悪役派遣会社へようこそ

御手洗 一貴

第1話

誰が指示したわけでもないのに、スポットライトがついた。

スポットライトの下には女がひとり。イスのひじ掛けにもたれて、足を組み、とても威厳のあるたたずまいだ。

女はスッと立ち上がりこちらにやってくる。ボンテージのような挑発的なドレスに、編み上げのロングブーツ。女が歩く道の両端には、下僕しもべ達が頭を垂れていた。

パシンッと、女が床に1本鞭を打つ。さあ、ここで決め台詞と思った瞬間、女が悲鳴を上げた。

「もう、いやーーー!」

女は近場の窓に飛び込み、ガラスをぶち破って逃走した。

「またか!クイーンが逃げたぞ!」

「急げ!捕まえろ!」

クイーンと呼ばれる女は全速力で走ったが、おかしな服装のせいで、すぐに下僕達に捕まった。

「いい加減にしてくださいクイーン!何度目ですか!」

「いやーーー!もうクイーンなんてやりたくないのよーーーーー!」

彼女はクイーン。今はこの城で意地悪な継母をやっている。この城には白百合姫というヒロインがおり、姫をいじめぬいて最後にギャフンと言わされることがクイーンの役目である。

スポットライトがあたるイスに再び座らされたクイーンは、腕と足を組み、下僕しもべ達を見下した。

「あなた達は、本当に鬼ね。悪魔よ!」

本来なら自分達がクイーンに抱くような感情を、まさかクイーンから浴びせられるとは。下僕しもべ達は複雑な気持ちになった。

白百合姫というのは、白く透き通る肌に桃色の髪が映え、物静かなのに存在感と品がある、その名の通り可憐なヒロインである。

それに引き換えクイーンは、厚化粧にむせ返るようなコロンの香りを纏わせて常に鞭を振うという、いかにも下品な継母だった。見た目だけでなく行動も下品な彼女は、今日も朝から白百合姫にグラスの水をかけて罵声を浴びせてきた。しかし、これはあくまで役を演じているのであって、本心からの行動ではない。白百合姫の傷ついた顔が忘れられず、ナーバスな気分に浸っていた。

恐れながらと、手を挙げたのは下僕しもべAだった。気持ちを汲んで励ましの言葉をくれるのかと思い、クイーンは発言を許可した。

「恐れながら、新人の下僕しもべを紹介させていただいてもよろしいでしょうか。」

「え、それって今なの?ここは、私を励ますシーンじゃないの?」

「悪役にそういったものは不要かと思いまして。」

下僕しもべAは表情を崩すことなく淡々と答えた。彼はいつもこんな調子なので、クイーンは呆れた顔でハイハイと返した。

Aに促され顔を上げたのは、整った容姿の麗しい男だった。

「Bっす。よろしくっす。」

クイーンはBの容姿に思わずトキめいたが、礼儀知らずな態度に一気に白けた。

「B君はまだ入社したてなので、いろいろ教えてあげてください。」

「なんで私が教育するのよ、おかしいでしょ!そういうことは下僕しもべ同士でやりなさいよ!」

もう!っと、クイーンはそっぽを向いた。

クイーンや下僕しもべというのは、本当の身分ではなく会社から与えられたコードネームである。彼女達は悪役派遣会社『ヴィランズ』の社員である。

『ヴィランズ』とは、世界のありとあらゆる主人公達のもとに悪役を派遣する会社で、童話や昔話はもちろん、嫌な先輩から恋のライバルまで幅広く派遣している。

どんな物語にも必ず悪役は存在し、悪役と戦い勝つことでその者は主人公となれる。つまり、悪役が居なければ、どの世界にも主人公は存在しないのだ。主人公を主人公にするために、日々『ヴィランズ』の社員は悪役を演じている。あなたの周りの嫌な人物も、大体この会社の社員である。

クイーンも初めは下僕しもべのようなモブ悪役から始まり、悪役令嬢の取り巻きや給湯室で大きな顔をするお局など、数々の悪役をこなしてきた。

「あんた達まだモブのくせに生意気なのよ!」

パシンッと1本鞭を振うと、下僕しもべAが「ナイス鞭!」とヨイショした。Bはなるほどという顔をする。

最近こんな調子で下僕達の就業態度が緩くなってきている。どこかで締め上げないといけないなと、クイーンの瞳の奥に怒りの炎が灯った。

下僕しもべ達と間の抜けたやり取りをしていると、扉をノックする音が聞こえた。

「お義母かあさま、今よろしいでしょうか?」

遠慮がちに入室してきたのは白百合姫だった。彼女の可憐な姿に、まるで春が来たかのように部屋の中が色めきだった。本当は「さっきはごめんね」と白百合姫の足元に縋り付いて泣きたい気持ちを抑えて、クイーンは冷たく「何かしら。」と彼女に話しかけた。

「先程は私がなにか粗相をしてしまったようで、大変失礼いたしました。」

白百合姫は優雅にドレスの裾を広げて頭を垂れた。姫の品のある所作にクイーンはキュンと胸をトキメかせ、頬を赤らめた。赤く染まった頬が見られないよう、クイーンはプイッと横を向く。

「謝罪にきたと見せかけて、文句でも言いに来たのかしら?」

「と……とんでもありません!」

白百合姫は焦る顔もまた可愛いのである。クイーンはこっそり心のメモリーに今の表情を記憶した。

「私はお義母かあさまをお慕いしております。お詫びの代わりにこちらをお持ちいたしました。」

遠慮がちに白百合姫が差し出したのは、キラキラと宝石のように光るバラだった。

「こちらはこの国でしかとれない希少な品種のバラです。どうぞお納めください。」

クイーンと下僕しもべ達は、バラの輝きに息をのんだ。これは、この城でのみ栽培され、王族の血が流れる者にしか収穫が許されていない国宝級のバラだ。花びら一枚でも屋敷が買えるというそれは、王族が礼を尽くしたい際に用いられる品である。

クイーンは白百合姫の手から直接バラを受け取ると、生唾を飲んだ。手に取ってみれば、それはガラスのようにクイーンの顔を映した。クイーンもバラの存在は知っていたが、それを手に取ったことはおろか見ることも初めてだった。

そんな貴重なものを、クイーンは叩きつけるように床へ捨てると、力いっぱい踏みつけた。

「王族の血が流れる者にしか収穫が許されぬバラを、よくも私に!あてつけがましいにも程があるわ!」

クイーンは怒鳴り声をあげ、パシンッと床を1本鞭で打つ。部屋は静まり返り、サアーッと音が聞こえそうなほどみるみる顔を青くする白百合姫。しかし、クイーンもまた表に出さないだけで、これ以上ない程に冷や汗をかいていた。

「決してそのような意図は……!」

「もうあなたの顔は見たくないわ。出ていきなさい!」

瞳にいっぱいの涙を溜めた白百合姫は、「申し訳ありません……!」と一礼して部屋を去った。

「よろしかったのですか?」

下僕しもべAが声をかけると、クイーンは額を手で覆い激しく後悔した。

「よくない……!」

やれやれと、下僕しもべAはため息をついた。

「でもクイーンのおかげで無事にヒロインができているようですね。この様子ならそのうち家出して、7人の狩人達とクイーンに復讐にやってくるんじゃないですか。」

「なによその血生臭い話!小人よ小人!復讐には来ないわよ!」

下僕しもべBは、Aの話に少しだけワクワクした。

クイーンは下僕しもべ達にバラの花びらを拾っておくように命じると、気分転換に庭へ散歩に出かけた。庭のある一角にはほとんど人が来ることがなく、クイーンはひとりになりたい時や落ち込んだ時によく訪れていた。

噴水のそばにある少女の像が、どことなく白百合姫に面影が似ていて、クイーンはいつも眺めたり話しかけて癒されていた。

「ごめんね、白百合ちゃん。本当はあんなことしたくないのよ。でもあなたのためなの……。」

少女の像にメソメソと話しかけていると、どこからか澄んだ歌声が聞こえてきた。

花が踊り小鳥達が寄ってきそうなこの美しい歌声は白百合姫の歌声だと、クイーンは確信した。建物の陰からこっそりのぞくと、そこには案の定白百合姫が居た。歌声もさることながら、陽の光を浴びる彼女の神々しさは、拝まずにはいられなかった。

澄んだ歌声、柔らかく揺れる髪、手には煙草、愛らしい微笑み。

クイーンは彼女を三度見した。

「手には煙草!!!」

クイーンは気を失いそうになりながら、急いで自室へ戻った。

「あばばばばばばば!」

呂律が回らないクイーンに、下僕しもべAが「ご乱心だ。」と呟く。

「煙草!煙草吸ってた……!」

「誰がですか?」

「白百合姫……!」

下僕しもべAは、ふうやれやれと大げさにため息をついて、手のひらを見せた。

「あれだけ毎日いびられていたら、そりゃあ煙草の1本や2本吸いたくなるでしょうよ。」

「白百合姫は、ヒロインよ!?」

クイーンの言葉に、Aは言葉を失った。

どんな物語にも、必ず主人公が存在する。彼らは必ず立ちふさがる悪役に勝ち、幸せと平和をつかむのだ。

では、そんな彼らが悪役に負けたらどうなるのだろうか。

答えは、闇落ちだ。主人公になれなかった者は、相応の代償として悪役になってしまう。勇者は悪の手下へ、姫は魔女へ、職場の花はお局へ。ここにいるクイーンや下僕しもべ達も、もとは物語の主人公だった。彼女達は、主人公になれなかった者達の成れの果てである。悪役派遣会社『ヴィランズ』は、そんな悲しい主人公達をこれ以上生まないことを理念に設立された会社でもある。

「煙草は、グレーゾーンかしら……。嗜好品だもの……。」

自身に言い聞かすように話すクイーンに、青い顔をしたAが答える。

「一発アウトですよ……。ヒロインにあるまじきアイテムですよ……。」

アウトローな主人公ならいざ知らず、白百合姫は清廉さが魅力のヒロインであるため、煙草は主人公の道に反したと判断されかねない。『ヴィランズ』から派遣されている社員以外に知られたら、その時点で白百合姫は闇落ちが確定してしまう可能性がある。

クイーンは一瞬、「あれ?闇落ちしてくれたら一緒に働けるの?」と煩悩が浮かんだが、首を横に振って打ち消した。

「白百合姫を呼びますか?」

「だめよ、また泣かせちゃうわ。」

自分がのぞき見をしていたことが白百合姫にバレてしまうことも、クイーンには怖かった。

パシンッと床へ1本鞭を打ち付け、クイーンは高らかに命じた。

下僕しもべA、B!出番よ!」

2人はクイーンの命令を受け、曇った顔で部屋を出た。

「A先輩、なんで張り込みなんすか。呼び出したほうが早くないすか。」

「仕方ないだろう。極力自然に鉢合わせて注意しろって命令だ。行動パターンが分からないままでは動けない。」

2人は無意味にあんパンと牛乳を携帯して、物陰から白百合姫を観察した。

正直なところ、下僕しもべAはクイーンの見間違いなのではないかと疑っている。白百合姫から煙草の匂いがしたことはないし、可憐な彼女と喫煙のイメージが全く結びつかないのだ。もしもクイーンの見間違いならそれでいい。むしろそれが1番丸く収まるのだ。祈るように張り込むと、廊下の向こうから白百合姫がやってきた。

廊下の角で白百合姫は侍女と別れると、1人きりで自室に向かった。すると先ほどまでの可憐な歩き方から打って変わり、両肩を大きく振ってチンピラのように歩き出した。彼女はチッと舌打ちをして自室へ入っていく。

下僕しもべ達は顔を見合わせて、固唾をのんだ。室内での様子も観察しようと、彼らは白百合姫の部屋が見える木へと姿を隠した。部屋の窓は開いており、耳を澄ますと室内の音も聞こえた。

「なあ、B。姫がなんて言っているか聞こえるか?」

「やってらんねーよって言ってるっす。」

「だよな……。」

白百合姫は自室でクイーンが写る家族写真を眺めながら、咥えたばこで過ごしていた。完全にグレてしまっている白百合姫をどうやって注意すればいいのか、下僕しもべ達は頭を抱えた。

その頃、ひとりで過ごすクイーンは窓の外を眺めてため息をついていた。これまで悪役として数々の主人公達を見てきたクイーンは、経験上、途中で諦めたりやさぐれる主人公は、悪役に負けてしまうと知っている。

かつてクイーンも、物語の中でヒロインだったことがあった。あれはまだクイーンがちょっぴりドジでチャーミングな花も恥じらう少女だった頃。彼女は毎朝、遅刻ギリギリで全力疾走に食パンを咥えて登校していた。すると、曲がり角で転校生のハンサムな少年と衝突。そのことがきっかけで徐々に2人の心の距離は縮まり、女子生徒の嫉妬からいじめを受けた時も、クルーズ船が沈没し無人島に漂着した時も、クイーンの美しさにひとめ惚れした謎の大富豪に誘拐された時も、2人は順調に困難を乗り越えてきた。いよいよ結婚という時に、許嫁の縦ロールの令嬢が現れた。勝ち気で華のある彼女にクイーンは気後れし、卑怯な策略にまんまと引っ掛かった2人は、そのまま破局。最後の最後で、お互いを憎みあうバッドエンドを迎えた。それは、ヒロインであるクイーンの闇落ちが確定した瞬間でもあった。

信じた彼は消え、愛を失い、どこからかやってきた使者に、自身が闇落ちしたことを知らされる。本当はヒロインであったこと、得られるはずだった幸せ、もう2度とヒロインにはなれないことを告げられ、さらにどん底に突き落とされる。あの時の心臓を突かれるような思いは、もう二度とごめんだった。そして、そんな思いを白百合姫には絶対させたくなかった。クイーンは拳を強く握る。

「クイーン、戻りました……。」

恐る恐る戻ってきた下僕しもべ達の様子から、成果が上げられなかったことを察したクイーンは眉をひそめた。

「忠告できなかったのね。」

「我々には、とても……。」

「いいわ、私が直接言いましょう。」

「クイーン!」

背筋をシャンと伸ばし、迷いのない眼差しでパシンッと床に1本鞭を打つクイーンを、下僕しもべ達は初めて頼もしく感じた。

老婆に変装したクイーンは、かごにリンゴを詰め、のそのそと白百合姫の居室へと向かった。下僕しもべ達はハテナマークを頭上に浮かべた。

「クイーン、もうリンゴ使っちゃうんですか?」

「ふふん、聞いて驚きなさい。これは禁煙用のリンゴよ。煙草を吸いたくなくなるの。」

ハテナマークは解消されなかったが、下僕しもべ達はクイーンを見守った。

ノックすると、いつもの可憐な白百合姫が顔をのぞかせた。

「あら、どなた?」

「こんにちは、白百合姫。私はしがないリンゴ売りの婆さ。おひとついかが?」

なぜ城の中にリンゴ売りがやってくるのか、下僕しもべ達はハラハラしながら見守った。

「ひとつ頂くわ。」

白百合姫は愛想よくリンゴを受け取り、クイーンは満足顔で下僕しもべ達のもとへ戻ってきた。

「受け取ってくれたわ。」

「受け取ってくれたじゃないですよ、全然直接言ってないじゃないですか。間接的にも程がありますよ!」

むっと唇を歪ませたクイーンは、下僕しもべAを無視した。

「白百合姫は食べてくれたかしら。」

白百合姫の居室を観察している下僕しもべBからの連絡によると、早速そのままリンゴをかじっているとのこと。しかし、同時に喫煙もしているらしい。

「おかしいわ!」

下僕しもべAは「クイーンの頭も」と言いかけたが、胸にしまった。

「あのリンゴには特殊なまじないをかけたから、もう煙草なんて吸いたくなくなるはずなのに!」

「クイーン。白百合姫は今、満足気な顔で煙草を吸っているそうですよ。」

「ぐぬぬ。」

クイーンは白百合姫の居室の観察ポイントへ自ら赴き、双眼鏡で白百合姫を眺めた。ワイルドに煙草を吸っている白百合姫の姿も、クイーンにはたまらなく愛らしく見えた。

クイーンは背負っていたものを手に構えた。ライフルだった。

「クイーン!正気ですか!」

「もちろんよ。狙いが定まらないから、静かに。」

「白百合姫の命を奪ったら、元も子もないじゃないですか!」

焦る下僕しもべAに、クイーンは顔をしかめた。

「水鉄砲よ、威力抜群のね。これで煙草を吸おうとするたびに火を消してやるわ。」

不気味な笑みをこぼすクイーンに、「24時間張り付くつもりなのか?」と、下僕しもべAはハテナマークを浮かべた。

「そんな非効率的なやり方より、煙を察知するスプリンクラーのほうが良いのでは?」

「だめよ、全身びしょ濡れで風邪でもひいたらどうするの?」

下僕しもべAと言い合っているうちに、クイーンはうっかり水鉄砲のトリガーを引いてしまった。

さすがライフル型だけあって、パーン!と大きな音ともに水鉄砲は鋭く標的を打ち抜いた。幸いにも狙い通り白百合姫の吸っている煙草に命中したが、その火はまだ消えておらず、相変わらず煙が上がっていた。

「なんで!?」

クイーンと下僕Aがうっかり声をあげると、2人は白百合姫と目が合った。

「お義母かあさま?」

クイーンの手にはライフルにしか見えない水鉄砲がしっかりと握られていた。誰がどう見ても暗殺を企てたようにしか見えない姿に、一同、時が止まった。

「バレては仕方ないわね。」

フフンと鼻を鳴らして、わざわざ美しいポーズをとるクイーンは一体どんな言い逃れをするつもりなのか、下僕しもべAはハラハラと見守った。

「白百合姫。煙草、やめなさい。」

「直球!」

「仕方がないでしょう?他に思いつかなかったのよ!」

「だからと言って、今は暗殺を企てていたわけではないと誤解を解くほうが先では……!」

生意気ね!と、クイーンが下僕しもべAの胸倉をつかんだ時、間に入ったのは白百合姫だった。

「あの、お義母かあさま。煙草とは一体なんのことでしょうか?」

きゅるるんという擬音が聞こえてきそうな潤んだ瞳で白百合姫は2人を見つめたが、この時ばかりはクイーンもその可愛さには騙されなかった。

「しらばっくれても無駄よ!そんな可愛いお目目で見つめられたら、私、わたし……!」

騙されていた。

「誤解です、お義母かあさま!これは水蒸気の出る煙草もどきですわ!」

白百合姫は必死な形相で窓から身を乗り出し、まだ水蒸気がゆらゆら揺れる煙草もどきを見せた。

一同は白百合姫の部屋へと招かれ、再度、煙草もどきを確認した。

「……これは、煙草ではありませんね。」

匂いを嗅いだり、吸ったりしてみた結果、それはただの煙草に似せたおもちゃであることが証明された。

クイーンは気持ちを落ち着かせようと、紅茶を口に含む。

「なんで煙草のおもちゃなんかで遊んでいたのかしら?」

頬を赤らめて下を向く白百合姫は、恥じらいながら口を開いた。

「……お義母かあさまをお慕いしています。」

後ろのほうで下僕しもべBが「は?」と声を出したのを、Aが慌てて口を塞いだ。

「私は煙草は吸わなくてよ?」

「私は、お義母かあさまのような、強い女性になりたかったのです。」

白百合姫には、同じ目線で話し合える兄弟も友人もいない。言われるがまま、されるがまま過ごす苦痛も喜びもない平坦な日々で、クイーンは衝撃そのものだった。背を伸ばし、鞭を振い、高らかに下僕しもべ達に命令をする、その自信に溢れたクイーンの姿に、彼女は強烈に憧れた。

しかし近づくほどクイーンに冷たくあしらわれ、クイーンと同じドレスを着るも似合わず、1本鞭も思うように打てず、髪型も似合わない、メイクも似合わない。憧れはつのるのに、クイーンに近づけないもどかしさがこんなにも辛いとは白百合姫は知らなかった。

ある日クイーンへのプレゼントを贈るためにカタログを開いていた時だった。

「煙草……。」

プレゼント用の素敵な煙草を見つけた白百合姫は、クイーンが吸ったらさぞ似合うだろうと急いで注文した。しかしそれは煙草もどきで、煙草ではなかった。おもちゃを渡すわけにもいかず、しかもクイーンが非喫煙者と知り、それはお蔵入りとなってしまった。

何気なく持て余した煙草もどきを咥えて、白百合姫は驚いた。煙草もどきを咥えるだけで、クイーンのイメージに近づいたように見えた。それからというもの、彼女は1人の時には煙草もどきを咥え、悪ぶったポーズをとることが習慣となっていた。

事のいきさつを頬を赤らめて話す白百合姫に、一同は引いていた。

「お義母かあさまを眺めながら煙草を持つと、よりお義母かあさまに近づけた気がするんです。」

そうして大切に飾ってあるクイーンの写った家族写真も見せてくれた。下僕しもべAは、偵察の時に白百合姫が家族写真を憎らしく見つめていたと思っていたが、むしろ愛しく見つめていたのかと手のひらをポンッと叩いた。

「ところでお義母かあさま方は、窓の外で何を?」

ごもっともな質問に、クイーンは冷や汗が止まらなかった。大好きな白百合姫が自分を好いていてくれたなんて、クイーンにはこれ以上ない喜びであったが、素直に喜べないのは言い訳が思いつかないからであった。

「もし、もしもですが。」

クイーンが黙っていると、白百合姫が遠慮がちに話し始めた。

「私を悪役にしないようにしていることなら、どうぞお止めください。私は、悪役になりたいのです。」

一同の時が止まった。なぜ主人公であるはずの白百合姫が“悪役”の存在を知っているのか。

「悪役?なんのことかしら……。」

苦し紛れに答えるクイーンに、白百合姫は祈るように顔の前で指を組むと、いつもの温かい笑みを向けた。

「私、知っているんです。お義母かあさまをお慕いしておりますから、全部調べてしまいました。悪役派遣会社『ヴィランズ』ですよね。」

白百合姫はいつもの笑顔だが、その瞳はとても濁っているように見えた。

「今の時代、調べればなんでも分かるんです。お義母かあさまのプロフィール、職場、役職、会社の制度、なんでも調べてしまいました。」

白百合姫がとりだしたのは、クイーンの最近の写真から下っ端時代の写真のコレクションだった。ガタガタと、クイーンと下僕しもべ達は震えが止まらなかった。地雷だ、地雷を踏んでしまった。可愛らしく思っていた白百合姫の笑顔が、途端に不気味に感じた。

「どうすれば私、悪役に認定してもらえるでしょうか?」

クイーンは震えながらも、白百合姫の目をまっすぐ見つめた。

「……悪役に認定されないわ。私達がさせないもの。」

「え、そんな……!」

主人公から悪役へと転落してしまったクイーンだからこそ、悪役になることも演じることの辛さもよく分かっていた。クイーンはパシンッと1本鞭を床に打ち付けると、白百合姫を見下した。

「私に並ぼうなんて1000年早いわ!あなたには主人公がお似合いよ!二度と悪役になりたいなんて口に出さないで頂戴!」

フンっと鼻を鳴らして、勢いのままクイーンは退室した。

「よろしかったのですか?白百合姫と一緒に働けるチャンスだったのに。」

後ろから付いてきた下僕しもべAがクイーンの顔を覗くと、クイーンは顔を真っ赤にして目に涙を浮かべていた。

「あの子の幸せを願えばこそよ……。」

Aがやれやれとため息をついた。

「ちょっと!Bがついてきていないじゃない!ちゃんと教育しなさい!」

「あれ、本当だ。でも大丈夫ですよ、今部屋から出てきたので。」

「もう、いい加減なんだから!」

そしてこのあと、白百合姫は襲い来る狩人を倒したり、7人の小人と共に一揆を起こしてクイーンをギャフンと言わせ、無事に主人公白百合姫のストーリーを終えた。

お役御免となったクイーンと下僕しもべ達は、久々に会社へ出勤した。

「お妃様の生活に慣れすぎて、電車通勤が苦痛だわ。白百合姫という癒しも失ったし、早く次のストーリーにお呼ばれしないかしら。」

「クイーン、朝礼中に喋ってると怒られますよ。」

「うるさいわね。下っ端から昇格してから意見しなさいよ。」

会社へ出社した際は、朝礼から業務が始まる。社員が全員起立して、社長のお言葉や伝達事項を聞くのだ。

「人事部よりお伝えします。昇格者1名、下僕しもべA。本日付で下っ端から中堅へ昇格とする。」

噂をしていた矢先の発表に、クイーンと下僕しもべAは顔を見合わせた。そしてガッツポーズをする下僕しもべAを、クイーンは面白くなさげに睨んだ。

「次に、新入社員の紹介です。」

チャラい服装の下僕しもべBが、「お!」と声を上げた。

「クイーン、絶対僕にお礼を言いたくなるっすよ。」

相変わらず言葉遣いのなっていない下僕しもべBのことも面白くないなと思いながら睨んでいると、フロア全体を包み込む花の香りに、クイーンは反射的に顔を上げた。その上品な仕草に誰もが見惚れ、愛らしい微笑みに胸を高鳴らさないものはいない。


煙草もどきを問い詰めたあの日、クイーンが退室したあと、下僕しもべBは白百合姫の前に跪いた。

「クイーンは白百合姫に、幸せになってほしいと心から思ってるんすよ。」

まだ納得をしていない様子の白百合姫は、表情を曇らせたままだった。

「けじめつけたらいいんじゃないすか。」

「けじめ?」

「一流の悪役は、ストーリーを投げ出したりしないんじゃないすか。」

ハッとする白百合姫に笑いかけ、下僕しもべBはクイーン達を追いかけて退室した。


人事部から紹介を受けて入室してきたのは、白く透き通る肌に桃色の髪が映え、物静かなのに存在感と品がある、クイーンの恋焦がれた彼女だった。

「本日付で悪役派遣会社ヴィランズに入社しました、白百合です。今日からよろしくお願いします。」

フロアにはクイーンの黄色い悲鳴が響き渡った。

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悪役派遣会社へようこそ 御手洗 一貴 @toilet_ittaka

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