第14話 ファントム視点

ヒースクリフから聞いたことが衝撃的で、私は思わず黒猫の姿で家から飛び出していた。


いや、いつもこの時間にはすでにアンジェリカの家にいるんだが……。ヒースクリフの言葉に同様して、しばらく自室で呆けてしまったのは失態だった。


お陰でいつもアンジェリカの家までヒースクリフが馬車で送ってくれていたのだが、その時間がとれないという。


むしろ、ヒースクリフは私が今日は家にいると思っているのかもしれない。


いつもは馬車の道のりを猫の足で進むものだからなかなかアンジェリカの家にたどり着かない。


猫の体は一瞬だけ馬車と同じくらいの速度で走ることができる。だが、いかせん持久力がないのが難点だ。


そんなわけでアンジェリカの家に着いたのは、いつもよりだいぶ遅い時間だった。


「クリスっ!?いらっしゃい。今日はこないかと思っていたわ。いつも日が昇るころから来るのに。」


いつもより遅く来たからだろうか。アンジェリカはいつもより嬉しそうにこちらを見て微笑んだ。


アンジェリカの微笑みはいつ見ても神々しい女神のようだ。


呪われた私にはもったいないくらいだ。


女神の美しさにうっとりとなり、無意識にアンジェリカの膝に飛び乗った。


そうして、私は甘いアンジェリカの香りに誘われるように、アンジェリカの頬をひと舐めした。


甘い。


アンジェリカの頬は私が思っていたよりもだいぶ甘かった。いつまでも舐めていたいくらいに甘い。まるで麻薬のようだ。


「ありがとう。クリス。隠していてもクリスは賢いから気づいてしまうのね。」


アンジェリカは私の身体を優しく撫でてきた。アンジェリカの柔らかく暖かい手が私を撫でるととても気持ちがいい。


思わず目を閉じてうっとりとしてしまう。


「クリスが用意してくれたドレス。とっても素敵だったわ。ありがとう。でもね、侯爵様には見ていただけなかったの。それどころか、侯爵様は私のことがお嫌だったのね。冷たい対応をされてしまったわ。」


「にゃにゃにゃー。(気にするな。ただ忌々しい呪いのせいでアンジェリカを傷つけたくなかっただけだ。アンジェリカが悪いわけではない。)」


私はアンジェリカが私の態度のせいで嫌な思いをしていたことに気づき、慰めるようにアンジェリカの手の甲を舐めた。


猫の身体では言葉を話すことができないのがもどかしい。ここで、アンジェリカの誤解を解きたいものだが。


あの忌々しい呪いも猫の姿の時にはおこらない。人間の姿でいるときだけに起こる現象だった。


だから、今ならアンジェリカを怖がらせずにゆっくり話すことができるのに。なぜ、この身体の時は話せないのか。


「ありがとう。クリス。慰めてくれるのね。ほんと、私は侯爵様とではなく、許されるのならクリスと結婚したいわ。」


私はアンジェリカの言葉に衝撃を受けた。アンジェリカ、私はファントムなのだ。アンジェリカの言う侯爵とクリスは同一人物なんだ。


そう言えたらどんなにいいことか。


「にゃぁ~。」


だが、私の口からは猫の鳴き声しか発することができない。実にもどかしい。


そう思っているとふいにアンジェリカの表情が暗くなった。


「にゃあ?(どうしたんだ?)」


アンジェリカの暗くなにかを考え込んでいる表情など見ていられない。私は心配になってアンジェリカを覗き込んだ。


「ごめんね。クリス。でも、私が侯爵家に嫁いでしまったらクリスとは会えなくなってしまうわね。やっぱり、どうにかして侯爵との婚約をなかったことにしてもらわないと、いけないわね。」


「にゃっ!?(なんだとっ!?)」


私との婚約をなかったことにしてもらうだと。それは、それは……。


確かに呪いを持った私よりも良い男など星の数ほどいるだろう。


だが、アンジェリカをそこまで追い詰めていたとは……。昨夜の私はふぬけだった。ヒースクリフの言っていたとおりではないか。


「あら。驚かせちゃった?でも、侯爵様は私を望んではいないようだし、きっとそれが一番いいの。それに、国王陛下は私は、侯爵様の呪いを解呪するために侯爵の婚約者にしたようだし、侯爵様の呪いが解ければ私はお役御免でしょ?そうしたらクリスと一緒にいられるわ。」


アンジェリカは私の身体をひょいと抱き上げて甘く囁いてくる。そうして、私の顔に頬擦りしてきた。


アンジェリカの甘い香りが鼻腔に広がる。思わずその魅力的な匂いにクラっとして身体の力が抜けてしまった。


「大好きよ。クリス。世界で一番大好きだわ。」


そうして、アンジェリカの微笑みにノックアウトされた。



「あ、そうだわ。クリス。クリスも手伝ってくれないかしら?侯爵様の初恋の人がキーなのよ。その人と侯爵様がキスをすれば呪いが解けるようなの。クリスはその人が誰か知っているかしら?」


アンジェリカの魅力にクラクラとしていると、突然私の呪いの話をアンジェリカから切り出してきた。


チャンスだ。誤解を解くためのチャンスがめぐってきたのだ。


「にゃ、にゃにゃー。(違う。それは、誤解なんだ。)」


私は誤解を解こうと声をあげたが、口から出てくるのは焦ったような猫の鳴き声だけだ。


アンジェリカ。どうか、私の気持ちが伝わってくれ。


私は祈るように思いをのせてアンジェリカに向けて声をあえたが、アンジェリカには伝わらなかったようだ。


「ねえ、クリス。侯爵様の初恋の相手を知っているのでしょう?」


いや、どうやら中途半端に伝わってしまったようだ。


「にゃ、にゃぁ……。(知っているというか、アンジェリカなのだが……。)」


どうしてこう中途半端に伝わってしまうのだ。


私は戸惑いを隠せずに視線をさ迷わせる。


「お願い。その人のところに案内してくれないかしら?」


アンジェリカは私が私の初恋の人を知っていると確信して、可愛らしい笑顔を浮かべながらお願いをしてくる。


「にゃぁ~(君だよ。)」


私は伝わらない言葉にもどかしさを覚えつつ、言葉が伝わらないのならば行動で示すのみだ。


私は意を決して、アンジェリカの頬にキスをした。


「ちょっと。クリスっ。くすぐったいってば。」


アンジェリカはくすぐったそうに笑った。鈴が鳴るような声が私の耳をくすぐる。


「にゃぁん。(君なんだよ。アンジェリカ。)」


アンジェリカに気持ちが伝わるように、なんどもアンジェリカの頬にキスをする。


「クリス。やめて。ね、クリス?」


だが、私の気持ちは伝わらなかったようだ。あえなく無力な猫の身体はアンジェリカの手によって、離されてしまった。


「アンジェリカお嬢様。頬が赤くなっております。」


アンジェリカの側に控えていたロザリー嬢がサッとハンカチを鳥だし、アンジェリカの頬を拭う。


確かにロザリー嬢の言うとおり真っ白なアンジェリカの頬が確かに少しだけ赤くなっていた。


「そうね。あれだけ、クリスに舐められたら赤くもなるわ。でも、急にどうしたのかしら?」


「さあ?どうしたのでしょう。いつもでしたらアンジェリカお嬢様の言うことを理解しているように思うのですが……。」


「そうよね。」


だから、私はアンジェリカのことが……。探さなくても私が好きな相手とは君のことなんだ。


どうしたらアンジェリカに伝えられるのだろうか。私は思わず首をかしげた。


「真似をしているのかしら。かわいいわ。」


するとアンジェリカにかわいいと言われてしまった。私は、可愛いと言われるよりもかっこいいと言われた方が嬉しいのだが……。


だが、確かに猫の姿であればかっこいいというよりは可愛いと思うだろうな。特に女性ならば仕方のないことだ。


「ねえ。クリス。私を助けると思って意地悪しないで侯爵様の初恋の人の居場所を教えてくれないかしら?」


なおもアンジェリカは私にそうお願いしてくる。可愛いアンジェリカの願いはかなえてあげたい。だが、どうしたらアンジェリカに伝わるのだろうか。


私は考えるようにその場をぐるぐると歩き回る。止まっているよりも動いている方が頭が働くような気がしたのだ。


「ねえ、クリス。お願いよ。」


どのくらい考え込んでいたのだろうか。再度アンジェリカに声をかけられて、私は顔をあげた。


そうして、アンジェリカの肩越しに空が茜色に染まっていくのが視界に入った。


しまった。もうすぐ日が落ちる。このまま、ここにいたら、ファントムの姿になってしまう。


私は慌ててアンジェリカの部屋を飛びだした。そうして、屋敷へと一目散にかけだす。


だが、悲しいかな。猫の身体というものは持久力がない。


少し走っては息が切れ、立ち止まり体力が回復するまでゆっくりと歩き、体力が回復すれば走ることを繰り返している。


早く屋敷に戻らなければ。早く自室に戻らなければという気持ちでいっぱいだった私は、後ろからアンジェリカがついてきていることに迂闊にも気づけなかったのだった。

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