第2章-1 帝国に眠る同志《相徳鎮編》

第8話 火の礎

 撈月渠ろうげつきょという地は、崔霞村さいかそんから北に200里 (約785km)。その途中にはいくつもの村や街があり、さらには大きな山や大河を越えなければならない。黒双山に向かうよりは遥かに近い距離だが、その道のりは険しい。


 崔霞村の森を後にした水晶は、潘紅玉はんこうぎょくの馬、烈火れっかに乗せてもらい街道を避けながら、崔霞村から北東におよそ20里 (約78km)の場所にある鎮市ちんし相徳鎮しょうとくちんへ向かっていた。


 撈月渠へ行く為に峨山賊のいない道を通るとなると、北に直進するわけにもいかず、どうしても迂回するルートを通らねばならない。水晶1人ならまだしも、肌をこれ見よがしに露出させた潘紅玉と一緒だとどうしても目立ってしまう。

 潘紅玉の通って来た地の峨山賊の情報と水晶が得ている峨山賊の情報を統合してみると、どうやら相徳鎮から千馬道せんばどうを抜けて曼亭府まんていふへ行くルートは峨山賊がいない事になる。

 そこで水晶と潘紅玉はまず初めに相徳鎮を目指す事にしたのだ。


 ♢


 崔霞村を離れて最初の夜。空には大きな欠けた月と宝石を散りばめたような星々が煌めいている。

 街道を避けながら森を進んでいた2人は、暗闇での移動を諦め一先ず野宿をする事にした。


「お腹空いたー。ご飯作って!」


 潘紅玉はまだ馬から下りるのに慣れない水晶に手を差し出し丁寧に下ろすやいなや子供のように強請ねだる。


「分かりました。崔霞村の森で採っておいたキノコと山菜の入ったお粥を作ります。お米も少しありますので」


「わはぁ! 美味しそう!」


 潘紅玉はまたも子供のように目を輝かせて喜ぶ。

 崔霞村の森を出る時に確認したが、潘紅玉は一銭も持っていなかった。聞けば森で木の実などを採って何とか生きていたらしい。元々少食らしく、食事も少なくて済んでいたようだ。


「ちゃんとしたお料理なんて家を出てから食べてないよー。もうかれこれ2ヶ月くらいになるかな?」


 鞄から鍋と包丁、まな板など道具を取り出し料理の準備を進める水晶の横で潘紅玉は嬉しそうに言う。


「潘さん、ほんとよく木の実だけで今まで生きてこれましたね。森には兎とか猪とかいたんじゃないですか?」


「あぁ、私、動物は……殺せないんだ……可哀想でさ……それに、殺せたとしてもその後解体しないといけないでしょ? 私そういうの無理」


「ならお金を稼ぐ方法とか知っとかないとこの世界で1人で生きていく事は出来ませんよ? 私は魚釣ったり薬草採ったりして村で売ってたから多少お金は稼げましたけど」


「まあいいじゃん! 何とかなってたんだしさ! それに、これからは水晶ちゃんが私の面倒見てくれるんでしょ?」


「あ、はい。それはもちろん。撈月渠に辿り着くまでは。そういう約束ですから」


 水晶は潘紅玉と会話をしながらも手際良くキノコや山菜を包丁で切り分け、持参していた竹筒の水筒の水を鍋に入れる。さらに、鍋を吊るす為に太い枝で自作した三脚を地面に固定し、鉄の鍋を紐で吊るす。

 隣では潘紅玉は興味深そうに小さな拍手をしたりしながら水晶が料理をする様子を眺めている。


「さて」


 水晶が鍋の下に、落ちていた枝を集めて火打石を打ち始めると潘紅玉が不思議そうな顔をして首を傾げる。


「何してるの?」


「何って、火を起こしてるんですよ? まさか、火の起こし方も知らないんですか?」


「あは! そのくらい知ってるよ。でも、私の火の起こし方の方が早いよ。見てて」


 潘紅玉はそう言うと、無数に穴の空いた篭手を着けたままの右手の人差し指を伸ばし、鍋の下の枝の束へと近付けた。

 どうやって火を起こすつもりなのか見当もつかない水晶は、潘紅玉の指先にある枝を見つめる。


「いくよ。点火」


 潘紅玉が言った瞬間、篭手の周りの空間が歪み、枝はボッっと音を立ててオレンジ色の火をともした。

 驚きの余り水晶が潘紅玉の顔を見ると、オレンジ髪の女はドヤ顔で水晶を見ていた。


「な、何ですか!? 今の?? 妖術??」


「凄いでしょ? これは潘家に伝わる“五行ごぎょういしずえ”の1つ、“火の礎”。簡単に言うと、火を生み出し操る力」


「“火の礎”……聞いた事があります。でも、それは空想の術かと思ってました。実際に使える人を見た事がありませんでしたから……あ! そう言えば、撈月にも妖術を使う人がいたって……」


「そう、それが私の御先祖様の潘僑零はんきょうれい。潘家は代々“火の礎”を受け継ぐ家系なのよ」


 得意気に話す潘紅玉を見ながら水晶は「凄い……」と声漏らす。そんな御伽噺のような力の存在を信じてはいなかったが、こうして実際にそれを目の当たりにすると信じざるを得ない。

 賊を殲滅する武術。伝説の五行の礎の力。そして、世界を変えたいという志。それらは水晶には1つもないものだが、その1つ1つはとても偉大なもので、同時に憧れを抱いた。まさに“戦士の素質”を兼ね備えた潘紅玉に水晶は益々心を奪われた。


「潘さん! 今夜は存分に私の料理を味わってくださいね! 私、潘さんには本当に撈月を復活させて欲しいです! そして、この国を変えて欲しい!」


「ありがと。頑張るよ! それまでお世話になります」


 潘紅玉は嬉しそうに微笑みぺこりと頭を下げた。それに対してすかさず頭を下げる水晶。2人はお互いに顔を上げると何だか気恥しくなり、声を出して笑った。



 ♢



 食事を済ませると潘紅玉は赤いマントを広げその上にゴロリと寝転がった。


「はぁ〜美味しかった! ご馳走様! これで当分何も食べなくても大丈夫そう」


 潘紅玉のだらしない行動と耳を疑う発言に、後片付けをしていた水晶は手を止める。


「潘さん、ご飯食べてすぐ寝転がるのは良くないですよ。お行儀も悪いし身体にも悪いです。それに、食事は毎日摂らないと。いつ峨山賊に襲われるか分からないんですから力を付けておかなくちゃ」


「大丈夫、大丈夫」


 水晶の母親のような物言いに潘紅玉は背を向けて適当な返事を返す。

 先程点けた火はまだ燃えており、潘紅玉の剥き出しの腰や尻をユラユラと照らしている。


「潘さん。私、これからの撈月渠への旅の事で提案があるんですけど」


「ん? 何?」


 さすがに興味のある話だったようで、潘紅玉は身体を起こし胡座をかいて水晶の方を見る。

 胸と股は鎧で隠れているとは言え、少しずれれば見えてはいけない部分も見えてしまう程に危うい潘紅玉の格好。自分が同じ格好をしたらと思うと恥ずかしさで頭がどうにかなりそうだ。


「とても重要な事ですよ、よく聞いてくださいね」


 水晶が言葉を溜めたので潘紅玉は唾を飲んで頷く。


「もう少し身体を隠してくださ──」


「嫌だ!」


 間髪入れず拒否されたので驚きながらもその理由を訊こうとすると、潘紅玉の方が先に口を開いた。


「私は好きな格好も出来ない肩身の狭い男尊女卑の世界に抗おうとわざとこの格好をしているの。私がこうする事で、村の隅っこで小さくなってる女の人に勇気を与えたい。女は女として堂々と生きていていいんだって事を伝えたいの。だから私は肌を隠す気はないよ」


 確固たる意思を述べた潘紅玉に水晶は微笑んで頷く。


「潘さんの意見は分かりました。でも、それは撈月に辿り着いてからでもいいと思うんです。今はまだ潘さん1人なんですから、もし大勢の峨山賊に出会でくわしたらまた逃げるしかない。そしたらまた迂回する道を探して進まざるを得なくなります」


 そこまで言うと潘紅玉も理解したのか頭を掻きながら溜息をつく。


「なるほど。そうなればまた撈月渠に着くのが遅くなる……」


「そうです。いくら私が道案内したところで、峨山賊が邪魔をしてくるなら最悪、撈月渠に辿り着けないかもしれませんよ?」


 そこまで言うと、潘紅玉はしゅんとして首を縦に振った。


「分かったよ。身体を隠せばいいんでしょ? でも、撈月甲は脱がないよ? 身体を隠すなら、水晶ちゃんみたいなローブを着る。戦う時は絶対撈月甲じゃなきゃ嫌だから。それだけは譲れない」


「それでいいです。移動の時は必ずローブを着てください。次の目的地、相徳鎮で私が潘さんのローブを買って来ます。それまで潘さんは人目につかない所で隠れていてください」


「……分かった」


 潘紅玉は素直に答えた。

 撈月の誇りに関わる事には強い拘りを持っているが、それ以外の事は水晶の言う事に従ってくれる。年上なのに、少し子供っぽくて我儘なところもあるが、水晶は潘紅玉が好きだった。


「先に寝るね」


「はい。おやすみなさい」


 潘紅玉は剣を抱えるとまた赤いマントの上で横になった。

 すると先程まで水晶の視界の端っこでひっそりと草を食んでいた烈火が主の横で脚を折り、そのまま眠ってしまった。

 水晶も片付けを終えると持参した毛布を広げ潘紅玉の隣に横になり静かに眠りに就いた。

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