第5話

 侯爵家で晩餐会が開かれる日の朝、私は庭の東屋にある椅子に腰掛けていた。今日着ていくドレスを選んで貰うため、クリスを待っているのだ。

 そばに控えているロザリーはその手にクリスが好んで食べるプチトマトを持っている。クリスはお魚やお肉よりもなぜか庭に植えてあるプチトマトを好んだ。お魚やお肉だって猫の健康を考えて味付けはせずに火を通すだけにしているのだけれども。

「今日は遅いですね。」

「そうね。いつもはもう来ているはずなのに。」

 ドレスをクリスに選んでもらおうとしたのに、今日に限ってクリスがなかなか姿を現さない。いったいどうしたのだろうか。

 猫という生き物は気まぐれな生き物なので、毎日同じ場所にいるとは限らないがいつも同じ時間にこの東屋に姿を現していたというのに。

「今日はこないのかしら?」

「珍しいですね。」

 それからしばらく待ってもクリスは現れなかった。代わりにいつもは見ない白猫がとことこと私の方に近づいてきた。

「まあ、珍しい子だわ。初めて見る子ね。」

 私は近づいてくる白猫に笑顔を向ける。白猫は上品に身体をしならせながらゆったりと私の元に近づいてくる。そうして、私の前に立ち止まると私を見上げて「にゃあ。」と一声鳴いた。

 どうやら何かを訴えているようだ。だけれども、白猫の様子からするに急をようするものではないようだ。鬼気迫るような感じではないからだ。

「どうしたのかしら?」

「にゃあ。」

 白猫はもう一度鳴いて何かを訴えている。そうしてあたりをキョロキョロと見回した。私も白猫の目線を追うようにあたりを見回すが特になにも見当たらない。ロザリーも同じようで不思議そうな顔をしている。

「・・・・・・プチトマト食べる?」

 特にあたりには何もないようだし、もしかしたらお腹を空かせているのかもしれないと思いクリスに用意したプチトマトを差し出してみる。しかし、白猫は首を傾げるばかりで食べる気配がない。

 やはりクリス以外の猫はプチトマトを好まないのだろうか。

「にゃあ。」

 白猫はもう一度鳴くと踵を返してしまった。どうやら私の対応がお気に召すようなものではなかったようで、興味を無くしたようだ。いったいあの白猫は何を告げに来たのだろうか。

「あ、クリス。今日は遅かったわね。」

 白猫が姿を消してしばらくしてから、黒猫のクリスが駆け寄ってきた。そうして、私の足に飛びついてくる。まるで「遅れてごめんね」と言っているようにも見えた。

 私は足にすりついているクリスをひょいと抱き上げる。クリスはゴロゴロと喉を鳴らしながら、私の胸元に頭をこすりつけている。それはいつも通りのクリスだ。

「ねえ、クリス。今日は侯爵家で晩餐会があるの。その晩餐会に着ていくドレスをクリスに選んで欲しいのだけど、いいかしら?」

 私はクリスにそう問いかける。すると、クリスは不思議そうに首を傾げた後に「いいよ」というように「にゃあ。」と返事をした。


 


 私はクリスが返事をしてくれたので、クリスを抱き上げて椅子から立ち上がる。


「ドレスは私の部屋にあるからそこから選んで欲しいの。」


「にゃ。」


 クリスは分かったとばかりに私の若草色のシンプルなドレスの胸元に顔を埋めた。クリスは甘えん坊なのか、心臓の鼓動を感じると落ち着くようでよく私の胸元に顔を埋めている。少しくすぐったいけれども、それがとても心地よく感じる。


 クリスが嫌がっていないことを確認すると私はそのまま庭から自室へと歩き出す。歩いている最中もクリスは大人しく私に抱っこされていた。まるで、人間の言葉をしっかりと理解しているような気がする。


「クリス様はとても賢い子ですね。」


 私の一歩先を先導するように歩くロザリーが後ろを振り向きながら関心したように呟いた。


「ええ。そうね。まるで私たちの言葉が通じているように思えるわ。」


 ロザリーの言葉にそう答えると、腕の中のクリスが誇らしげに、


「にゃぁ~ん。」


 と一声鳴いた。


 


 


 


☆☆☆


 


 


 


「さあ、クリス。今夜の侯爵家に着ていくドレスを選んでくださらないかしら?」


 私は自分の部屋のベッドにクリスを降ろすと、ロザリーが運んで来てくれたドレスをクリスに広げて見せた。


 悲しいかな、私の現在のドレスは3着しかない。いつもこの3着を着まわしているのだ。色だってお母様のおさがりだから、落ち着いた色味のドレスばかりで、年頃の令嬢が好んできている色合いでも、可愛らしいフリルのついたドレスでもない。


 シンプルで動きやすいドレスばかりだ。


「……。」


 クリスは私が見せた3着のドレスと私の顔を交互に見比べている。その瞳には本当にドレスを3着しか持っていないのかと言っているような気がした。


「残念ながら、私の家は貧乏なの。頻繁にドレスを新調しているような金銭的余裕はないのよ。だから、私が今持っているドレスはここにある3着だけなの。もし、この3着ともクリスが気に入らないというのならばお母様のドレスをお借りできないか聞いてみるわ。」


 どのドレスもクリスは気に入らないようだ。金色の目を見開いてドレスを凝視しているが、一つに選ぶ気配がない。だから、私はお母様のドレスを提案したのだが、クリスはギョッとしたように私を一瞥した後、換気をするために開けていた窓からひょいと庭に飛び降りてしまった。


「クリスっ!?」


 まさかクリスが二階にある私の部屋から飛び降りるとは思わなくて、驚きの声を上げる。それとともに急いで窓枠に駆け寄る。しかし、クリスの姿は庭から猛ダッシュで駆けて行ってしまったためか見つけることができなかった。


「クリス……。やはり、どのドレスも侯爵家の晩餐会には相応しくないのかしら。」


 私はクリスがいなくなってしまった自室で小さく呟いた。


「アンジェリカお嬢様。仕方ありません。クリス様は賢いと言っても猫でございます。もしかすると、ドレスのことなどわからなかったので逃げてしまったのかもしれませんよ。」


「……そうね。」


 ロザリーが私を慰めてくれるが、私はクリスが選んでくれたドレスで侯爵家に行くのを楽しみにしていたのだ。なんだか、クリスに侯爵家に行くなと言われているように思えて心がズンッと重くなったような気がした。


 


 


☆☆☆


 


「アンジェリカっ!アンジェリカ来てちょうだいっ!!」


 クリスが出て行ってからどのくらいの時が経っただろうか。一階からお母様の驚いたような歓喜の声が聞こえてきた。いつになく、嬉しそうに弾んでいるお母様の声に何事かと落ち込んでいた気持ちをよそに一階へと向かった。


 そこには、誰から届いたものなのかわからないが、大量のプレゼントが積み上げられていた。


 


 


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