第19話 燐風の答え

 風呂から上がった水晶すいしょう潘紅玉はんこうぎょくは、楊譲ようじょう燐風りんぷうが用意してくれた朝食を済ませると、荷物をまとめ飛脚屋の外に出た。まだ開店まで少し時間があるというのに、荷物を持ち込みたい客が大勢待機列を作っている。


「燐風、撈月甲ろうげつこうを磨いてくれたんだって? 楊譲殿に聞いたよ。ありがとう」


 燐風のお下がりの灰色のローブを纏い、愛馬の烈火れっかを連れた潘紅玉が楊譲の隣に立っている燐風に言った。


「は!? え? 何だよ言わなくていいのに、楊譲さんはぁ……まったくもう。別に礼とかいらないから。暇だったから……磨いてみただけだし」


 燐風は顔を赤くして照れ臭そうに言う。隣で楊譲が笑う。


「燐風さんは、その……撈月渠ろうげつきょへは行かないんですよね?」


 水晶は燐風の様子を伺いながら恐る恐る訊ねる。


「行かないよ。あたしはこの店を守る。まあ、多分、張晏ちょうあんに関しては、潘さんがあれだけボコボコにしたし、張震ちょうしんもあたしがぶっ飛ばして喝入れといたから、もうふざけた真似はしないだろうけど、万が一って事もあるかもだし。それに、あたしがいなくなったらこの店潰れちゃうかもしれないし、何より楊譲さんが寂しがっちゃうからね」


「寂しがるのはお前の方じゃろ、燐風。儂はこの国を変える為なら出て行っても構わぬと言うておるのに」


「はいはい! いずれにせよ、あたしは撈月渠には行かないよ。撈月甲もあたしは恥ずかしくて着れないし。あ、恥ずかしいってのは、馬鹿にしてるんじゃなくて、そんな際どい格好になれないって意味だから」


 燐風は腕を頭の後ろで組むと目を瞑ってそっぽを向いてしまった。


「大丈夫だよ、燐風。胸が小さくても恥ずかしくないよ。私だって貧乳だけど恥ずかしいと思った事はないから」


「いや、潘さん。何なの? 喧嘩売ってるの? まるであたしが貧乳みたいに! ……あたしは着痩せするタイプだし、水晶よりは大きいからね!」


「……なっ!?」


 燐風の突然の振りに水晶はムカッときたが、事実なので返す言葉が見付からず口をパクパクさせながら燐風を睨み付けた。

 楊譲はまた愉快そうに笑っていた。


「それでは楊譲さん、燐風さん、お世話になりました。これにて失礼致します」


 気を取り直し、水晶は楊譲と燐風に拱手こうしゅすると潘紅玉も礼儀正しく拱手した。

 楊譲と燐風も拱手して応える。

 そして水晶は、潘紅玉が乗った烈火に手を借りて乗るとしっかりとその腹に手を回ししがみついた。


「元気でねー! 水晶! 潘さん!」


 燐風の元気な声が背中越しに聞こえたので水晶は振り返り手を振る。


「お2人もお元気で!」


 水晶が街の喧騒に負けないくらいに小さい声を振り絞って応えると、潘紅玉は威勢のいい掛け声を上げて烈火を駆けさせた。


 楊譲と燐風はしばらく手を振って見送ってくれた。


 2人が見えなくなると水晶は潘紅玉の背中に頬を付けた。そして無意識に潘紅玉のローブの隙間から手を忍ばせ腹筋を撫でる。まだ怖い馬の上ではこうする事が一番落ち着く。圧倒的な安心感。温かい肌と大好きな6つに割れた勇ましさのある腹筋、そして可愛らしいへそ……


「水晶」


「は、はい?」


 突然潘紅玉に声を掛けられ首を傾げる水晶。


「手つきがいやらしい」


「あ! いや、これは、その、ごめんなさい!」


 あまりの恥ずかしさに水晶は潘紅玉の背中から頬を離す。腹筋を撫でる手も離してとりあえず背中のローブを掴む。


「いいの。でも、水晶が私にそんな気持ちになってたなんて……はぁ……寝込みを襲われないように気を付けなきゃ」


「お、襲いませんよ!? 意地悪言わないでください! 潘さん!」


 水晶が焦って弁明すると、潘紅玉は声を出して笑った。


「もう!」


 初めて潘紅玉にからかわれたが、それが何だか水晶は嬉しくて、自然と笑みが零れた。




 第2章 帝国に眠る同志 《前》 [完]

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