【CASE1:母、閑百合子の思惑】

ありふれた現実ファンタジー


 目が覚めると

 異変が生じていた

 ――というのは幾度となく

 見聞きしてきた

 フレーズだろうが、

 敢えて言わせてもらいたい、


 ――俺は目が覚めると

 視界の隅に映った

 その光景に

 思わず目を見張った。



「あー、よく

 寝、たぁああっ!!?」



 その光景というのも、

 視界の端にぼんやりと映る

 己の身体のことだ。



 そこには、

 ふんわりとして

 だけれど確かに二つと数えられる

 程度の丘陵が並んでいる。


 俺は迷わず

 それへと手を伸ばした。



 もにゅん。



 とにかく柔くて

 手に吸い付くかのごとく

 滑らかな感触が手に走った。


 ゴム鞠とはまた違った

 弾力と柔らかさがあり、

 ある意味揉み心地という

 点においてこいつは

 ゴム鞠を遥かに凌ぐと言える。



 もにゅもにゅもにゅ……。



「ふー、

 そろそろ心を落ち着かせて

 状況を整理しようか」



 俺は誰に言うでもなく

 そう呟くとさっと身を起こし、

 ベッドの淵に腰掛けた。



 座った状態から

 首下を見下ろすと、

 やっぱり身に

 異変が生じていることは

 確かだった。


 

 言うまでもなく

 ふっくらした胸があるし、

 あったはずの

 一物は綺麗さっぱり

 消えてしまっている。




 しかし周囲を見回しても、

 ベッドやテーブル、エアコン、

 本棚と服箪笥、

 組み立て式の電気こたつの

 配置は変化ない。


 時計の時刻は

 七時を示している。


 本当にいつも通りで

 部屋に変化はないようだ。



 環境が通常過ぎて、

 思わず安堵の息が漏れた。



 ……胸があるというのは

 幻覚か何かで俺はまだ

 寝ぼけているん

 じゃないだろうか。


 確かに寝ぼすけの俺が

 休日の七時ともいう

 早朝に起きているのは珍しい。



「そうじゃないかと

 思ってたんだよー

 はいはい夢オチねー」



 そうだ、

 ――いない歴=年齢の俺が

 見ている夢なんだ、これは。



 夢だと思うと何か考えるのも

 ものぐさになって、

 俺は再びベッドへと

 身を落とした。



 昨夜、

 それも十時~深夜二時頃にかけて

 ギャルゲーをしていたのが

 良くなかったのだろう。


 今は八月中旬……

 しかし未終了の課題は

 山積みにしても、

 夏休みの真っ只中であることに

 変わりはない。


 そのせいで

 三大欲求の睡眠が不足し、

 妄想的幻想か

 夢に囚われてしまっている。



 それならば解決方法は一つ、

 寝ることだ。



 そう決め込み、

 俺は目蓋を閉じて

 安らかな眠りに就こうとした、 

 ――のだったが。



「ピロンッ」



 枕元に置いてあったスマホが

 LINKの受信を報せる。



 面倒臭いし、

 どうせ夢だろうからと

 無視を決め込もうかと思ったが、

 それ以降も何度も

 ピロンピロンとうざいくらい

 受信音が鳴り響くので

 眠る気も失せて、

 俺はスマホを手にした。


 待ち受け画面には

 健志からのLINKが

 何通も表示されている。


 

 するとそれらは一瞬にして

 俺を地獄へと

 突き落としたようなものだった。



『おい楪!』


『まさか……』


『この僕が

 今日お前んちに

 行くの忘れてないよな?』


『ないよな?』


『おーい返事しろ』


『……三分だけ待ってやる。

 だからそれまでに用意しとけよ』



 それが一分前のLINKだ。



「んんっ!? 

 あれ、今日だっけ。

 あー……………オワタ」



 健志になんて

 説明するんだよぉぉぉ。


 それに、

 説明できたところで

 信じてもらえる自信がない。



 しかも今から家を出ようにも

 一分前に送られたLINKで

 三分だけ待つと言っている辺り、

 もうこの付近にいることは

 間違いないだろう。


 すなわち、

 事態の収拾がつくまで

 どこかへ避難するというのも

 不可能になる。



 こう考えているうちにも

 時は刻一刻と過ぎていく。



 とりあえず健志との正面衝突が

 回避できないにしても、

 サイズの合っていない

 男物のスウェットから

 鎖骨や谷間が露出しているのは

 いかんせん見過ごせない。


 何かないものかと

 部屋右側にあるクローゼットに

 向かおうとしたとき、

 あるはずのないものが

 視界の隅に入った。



 それは女物の下着と衣服だった。



 水色のレースをあしらった

 水着のような下着と

 白い丸襟のブラウスに、

 紺色のシックなロングスカート。



 俺は兄弟の末っ子で、

 上はもちろん兄だし

 女装趣味もない。


 こんなものさっきは

 なかったはずなのに。



 謎の女物の

 衣服を抱えていたら、

「ピロンッ」という着信音が

 静かな部屋に響いた。


 

 恐る恐るスマホの

 待機画面を表示してみる。



『あと一分』



 という健志からの

 最終通達のごとき

 メッセージが送られてきていた。



「ええい!

 もうどうにでもなれ!!」



 俺は慣れない手付きで

 女子の下着に手をつけ、

 後ろ手で下着のホックという

 金具を留めようとした。


 念のためと思い、

 戸に背を向けて

 ホックを留めている。



 しかし、

 これがなかなか難しいもので、

 ホックが上手く引っかからず

 苦戦しているうちに

 一分が経過しようとしていた。



「う、腕が

 攣りそうなんだけど……」



 カチャリと戸に手を掛ける

 音に気付く頃にはもう遅く、

 健志は俺の背後に

 忍び寄っていた。



「おーい楪、

 遊びに来てやっ…………

 な、な、な、な、な、なんで

 楪の部屋に女が、

 し、しかもはだ、

 裸……がぁぁ!!?」



 ようやくホックを留め終えた

 俺は余計なことを

 口走ろうとする

 健志の口を両手で塞いだ。



 しかし下着姿の半裸女子に

 口を覆われたせいか、

 急に振り返った反動なのか

 気付けば二次元で

 よく見かける

 危険な体勢に陥っていた。



 まあいわゆる、

 床ドンシチュエーション

 というやつだ。



 互いの息がかかる距離。

 吐息のみならず、

 心音さえ聞こえてしまいそうな

 ほどである。


 それが

 男同士でさえなければ、

 ギャルゲーそのものなのに。



 ただ、健志にとっては

 ギャルゲー

 そのものかもしれない。


 さぞかし嬉しいことだろう。



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