第24話
「にゃ、にゃーっ!」
わけがわからなくて混乱していると、この騒ぎでクリスが目を覚ましてしまったようだ。さっきまで良く眠っていたのに。
クリスは目を覚ますと、必死に私の顔に手を伸ばしてくる。どうしたのだろうかと、顔をクリスに近づけると、クリスの柔らかく暖かい肉球が頬に当たった。
それから、目元をザラリとした舌で何度も何度も舐めてくる。
「ど、どうしたのクリス?」
「アンジェリカお嬢様をご心配なされているのです。気づいていますか?」
「なにを?」
なぜ、急にクリスが目元を必死に舐めてくるのかわからなくて私は首を傾げる。すると、ヒースクリフさんがそっと手鏡を手渡してきた。手鏡を受け取った私は、鏡に自分の顔を写してみる。
そこには涙を流している私がいた。
どうやら感情が爆発して泣いてしまったようだ。クリスはその涙を舐めとってくれようとしているようだ。
「ありがとう。クリス。」
私はそんな一生懸命なクリスに微笑んで、その頭を優しく撫でる。すると、クリスも落ちついて来たのか、舐めるのを止めた。そうして、私の顔をその金色の瞳でジッと見つめてくる。
「なんで侯爵様のことで泣いてるのよ。あなたには関係のないことじゃないの。」
ローゼリア嬢はそう言って顔を顰めた。
ローゼリア嬢の言う通り確かに関係ないんだけど。関係ないんだけど。どうしてだか、涙が止まらなかった。
侯爵が他人を傷つけまいと必死に女性の視線から隠れようと努力をしているのを思うと、自然と涙がでてくる。実は、侯爵はとても優しい人なのではないかと思う。
そうでなければ、自分が傷つかないのであれば、堂々と姿を現せばいいのだ。相手が傷つこうと、自分に被害がないのであれば。
でも、侯爵はそれをしない。きっと、相手を傷つけることをとても嫌がっているのだろう。
それに、昨夜少しだけ話した時に感じた声の暖かさ。あれは、本当に私を慈しんでくれているような気がした。
「侯爵様はとても優しい人です。そんな人が、呪いに苦しめられているなんてみていられません。私、絶対に侯爵様の呪いを解呪してみます。」
呪い持ちの侯爵だと、そんな相手とは婚約なんてましてや結婚だなんて無理だと思っていたけれど、少しだけ会話をしたなかでも、侯爵がとても優しい人だってわかった。きっと、呪いを持っていなかったら結婚相手に困らない人だったんだろうとも思う。
お父様やお母様のこと、お人よし過ぎると思っていたけど、私も人のこと言えないかもしれない。まだ、侯爵と長く話したことがあるわけでもないのに……。
「……ふんっ。そう。まあ、いいわ。でも、私だって諦めませんわ。」
ローゼリア嬢はそう言ってプイッとそっぽを向いてしまった。
諦めないって何をだろうか。
「あ、ローゼリア嬢。ところで侯爵様の初恋の人を知っているかしら?」
泣いている場合じゃない。侯爵の呪いを解呪するために、侯爵の初恋の人の情報を集めなくては。私は気を取り直すとローゼリア嬢にそう問いかけた。
「あなたさっきまでピーピー泣いていたのに……。まあ、いいわ。キャリエール侯爵の初恋の人の噂は知っているわ。でも、どこの誰かはわからない。ただ、毎日のように昼間はその初恋の人のところに言っているって噂よ。ねえ、ヒースクリフ?」
ローゼリア嬢は微妙な顔をしながらもそう教えてくれた。相手は知らないけれど、毎日のように侯爵が会いに行っているか。でも、毎日のように侯爵が会いに言っているのならば、ヒースクリフさんはお相手のことを知っているのではないだろうか。
ローゼリア嬢も、そう思うから最後にヒースクリフさんに問いかけたのだろうし。
「どなたかご存知ですか?ヒースクリフさん?」
「は、ははっ。貴女たちは先ほどまで仲が悪そうだったのに、こういう時は共闘するんですね。そうですね。私はその相手を知っております。ただ、私の口から告げることは旦那様がお許しになりません。」
ヒースクリフさんはそう言って相手の名前を口に出すのをためらう。どうしてためらうのだろうか。確かに侯爵の繊細な部分に当たるかもしれないけれども、呪いが解けるかどうかかかっているのだ。
「どうして教えてくれないのでしょうか?侯爵様の呪いが解けるかもしれないのに……。」
「キャリエール侯爵様の初恋の人がわかれば呪いが解ける?どういうことなの?」
ローゼリア嬢は解呪の方法までは知らなかったようだ。驚いたように私を見つめる。
「侯爵様の呪いを解くためには侯爵様の初恋の人とキスをすればいいそうなんです。あ、これ他の方には他言無用でお願いしますっ!」
ローゼリア嬢も解呪の方法までは知らなかったってことは、あまり言っていいことじゃないのかな。
そう思い直して、ローゼリア嬢に口止めをする。
「わかったわよ。私たちの秘密ってことね。」
「はい。それでお願いします。」
「でも、キャリエール侯爵様の呪いが解けるのならば、ヒースクリフが悠長に構えていることが不思議でならないわ。ヒースクリフ、他にも何か隠しているんじゃないかしら?ねえ?」
ローゼリア嬢はそう言ってヒースクリフさんに視線を向けた。
ヒースクリフさんはローゼリア嬢に視線を向けられて、バツが悪そうに笑った。
「私は旦那様の口から、その女性に好意を持っているということを伝えていただきたいだけでございます。」
「本当に?それだけかしら?」
「ええ。それだけでございます。」
ローゼリア嬢は疑わし気にヒースクリフさんを見る。ヒースクリフさんは胡散臭そうな笑みを浮かべて言い切った。
「じゃあ、なぜ、アンジェリカがキャリエール侯爵様の初恋の人が誰か嗅ぎまわっているのを放置しているのかしら?アンジェリカに知られたらまずいんじゃありませんの?この子、きっと誰だか知ったら突撃すると思いますわ。」
ローゼリア嬢はそう言い切った。というか、いつの間にかローゼリア嬢に呼び捨てにされている私っていったい……。貧乏伯爵の娘だから見下されているのだろうか。
「ローゼリア嬢は手厳しいですね。アンジェリカお嬢様でしたら、そんなこと全くこれっぽっちも全然気づいておられませんでしたが、ローゼリア嬢は切れ者でいらっしゃる。」
笑いながら言うヒースクリフさんだが、言葉にトゲがあるのは気のせいだろうか。しかも、なぜか私に向けて。
「そう。そう言う事なのね。ふふっ。随分と面白いことをなさっているのね。」
ローゼリア嬢はヒースクリフさんとの今の会話で何かわかったのだろうか。先ほどと違って楽しそうに笑っている。
「えっと、ローゼリア嬢。なにかわかったのですか?」
耐え切れなくてローゼリア嬢に聞いてみると、ローゼリア嬢は白く長い人差し指を口に当てて優雅に微笑んだ。
「アンジェリカにはひ・み・つ。自分で気づきなさいな。」
なんだか、私だけ除け者になってしまったみたいで、気分が下降した。そんな私を慰めるように、クリスがそっと私の頬をザラザラとしたピンク色の舌で舐めていた。
☆☆☆
「それでは、そろそろ夕暮れ時になりますのでアンジェリカお嬢様はお戻りになられた方がよろしいかと思います。馬車を用意してまいりますね。」
結局、侯爵家では侯爵の初恋の女性に対する情報はまったくと言っていいほど集まらなかった。というのも、結局侯爵の執務室から一歩も外にでなかったからだ。
そして、なぜだかわからないけれども、ローゼリア嬢に気に入られてしまったようで、ローゼリア嬢とずっと話していたような気がする。時々、ローゼリア嬢にばかり構っている私に疎外感を感じたのか、クリスが構って欲しいと爪を立てる以外は平和なものだった。
「ふぅ。結局、なにもわからなかったわ。」
私は自室に戻って、だらしなくソファーに身体を投げ出した。
「アンジェリカお嬢様は機微に疎いのでしょうか。」
すると、一緒にいたロザリーがそんなことを言いだした。
「どういうことよ?」
思わずムッとして言い返してしまう。まさか、疎いだなんて言われるなんて。
「いえ。ヒースクリフ様とローゼリア様のお言葉、それから今までの侯爵様とヒースクリフ様の言動を顧みると、ある一つの仮説が思い浮かびました。ただ、それだけでございます。」
「その仮説ってなにかしら?」
「それは、ご自分で気づいた方がよろしいかと思います。もしくは、直接侯爵様に教えていただいてください。」
「ロザリーもローゼリアと似たようなことを言うのね。」
ロザリーもローゼリアもにこやかに笑いながら、自分で気づけという。なぜだろうか。
もやもやした気持ちのまま、その日は眠りについたのだった。
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