第17話 撈月渠からの使者
真夜中の来客。
店は閉まっているので荷物を持ち込みに来た客ではないだろう。
「潘殿、貴女の知り合いと言う方が見えておるぞ。店の外で待ってもらっておるが」
応対した
「潘さんの知り合い? こんな時間に? どうしてここにいるって分かったんでしょう?」
水晶が疑問を口にしたが、潘紅玉も思い当たる節がないようで首を捻る。
「夜分遅くに申し訳ございません。お邪魔致します」
すると、楊譲の隣から暖簾を潜り、黒い上等なローブを着た女がフードを外しながら現れた。若くてとても上品そうな綺麗な瑠璃色の瞳をした女だ。
店の外で待たせていたはずの客人が勝手に入って来たので隣の楊譲は目を丸くしている。
「お久しぶりです。潘紅玉様。捜しましたよ」
「……あ」
潘紅玉はその女を見ると盃を食卓にコトンと置いた。
「知り合いですか? 潘さん」
水晶が訊くと潘紅玉は頷いた。
「私に
「そう言えば名乗っていませんでしたね。わたくし、賈南天様の遣いの
朱燦莉は礼儀正しく淑やかに
「朱……という事は、貴女も
「如何にも。わたくしは朱燦姫の血を引く正当な“水の礎”の後継者でございます」
朱燦莉はローブをはらりと捲り、中に身に付けている撈月甲を見せた。潘紅玉のものとは装飾が異なり。青を基調とした涼し気な色合いだ。胸の辺りも潘紅玉と違いボリュームがある。腰には剣も佩いている。
すると、潘紅玉は突然立ち上がり床に両膝を突き
「ようやく撈月の同志に会う事が出来ました。この潘紅玉、感激でございます。姉上」
潘紅玉の仰々し過ぎる行動に燐風も楊譲も理解出来ず、水晶に視線で説明を求めてくるが、もちろん水晶も理解していないので首を横に振る。
「あら、ごめんなさい。かつて撈月の仲間達は皆姉妹のような強い絆で結ばれていたのです。さすが潘様も撈月の血を引いているだけはありますわ。歳上には姉のように慕い、歳下には妹のように世話を焼く。……でも、頭を上げてください。わたくしにはそのような礼は気が重くて敵いません。それに、まだ撈月は復活しておりません」
朱燦莉は頭を下げる潘紅玉の両手を握り頭を上げさせた。
「それより、潘様。わたくしが手紙をお渡ししてからもう
「あ……それが、その……道に迷いまして……申し訳ございません」
潘紅玉は小さな声で俯いて答える。こんな弱々しい潘紅玉の姿を見るのは初めてだ。
「それは困りましたね。わたくしはまだ到着していない他の同志達を尋ねなければなりませんので共に行く事は出来ません。……1人では撈月渠へ来られませんか?」
朱燦莉は首を捻り潘紅玉の顔を心配そうに覗き込む。
「大丈夫です。私が潘さんを撈月渠に連れて行きます」
バツの悪そうな潘紅玉に水晶は助け舟を出した。
「あら、貴女は?」
「水晶と申します。潘さんには命を救われ、そのご恩を返す為、共に撈月渠への旅をしています」
朱燦莉は優しく微笑み頷いた。
「そう。頼もしいお供が出来たのですね。潘様。それではあと
「はい」
水晶と潘紅玉は同時に返事をした。
「それではわたくしは先を急ぎますので……あ、そうだ」
背を向けかけた朱燦莉は何か思い出したように立ち止まった。
「潘様、まさかとは思いますが、その
朱燦莉は目を細めて潘紅玉の身体を見る。
「この格好で旅をして来ました。撈月たる者、女としての誇りを」
「貴女の志しの高さは賞賛に値します。しかし、状況というのをお考えください。我々はまだ軍隊とも呼べない個人の集まりに過ぎません。万が一、撈月復活計画が嶺月や
「……あ……はい……」
「撈月の女がどうのと近隣の村々で噂になっていました。まあ、そのお陰で貴女を見付けられたのですが……。しかしながら、今後は身体を隠し、自分が撈月だと名乗る事はお控えください」
「心得ました」
潘紅玉は弱々しく拱手した。
「それから……これはお願いなのですが、撈月渠へ来るまでの道中、同志となりうる仲間を見付けたら連れて来て頂きたいのです。何分人手不足なものでして」
「仲間を集める……ですか」
「はい。闘えぬ者でも、志があれば仕事はいくらでもあります……」
朱燦莉は水晶を見た。
「水晶さん、貴女、潘様を撈月渠まで送り届けて頂いた後はどうなさるおつもり?」
「え!? わ、私は……えっと……その後の事は考えてませんでした」
突然の質問に声が上擦る水晶。
「そうですか。もし宜しければ、撈月のお手伝いをして頂けたら嬉しいですわ。そちらの貴女も」
今度は燐風に微笑み掛けた。
「あたし!? いや、あたしは……やる事があるから。あたしが居なきゃ飛脚屋の仕事減っちゃうだろうし……それに、
「燐風。もしお前が共に行きたければ行ってもいいんじゃぞ?」
楊譲の言葉に燐風は目を見開いた。
「行かないよ! あたしは、国よりも、まずこの店を守るんだ。それがあたしの仕事」
燐風は頑なに撈月渠への同行を否定した。
「そうですか。強制ではないので無理強いは致しません。ですが、もし、気が変わりましたら、その時は撈月渠をお尋ねくださいね。水晶さんも」
「はい」
水晶は返事をしたが、燐風は黙って頷いただけだった。
「では、今度こそ失礼致します。水晶さん、潘様を宜しくお願い致します。それと、撈月渠へは
そう言って不敵な笑みを浮かべた朱燦莉はフードを被り店から出て行った。
静まり返った部屋の中には、馬蹄の音が遠くに去って行くのがよく聞こえた。
「水晶……」
潘紅玉は縋るような目で水晶を見る。
「
子供のように不安そうに言う潘紅玉の両手を水晶は優しく握った。
「ここからなら撈月渠へは一月も掛かりません。大丈夫です」
水晶の微笑みを見た潘紅玉の不安そうな表情は氷のように溶けて、水晶と同じ笑顔を見せた。
潘紅玉は水晶がいないと撈月渠へは行けないし食事や金の管理も出来ない。だが、水晶は潘紅玉がいないと自らの身を守る事が出来ない。
お互いの弱点をお互いが埋め合う関係。潘紅玉とは友達でも主従関係でもない。しかし、2人は確かに絆というもので結ばれている。水晶は潘紅玉の手を握り目を見てそれを感じた。
「君たちさぁー、イチャイチャするなら2人切りになってからやってってば」
眉間に皺を寄せた燐風がまた文句を言った。
「燐風や。そんなに2人が羨ましいならお前も撈月渠へ行って働いて来なさい」
「あたしは行かないって言ったでしょ! ってか、羨ましくなんかないし!」
顔を真っ赤にして怒る燐風を見て、皆笑いに包まれた。
賑やかな夜はその後もう少しだけ続いた。
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