドの方へ、老婆は瞬時に詰め寄った。

「シャム語は現在の通用語の前身となった言語。前身とはいえ文字が崩れすぎていて一般市民では意味を汲み取ることすら困難であり、今やシャム語を使うのは宮殿にいらっしゃる高官のみっ。そしてそのシャム語で書かれた本をお持ちになっていらっしゃるということはもしや貴方は」

 老婆はアルドの目と鼻の先まで迫り、元々細い目をカッと開いて叫んだ。

「ガーネリ様の御側にお仕えされている高官の方でございますね!」

「え、あ、いや、これは単に拾っただけで」

 アルドはしどろもどろになりながら老婆の誤解を解こうとするが、老婆は彼の言葉など耳に入っていないようだった。

「ああ、何たる幸運。サンもまだ運に見放されてはいなかったんだわ」

「あの、おばあさん、話をさ」

 やはりアルドの言葉に耳を貸す素振りもなく、老婆は突然彼の両手をぐっと握り、肩の高さまで持ち上げた。

「高貴なお方、貴重なお時間を取らせてしまい大変申し訳ありません。ですがどうしても貴方様に、私の娘に一目お会いになっていただきたいのです」

「ええと、突然言われてもな」

 困惑するアルドに対し、老婆は更に喋り続ける。

「一目お会いになればわかります。娘のサンは私が十八年間手塩にかけて育て上げました愛娘でございまして、それそれは可愛らしいのでございます。私の家に来てくださり、ご覧になっていただければすぐに気に入られるでしょう」

 そこで老婆は一段と語調を強めて言った。

「高官様の嫁として!」

「「嫁!?」」

 アルドとエイミは同時に素っ頓狂な声を上げた。

「ええええ。もうどこに出しても恥ずかしくない娘なのです。ぜひとも、ぜひとも貴方様のところへお迎えになってくだされば私も一安心というものでございます」

「い、いやいや待ってくれおばあさん。俺は宮殿の人でもないしそもそも娘さんをお嫁にもらうなんて大事な話、突然されても困るって」

 慌ててアルドは老婆を落ち着けようとしたが、彼女にこちらの言葉を汲み取ってくれる様子は微塵もなかった。

「ああでも突然のことですから、家がまだ高官様をお出迎えできるほど整っておりませぬ。すぐに整えてまいりますので、今しばらくお待ちくださいませ!」

「あ、ちょっとおばあさん!」

 アルドが止める間もなく、老婆はすさまじいスピードで来た方角へと戻っていった。アルドは呆然としながら、側にいたエイミの方を振り返る。

「えっと、どうしよう」

 エイミも困惑した様子で腕を組み、しばらく何事か考える。それから首を横に振り、アルドに告げた。

「あんなに必死な形相でアルドに迫って娘さんと結婚してほしいって言っていたってことは何か事情があるんでしょ。あのおばあさんはともかくとして、その愛娘さんに話を聞いてみるって手はあるかもね。まああのおばあさんの勢いでアルドがちゃんと結婚を断ることができるかは分からないし、このままここを離れちゃえばあのおばあさんがアルドを迎えに行けないからそれで話を有耶無耶にすることはできるんだけど」

「うーん、でも誤解を解けていないし、あのおばあさんを放っておくのも心配だし。娘さんに話を一度聞いてみようかな」

 アルドの言葉にエイミは「アルドはそう言うと思った」とちょっと呆れたような笑顔を浮かべて言った。それからふとこちらへ歩み寄ってくる一人の青年に気づく。

「あの、先ほど、サンのお母さんとお話しされていましたよね?」

 青年に声をかけられ、アルドもようやく彼のことに気づいた。

「え、ああ、うん。そうだよ」

「すみません、立ち聞きしてしまって。思わず懐かしい名前が聞こえてきたものですから」

 青年は丁寧な言葉を重ね、アルドの前に立つ。

「サンは君の知り合いなのか?」

「小さいときによく遊んでもらった仲なんです。街の中を一緒に走り回ったり、時には少々やんちゃをして近くの山を登ったり。ただ八歳を過ぎたあたりから彼女、母親の方針で家から殆ど出なくなってしまって」

「家から出なくなったって、なにか病気なのか?」

 アルドの素朴な疑問に対し、青年は沈黙で返事をする。それから徐に顔を上げ、アルドの方へ向き直る。

「もしサンの家に行くというのであれば、俺を連れて行ってもらえませんか。彼女に会いたいんです。俺一人で行くとあの母親に家に入れてもらえなくて」

「うん? 子供の時一緒に遊んでいた友達なんだろう。なんで会わせてくれないんだ?」

 アルドの言葉に青年は少し寂しそうに笑い、ボソリと答えた。

「それは俺が貧乏な家だから、ですよ」

「え?」

 そこで青年は無理矢理表情を明るくしてアルドの方を見る。

「サンの家の場所、ご存じないでしょう。もし貴方達の準備ができたらそこへご案内しますよ。俺は宿屋の前で待っているので、いい具合になったら声をかけてください」

 そう言って青年はアルド達に背を向け、その場を立ち去った。

「なんだかよく分からないけど、やっぱり色々事情がありそうね」

 エイミの言葉にアルドは頷いた。

「ああ。やっぱりもう少し話を聞いた方がよさそうだ。宿屋の方へ行こう」

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