第10話
「あの……。侯爵様にお会いできないのはなぜでしょうか?お父様は?お父様は侯爵様にお会いできたのですか?」
私はヒースクリフさんに詰め寄るように問いかけた。お父様はまだ侯爵の執務室からでてくる気配がない。中で話が盛り上がっているのだろうか。それとも、お父様の身になにかあったから侯爵と会うことができなくなってしまったのだろうか。
「大変申し訳ございません。なんといいますか……旦那様は、たいへん恥ずかしがり屋なものでして……。」
「え?恥ずかしがり屋?侯爵様が?」
「ええ。とても。特に初恋の女性に対しては、それが顕著でして……。」
ヒースクリフさんの口から驚きの事実が伝えられる。侯爵は恥ずかしがり屋らしい。だから、晩餐会に出席しなかったのだろうか。
というか、侯爵には初恋の女性がいたことを初めて知った。そして、ヒースクリフさんの口ぶりからするに、それは現在進行形のような気がする。つまり、侯爵は私との結婚を望んでいないということだ。きっと、侯爵はその初恋の女性との結婚を望んでいるのではないだろうか。
……なんだ。結局、婚約はなかったことになるのね。私の素を見せる見せないに限らず。そっか、そうなのね。
最初は呪い持ちの侯爵なんて願い下げだと思っていたけれども、いざ別に好きな人がいますと言われると不思議と悲しくなる。こちらから断る気まんまんだったのに。それに、侯爵とも会ってもいないし、話をしたこともない。手紙のやり取りをしたこともないのだ。それなのに、どうしてこんなに悲しくなるのだろうか。
美味しい食事を食べてしまったから?
このお屋敷がとても心地の良い空間だと知ってしまったから?
「アンジェリカお嬢様。こと女性に関しては旦那様は慎重になっておいでなのです。その……アンジェリカお嬢様もご存知もしれませんが、旦那様は呪いをかけられているのです。そのため、女性に会うことが難しいのです。それでも、旦那様はアンジェリカお嬢様と扉越しでも会話をなさりたいとおっしゃいました。これは、とても良い傾向なのです。アンジェリカお嬢様。どうか、旦那様と扉越しに話をしていただけませんでしょうか。」
ヒースクリフさんはそう必死に訴えかける。いつ浮かべていた笑顔が隠れてしまうほどに真剣そのものだ。それほどまでに、ヒースクリフさんは侯爵のことを大切に思っているようだ。
ヒースクリフさんにそんな辛そうな表情をさせたままではいけない。私はそう思ってしまった。さきほどまではヒースクリフさんの全てが胡散臭いと思っていたのに。人が必死な姿を見てしまうとどうもお人よしになってしまうのは、お父様とお母様からの遺伝だろうか。
「わかりましたわ。少々屈辱ですが、相手は侯爵様ですもの。それに呪いのことで困っていらっしゃるのね。本当は、私に呪いのことを告げるつもりもなかったのでしょう?」
「ええ。そうです。呪いのことは伏せておくつもりでした。ですが、旦那様がアンジェリカお嬢様にお会いにならないのは不自然過ぎます。本来であれば旦那様に呪い解除していただきたかったのですが……。」
ヒースクリフさんはそう言って言いよどむ。
「その言い方だと、侯爵様は呪いの解除方法は知っているみたいね。」
ヒースクリフさんの言い回しと表情からピンッときてしまった私は、思わずそう呟いていた。
「アンジェリカお嬢様は誤魔化せませんね。そうです。旦那様は呪いを解呪する方法をご存知なのです。ですが、旦那様はその解呪方法に難色を示されております。そこで、しびれを切らした国王陛下がアンジェリカお嬢様を旦那様の婚約者へと指名したのでございます。」
ヒースクリフさんは、侯爵の婚約ついて話し始めた。まさか、この婚約が侯爵の呪いのせいだとは思わなかった。
でも、私が侯爵の婚約者になることと、呪いの解呪方法にどんな共通点があるのだろうか。今までのヒースクリフさんの話しぶりからすると、別に私が侯爵の婚約者じゃなくても呪いを解呪できるようなイメージを受けた。
「なぜ、私なのですか?呪いの解呪でしたら他の方でもよろしかったのではないでしょうか?」
「なりませんっ!どうしても、アンジェリカ様でなければならないのですっ!」
ヒースクリフさんが突如声を荒げた。
ヒースクリフさんでも感情的になることがあるんだ。
「私ではなければならないのは何故でしょうか?私でなければならないという呪いの解呪方法をお教えいただけますか?」
私はごくごく普通の伯爵令嬢だ。特別な力があるわけでも、特殊な体質というわけでもない。
私はできるだけ冷静にヒースクリフさんに問いかけた。
「その必要はない。」
すると、ヒースクリフさんが声を発するよりも早く、執務室の扉の向こう側から落ち着いた男性の声が聞こえてきた。先ほどと同じ声なので、きっと侯爵だろう。
「侯爵様。私、キャティエル伯爵の娘のアンジェリカと申します。」
私は侯爵に向けて挨拶をする。今まで一度も侯爵に対して挨拶をすることがなかったからだ。挨拶もせずにいきなり話しかけるなど、私にはできない。
「……そうか。呪いのことはアンジェリカ嬢が気にすることではない。」
「しかし、国王陛下は侯爵様の呪いを解くために、私との婚約を決めたのでしょう?ならば、侯爵様の呪いを解呪するのは私に与えられた国王陛下からの命令だと思っております。国王陛下の命令に誰が背けましょうか。」
実は侯爵の呪いがどんなものなのか、解呪方法がなんなのか気になって仕方がない。こんな中途半端に知らされたら知りたくなってしまうのが人情というものだ。いや、人情じゃなくって興味本位だけど。
好奇心は猫をも殺すというけど、人間好奇心がないと何もできないものだ。好奇心って大事。たぶん。きっと。
「そうか。勝手にするがいい。」
侯爵の口からは感情のこもらない声が返ってくる。
なんだか、私のことなんていてもいなくても変わらないんじゃないだろうか。
「旦那様。差し出がましいようですが、呪いを解くためにはもっとアンジェリカお嬢様とコミュニケーションを取らなければなりません。今のままですと、アンジェリカお嬢様が誤解をしてしまいます。」
ヒースクリフさんはこのままではまずいと思ったのか、侯爵と私の仲を取り持とうとする。
「ヒースクリフさん。私、別に侯爵様の呪いについて伺わなくても良いのです。それに、侯爵様は私を婚約者として扱ってはくださらなそうです。侯爵様、私はいたらないところばかりでございます。もし、お気に召さないようでしたら侯爵様から国王陛下に進言していただけませんでしょうか。」
嫌な思いをしてまで侯爵と縁続きになりたい訳ではないしね。また、婚約者のいない令嬢に戻るだけだし。大丈夫慣れているだけだから。それに、こんなに会話の成立しない侯爵と結婚するなんて無理だと思うし。
いっそのこと、素の私を見せてもっと嫌われてみようかしら。なんて思ってしまう。
でも、ちょっと呪いの内容には興味があるのよね。
「アンジェリカお嬢様っ。そのようなこと……。」
ヒースクリフさんが悲痛な声を上げる。ヒースクリフさんは想像以上に侯爵思いの人ね。でも、侯爵からは勝手にしろって言われてしまったし……ん?んん!?
勝手にしろってことは、もしかして侯爵の呪いのことを嗅ぎまわっても不問にするってことって捉えてもいいのかな!?
コミュニケーションが取れない侯爵と結婚するのは嫌だけど、呪いについては気になるから調べて見よう。それに、この調子だと呪いの解除についてはヒースクリフさんは協力してくれそうだし。
ちなみに、この日はこれ以上侯爵と話すことはできなかった。何なぜならば何を聞いても侯爵がだんまりだったからだ。
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