第42話 ファントム視点

 


「え?あ、あれ?クリス?あれ?侯爵様は……?」


 ドキドキしながらアンジェリカの反応を待つ。軽蔑されるかもしれないと思いながらも、心のどこかでアンジェリカに受け入れてもらえるのではないかと期待してしまう。


 だが、アンジェリカは猫のクリスが私だとは知らないのか、私を探してキョロキョロと辺りを見回す。


 もしかして、アンジェリカは気づいていない、のか?私が猫のクリスであると。アンジェリカの目の前で猫の姿になってしまったのに、か?


「あの……侯爵様はどこにいかれたのでしょうか?」


 やはりアンジェリカはクリスが私だとは微塵も気づいていないようだ。


 アンジェリカはキャティエル伯爵とキャティエル伯爵夫人に私の行方について尋ねている。


 キャティエル伯爵夫妻はクリスが私だということをバッチリとその目で見ていたのだろう。私を凝視したまま視線を逸らそうとしない。アンジェリカの問いにも答えることができないほど、私がクリスだったということが衝撃的なようだ。


「なんで、皆クリスを見ているのかしら?」


 アンジェリカが小首を傾げながらクリスの姿でいる私を見つめてきた。


「ふふっ。アンジェリカはまだ気が付かないのかしら?」


 アンジェリカと見つめ合っているとそこに水を差す声が聞こえてくる。言わずもがなローゼリア嬢だ。


 まったくローゼリア嬢には困ったものだ。私に呪いをかけた調本人でもあるし、どうやらこの状況を一番楽しんでいるようだ。あたふたする私たちを見ているのがとても楽しいと言った心情なのだろうか。


「え?どういうこと?」


 アンジェリカはローゼリア嬢の言わんとすることがわからなくて、私に問いかけてくる。


 実は私がクリスだったんだ……。なんて猫の姿では人間の言葉を話すこともできないので伝えるすべがない。それに自分から言うのは少しばかりバツが悪いと言うかなんというか。


 私はアンジェリカのことが見ていられなくてそっとアンジェリカから視線を逸らした。


「クリス、どうかしたの?」


「にゃ……。(いや、なんでもない。)」


 アンジェリカから視線を外した私を不審に思ったのかアンジェリカが問いかけてくる。


 まさか、私がファントムなんだと言えるわけがない。私は俯き加減でアンジェリカの問いに答えた。


 すると、何を思ったのかいきなりアンジェリカに抱き上げられた。そうして、アンジェリカのささやかな胸元に抱きしめられる。アンジェリカは私に頬ずりをしながら私を見つめてきた。


 アンジェリカ。君はクリスが私だと知ってもこうやって抱き上げて頬ずりをしてくれるのだろうか。クリスがファントムだと知ったら、もう猫の姿でも抱きしめてくれなくなってしまうのだろうか。猫の姿でもアンジェリカに触れることはできなくなってしまうのだろうか。


「にゃぁぁ……。(それは、とても辛い。)」


 思わず情けないほどに切ない鳴き声がこぼれてしまった。


「ロザリー。クリスに何があったのっ!?」


 私が意気消沈していると、心配したアンジェリカが侍女のロザリーを問いかける。私はゆっくりとロザリーに視線を向けた。


 きっと、ロザリーも私がクリスの姿に変身したのは見たはずだ。きっと、この状況を良くは思っていないのではないか。


 そう思うと胸がバクバクと脈打った。


 これで最後なのかもしれない。クリスの姿でアンジェリカに甘えることが出来るのはこれが最後になるのかもしれない。いくらアンジェリカが許してくれたとしても、アンジェリカの周りにいる人間が黙ってはいないだろう。


 アンジェリカの周りにいる人間には私がクリスだとバレてしまったのだから。


「アンジェリカお嬢様……。」


「クリスの様子が変なの。なにがあったの?教えてちょうだい。」


「そ、それは……。」


 ロザリーは私のことを言い辛いのか口ごもる。


「ロザリー。どうしたの?何か言い辛いことでもあるの?クリスは何か病気なの?治らないの?」


 いつも快活とアンジェリカのお世話をしているロザリーが言いよどむ姿を見てアンジェリカが不安を感じたのか、私が病気になったのではないかと勘違いし始めた。


 泣きそうな表情で私を見つめてくるアンジェリカに心が痛む。


 私は病気でもなんでもないっ!そう叫びたい。だが、口から零れるのは「にゃー」という猫の鳴き声のみ。


「……アンジェリカお嬢様。あの……その……気を確かにお持ちになってくださいっ。」


 私がアンジェリカに伝えるすべがなくて落ち込んでいるとロザリーが私の意をくんだのか、アンジェリカに説明してくれる気になったようだ。


 ただ、言い辛いようで口ごもりながら言葉を口にする。


 私はアンジェリカの側から逃げたいような、このままアンジェリカが私のことをどう思うのか知りたいような葛藤に襲われる。


「えっ……。クリス、死んじゃうの?嘘よね?嘘だと言ってちょうだい。」


 だが、思いつめたようなロザリーの表情を見てアンジェリカは勘違いしたようで、クリスが死ぬのではないかと同様しだした。それから私の顔をジッと見つめてくる。


 頭の先から尻尾の先までジッと観察されるとなんだかとても居心地が悪い。放せとばかりに思わず尻尾を大きく振ってしまう。まじまじと観察されると恥ずかしいんだ。特にアンジェリカに観察するようにくまなく見られるだなんて、恥ずかしすぎる。


 私の想いをくみ取ってくれたのか、アンジェリカは私をソファーに降ろした。


 よかった。


 と思ったのも束の間、アンジェリカは私をソファーに押し倒した。


 まさか、アンジェリカに押し倒されるとは思っていなかった私は思考が一瞬でショートする。身体が金縛りを受けたようにカチンッと固まって動かない。


 それを良いことに、アンジェリカが私のお腹に顔を埋めてきた。それから、その柔らかな手で全身をくまなく触られる。


 なんだ、これは。


 なんで私はこんな辱めを……。


 アンジェリカじゃなかったら引っ掻いているところだ。


 というか、もうクリスがファントムだなんて言い出せないではないか。


 さすがにこれは恥ずかしすぎる。全身くまなくアンジェリカに観察されて触られただなんて。恥ずかしすぎて物陰に隠れたいくらいだ。


「どこもなんともないように思えるのに……どうしちゃったの、クリス。ロザリー、クリスは死んじゃうの?違うわよね?気を確かに持ってってどういうことなの?はっきりと言ってちょうだい。」


「……。」


 アンジェリカは悲痛な声をあげてロザリーを問い詰める。だが、ロザリーは何も言えずに俯いた。


「侯爵様は!侯爵様はどこなの!先ほどまでいらしたでしょ?どこに行ったのかしら?」


 それから何を思ったのかアンジェリカは私を探し始めた。


 ついにクリスが私だということに気づいてしまったのだろうか。この最悪のタイミングで。


 今はまだ心が付いていけない。というか、この状態で私がクリスだとバレるのは勘弁して欲しい。まだ羞恥が抜けきらないのだ。


「あ、アンジェリカお嬢様……そ、それは……。」


「急用があってお屋敷に戻られたのかしら。私、ちょっと侯爵家に行ってくるわっ!!」


 アンジェリカはよほど慌てているのか、ロザリーの言葉を待つ前に家を飛び出そうとする。


「待ちなさい。やっと日が昇ったばかりよ。今から侯爵家に行ったらご迷惑になるわ。もう少し待ちなさい。それに……クリスは死なないわ。だから、安心なさい。それからアンジェリカはもう少し状況を理解するように務めた方がいと思うわよ。後で侯爵家に一緒に行ってあげるから、少し仮眠を取りましょう。」


 ローゼリア嬢はそう言ってアンジェリカの腕をとった。


 私は今回ばかりはローゼリア嬢に少しだけ感謝した。


「え?クリス、大丈夫なの?じゃあ、なんでこんなに元気がないの……。」


 アンジェリカは目をぱちくりとさせながら、ローゼリア嬢に手を引かれながら私とともにアンジェリカの自室に向かった。


 私はひとまず逃げたくなる気持ちを抑えこんでアンジェリカに抱かれるがままアンジェリカの自室に入った。


 もとい、アンジェリカにあちこち観察されて触られたショックで上手く身体が動かなかったともいう。


 


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