▪恋する磁石
『助けて 駐輪場』
そのメッセージが入ったのは、花火開始のわずか五分前のことだ。実咲の呪縛から解き放たれた俺は、歩き疲れて、ベンチの背もたれに寄りかかっていた。だが、そんな文字列が目に映った瞬間、思わず飛び上がった。
駐輪場ってことは、公園の入口付近にあるアレのことだろうか。もしかしたら、あいつが地元のヤンキーに絡まれてたりして……
「それはヤバい!!」
俺は財布と携帯を慌ただしくポケットに入れると、広い公園内を爆速で駆け抜けた。
おそらくサッカーをやっていた時よりも、速く走れていたと思う。だって、愛するパートナーのためだ。
怪我だとか、そんなことはどうだっていい。とにかく、俺は急いでいた。
場所がわからず右往左往しながらも、なんとか駐輪場らしき場所に着くことが出来た。もう、最初の花火まで秒読みという時間だ。
しかし、肝心の鈴本が見当たらなかった。もしかすれば、悪意のある人間に攫われてしまっていたりするのか!
「やっほー、成谷」
気の抜けたセリフと同時に、大きな花火が上空に打ち上げられた。
いや、実際には音だけしか聞こえなかった。横からひょこっと現れた鈴本を、ひたすらに見つめた。
どうして彼女が健康そうに立っているのか、甚だ疑問だった。
「ん? あぁ、綺麗だね。花火」
「いやいや!! そうじゃなくてお前、なんでそんなに元気そうなの?」
浴衣姿ではなくジージャンを羽織った鈴本に、俺は至極当然の疑問をなげかける。
「え、何が?」
「いやだから、助けてとか言ってたじゃん」
あーあれはね、と鈴本は自慢の八重歯を見せながらこう言った。
「『成谷と花火見れなくなるのは嫌だから早く来いカス』ってこと」
「てめぇぶっ殺すぞ!!」
俺の心配を返してくれ。あと、言葉が足りなさすぎるんだ。老夫婦じゃないんだから!
「でも、来てくれたってことは」
「うるせぇ。早く移動するぞ」
「どこに」
「木の下」
「花火見えなくない?」
「見えるわ。ってか早くしろ」
今にして思えば初めて鈴本をリードした気がするが、その時の俺は何かに取りつかれており、全く気にしていなかった。
「…………うん?」
鈴本は、かつてなく動揺していた。思い通りにいかないことも学んでくれ、ワガママな同級生よ。
「はい、着いた」
「ここか。よくこんな絶景スポット見つけたね」
いい感じに人混みから離れていてかつ、周りが見やすい環境。先程、実咲が乱入してきた場所だ。
「……鈴本。お前さ、結構花火楽しみにしてなかったか? 見なくていいの?」
「やっぱ成谷はアホだなぁ」
「なんだよ急に」
焦げ茶の髪は、花火が上がる度に鮮明に映ったが、彼女は夏の風物詩には目もくれない。
「花火より、成谷見てる方が何倍も楽しいから」
鈴本は何食わぬ顔で呟いた。
「……そりゃどーも」
そう言いつつも、彼女の目はたまに花火を追っていた。無愛想だが、まるで子供のように輝いた目を隠しきれていなかった。
「可愛いぞ。紗月」
思わず心の声が漏れた。時間差で、鈴本は顔を真っ赤にしてキレる。
「な、なによ急に!? ってか突然の名前呼びやめて! ビックリした!」
至近距離で罵声を浴びせながらも、鈴本はやがて落ち着いてこちらを向いた。
「の、智人も……カッコいいと思う」
その言葉に、思わず笑みがこぼれた。学校指定のジャージ姿だけどね。
「なに顔真っ赤にしてんだよ、成谷!」
「うるせーな、お前の方が真っ赤だよ!」
今もこうして花火が上がっていると言うのに、それも忘れるほどに俺たちは言い争いをしていた。
本当にくだらない会話だったが、何故だか充実感があった。きっと、鈴本に会えたからなんだろうな。
「あの、成谷」
「うん?」
「私さ、正直に言ってあの告白おっけーしたのはノリなんだよね」
「だろうな」
面白がってやっていたのだろうな、あれは。
「でも、今はなんて言うかな。言葉に言い表せないけど、安心するし『これが一番いい』って感じ」
俺はその言葉の意味をしばらく図ってから、小さく呟いた。
「それ『好き』ってことなんじゃね?」
「ば、バカ! うるせぇわブス!」
「さっきカッコいいとか抜かしてただろうが! 不安定だなオイ!」
よく分からんが、それが鈴本紗月って女の正体なんだろうな。
全く自分を曲げる気は無いが、無自覚に相手に寄り添ってしまう性か。いや、たまに顔面を殴ってくる狂犬ではあるが。
「俺も、さ。実はあの時……」
ふと、俺はラブレターを実咲の下駄箱に入れようとしたら、鈴本のものに間違えて入れたことをカミングアウトしそうになる。
場に酔っていたのだろうか。そこで口を止めたが、鈴本はわかっている表情でこちらを覗いてきていた。ここでしらばっくれる道理などない。
「実は、俺は実咲の下駄箱に入れようとして、間違って鈴本のにラブレターを入れ間違えたんだ。そりゃあどうしようもねぇ。しかも急に好きとか抜かしたしな……」
「それは私も。半分ノリ」
「半分?」
「うん。てかさ、そんなこと元から薄々気づいてたし、今更言われて冷めるわけないでしょ。なんでそんな不安そうな顔してんの」
鈴本はそういう突っ込まれたら嫌な部分を的確に突いてくる。俺は急いで表情を戻すと、無言で彼女を見つめた。
鈴本もまた、俺を見つめる。無愛想、猫目とサバサバした態度。お世辞にも、モテる女の容貌とは言えないが。
それで十分だ。それで、隣にいてくれるのなら。
「智人。好きだよ」
その時、俺は不意打ちされた。
てっきり、そんなセリフは彼女からは未来永劫出ないとでも思っていたのだ。
あまりにも柔らかく優しいその言葉に、俺はクラっとしながらも意識を確かにもつ。
唇をぎゅっと噛みながらこちらを見る彼女に、お返しをした。
「俺も、紗月のことが大好きだ」
そして、最後と思わしき大車輪の花火が打ち上がった。光に少し遅れて、先程まで聞こえなかった心臓への直接便が辺りに響く。
なるほど。幸せって、こういうことを言うのか。
間違って、失敗して。何度も何度も考えて、やがて辿り着く。これから成功する保証なんてどこにもない。けれど、なんとか上手くやって行ける気がする。
「これからも、よろしく」
俺たちは正反対だった。それが良かった。
「……うん、こちらこそ」
しばらく時が流れていった。花火のことなんて完全に忘れていた。周りの人が続々と帰宅していく中、俺は何も無い夜空をボーッと見つめていた。
例えるなら──いや、これ以上は柄でもない。やめておこう。
「あ、成谷。お前どうせ、『俺はイニシャルN.Nだし、紗月はS.Sだからアレみたいだなー』とかだっせぇポエムでも考えてるんでしょ?」
「うるせーよ!! 悪かったな!」
にひひー、と俺をからかって彼女は笑う。
良さげだった雰囲気がぶち壊しだ。……でも、不思議と心地がいい。
花火の夜は、続いていく。
《完》
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