第一幕 花も嵐も踏み越えるよ!

1.身を立てるだけの学問を修めたい

 まずい、爆発する。


 農機具用の、出力自体は大したことのない発動機はつどうきのはずだ。この振動は、可動弁かどうべんがなにかに引っかかっていたんだ。


 多分、円筒内壁えんとうないへきにきれつがある。それが広がって厚さが足りなくなった部分が、もう外からわかるほど赤熱せきねつしていた。


 庭に飛び出して、しげみに頭から突っ込む。間一髪、後ろでものすごい音がした。


 煉瓦造れんがづくりの小さな離れは、さすがに崩壊はしなかったが、扉がかたむいて煙を吐いている。何事かと、すぐに使用人達が集まってきた。


 暇人ひまじんどもめ。仕方がない、さっさと逃げることにした。


 こちとら、14歳の年齢からしても、だいぶ見劣みおとりするせっぽちの小娘だ。茂みの陰から陰へ移動する。


 大人おとななんかに捕まるもんか。あいつさえ来なければ。


 腹立たしいにやけ顔が頭に浮かんだ瞬間、身体からだが持ち上げられた。


 両脇りょうわきに手を差し込まれて、赤ん坊のようにぶら下げられる。真正面で、銀髪の色男が、じとりと青い目を細めていた。


「ア……アルフレット……どうして……」


「あなたの逃げ道のくせなどお見通しです、ユーディット。狩りの経験が違います」


 朝も早い時間なのに、しっかりと品の良い上下を着て、白い襟元えりもとに浅黒い肌がのぞいている。


 寝巻姿に、寝ぐせだらけの短い金髪をはね散らかしたこっちとは、出来できが違う。


「ぶっ……あははははははっ! なんですか、その顔は? 猫ですか、黒ぶち模様の猫ですか? あははははははっ!」


 機械油でも、べったりとついていたのだろう。おきれいな顔で、めんと向かって大笑いされた。


 もう、思わずかっとなって、ばしてやろうと足が出る。


 正確には出しかけた瞬間、微妙に身体をゆすられて、動きが止まる。


 機先きせんを制するとは、こういうことか。これだから武門ぶもんの人間は始末に悪い。


ろしてよ! って言うか、せめて笑うのやめろ! さらし者じゃないのっ!」


 せいぜい、もがくしかできないあたしに、使用人達が暖かい目を向ける。


 なんだ、その顔は。虐待ぎゃくたいされてるんだぞ、これ。


 恥ずかしくて汗が出る。顔が赤いのが自分でもわかる。


 こんちくしょう。


 いつか絶対、仕返ししてやる。決めたからな。本気だからな。



**************



 湯浴ゆあみで顔と身体を洗っていたら、朝食を食べ損ねた。


 食堂に行けばなにか出してくれるだろうが、騒ぎの前にお菓子を盗み食いしていたので、面倒かけることもないかとあきらめた。


 湯上がりに、二階の渡り廊下を下着姿でうろついていると、吹き抜けの玄関広間で、執事さんとお客がもめているのが見えた。


 門前払いよりはいくらかまし、程度に、丁重ていちょうにお引きとり願っているのを、お客の方が食い下がっている。


 きっちりと着飾った美人だ。胸も大きくて、柔らかそうだ。二階のあたしに気がついて、ちょっとすごい目でにらまれた。


 あたし、なんかしたか?


 したか。こんな小娘でも、朝っぱらから男の家を下着姿でうろついていれば、なんかしたと思われるわな。


 早々に退散して部屋に戻ると、問題の張本人がすずしい顔で、あたしが積み上げた学術書を読んでいた。


「勝手に入って申し訳ありません。朝食に姿が見えなかったので、ここで待たせてもらいました」


「あんたの屋敷でしょ。別に良いよ」


 そう。ここはこの色男、アルフレート=クロイツェル侯爵さまのお屋敷で、このあたし、ユーディット=ノンナートンは、花嫁修業の名目めいもくで放り込まれた、単なる厄介者やっかいものだ。


 こと発端ほったんは、ばあちゃんだ。


 あたしの家は、大元の一族からは母方の分派でつながっている。父は学者で、あたしの遺伝はこっちの比率が高いと思う。


 母方一族は由緒正ゆいしょただしい大貴族で、外面そとづらはまあ良いのだが、とにかく内向きが堅苦しい。


 ばあちゃんは一族の、内というか裏というか、とにかく誰も頭の上がらない支配者で、分派の婦女子の一人一人にまで、淑女しゅくじょたる格式と良識を行き渡らせることに余念がない。


 ひまさえあれば学術書と機械油にまみれているあたしなど、もう目のかたきどころの騒ぎではなかった。


 それで、まあ、とても外にはお出しできないとまれたのだろう。手っ取り早く一族内の、遠縁とおえんの家に片づけられた。


 相手のこんちくしょうにしてみても、28歳のいい大人が可愛かわいげの欠片かけらもない子供を押しつけられたのだから、同情の余地はあった。


 改めて、のんきに座っている姿を見る。隣のたくには、多分あたしのだろう、軽めの朝食が用意されていた。


 背が高く堂々として、物腰も丁寧ていねい、腹の立つこともあるが、こうしていろいろと気も使ってくれる。


 武門の人間なんて筋肉だけで生きてるのかと思いきや、学術書を読みくだいて説明してくれるほどの教養もある。


 これで子守りに隠居させられるのは、確かに気の毒だった。


「あのさ。いくらばあちゃんの命令だからって、あたしのことなんて気にしなくて良いよ。学校に通わせてくれるだけでおんの字なんだから、あんたも好き勝手しなよ」


 父の影響で、勉強は得意だった。機械いじりは趣味だ。それなりに努力して、フェルネラント帝国高等学校にも飛び級した。


 身を立てるだけの学問をおさめたい。


 勉強さえできれば、その間の面倒さえ見てもらえれば、いずれ婚約なんて破棄はきして放り出してもらっても構わない。


 かかった学費と生活費は、まあ、実家に請求してもらおう。それまでにばあちゃんが死んでいれば、完璧だ。


「なぜ、私が好き勝手をしていないと考えるのですか?」


 きょとんとした顔を向けられた。

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