【長編】 眼狩り Eye ―五日間のデスゲーム―

音乃色助

0.「無」


 空気が濁って見える。灰色の空が街を見下ろしている。

 光の届かない場所は、人知れず腐っていくらしい。


 ――ドカッ……


「――くっせぇーっ! くせぇんだよお前! ホントに人間? ゴミなんじゃねーの!」

「アハハッ! ひどすぎっ! でもまぁ、当たってるんじゃね! ソイツ人間じゃねぇよ!」


 人気のない路地裏。ふいに、声が聴こえてくる。

 複数の男達。

 二メートルくらい先。五人……かな。派手な髪色で細身の若者が、

 『ナニカ』を取り囲みながらひとしきり笑っている。


「――あっ? なんだ、テメー……、何見てんだよ?」


 ……どうやら話しかけられたらしい。若者の内の一人、ニット帽を被った茶髪が下品な笑いをピタっとやめて、遠巻きに眺めていた俺にズカズカと近づいてきた。

 チラッと――、視線を、落としてみる。複数の男達に取り囲まれているのは、ぼろきれみたいな服を纏っている白髪のオッサン。……オッサンっていうか、もはやジジイって風貌。地面に横たわって、身体を九の字に曲げて、頭から血を流していた。


「――シカトしてんじゃねーよコラ、てめぇケンカ売ってんのか」


 視線を、戻す。ニット帽を被った男の顔面が、俺の鼻先十センチメートル。

 ポリポリと少し頬を掻いて、スッと――、俺はニット帽の男の脇を横切った。そのままスタスタ、人気の無い路地裏で歩みを進める。


「なっ……、テ、テメッ――」


 ガッ――、と肩を掴まれた。思わず振り返る。

 さきほどのニット帽の男がすごい形相で俺のコトを睨みつけていた。俺も男を見返す。


「……なんだよその眼……、お前、俺のコト舐めてんのか?」


 ――問われたが、答えない。……というか、質問の意味がわからない。初めて出会った人間に対して、舐めるもクソもないと思った。


 俺は黙っている。沈黙が、空間に流れる。


「……オイ、そんな奴ほっとこうぜ……、なんかソイツ、ヤバい雰囲気あるし、関わらないほうがいいって――」


 ニット帽を被った男の後ろ……、キャップ帽を被った男が、辟易したような声を漏らした。声が発された数秒後、ニット帽の男が俺のコトをギロリと睨みつけながら――、チっと舌打ちを鳴らして俺の肩から手を離した。


「……今度舐めた態度とったら、お前のコトぶっ殺すからな……」


 そんな台詞を吐いて――


 ……ドカッ――


 ニット帽の男が、地面に横たわっていたジジイを蹴り飛ばした。ジジイが「ウッ」と声を漏らす。その身がビクンと、少しだけ跳ねる。


「お前みたいなやつ、存在価値ねーんだよ! 生きる意味ねーんだよ! 死ね!」


 ……ドカッ、ドカッ、ドカッ――


 ニット帽を被った男が、ジジイを蹴りつける、踏みつける、何度も。

 ――何度も何度も何度も何度も。

 鬼の仇のように、何かをごまかすように、何かをぶちまけるように。


 俺は気づいたら、ニット帽の男の肩を掴んでいた。

 ニット帽の男がピタっと動きを止めて、ユラリとこちらを振り向いて、ギロリと俺のコトを再び睨みつけて――


「……お前、今、なんつった?」


 俺は、静かに口を開いた。

 ニット帽の男の表情筋が、ピタリと止まる。

 ――そのまま、みるみる青ざめていった。


「――う、うわぁぁぁぁぁぁぁぁっ!」


 悲鳴が聴こえたかと思うと、眼前の二ット帽の男が地面にへたりこんだ。

 ガクガクと震えながら、俺の顔を指さしている。



「……な、なんだコイツ……、め、眼が……、『真っ赤』――」



 ――ゴンッ。


 ニット帽の男の声が、ピタリと止まる、鈍い音と共に。

 ブシュッと赤い血を頭から流して、グラリとその場に倒れる。

 二人を取り巻いてた他の連中も、うわぁとかぎゃあとか、そんな悲鳴をあげはじめた。

 キャップ帽を被った男がくるりと背を向けて、その場から逃げ出そうとする。

 男のすぐ後ろ。路地裏に転がっていたビールの空き瓶がフワッと浮いて――


 そのまま、一直線。キャップ帽めがけて猛スピードで飛んでいった。

 鈍い音が再び響いて、キャップ帽の男が前からつんのめる。湿った地面に赤い血がドクドクと流れる。


 ――ゴンッ、ゴンッ、ゴンッ。

 ――ドクッ、ドクッ、ドクッ。


 湿った地面に横たわっている身体が、全部で六つ。

 ぴしゃぴしゃと、赤い水たまりを踏み歩きながら、俺はぼろきれみたいな服を纏っているジジイに近づく。ちょっと遠くで、女の甲高い悲鳴が聴こえた気がした。


「……オッサン、大丈夫かよ」


 地面に屈みこんだ俺は、ボロキレに包まれたその身体を起こしてジジイの顔を窺い見た。

 ジジイは、ボーッしたツラで、何考えているかわからないツラで、焦点が合ってないその眼は、何かが見えているのかも定かではなくて――



「……オッサン、生きてる、よな?」


 こぼれたその声が、濁った空気に交わった。


 けたたましいサイレンの音が聴こえ、徐々に近づいてくる。

 ガヤガヤと、周りが騒がしくなってくる。

 靴底が赤く染まって、立ち上がった俺は少しだけよろける。


 ふと顔を上げると、灰色の空が俺のコトを黙って見下ろしていた。

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