第11話 相徳鎮の張晏

 店の中で大声を出していた者のもとへ楊譲ようじょうは急いで駆けて行った。

 水晶すいしょう燐風りんぷうは店の奥から出るなと言い付けられていたので大人しく椅子に座り、戸で遮られ視界に入らない店の方を気に掛ける。


「ああ、何かヤバそうな雰囲気だね。あの声は張晏ちょうあんだ」


 苦笑を浮かべながら燐風が言った。


「張晏? 誰ですか?」


「ここ相徳鎮の鎮将だよ。この街の軍の長で治安維持とか裁判も司ってる、一番力のある奴。だけど性格がねじ曲がっててさ、女を徹底的に差別しやがる屑野郎さ」


 燐風は口を歪め不快感を露わにして言った。


「もしかして、私がここに来たから……?」


「そうだなぁ……露店の前で顔晒しちゃってたからな。君中々の美少女だし、街の奴が褒賞目当てに張晏に報告したんだろう」


「え……あの、私、どうなっちゃうんですか??」


「張晏は女を差別しやがるけど、息子の張震の嫁になる若い女を探してるって噂があるから、気に入られたら張震の嫁にされんじゃないかな?」


 一層強い不快感を顔に表して言う燐風。

 水晶はじっとしてられず思わず立ち上がる。


「私、捕まるわけにはいきません。やる事があるので!」


「そりゃあたしも同じだ。一応あたしは男の飛脚屋って事になってる。あたしが女だと知ってるのは楊譲さんとこの店の男達だけ。バレたら色々不味い。とりあえず、裏口から逃げよう。表は楊譲さんが上手い事やってくれる」


「あ……でも、楊譲さん大丈夫ですか? 私達を匿って……」


「大丈夫。殺されやしないさ。この街の一番の富豪だからね。張晏の奴も下手に手は出せないだろう」


 燐風の説明に頷くと、水晶は裏口の戸をゆっくり開けて出て行く燐風の後に続いて飛脚屋を後にした。


 ♢


 水晶は燐風に導かれ狭い路地裏へと逃げ込んだ。昼間なのに日も当たらず薄暗くジメジメとしている。

 息を切らしている水晶に対して燐風は汗一つかいておらず涼しい顔をして通りの方の様子に目を光らせている。


「何で……そんなに、は、速いんですか??」


「あたし、簫景山しょうけいざんで生まれてね、小さい頃から標高の高い場所で走り回ってたから自然と足腰が強くなったのかな」


 燐風は自分の足の速さを自慢するわけでもなく、さぞ当然の事のように言ってのける。


「そうなんですか。……あの、楊譲さんは燐風さんのお祖父じいさんなんですか?」


「いや、違う。あたしの家族は皆簫景山を占領に来た峨山賊に殺された。1人逃げ延びたあたしは、生きる為に働き口を探しながら村々を回ってたんだけど、女だからって理由で遊女とか娼婦くらいしか仕事がなかった。で、相徳鎮の外で力尽きて倒れていたあたしを拾ってくれたのが楊譲さんだった。あの人は命の恩人なんだ。女のあたしに仕事をくれただけじゃなく、娘のように扱ってくれた。血は繋がってなくても、家族のような存在だ」


 柔らかな表情で話す燐風を見て、水晶は黙って頷いた。自分と似たような境遇。水晶は家族と呼べる存在に出会えなかったが、燐風は幸運にも楊譲に出会い、今の不自由のない生活を手に入れた。それが水晶には少しだけ羨ましかった。


「そうだったんですね。……ところで、この後はどうするつもりですか? 燐風さん」


 息が整ってきた水晶は建物の壁に背中を預けながら座り込んだ。


「まあ半刻もすれば張晏も帰るだろ。何せ店の中には女なんていないんだからね。水晶はもう街から出な。欲しい物も手に入ったろ?」


 確かに燐風の言う通り、目的のローブは手に入ったのでこの街に用はない。張晏に捜されていると言っても、さすがに権力の及ばない相徳鎮しょうとくちんの外までは捜しには来ないだろう。

 だが、このまま去るという事に水晶は心に引っ掛かるものを感じた。


 水晶が浮かない顔をしているその時だった。

 通りの方が急に騒がしくなったのだ。


「大変だ! 飛脚屋の楊譲さんが張晏将軍に連行されてるぞ!」


 何人かの住民が集まりそんな物騒な話を始めた。楊譲は相徳鎮では知らぬ者はいない有名人。そんな人物が鎮将・張晏に連行されているとなればそれは騒ぎにもなる。


「連行!? 何でそんな……!!」


 燐風は顔色を変えて路地裏から通りを覗き、住民の噂話に耳を傾ける。

 水晶も立ち上がり燐風の肩越しに顔を出す。


「楊譲さんが張晏将軍に?? 一体どうして?? 不正でもあったのか??」


「いやそれがな、飛脚屋の中に若い女を匿ってたらしい。それを張晏将軍が直々に確認に行ったらしいんだが、どうやら上手く店から逃がしたって話で、張晏将軍の怒りを買ったんだと」


 燐風の予想していた展開とは違う運びとなっていた。張晏は諦めるどころか女を匿った挙句、逃がした罪で楊譲を逮捕してしまった。確かに殺されはしないが、不味い事になったのは明らかだ。


「あたしのせいだ……あたしが逃げ出したから……」


 頭を抱え自分を責める燐風。その肩に水晶は手を置いた。


「燐風さんのせいじゃありません。店に残ってたとしても私達を匿った罪に問われて捕まったかもしれません。それに私達も一緒に……」


 言いながら水晶は自分が飛脚屋に行かなければこんな事にはならなかった事に気付いた。楊譲の逮捕は燐風の責任ではない。水晶の責任だ。


 急に言葉を詰まらせた水晶を燐風ははっとして見た。


「違うよ! 水晶のせいじゃないからね! 水晶には関係ない。もういいから、早く相徳鎮から出て行って!」


 頭が混乱しているはずなのに燐風は水晶へ気遣いの言葉をかけた。


「貴女はどうするんですか? もしかして……」


「楊譲さんを助ける。あたしが出頭すれば楊譲さんは助かるかもしれない。いや、絶対助けてもらう」


「駄目です! 貴女が出て行っても、楊譲さんが私達を匿った事に変わりがない以上、解放されません。燐風さんも張晏に捕まって張震のお嫁にされるだけです!」


 燐風は水晶の説得を聞いて顔を歪める。額からは汗の粒がポロポロと流れている。


「例えそうだとしても放ってはおけないだろ? あたしの家族なんだよ? 楊譲さんが解放されないなら、力づくでも助け出す!」


「そんな……張晏を倒すんですか!? 相手はこの相徳鎮の軍を統べる将軍なんですよね??」


「そうだよ。勝てなくても、あたしのこの脚があれば」


「危険です! やめてください!」


「他に方法はない! いいから君は出て行け!」


 強い言葉で拒絶され、水晶は1歩後退りをする。燐風は自分の冷静さを欠いた発言に気付き口を押さえた。


 その時、通りのざわめきが一層大きくなった。


「いいか、諸君! この相徳鎮で若い女を匿った挙句、俺に報告しない愚かな行為は重罪だ! 例えこの街の発展に寄与した豪商だとしても、罪にはしっかりと罰を与える! 少しでも罰を軽くしたければ逃げた女はすぐに姿を現せ! さもなければ、楊譲は残り少ない生涯を暗くて狭い牢獄で過ごす事になるぞ!」


 20人程の槍を装備した歩兵を連れ、鎧兜を纏った偉そうな男が優雅に馬上から大声で警告しながらやって来た。その隣の馬上には上等な着物を着た若い男が。そして隊列の真ん中には手枷で拘束された楊譲の姿がある。


「張晏……! 張震も一緒だったか! 本当に楊譲さんを連れて行く気だな」


 燐風は握った拳を震わせた。

 すると燐風は通りへ歩き始めたので、水晶は咄嗟に燐風のローブを掴んで止めた。


「離せ! 聞いただろ? 今出て行けば楊譲さんの罪は軽くなるって」


「街の人達に見付かったのは貴女じゃないです。私です。だから私が出て行って楊譲さんを許してもらうように説得してみます!」


「馬鹿なのか? 君にはやる事があるんだろ? 張晏に捕まったらもう……自由はないんだよ?」


 燐風は今にも泣きそうな顔で言った。


「でも! 貴女も楊譲さんも見捨てられない!」


「あたしの家族は、あたしが守る。ありがとう。水晶」


 そう言うと、燐風は水晶を思いっ切り路地の奥へ突き飛ばした。


「きゃっ!?」


 水晶は尻もちをつきながら、通りへと躍り出た燐風の背中を見た。


「張晏! 若い女ってのはあたしの事だ!」


 水晶は手を伸ばしただけで声を出す事が出来なかった。

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