閑話② 結城彰人の話

 結城彰人(ゆうきあきと)の両親は数年前に自殺した。彼の家族は両親と彰人、弟が一人の四人家族だった。


 ごく普通の家庭だったはずだ。両親は彰人にも弟の静人(しずと)にも愛情を注いでいた。結城家の息子二人はすくすくと成長した。そのまま、将来大人になって、両親のように結婚して幸せな結婚生活をするのもいいだろうと思うほどには、快適で楽しい生活を送っていた。



 それが一変したのは、父親に不倫疑惑が浮上したことだった。彰人が高校3年生になり、受験を控えた冬のことだった。そのころ、父親は急に帰りが遅くなりだした。彰人の父親は市役所に勤めていたので、帰りが遅くなることはあまりなかった。結城家では、夕食は家族全員で食べることが当たり前だった。それなのに、父親がその当たり前を崩壊させた。週に2~3回、平日に夕食がいらないという連絡を入れるようになった。さらには、土日の休日も一日中家を空けることが多くなった。


 さすがにそこまで外出が多いと、母親は不倫を疑うようになる。そしてある日、決定的な証拠を見つけてしまう。


「あなたのことが好きです。でも、私にも夫と二人の息子がいます。これ以上二人きりであっていては、あなたにも私にも良いことはありません。不幸になるだけです。次回を最後に会うのをやめましょう。

あなたのことを愛していますが、あなたの幸せを最優先に考えています。」



 たまたまだった。たまたま、部屋を掃除していた母親は、自分の夫のスマホがリビングのダイニングテーブルに置いてあることに気付いた。夫は自分のプライバシーに関心がないようで、スマホを買った当初は、画面にロックをかけていなかった。今もそうだろうと考えていた母親は、つい興味本位でスマホの画面を開こうとした。


 帰りが遅いことや、休日に一日家を空けることなどの不審な行動をとる前は、よく監視よろしくスマホを確認していたものだ。それが、最近はしていないことを思い出す。夫の行動を監視したいのは、愛ゆえだと自分に無理やり言い聞かせて、母親はスマホを確認してしまった。


「パスワードを入力してください。」


 母親にとって、それは衝撃的なことだった。今まで、ロックもかけずにスマホを見られ放題でも気にしていなかったのに、いきなりロックをかけるようになった。それだけで、隠し事がありますと言っているようなものだ。


 すぐにパスワードの候補が思いつく。単純な夫のことだ。自分の誕生日や車のナンバー、自分の身近な番号をパスワードにしているのだろう。そう考えた母親は手当たり次第、思いついた四桁の番号を入力していく。


 すぐにパスワードが当たり、中をのぞくことができた。やはり、夫は単純だった。おそらく、夫はその番号を自分しか知らないと思い込んでいるのだろう。笑いがこみ上げて仕方がなかった。


「1132」


 それは、彼の大学時代の学生証の下四桁の番号だった。夫のすべてを知りたがった母親は、夫のありとあらゆることを調べつくしていた。それが今回は功をなしたようだ。


 さっそく、スマホの中をチェックしていく。ネットの検索履歴、SNSのつぶやき、メール、電話履歴、夫の行動がわかりそうなものは隅々まで調べていく。


 探していくうちに見つけ出したのだ。不倫の決定的証拠を。知らずしらずのうちに母親は手に力が入っていたようだ。


「メキッ。」


 握っていたスマホが割れてしまった。慌ててスマホを確認するが、どうやら壊れてしまったようだ。壊れてしまっては、不倫相手のことをこれ以上知ることはできない。悔しそうに顔をゆがめるが、そこへ運よく夫が帰ってきた。


 その後、結城彰人の両親は激しく言い争うこととなった。その日は一日中、両親の言い争いが続いた。それ以降、両親の言い争いが絶えることはなかった。


 両親の仲が悪くなれば、もちろん、子供はその気配に気付く。そのころにはすでに彰人も弟の静人も高校生だった。離婚の話も出ていたので、二人は自分の将来がどうなるかと不安でいっぱいの日々を過ごしていた。


 

 その言い争いは長くは続かなかった。突然、終わりを告げた。母親が一家心中を図ったのだ。家に火を放ち、家族全員あの世に行こうと試みた。結果は、彰人のみが生き残り、他の家族は全員焼身した。


 一人残ってしまった彰人は、父親の祖父母の家に引き取られた。祖父母が当時大学一年生だった彰人にそのまま大学を続けるよう援助してくれた。





 こうして、彰人は大学三年生になった。彰人は母親をおかしくした原因の女をずっと探していた。


 母親と父親の言い争っている姿を見たくなかった彰人は、自分の部屋にいることが多かったので、両親の話は断片的にしか聞いていなかった。しかし、話の断片をつなげ、父親が母親とは違う女性と二人で会っていたということはわかった。


 スマホは火事で焼けてなくなったが、それでも、母親が話していた女性の名前は記憶していた。


「水藤あずさ」


 その名前とたまたま見た、父親のスマホに映し出された女性の写真を頼りに必死に探した。そして、とうとう見つけ出したのだ。






「逃がしてやるわけないだろ。まさか、あんたが夫に先立たれて正気を失っているとは思わなかったが、きっちり償いはしてもらう。」


 すでに、水藤あずさは正気を失い、彼女を殺しても何も達成感が生まれそうになかった。それならば、息子に罪を償ってもらうまでだ。


 彰人の執念深さが下屋敷家に乗り込むまでに至った経緯である。

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