08 死神は告白する
なにを言っているのか、このチビっこは。
言うに事を欠いて、人に向かって「死んでるくせに」とか、失礼を通り越している。
じゃあ、なに。今、ここにいる私はなんなのよ。
「おまえ、外に出たか?」
「遠出はしてないけど、まったく外出しないわけじゃないわよ」
「じゃあ、誰かに会ったか? 話をしたのか?」
「人が少ない時間を狙ってるから、それはない、けど……」
ふたりで歩いているところを他人に見られるのはちょっと困ると私が言ったから、シュウさんは夜遅い時間を選んで、外出してくれている。
シュウさんの優しさだ。
おかげで私はいっさい外出することなく、過ごしている。
まるで、囲われているみたいに。
まるで、私を部屋に閉じ込めているみたいに。
まるで、外の様子を見せないようにするみたいに――
ごくりと唾を呑んだ。
私がいま感じているのは焦りや恐怖であるはずなのに、私はちっともドキドキしていない。本当なら、心臓がバクバクしていたっておかしくないはずなのに。
胸元を掴んでいる私を見て、少年はなおも告げる。
「死んでる人間の心臓が動いてるわけねーじゃん。おまえ、バカなのか?」
「……で、でも、ここは叔父さんの部屋だし」
なにも変わらない、私の日常風景だ。
日々は連続している。途切れてなんて、いないはず。
「そらー、あんたにとって『いつもどおり』がこの部屋だから、具現化してるだけだろ。で、そのオジサンとやらは?」
「叔父さんは、出張中、で」
「保護者が不在のなか独りで生活してて、誰からも連絡がこないっておかしいだろ」
子どもの外見とはうらはらに、随分と大人びたことを言い、私はそれに対してまたもヒヤリとした。
叔父さんは長期出張になって、それを知ったお母さんが心配して、毎朝スマホにメッセージを送ってくるようになった。はじめのころは、いちいち電話がかかってきてうざかったから、なんとかメッセージアプリに変更してもらった。せいぜいスタンプ返すぐらいだけど、なにかの形で「生存確認」がしたいからといって、続けさせられている。
そういえば最近、やってない。
っていうか、スマホ、どこ?
今日が何日なのか、カレンダーを見なくてもスマホで確認してたけど、ここ最近はずっとシュウさんのタブレットで確認していて。だから私のスマホの出番はなくて。あれ、どこに置いたっけ。最後に触ったの、いつ?
曜日感覚が薄れていたって、テレビ番組を見ればわかるはずなのに、それがわからないってことは見ていないってことで。――そういえばテレビ、見てないかも。
ふらりと足を動かして、私はリビングへ向かう。見慣れた配置の家具、明るい南向きのガラス扉。そこから続くベランダは、落下対策なのだろう高さで、見える景色は多くない。とはいえ、付近には高い建物が少ないから、わりと遠くまで見通せる。
でも、どうしてだろう。ベランダの柵越しの世界は、ぼんやりと白く光って、景色といえるものは見えない。
そっか、窓の外の景色なんて、見ているようで見ていないんだな。どんだけぼんやりと生きているんだろう。
「……って、生きてないのか、私」
途端、周囲のすべてが色あせていく。叔父さんと協議して権利を勝ち取った、私セレクトのタータンチェック柄のラグも、ただの敷物と化した。
ここはどこ?
私は中西由衣。
猫のシュウさんを助けたあと、あわてて脇道から出たせいで、走行してきた自動車に気づくのが遅れた。
薄暗い道、カッと光ったヘッドライトが私を照らして、目が眩んだことを覚えている。
つまり、私はあのとき車に轢かれて――
「違う、君は死んでいないんだ、由衣」
「……シュウさん」
淡くにじんだ、境界線のぼやけたリビング。シュウさんに背中から抱きしめられた格好で、私は立っていた。首だけで振り返ると、焦げ茶色の優しい瞳が私を見つめている。
「死んでいない。まだ、君は生きている」
「いきてる?」
ぼんやりと言葉を返す私に、シュウさんは頷いた。
大きな手が、私の身体をなぞるように動いていく。触られた箇所が熱を帯び、私の心が震える。上に下に、撫でるように動いていた手はやがて胸元で止まった。
すっぽりと包まれる私の胸。
顔に朱が走るのと同時に、私の心臓が大きく動いた。
「ほら、君の心臓は止まってなんかいないだろう? ゆっくり、ゆっくりと鼓動を刻んでいる」
そうだ。シュウさんが来てからというもの、私の心臓は休まる暇もなく、ドクドク音を立てている。
身体は熱を持ち、いろいろなことを考える。脳みそはフル回転だ。
「シュウさん、なんでさっさと引導を渡さないんだよ」
少年が、苛立ったように声をあげた。
「
「おまえには関係ない」
「だって――」
シュウさんが手で払うような仕草をすると、少年の姿が消失した。例の、亜空間ってところに消えたのだろうか。
いや、そもそも、それらの情報もどこまで本当なんだか。ぜんぶ、私をごまかすための方便だった可能性だってあるじゃない。なにもかも。すべてが、まやかし。
「……ぜんぶ、嘘だった?」
「騙していたわけじゃない。君は事故にあって、眠っているんだ。死ぬか生きるか、その瀬戸際にいる」
「でも、シュウさんが来たってことは、死ぬってことだよね」
「そうとはかぎらない」
定められた命の循環。瓶のふち、ギリギリにある水は、内と外、どちらに入るかは運次第。
シュウさんは私を生かすために、私の精神世界に入りこみ、刺激を与えつづけていたらしい。
夢かと思ったのは、ある意味間違ってなかったってことか。
シュウさんは、死神としてはそこそこいいところにいて。だから、私のように微妙な判定ラインにいる人を見極めて、生かすも殺すも手の内にあるんだとか。
私の担当死神がシュウさんだったおかげで、私は生存の可能性を得た。
問題だったのは、私が鈍くさいせいで、自分の状況を認識できていなかったこと。
生死の自認はかなり繊細なので、人によっては自我が崩壊し怨念と化す可能性があるため、慎重にならざるをえなくて。その間、現実の身体が駄目になっちゃわないように、この精神世界での暮らし方が大事になっていくる。
それが、心身の活性化である。
ええ、シュウさんのおかげで、私の心臓は弱まるどころかバクバクだったでしょうよ。身体だってポカポカだよ。
私はいつでも覚醒可能な状態になっていて、あとは、私が自覚することだけだった。
少年くんのおかげで計画が狂ったらしいけど、そうじゃなかったとしたら、一体どんなふうに自覚を促すつもりだったんだろう。聞きたいような、聞きたくないような……。
曖昧な世界に、いつものダイニングテーブルが現れる。私が作った、出来損ないの料理まで再現された状態で。
「……よりによって、こんな料理が最後の晩餐って」
「由衣が作ってくれたんだ。俺は嬉しいよ」
「イヤですよ。もっとちゃんとしたもの作りたいです――あ!」
私が愚痴っていると、シュウさんはどこからか取り出したフォークを使って、私の藻パスタを口に運んだ。
ここで「美味しいよ」なんて微笑むのがドラマのヒーローだけど、シュウさんは微笑みを顔面に張り付けたまま私を見て、「基本から始めようか」と至極まっとうなことをのたまった。はい、どうもすみません。
シュウさんの手の一振りで現れたいつもの台所で、私のアレな見た目のパスタやスープに、シュウさんが手を加える。漂ってくるいい匂いに、私のお腹がグーと鳴った。
そういえば、こんなふうに「お腹すいたー」みたいな感覚も、久しぶりかもしれない。
つまり、私の身体は覚醒に向かっているということなのだろう。
生まれ変わった料理(卵は惨殺死体のままだけど)を食べながら、私はシュウさんといろんな話をした。
死神としてではなく、ただのシュウさんのこと。
料理が趣味らしい。
夢は料理人だとか。
死神にはノルマがあって、それを達成すれば輪廻の輪に乗って転生だって可能。
勿論、それは自由意志で、権利を有したからといって必ずしも「人間」になる必要はない。死神が暮らす場所は、現実世界に近いところにあるし、人間っぽい生活をしていることもあり、わざわざ本物の「人間」になる意味はないのだ。
だって人間になれば、困難はたくさんある。死神は、そのことをよく知っている。生死を、より近いところで見つめていてなお、「時」に縛られる人間になりたいものだろうか?
「なりたいよ、俺は」
「そういうものですか」
「その可能性があるからこそ、俺は死神になったんだから」
シュウさんは、そんなに楽しい前世だったんだろうか。そういうの、覚えてるものかわからないけど。
考える私に、シュウさんはくすりと笑う。
「覚えているかと問われたら、多くを記憶しているわけじゃないな。生きていたころの俺は小さくて、いろいろなことを学んだのは死神になってからだから」
それはつまり、子どものころに亡くなったってことだよね……。
もっと生きていたい、大人になりたいって思っても、当然かもしれない。
シュウさんは優しいな。私を助けてしまったら、そのぶん生き返るのに時間がかかっちゃうわけで。少年くんが言ったように、私の魂を回収しておけば、そのぶんシュウさんは早く「人間」になれたはずなのに。
「そんなことはないさ。俺は嬉しいよ、こうして由衣と一緒に暮らすことができて。人間が言うところの『奇跡』っていうのは、こういうことをいうんだろうって、思った」
「奇跡って……」
あいかわらず、シュウさんの言うことは大袈裟だし、恥ずかしい。私はそんな御大層な人間じゃないのに、なんでそこまで言うんだろう。あのとき、たまたま鳴き声を聞いて、生垣から解放しただけだよ?
するとシュウさんは首を振り、「俺が君に出会ったのは、もっとずっと前のことだ」と言った。
だから、こんな美形には会ったことないってば。
いや、黒猫の姿だったって言われたら、そりゃーあるかもしれないけど、二十年弱の人生で見かけた猫なんて何匹いるのやら。
印象深いっていえば、何度か触らせてもらったことがある、友達の飼い猫。あれはたしかサバトラのメス。のっしのしと近所の塀を歩いていた、歴戦の勇者感が漂う隻眼の茶トラもいたけど、あれが人間だったら筋肉マッチョだと思うし。
あとは、ちびっちゃい黒猫。うちで飼いたいと母親に願ったけど、父親のアレルギーを理由に断られた、あのかわいい黒猫ちゃん。夢みがちな子どもだった私は、黒猫をお供にする魔女に憧れていたのだ。
記憶にある猫エピソードをあげていた私に、そこでシュウさんが笑みを深めた。
ん? 黒猫?
「俺はずっと、君に会いたかったんだ」
はい?
シュウさんが言うには、あれは、あのときの黒猫は生前の自分なのだという。
なにそれ、猫って死んだら死神になれるの?
命は等しいもので、魂だけになってしまえば、姿形は意味を成さないから、そういうこともありえるんだって。
つまり、極端な話、前世はミジンコでした、とかもありなわけだ。
まあ、ミジンコが思考するのかっていうと、わからないけど。
「あの後、なにがあったのかはよくわからない。身体の小さな猫だし、危険も多い。事故か病気かで命を落としたんだろう。猫の記憶は遠いが、俺に声をかけて、一緒に暮らそうと言ってくれた君のことだけは、強く心に残っている」
穏やかに語るシュウさんに、私は胸が熱くなる。
この気持ちはなんだろう。
それはきっと後悔と、恥ずかしさ。
自分本位な幼児の戯言が、あの子猫を縛りつけてしまったのだとしたら、申し訳なさでいっぱいになる。
「ごめんなさい、私ってば自分勝手で。子どもだったからって、言い訳にすぎないんだけど」
「それを言うなら、俺だって子どもだったさ」
情けなくて、シュウさんの顔が見られなくて俯く私の視界に、黒いものが映った。フローリングの床についている私の足に、黒猫がすり寄ってくる。
黒猫がこちらを見上げて、口を開いた。
「由衣」
「シュウさん……」
子猫時代の何倍も大きくなった体躯だけれど、ふわふわの毛は変わらない。私が初めて触れた、猫。大好きな童話に出てきた、憧れの黒猫。
そうだ。思い出した。
くろねこのシュウ。
それが、魔女が飼っている猫の名前。
ほんもののシュウがいたことに私はひどく興奮して、感激の声をあげたのだ。
――死神さんじゃない、シュウだ。
――それ、大事ですかね?
――とても
「由衣」
またもいつのまにやら人間の姿に戻っていたシュウさんが、私を呼ぶ。
「シュウ……――さん」
ごめんなさい、やっぱり無理です。
猫の姿ならともかく、イケメンのお兄さんを呼び捨てとか、私にはハードルが高すぎです。
そんな私を見て柔らかく微笑んだシュウさんの顔が、ゆっくり近づいてくる。
無理、無理です。
いくら夢でも! いや、夢だからこそ? そういうのはちゃんと現実で――ってそうじゃなくて。
一人でパニックになっている私の耳許で、シュウさんが囁く。その吐息と甘さに、私の心臓はさらに加速度をあげる。
ドクドク、ドクドク。
「由衣?」
遠くから聞こえた誰かの声に、私は意識を向けた。
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