ブドウの楽園
狛咲らき
0日目 私の親友
「もうあたしダメかもしんない」
ザーザーと雨降る夜の景色を眺めながら、その言葉に私は心の中で溜息を吐いた。
「そんなことないよ。これから先良いことあるって」
そう言って今にも泣き出してしまいそうなアカネを宥めるものの、あまり効果がないことは分かっている。
アカネが彼氏と別れてから4日。アカネは毎日のように、私に電話をかけてはネガティブな感情を吐き出している。
私としてはもう2日目辺りで飽き飽きしていたのだが、彼女達の別れ方を思うと、なかなか止めてとは言い出せない。
というのも、アカネの元彼はクズ野郎だったからだ。
彼女が自分のことを愛してくれているのを良いことに、自分の欲しいものを買わせたり、好きなだけ金を借りたりと財布のように扱い、挙げ句には彼女の金がなくなったと知れば、他の子にさっさと乗り換えて、はいおさらば。もちろんそいつに貸したお金は返ってきていない。しかもアカネと交際している間にも複数人の女の子達と関係を持っていたとも聞く。
アカネもアカネでさっさと手を引けば良かったものを、初恋の相手ということでいつまでもずるずると引き摺っていたようだ。そこに漬け込んで利用するだけ利用したそいつとは一度も会ったことがないけれども、こうして愚痴を聞いているだけでも最低な男であることは明らかだった。
だから最初に電話を貰った時もただ怒りを吐けるだけ吐いて、翌日にはすっきりするだろうなと思っていた。
でも私は思い出してしまった。こういう時のアカネはめちゃくちゃ面倒臭いということを。
「アキトくん……うぅ……」
「だから、もうそんな奴のこと忘れなさいって」
「だってぇ……」
アカネは未だにその男のことが好きなのだ。
アキトとかいう奴のやり方については薄々気付いていたそうだが、離れることよりも搾取されることを自ら選んだらしい。お陰で捨てられた今でもそいつを求め、別れた原因は自分にあるとばかり思っている。
アカネは自分に自信のない子だから、自分を認めてくれる人がまた現れたら、きっと今回のことは馬鹿だったなと気付いて笑ってくれるだろう。
そのためにも、今は失恋のショックから立ち直らせなければならない。もっとも、それに私は難儀しているのだけれども。
「考えてもみてよ。アカネが貸したお金で他の子と遊んでるんだよ」
「でもそれでアキトくんが幸せなら……」
頭お花畑かよ、というツッコミは心の中だけに留めておく。
「で、あんたそいつにいくら貸したの?」
「……言いたくない」
「どんだけ貸したのよ、ほんと。20万とか?」
「……その3倍くらい、かな」
マジかこいつ。
冗談のつもりで割と大きな額を言ったのだがそれを軽々超えてくるレベルだったとは。
こうなってくると、「あの男が今でも好き」ではなく、「あの男から離れた後の損失を考えたくない」という一種の強迫観念に駆られている可能性も出てくる―—、
「あぁ……お金ならまたバイトで稼ぐから戻って来てくれないかな」
というわけでもなかったか。まったく、聞いてる限りでもクズだと分かる相手に、あまりに勿体ないことをするものだ。これじゃお金をどぶに捨てるだけ捨てて、蓋を閉ざされてもまだ捨てたいと言っているようなものじゃないか。
「良い加減にしなよ、アカネ。もしずっとそいつと付き合い続けてたら、間違いなく不幸な目に遭ってたでしょ。むしろこのくらいの被害で済んだだけまだマシ……じゃないけどさ、この機会に他の男子探した方が良いって」
「でもアキトくんのこと忘れられないよぅ。こうしてアオイに電話してるのも、ひとりだとアキトくんと一緒にいた時のこと思い出しちゃうからだし……」
電話越しから鼻を啜る音が聞こえた。
本当に、どうしてこの子はこうなんだろう。
成績優秀で、高校時代バレーをやってただけに運動もできるし、悔しいけど私よりも遥かに可愛い。だけどアカネはこれが良いと思ったら、それの良い部分しか見えなくなってしまう節がある。それで失敗してずるずると何日も引き摺って、私に愚痴を溢しまくったことも一度や二度ではない。
アカネくらいいろいろ優秀な子なら、我こそはと立候補する男子も多そうなものなんだけど、恋は盲目とはよく言ったもので、彼女の視界にはアキトとかいう男以外誰も入らなかったらしい。そして捨てられても尚この有様。冷静に考えればもっと楽な生き方ができようものなのに、不器用過ぎてたくさんある長所を全然活かしきれていない。
「アオイぃ、あたしどうしたら良いの?」
「まずは自分に自信を持って。そうしたらいろいろ見えてくるって」
「本当に?」
「いつも言ってんでしょ」
しかし何を言ってもアカネは「え~、でも~」とウジウジとしている。
通話を始めてから3時間、というか4日間ずっとこの調子だ。初日と比べると多少は落ち着いたっぽいけど、これじゃあと3日は電話の相手をしなければならなそうだ。
アカネの為に何かしてあげたいとは思うけれども、私も課題とか勉強とかに追われていて、これ以上は時間を割けない。それに正直、これ以上は時間を『割きたくない』という気持ちもないと言えば噓になる。
でももう止めて、なんて言ってしまえば、抉れに抉れたアカネの心は跡形もなくぐちゃぐちゃになってしまうだろう。
——そうだ。
「ねえアカネ。確か心理学科にお悩み相談受けてる研究室あったよね」
「あったと思うけど……」
「じゃあ明日そこに相談しに行ってみたら? 気晴らしも兼ねてさ」
私の大学は心理学科があって、研究の一環で学生や教員の相談相手になっているらしい。流石人の心を研究してるだけあって、結構評判も良いようで、その研究室の前を通るたびに悩みが晴れた様子で学生が出て行くところをよく見る。
それなりに親しい間柄であっても分からないところが多いし、むしろこういうのって第三者に聞いた方が簡単に解決できるかもしれない。その第三者も心のエキスパートなわけだし。
それにアカネに言った通り、行くこと自体にも価値はあるはずだ。
「……分かった。じゃあ明日授業終わったら行ってみる。そのあと一緒に帰ろ?」
20秒くらいうーんうーんと唸った末にアカネは相談しに行くことを決意した。
それからその研究室のことや授業のことを少しだけ喋って、私は「じゃあね」と電話を切った。
「はぁ」
ベッドに寝転がって、ようやく解放されたと私は大きく溜息を吐いた。
時計を見てみるともう日付は変わっている。確か今日中に提出しなければならない課題がいくつもあったはずだ。
「明日は電話来なければ良いけど」
望み薄だが通話時間が短くなればそれで良い。こんなに予定が狂うと中学からの付き合いとはいえ、文句のひとつも言いたくなってしまう。
「まぁ、それで悲しむなら絶対に言わないけど」
雨音を聞きながらそんなことを考えていると、自然と瞼が重くなってくる。
でもこのまま寝るわけにはいかない。私は体を起き上がらせて、勉強机に座ってノートを広げた。
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